第七楽章
会話をしているうちに孤児院に着いた。学校の体育館より一回り小さい程度だろうか。小さな子供が遊ぶ分には問題がないぐらいの広さがある庭もある。
「君がアリエルお嬢様が拾ってきた子かい? 僕はシールズだよ。一応、ここの管理人というか、責任者をやっているんだ。よろしく」
二十歳半ばぐらいの男性が俺を見てにこやかに挨拶をしてくる。
「タクトです。このたびはお手伝いに参りました。よろしくおねがいします」
俺もにこやかに挨拶をして、握手を交わす。
「さて、お嬢様にはいつも通り昼食づくりのお手伝い、タクト君には子供たちの世話を頼もうかと思ってるんだけど、タクト君、大丈夫?」
シールズさんは俺にそう問いかけてくる。アリエルさんは普段から来ているらしく、その仕事ぶりはいいらしい。
「あー、あまり経験がないので何とも。よろしければ教えていただけるとありがたいです」
正直、学校の家庭科で保育園へ実習に行った程度だ。同じ目線になる為にしゃがんで猫なで声で話す、関節などがまだ弱いので引っ張るのは厳禁、ぐらいしか教わっていないな。
「なら僕と一緒にやる予定だから大丈夫だね。実際にやってみて、問題があるようだったらその都度教えていくよ」
「ありがとうございます」
「うふふ、じゃあタクト君、頑張ってね。ミラも一緒にそっちに行くと思うから」
「…………」
さてさて、どうなることやら。
■
この孤児院は、四歳から七歳までを集めているそうだ。孤児院ごとに年齢の範囲を分けているらしい。理由としては、教育のしやすさだそうだ。近い年齢なら大体同じようなことをすればいいから、確かに効率的だろう。この世界は十五歳で成人になるため、その年齢までの人が孤児院にいるそうだ。まるで幼稚園、小学校、中学校だな。
「うお、こりゃあ凄い」
「ははは、子供はエネルギーがあるからね」
案内された部屋は中学校の教室程度の広さを持つ部屋。そこには子供が二十人ほど。それぞれ好き勝手に遊びまわっていたり寝たりしている。
そして、その次に目に入ったのは、
「……オルガンがあるのか」
部屋の隅に置いてある、茶色いオルガン。音域としては四オクターブ半だ。
「ああ、それね。数年前に亡くなった先代が子供たちによく弾いてあげていたものさ。いかんせん、こういった楽器の類はどれも習うには金がかかりすぎるんだよね。僕も弾けたら格好いいんだろうけど、ちょっと無理があるよなぁ」
シールズさんがそう説明してくれる。
「……やっぱり子供って、賢さとか堅実さよりも第一印象とかインパクトに強い影響を受けますよね?」
「うん、確かにそうだね。で、それがどうかしたのかい?」
俺は、ふと思いついたことを確認するためにシールズさんに質問する。シールズさんは不思議そうにしながらも肯定してくれた。
「なら、これは御あつらえ向きですね」
俺はまっすぐにオルガンを目指し、その手前にある椅子に座る。全部の鍵盤を一つ一つ弾いてみて音程が狂っていないことも確認した。数年間放置していたのにこんなに音程が狂っていないのも不思議だな。まぁいいさ。好都合だし。
俺がオルガンを弾いたことで、子供たちの注目が集まる。よしよし、いい感触だ。
「…………」
俺は一つ深呼吸をすると、オルガンで曲を弾きはじめる。
単純な四分音符が続く、馴染みやすい旋律。時折混じる跳ねる様なリズムは、分かりやすいけれど、コミカルで明るい音楽に花を添える。同じフレーズを二回繰り返し、途中から装飾音符も入り始め、単調だった曲が華やかになる。
ここまでは、日本人なら大体の人が知っている簡単なメロディだ。元は違うが、日本では『きらきら星』で多くの人に親しまれている。
そして、その音楽が変わる。
「は、やい……」
「きれい……」
十六分音符を中心とした早い旋律となる。子供たちの誰かが呟くのが聞こえる。だが、これは序の口。それを皮切りに、音楽は姿を変えていく。
きらびやかに、ずっしりと、気まぐれに、より可愛らしく、壮大に、重々しく、軽快に……様々な『星』を表現する。
リズム、音程、調、音量……様々な要素が違う音楽が次々と演奏されていく。そのすべては『きらきら星』のメロディを中心として。
