オチミルミチオ
──ワタシラモウソソウモラシタワ──
そんな呪文めいたものが頭の中で響き、わたしは(あーあ……)と小さく首を振った。
(「物語」、はじまっちゃったか……)
内心で嘆息する。けして口にはしないけれども、表情には出るレベルでがっくりくる。
とりあえず、現状の把握からはじめよう。
Who:わたしの名前は越智倫央。今年で二十歳になる、まだまだフレッシュな大学生だ。
性別は内緒。学部は工学部──おっと、今ので男なんじゃないかって予測するのは安易だと思うよ。
When:今日は何日だっけ……忘れた。七月なのは確かなんだけどな。だんだんとセミがうるさくなってきた。
Where:ここはどこか、そりゃ部室である。わたしは通っている大学で、推理小説研究会というマイナーなサークルに入っているのだ。
マイナーサークルにあてがわれた部室は分相応に狭くて汚いけれど、日頃読んでるミステリの感想を言い合ったり、創作したりするには居心地のいい場所である。
What:わたしは今、何をしているか。
うーん、部活動、かな? いつものように講義を終えて、部室に来て、今日は部誌の編集作業のお手伝いでもしようかな、と思ってやってきた。
現にわたしの前では、先輩部員が二人、激論を戦わせている。
「お前、いつになったら原稿終わるんじゃー!」
「思い浮かばんもんは思い浮かばんのじゃー!」
おお、編集者と作家の大喧嘩みたいだ。
「いいか、俺だってこんなアマチュアの部誌の締切なんぞにうるさくはしたくないの。でもな、お前の締切はもう二週間前に到来してんだよ! 債務不履行だぞコラァ!」
原稿をせっついているほうが、深草健二先輩。ここの副編集長をやっている、法学部のヒゲメガネ男である。
「私は二週間前に提出したもん! それをあんたがここがおかしいって矛盾点つきつけてくるからやり直してるんであって私は悪くなーい!」
負けじと抵抗しているほうが、畑山優香先輩。サークルの中で二番目に数多く原稿を書く、文学部のデコ出し童顔女である。
「いいから早く書くんだ。今頃編集長は漫研に頭下げてるんだぞ」
「なんでー。頭下げる筋合いなんてないじゃん」
「自分の作品にはイラストつけてほしいっつったの、どこのどいつだったっけ……」
「……わっ、私の『箱庭フーダニット』はかわいい女の子がいっぱいでてくるんだもん! イラストがあったほうが絶対映えるもんね!」
……うーん、修羅場だ。そうかそうか、今日はそういう「物語」なのか。
「おい越智、お前からもなんか言ってやってくれ、畑山に」
「え」急に話が飛んできた。「うーん、皆で考えたらどうすか」
「さすが後輩! よく分かってる! 深草もネタ出ししろー!」
ぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあ、部室は三人しかいないはずなのに、合唱の練習でもしているかのように声が飛びかっていた。
そんな中、わたしは一人、(はーあー)と再び内心で嘆息する。
なぜか。
Why:実はわたしは、自分が今いるこの世界が「小説内世界」であることを自覚しているから。
……いや、不正確だな。
Why2:そんな状況で、物語が始まると同時に、その「オチ」を予め知らされてしまうから。
これである。
いきなりこんなカミングアウトが出てきて戸惑ってしまうかもしれないが、今わたしがこうして語っているのが「小説」であることは、これを読んでいるあなたが一番よくわかっていることだろう。
つまりはそういうことなのである。メタフィクションというやつである。
別にわたしも、四六時中自分が小説の中のキャラクターであるとは思っていない。ただこうしてたまに、(あ、今「物語」がはじまった!)と感じるときがあるのだ。
そのサインというのが、冒頭の「ワタシラモウソソウモラシタワ」という呪文。
これが、今回の話の「オチ」なのである。
えーっと、漢字表記に変換すると……
「わたしらもう粗相、漏らしたわ」
「げっ」
わたしのそう大きくないはずの呻き声に、大声で言い合いをしている先輩二人が反応してこっちを向いた。
「あ、いやすいません」
適当に謝っておくと、二人はそのまま喧嘩続行。困った人たちだ。
まあ、それに輪をかけて困った状況というのが、今なわけなのだが……
だって、なあ。サークル内で締切がやばいっていう「物語」の「オチ」が、粗相して漏らす、って。
ちなみにこのオチのお告げというものは、必ず回文、逆から読んでも同じ文章の形でわたしの頭に降ってくる。ワタシラモウソソウモラシタワ。ほら、回文でしょ。
もっと付け加えて言うと、わたしの名前もオチミチオってことで回文。いやーこのへんの符号、メタフィクションっぽいねー。
おっと、今はそれどころではない。オチだ、オチ。
お告げが出ている以上、このオチは確定である。
すなわち、誰かが粗相して漏らす。
……「粗相」だけならいくらでも解釈のしようがあるものの、「漏らす」までくっついてくると、これはもうアレしかないだろう。尾籠な話だがしょうがない。
だけど、ねえ……誰がだよ?
