第五楽章
「はふぅ、気持ち良かった」
俺はすっきりした気分で自室に戻る。凝り固まった肩も大分治った。風呂は命の洗濯、とアニメのキャラクターが言っていたが、激しく同意できるな。とんでもなく気分がいい。
それから、俺がある本を読んでいると、ドアがノックされた。
「失礼します。ミラ様がお会いになりたいと参られたので、中に入れていただいてもよろしいでしょうか?」
「は、はい」
ミラさんが? わざわざ夜中に客人の部屋まで来るなんてな。それほど俺に興味を示したのだろうか。そうだとすれば、どことなく嬉しい気持ちになるが、実際の要件は何だろうか。
「……失礼します」
俺の言葉を了承とみなしたのか、ミラさんが入ってくる。幼く、静かな声だった。しかし、聞いていて不快ではない。それどころかとてもいい声だと感じるな。歌ったらきっと綺麗だろう。
「えっと、それでなんのご用ですか?」
俺は混乱しながらも椅子を仕草で勧める。今のミラさんはツインテールをほどき、普通にロングヘアーだ。十二歳とは思えないほどミステリアスな雰囲気だし、着ているパジャマも大人っぽいデザインだ。しかも、どうやら風呂上がりの様で、若干頬が上気している。
ミラさんは俺の正面に座ると、俺の顔をじっと見てくる。その状態で、しばしの沈黙が走った。……いくら人付き合いは上手い方だと自負している俺でも、これの対処法は分からない。
「……お兄ちゃんは、『精霊』さんに好かれている」
ふと、ミラさんはそんなことを言った。その声は、不思議そうで、俺に対して疑問を持っているようだった。
「へ?」
俺の目はさぞかし丸くなっているだろう。呼び方、精霊という言葉、そしてそれに好かれているという発言……たった一言で三つの突っ込みどころが見つかった。
「ちょっと失礼しますね」
とりあえず、俺は解決できそうな言葉から解決していくことにした。確か、このあたりに『精霊』とやらに関する本があったような。
「これだ」
俺はそれを開いて、失礼ながらもミラさんを待たせたまま斜め読みする。
精霊は魔法の属性ごとに存在し、そこらじゅうにいて、よっぽどのことがない限り不可視で、無邪気で気まぐれらしい。その一体一体が人間では到底理解できないような魔力と魔法に関する知恵と力を持っているそうだ。
ちなみに、空気中に存在していても、精霊が拒むため体内には取り込まれないらしい。
……魔法や魔力についてすらよくわからないのにそんなこと言われても……。
「えっと……ミラさん、精霊についてはなんとなく分かりましたけど、好かれていると思った根拠は何ですか?」
俺はおずおずと問いかける。もうほとんど高校一年生だと言うのに、何でこんなに押されているのだろう。
「……ミラでいい。あと、敬語じゃなくてもいい」
ミラさんの言葉は斜め上というか、答えですらなかった
「うん、分かった。で、ミラ、精霊に好かれているって?」
俺は即座に子供に話しかけるように口調を変える。向こうがいいと言うのならいいのだろう。正直、こっちのほうが楽だ。
「……お兄ちゃんの周りに、精霊さんが集まっている。沢山の色で、一つ一つが嬉しそう」
ミラはそう言って、また俺を凝視する。その目線を追ってみると、今度は俺の周りを見回している感じだ。ミラは、どことなく嬉しそうだ。表情には出ていないが、雰囲気がそんな感じ。
「あー……俺には精霊が見えないから分からないけど、ミラには見えるんだね?」
精霊は向こうの意思がない限り不可視、という情報を俺は持っている。普通なら子供特有の空想か、はたまたちょっと早い中二病か、俺もからかっているか、頭がおかしいかのどれかを疑うだろう。だが、俺はアリエルさんたちから事情を聞いている。それに、この雰囲気はどうも嘘をついているわけではなさそうだ。
魔眼、か……。先ほど、ミラのことが気になって魔眼に関する本を読んだ。その中に、魔眼は精霊が見える、という記述はなかった。通常は不可視であるはずの魔力が見える、という症状しかない。それに伴う視覚不良や精神障害などはあれど、精霊が見える、と言った記述はないのだ。
「……そう。今までは空中を退屈そうに飛び回っていただけだった。けど、お兄ちゃんの周りには沢山の精霊さんが嬉しそうに集まってきている。だから、お兄ちゃんは精霊さんに好かれている」
ミラはそう言って、嬉しそうな、けれど、どこか寂しそうな雰囲気を出す。
「……私は、ずっと精霊さんが見えていたけど、好きにはなってもらえなかった。お父さんやお母さんやお姉ちゃんがいないとき、遊んでもらおうと思って声をかけても、離れちゃう。近づいてみても、怖がっているように……逃げちゃうの」
とても、寂しそうにミラはそう言って、顔を伏せる。無表情なのは相変わらずだが、雰囲気で分かる。人数が極端に多かった吹奏楽部に入ってから、人付き合いがとても上手くなったと自負している俺は、人が放つ雰囲気で何を考えているかわかる。隠そうとされたら分かりにくいけど、ミラは隠そうとしていない。表情は自然に隠れて分からない、雰囲気は読み取れない。そんな人がほとんどだろうから、さぞかし近寄りがたかっただろう。そのせいで、余計に心を閉ざしちゃって、今、こんな風になっているわけか……。
「……精霊。俺の言葉が分かるなら……どれか一体でいいから俺にも見えるようになってくれ」
俺は、自然とそんなことを呟いていた。すると、俺の目の前に、ぼんやりと緑色に光る野球ボールサイズの球が現れた。ミラは、それを見て目を見開いている。
「お前が精霊か?」
俺がその光の球を見て問いかけると、ふよふよ浮いていた光の球は、まるで頷くように上下する。そして、その光を緩く点滅させた。どことなく嬉しそうだ。その光景を見たミラはさらに目を見開いていた。
「……良かったら、ミラ……あの子に近づいてやってくれないか? ミラは悪い人間ではないから、安心してくれ」
そう言ってミラを指さすと、光の球……精霊はゆっくりと、恐る恐る、と言った感じでミラに近づいていく。ミラも、ゆっくりと、震えながら、近づいてくる精霊に手を伸ばす。
そして、
「あっ……」
ついに、お互いが触れた。精霊はゆったりとミラに触れ、ミラは両手で包むように精霊を向かい入れる。しばらくして、精霊がまた、緩く点滅した。その姿を見て、ミラの表情から緊張が解けた。
「……他の奴も、よかったらミラに近づいてみてくれ。あの精霊を見ればわかると思うが、害はないぞ」
俺は見えていない精霊に向かってそう声をかけてみる。すると、ミラは驚いたようにこちらを見て、まるでたくさん飛んでくる花びらを集めているかのような動作をする。俺には緑色の精霊一体しか見えていないが、ミラの動作を見る限り他の精霊も集まっているのだろう。楽しそうに周りを回っているような動きをしているのかな?