そして、音楽は拍子を変え、音はクレッシェンドにより最高潮になり、ついに終わりを迎える。
音の余韻と、一瞬の静寂。そして、
「すっげえええ!」
「かっこいい!」
「きれいなおと!」
万雷の拍手と、興奮したような歓声。そのすべては、音楽への賞賛。
きらきら星が次々と姿を変えて演奏されていく、モーツァルト作曲の『きらきら星変奏曲』だ。なじみある音楽と高度な音楽を一つに詰め込んだ名曲だ。
「はい、みなさん。俺は本日お手伝いに来たタクトです。今日一日だけですが、よろしく」
俺は皆に振り返り、自己紹介をする。その後、シールズさんにこれは良かったのか確認を取る意味で視線を送ると、笑顔で頷いてくれた。どうやら好感触だ。
「タクト君、どうやら子供たちは気にいったみたいだね。先代が大事にしていた、子供向けの国民的な歌の楽譜がいくつかあるから、それで遊んであげて」
そういってシールズさんが指さしたのは、オルガンの横にある棚。その一番段には楽譜がいくつか入っていた。おおう、文字や言語が同じなだけでなく楽譜まで一緒だよ。共通点が多くてありがたいな。
それから、子供たちの合唱に合わせて伴奏を弾き、楽しませてみる。こうなったら何人かは飽きて別の遊びをするのが相場だが、全員が夢中で歌っている。歌の内容としては、明るくて軽い曲が多い。初めの方は子供たちを楽しませるために明るい曲ばかり弾いていたが、ストックが無くなってきたのと、子供たちに疲れが見えてきたという二つの理由で、ゆったりとした童謡も入れてみた。テンポも遅く、リズムもそんなに早くない曲だ。俺の伴奏に合わせて、幼く、ただ地声で発しているだけの子供たちによる合唱が部屋に響き渡る。その歌が二番に差し掛かった時、
「――――――」
美しいソプラノが響き渡った。朗々と、そのソプラノは俺の伴奏に合わせて歌う。その美しくも可憐な声は、俺の伴奏を信じて、委ねてくるかのように気持ちよく歌っているのだ。そのあまりの美しさに、その声の主以外は声を発さない。ただ、その歌声に魅了されるのみ。
その歌声の主は、ミラだった。
「――――、――――――。――――」
目を瞑り、胸に手を当てて朗々と歌う。今着ている、黒いゴシックロリータのような服や容姿も手伝って、ミステリアスでありながら可憐な歌姫がそこにいるように見える。否、そこにいる。
「――、――――、――――――」
ふと、ミラが歌ったまま、目を開けてこちらを見てきた。その顔には、控えめな笑みが浮かんでいる。
それに、俺は笑い返した。その笑みに乗せたメッセージは『自由に歌え』。その意図を感じ取ったのか、ミラは頷くと、より朗々とした声で歌い始める。若干リズムが崩れ、音の長さも微妙に違う。だが、ここに『合わせる』のが独唱の『伴奏者』の務めだ。
今や教室は、歌姫の独唱と、それに花を添える伴奏者のステージと化していた。
さっきまでは伴奏にミラが合わせていたが、それは音楽として、個人的には微妙だ。メインが伴奏に合わせるのではなく、メインは自由に歌い、それに伴奏が合わせて花を添えるのがより美しい音楽だと考えている。
観客席よりもよっぽど近い特等席で、ミラのステージを見る観客はシールズさんと子供たち。そして、いつのまにか入り口にいたアリエルさんや料理を運んできた人。
「――――――――……」
そして、音楽はついに、長いフェルマータによって、ゆったりと、静かに終わる。音の余韻と静寂。ここはホールではないのに、歌姫のソプラノの余韻は室内に反響し、観客の心に響く。
音の余韻が消え、静寂の一瞬を楽しんだ俺とミラは立ち上がり、観客にお辞儀をする。
そして、それによって意識を取り戻した観客たちは、ミラを称える拍手を鳴らす。
「きれい、きれいだった!」
「凄いじゃないの、ミラ!」
「素晴らしかった!」
そんな歓声の中、俺とミラは、お互いの顔を見て小さく笑い合っていた。
音楽の描写、感性、考え方については人それぞれです。本文中の音楽に関する描写は、あくまで一例だと言う事を忘れないでください。