現状ここには、三人しかいないぞ。
「ほら、ネタが思いつかないっていうんなら題材くらい提供してよー深草ァ!」
「題材だァ? そんなもん渡したところでお前書けんのかァ?」
──こんなふうに、やたらと語調が荒くなっている先輩二人と、わたし。
待てよ。これだけ熱くなっているとしたら、なんかのはずみで最終的に……とかか?
やだなあ。見たくないなあ。
なおも私は内心で嘆息した。今回はいつもと毛色が違う。ふだんなら、行列のできるラーメン屋に並んでいるときに、「食えないしな、悲しい、萎え苦」というお告げ回文が降ってきて、えっ食べられないのかよと思ったら案の定スープ終了でまた後日となったり、死ぬ気でテスト勉強しているときに「よい意地満点マジいいよ」なんてお告げ回文が降ってきて、満点取れるんだとなりつつもなんだかつまらない気分になったり。
要するに、回文という変な形とはいえ、予知能力であることに変わりはないから、先が見えてしまう残念さというものが常につきまとっていたのである。
それが、これだ。
オチが分かっているものの、現状どうすればそこに至るのか、ということが分からない。
いままでの流れのどこが伏線になっているのかが分からないのである。
「じゃあ畑山よ、題材やるよ」
「よしきた!」
「あれだ、あれ。うちの大学に伝わってるさ、死体出現の謎だよ」
「あー……あれ? 何年か前に、うちの大学の生徒の死体が、急に教室に出現したってやつ」
「そうそう。ネタはあれでいこう、それをお前の作品『箱庭フーダニット』に活かせ」
「ふーん……うううううーん」
あー、えーと。
畑山先輩の頭を捻るときの唸り声が、文脈上仕方ないとはいえ例のものを想像させてしまう。
「ふうううううううん」
や、やめてくれ先輩! このまま行ったらどうしようもない状況になるかもしれない!
「ぷはーっ! ダメだ、思いつかねー!」
「潔いなオイ!」
「んじゃ深草が考えてよ」
「俺かよ? 俺はもう原稿提出済みなんだけどなあ……えっと確か……目撃者が教室に入ってきたときはもぬけの殻で、ちょっと目を離した隙に物音がしたと思ったら、死体が机に突っ伏していたんだっけ……うーん……ううううううううーん」
あああっ! こっちまで!