「わぁ……凄い……」
そして、ミラは、その夢にまで見た瞬間に、『笑った』。顔は自然とほころび、頬は上気して、楽しそうに、『無邪気な子供』のように笑った。
俺は、その姿に見とれてしまった。そのあまりにも無邪気で、自然にこぼれたような、花が開いたような笑みは、今までのギャップと、そのミステリアスでありながらも可愛らしい見た目も相まって、とてつもなく魅力的となる。
そんなミラを見ているうちに、俺も自然と顔がほころんできた。
その、普通じゃないように見えて、その実普通の少女であったミラが満足するまで、この時間は続いた。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
満足したミラが、まだ若干興奮気味に俺にお礼を言ってくる。
「いや、俺はほんのちょっと手助けしただけだからね。お礼は精霊に言えばいいよ」
俺はそう言ってミラの頭を撫でる。ミラはくすぐったそうに首を縮めるが、嫌そうではなかった。その髪の毛はさらさらしていて触り心地が良く、仄かに柑橘系のシャンプーの香りがした。
ミラは、感情が乏しいわけではない。感情が表に出る起伏が乏しいだけなのだ。恐らく、幼いころから自分の体質のせいで迷惑をかけていて甘えるわけにもいかず、精霊も接触を避けてきたのだ。自然と感情が表に出る起伏が乏しくなるのは当然かもしれない。
それにしても、魔眼は魔眼でも、どうやら特殊な魔眼の様だ。特殊の中でもさらに特殊ってわけだな。
話を聞いてみると、もっと幼いころは魔力じゃなくて精霊が見える、としっかり言っていたらしい。だが、それは魔力を精霊だと勘違いした、夢見がちな子供の発言と思われ、流されていたようだ。これも感情が表に出にくい原因かもな。
「はぁ~」
ミラの気持ちも分かるが、ウェールズさんたちが勘違いするのも分かるよなぁ。俺からすれば普通の魔眼もミラの魔眼も、どちらも超びっくり現象なのだからどちらも大して変わらない。だが、この世界で過ごしている他の人は、魔眼の存在自体は知っているために信じられなかったのだろう。
そんなことを考えてみると、深いため息が出た。
「……今夜は、本当にありがとう。私、お兄ちゃんに会えてよかった。お姉ちゃんに感謝しなくちゃ」
ミラはそこまで言い切ると立ち上がり、ドアへと向かっていく。
「……お休み、お兄ちゃん」
「おやすみ~」
ミラはそう言ってドアを開けたため、俺もそれに挨拶を返す。
……パタン、とドアを閉める音がして、足音が遠ざかっていく。
「……俺と会えて良かった、か……」
さっきのミラの言葉を反芻する。言われて嬉しくないわけがない。だが……何とも複雑だ。ミラに他意がないのは分かっているし、そんなのは被害妄想以外の何物でもないが、どうしても『俺が異世界に来て良かった』と受け取ってしまう。確かに、彼女を慰められたなら良かったのかもしれない。けれど、正直言ってこの世界に、俺は『来たくなかった』。
ミラの言葉と、不器用ながらもミラを心配するアリエルさんたちの愛情。つまり『家族愛』。それに触れた俺は、勝手に日本の事を、家族の事を思い出してしまう。
異世界。主人公はそこに飛ばされ、それぞれの事情と思いを抱えつつも、それぞれの道に進んでいく。中には、故郷に戻りたいと強く願う主人公もいる。
父さんや、母さんとの会話、やり取り、喧嘩……色々な事を思い出す。終いには、学校の吹奏楽部の事まで思い出してしまう。
「異世界、異世界か。俺は、この世界に来るべきだったのか……?」
枕に顔を埋め、勝手に流れる涙を吸収して貰う。
「帰りたいよなぁ……」
俺は、くぐもった声でぼそりと呟いた。
感想でご指摘をいただいた箇所、および表現が安定していないところを修正いたしました。