第六楽章
追記・日間ランキング6位です。人生で初めてランキングの一桁の領域に入りました。
ありがとうございます。
……プレッシャーには負けません(震え声)
「えっと……大丈夫?」
起きて、朝食の席に集まって早々にアリエルさんから心配そうに声をかけられた。俺も朝に鏡で確認したからわかる。目は充血しているし、その下にはクマが出来ている。
「え、ええ。大丈夫ですよ」
俺はそう言って笑顔を作って見せる。体調が悪いわけではないのだ。ただちょっと、ホームシックが祟って寝ることが出来なかっただけだ。
「おはよう。……タクト君、その目はどうした?」
「おはよ……あら、本当ね。大丈夫?」
ウェールズさんとヒーラさんまで心配しているようだ。
「ちょっと昨日眠れなかったんですよね……」
俺は乾いた笑いを漏らしながら頭を掻く。定期演奏会のアンコール、それの最後の全音符を止めた後の余韻と静寂とか思い出しちゃって大変だった。涙が流れる流れる。泣くだけ泣いたらスッキリはしたけどな。代わりに寝起きは全くスッキリしてない。
「……おはよう。目、大丈夫?」
眠そうに目を擦りながらミラも食堂に入ってきた。年下の女の子まで心配させちゃっているよ。
「うん、大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて」
俺はミラに笑いかけながら頭を撫でる。すると、ミラは昨日みたいにくすぐったそうにして首を縮めている。それで安心したようで、雰囲気を柔らかくしながら席に着く。
ふと、パサリ、パスッ、パスッ、と音がしたのでそちらを振り向いてみると、
「……みなさんの方が大丈夫でしょうか?」
アリエルさんとその両親の三人が口をあんぐりと開け、目を丸くして俺とミラを交互に見ていた。先ほどの音は、ウェールズさんが新聞を落とし、女性陣がナプキンを落とした音だった。
「昨日の夜、ミラからタクト君に会いに行ったらしいけど……打ち解けすぎじゃないかしら?」
いち早く現実に復帰したアリエルさんが俺とミラに疑問を投げかけてくる。
「あー、昨日の夜にちょっとした話をしましてね。その際に、砕けた口調で話すと言う事と名前の呼び捨てがあり、と言う事をミラから許してもらったんです。で、その話の過程というか結果というか……そういったもので打ち解けました」
精霊云々についてはもっとタイミングを読んで話すべきだろう。折を見て話す、ということはミラも昨日の夜に承知してくれた。小学生ぐらいの年齢だろうに、賢いなぁ。一人で過ごすことが多かったうえに、貴族だからしっかり教育されているのだろう。その実、決して勉強を強制している感じがしないから、やっぱりいい家族なんだろうな。うちも勉強は強制されなかったな。
「……アリエルが連れてきたからには面白い子だとは思ったけど、これは予想外ね」
「昨日の私の圧力に圧されなかったことと言い、本当に面白いぞ」
ヒーラさんとウェールズさんがそれぞれが落としたものを拾いながらそう呟く。それにしても、話題の中心とも言える立ち位置にいるのにミラは平然としているなぁ。さして気にしていなさそうだ。
そんな会話をしているうちに、またいつの間にか料理が並べられていた。音も立てずに凄いな。
「それでは、食べるとしようか」
「頂きます」
ウェールズさんがそう合図し、俺は習慣でそう言ってから食べ始める。うん、朝だからスープもあっさり目だな。出汁が効いていて美味しい。
「そうそう。今日はタクト君にある仕事をさせようと思ってね。それを見てくれ」
そう言って隣に控えていた執事さんから渡されたのは一枚の書類。
「えーと、なになに……孤児院の手伝い。子守、掃除、配膳、ごみ処理、その他もろもろ。……いや、その他もろもろって。ここが重要だろ」
「ぶっ!」
「「汚い!」」
「…………」
俺は書類を読み上げてツッコミを入れ、その瞬間何故かウェールズさんがスープを吹き出し、それにアリエルさんとヒーラさんが驚き、ミラが氷の刃のごとき視線をウェールズさんに向ける。
「……何があったんですか?」
執事とメイドが即座に無表情で掃除を始めている横で、俺もそれを手伝いながら問いかける。
「い、いや、タクト君のツッコミがツボに入ってね。くくくっ」
「「「…………」」」