「う……ううーん」
なんだか申し訳なくなってきて、わたしも申し訳程度に唸り声を上げて同調してみた。今のところトイレに行きたい気持ちなどはないが……オチは確実に襲いくる未来だからな……
こうしてうんうん唸る時間が約数分。
「無理だな」
「無理だね」
双方心が折れるという決着にて、とりあえずの危機は回避されたのだった。
それでもオチが確定している以上、何らかの形でアレは到来してしまうのだけど。
「せ、先輩たち」
そこでわたしは、一つ提案してみた。
「今日はもうお開きにして、気分転換しませんか?」
要するに、場面を無理矢理変えてしまおうという作戦だ。
オチが「わたしらもう粗相」であるということは、粗相する人間は一人ではないということである。複数人。しかしこの場には三人しかいない。
もっと言えば、一人称が「わたし」なのは、わたしこと越智倫央と、畑山先輩のみ。ならばこの状況下で粗相をしてしまう組み合わせとしては、
①全員 ②わたしと畑山先輩 ③わたしと深草先輩 ④先輩二人
の四通りが考えられ、うち三通りにわたしが入ってしまっている。
わたし、粗相する確率75パーセント。高すぎだ。
同性の前ならまだしも、異性の前でお漏らしなんて、プライドが許さないし絶対に避けたい。
だからこそ、ここを移動して人数を増やさなくては……
というわたしの考えは、
「「それはダメだね」」
という二人のデュオに打ち消されてしまった。
「そ、そうですか……」
「さすがに今日中に目途をつけないとえらいことになる」
「私もそこは同感だね!」
いや困った。これはトイレも我慢し二人が打ち込みを見せて、見事原稿を完成させてほっとしたはずみにやってしまうというフラグなのだろうか。そうならそうであってくれ。わたしはわたしの行きたいタイミングでトイレに行くからな。
ったく。なんで回文が「わたしら妄想漏らしたわ」じゃないのだろう。これでいいじゃん。「そ」が余計だよ。妄想でいいなら、いくらでも恥ずかしいのしてやるっつうの。
「だけど」と深草先輩。「原稿ができないんなら、別の手立てを探すなりしてケリをつけないとな」
「なにさ。別の方法あるの?」
「まあ、端的に言って代原だな。変わりの原稿持ってくるしかない」
「え、先輩あるんですか?」
ちなみにわたしは一応一本書いて提出しているが、それ以外にはもうない。
「……新実さんに頼む」
畑山先輩が息を呑む音がした。新実というのは深草先輩たちの先輩、サークル内最年長の構成員にして、一番たくさん作品を作る人である。本人もプロを目指していて、とにかく熱心に打ち込んでいる方だ。同じ女性ということで、畑山先輩も憧れているみたいである。
「え、でも深草、新実さんも部誌用の原稿出してるよ? それにあの人書いたらとりあえずどこかに出すから、未発表のものもないと思うけど……」
「いや、一つあるはずだ」
言い切る深草先輩。眼鏡がきらりと光る。
「今ちょうど選考中に入った、T社のミステリ短編賞。新実さんはそこに応募しているはずだから、その作品の掲載許可をもらおう」
「な、なるほど」
わたしは思わず手を打った。公募中の作品を上げるということか。
「それ、新実さんオッケー出すかなあ?」
「わからんが、言ってしまえばサークルの部誌なんてドマイナーな媒体だろ。ネット上に発表するわけでもないし、許してくれそうだとは思う」
「まあ、新実さん優しいもんね……それに私もその賞に応募してるからわかるけど、その賞自体もそんなに大きいものでもないし、いいと思うな!」
ん?
わたしは首をかしげた。同時に深草先輩も、顔をしかめた。
「……畑山、お前も応募してんの?」
「え? うん出し」
「出せ」
「え」
「今すぐ出せ。それを使う」
「え、えー。でも公募中だしなー」
「バカ野郎。お前の原稿が賞なんか取るわけないだろ。少なくとも新実さんのを差し置いて取ることはまずない。どうせ日の目を見る確率は薄い! それを出せー!」
「ひ、ひっど!」
畑山先輩、涙目になりながら首をぶんぶんと振っていたが、
「……ま、現実見たらそうだよね……あとでデータ送るよ……」
と、しょんぼりとしながらも納得したような口調で言った。
「よしよし、それでいいんだ。これで部誌の問題が片付いた!」
晴れやかな様子の深草先輩。わたしも内心の不安が取れ──
──て、ない。取れてないぜ!
なんかこう、物語的な流れで行くと、そろそろオチが来そうな気がするのである。部誌の締切の話をさんざんやっておいて、ケリがついているのだから。
となると、そろそろ粗相タイムが来てしまうのか……?
しかし、そのようになる展開が一切見えない。この期に及んでも、だ。
さて、どうなる……わたしは一生懸命頭を回転させ、今までの流れに伏線を見出そうとした。
した、ところ。
「よし、んじゃあお疲れ様ってことで、俺から畑山になんかおごってやろう」
「え、いいのっ!」
「そりゃまあな。公募中の原稿使うってのはそういうことだろ」
「よしゃー! やったー!」
……おごる?
……それって、食べ物?
「しかし、うちのサークルから公募に出すときって、一応俺の耳にも入るんだけどなあ」
「あ、今回さ、新実さんのペンネームで一緒に投稿したの」
「へえ。なんでまた」
「複数投稿する人って目に留まりやすいって噂、聞いたからさー。新実さんの戦略だよ」
「そうなのか。さて、何食いたい? お菓子系がいいかな」
「全然いいですっ。なんでもありがたくいただきますっ」
……お菓子、ね……
「あ! そういえば編集長の旅行土産の大福、まだ残ってたな。とりあえずそれやるよ。んで俺、なんか買ってくるよ」
「ありがとー! 大福も私まだ食べてなーい。ね、越智も一緒に食べよ?」
「え、わたしっすか? えっとそれは……」
とたん、私の全身から冷や汗が流れてきた。
これはそういうやつじゃあないのか……? 何日かおいてある大福だろ……?
「かなりうまかったぜ。ほっとくと新実さんなんかが全部食べちゃうからさ、編集長がどっかに隠してたんだよなー。あ、あった」
そう言って、見た目は大変おいしそうな大福を二つ、持ってくる深草先輩。
カビなどは見当たらない。普段ならわたしも目を輝かせてかぶりついているところだ。
けども。
「あー自分、遠慮しとくっす。畑山先輩、二ついっちゃってくださいよー」
全力で拒否をしているわたしがいた。
そりゃ、そうだよな。だってオチで誰かが粗相するんだもの。これ、食ったら絶対お腹壊すやつだね。
しかし畑山先輩は満面の笑みで、
「だーめ。こういうのは、一緒に食べることでおいしさが増すんだからね!」
わたしに大福を近づけてくる。
「いや、わたし実は大福アレルギーでしてそのハハハ」
「そんなアレルギーがあったらミステリのネタにしてるよー」
「ふ、深草せんぱーい」
「もう買いに行ったよ、お菓子」
「…………」
「さ、さ、お食べなさいな」
「は、はい……」
そうしてわたしが渋々大福にかぶりつき、絶望の表情を浮かべたとき。
「ちょっとちょっとちょっとちょっと!」
大声を発しながら部室に入ってきた女性がいた。
「に、新実さん」
面食らった様子で畑山先輩がその名を呼ぶ。
「く、くるしい」
そしてどこからか深草先輩の声。よく見れば、新実さんに首根っこを掴まれている。ここまで引っ張ってこられたようだ。
「どうしたんですか?」
わたしが問いかけると、新実さんは興奮冷めやらぬ様子で一通の封筒を見せ、
「これ! 通ったのよ!」
高らかに宣言した。
「通ったって、何がですか……」畑山先輩が怪訝そうに訊き、そしてすぐに顔色を変える。「まさか!」
「そのまさかよ! T社の短編賞! 私の作品が通っちゃったのよ!」
「「「えええっ!」」」
わたし、畑山先輩、深草先輩の三人が同時に声を上げる。
「ほんとよ、ほんと。だってこの封筒に書いてあるもの。この度は受賞おめでとうございます、のちほど電話……連絡……します……って……」
なんだか急に、ゆっくり口調になった新実さん。わたしたちが不思議そうに見やると、
「……嘘……」
その唇から、震える声が漏れだした。
「「「嘘?」」」
またもや三人の声が重なると、新実さんは細々とした声で、言葉をつづけた。
「……受賞したの、私の作品じゃなくて、畑山さんの書いたほうだ……」
あまりの衝撃に、わたし、深草先輩、そしてなにより畑山先輩は、そろってこう漏らしていた。
「「「……嘘……」」」
──わたしらも、「……嘘……」そう漏らしたわ。
──ワタシラモウソソウモラシタワ──