ウェールズさんは平然と笑い、それを女性陣が氷の刃を通り越した、絶対零度の刀のような目でウェールズさんを見ている。こうしてデリカシーがなくて、家族の女性に嫌われる中年パパが日本でも量産されているのだろう。
「子供の相手か……。人を相手にするのは得意だけど子供はなぁ……。いや、俺もある意味子供みたいなもんだし、何とかなるかもな」
俺は無言で行われる家族会議(と言う名の裁判)をスルーしてそう呟くと、その資料を置いてカリカリに焼かれたベーコンに口をつけた。うん、美味しい。
■
「そういえば、今から行く孤児院ってどんなところなんですか?」
今、俺はミラとアリエルさんに連れられて街の中を歩いている。件の孤児院へと向かっているのだ。
「お父さんが支援している孤児院の一つなの。孤児が増えると将来的に見て治安も悪くなるし、可哀想だから、出資して孤児をより独り立ちできるような政策が取られているのよ」
なるほどね。そんな政策を取っているのか。この世界はスラム街とかそう言ったものが普通に目につく……少なくともこの街ではそうだ。俺がここにいつの間にかいた時のあの裏路地は、スラム街への近道の一つだったらしい。危なかったな。
ちなみに、こうしてミラを連れているのは同年代の子供との交流が目的だとか。貴族のイメージだと平民、それも孤児と交流なんて危ない、とか言って同じ階級の人としか合わせない感じだったな。どちらがいいかはよく分からないけど、そのあたりは親の方針次第だ。
「それとタクト君。本当に力は普通なの? 昨日のあの泥棒を押さえつけた時に、目は別として力の面では大分余裕そうだったよ?」
「いや、あれはあの男が弱すぎです。俺の常識で言ったら、俺ぐらいの年齢だとあれよりもずっと平均的な力は強いです」
「え? 確かに特別強かったわけじゃないけど、だからと言って弱いわけじゃないと思うけど?」
「え?」
「え?」
「……お兄ちゃんとお姉ちゃんの話が噛みあってない」
俺とアリエルさんの会話にミラがツッコミを入れる。
「そうねぇ。もしかしてタクト君、魔法がない国から来たから体力があるのかもね。力仕事をする人とか、力が必要な人とかは別として、普通の人はほとんどの事が魔法で解決できちゃうの。物を運ぶのもそうよね。軽い物は別として、重い物は魔法で運んじゃうのよ。タクト君の世界では重い物も手で運ぶのよね? それだからじゃないかしら」
便利さの弊害と言う奴だな。日本人は機械や道具が便利になったから世界的に見て力が弱い、とは聞いていたけどこっちの世界の力を使わない人はさらに弱いのか。吹奏楽部で、外部での演奏会の度に男子は駆り出されて打楽器や重い楽器を運ばされた記憶があるが、あれは辛かったなぁ。とくにチャイムとハープは苦痛だった。ああいったものは魔法で運んじゃうらしいから、それなら力がつかないのも納得かもな。
「となると、俺は一般的に見れば力が強い方に分類されるわけですね。運がいいなぁ」
異世界に来てしまったこと自体は不孝以外の何物でもないが、こうしてまともに生活できる環境で、力も不自由はない。地獄にも仏、不幸中の幸いだな。
「……あっ! 今気づいた! さっき、ミラさ、タクト君のことお兄ちゃんって呼んだ?」
アリエルさんがいきなり大きな声を上げたと思ったら、ミラに何かどうでも良さそうな事を確認していた。
「……うん。それがどうかしたの?」
ミラは不思議そうに首をかしげているが、アリエルさんは驚いたように俺を見ている。
「タクト君、相当ミラに気に入られたようね! 基本的に人の事は名前で呼ぶ子なのに、ほぼ初対面の人をお兄ちゃんって呼ぶなんて!」
へぇ、ミラってやっぱり普段はそうなんだ。確かに、いきなり人の事をお兄ちゃんと呼ぶ子供はそうそういないだろうなぁ。小さいならまだしも、ミラぐらいの年齢になったら名前は知っているわけだからそっちの方が自然かもな。
「……何となく、そう呼ぶのがしっくりくるだけ。確かに、お兄ちゃんと一緒にいて悪い気はしない」
そう言ってもらえると嬉しいね。嫌な奴じゃなければ人に好かれると言う事はいいことだよ。それにしても賢いなぁ。悪い気はしない、なんて言葉がさらっと出てくるあたりが、見た目年齢とは違うよな。
「タクト君、本当に何やったの? 家族以外にここまで懐くのは初めて見たわよ?」
アリエルさんがもうすでに疲れた感じになっている。
「まぁ、悪いことではないと思いますから気にする必要はないですよ」
俺はアリエルさんにそう言った。