第二十三楽章
格好をつけてみたはいいが、その後、街の中までミラを送ったあたりで力尽きた。魔力の使いすぎだ。幸い、完全には使い切らなかったので生死の境を彷徨う、ということはないものの、かなり体が気だるい。この後はまともに動けないだろう。
そして、ミラに関しては俺以上に疲弊しているように感じた。
「……大丈夫か、ミラ?」
「……ちょっと、気だるい」
ちょっと、とは言うものの、明らかに顔が青くなっている。ミラも、どうやら魔力を使いすぎたようだ。
「……一体、どれだけ魔法を使ったんだか」
俺はミラをお姫様抱っこで抱え、ちょうど近くにあった、捨てられた布の上に置く。多分、避難した人が落としていったものだろう。
「すまないな、こんな汚いところで」
「……うん、大丈夫」
正直、ミラをこんなところに寝かせるのは忍びないが、建物は全部鍵がかかっているため入れない。こんな汚い布でも、石畳の上よりはマシだ。
「……お兄ちゃん、あのね、ちょっと話したいことがあるから、聞いてくれる?」
そこらの布を畳んで重ね、ミラの頭の下に入れて即席枕を作ってやっていると、ミラが目を潤ませながら上目づかいでそう問いかけてきた。
「ああ、聞かせてくれ」
その表情に一瞬どきっ、としたものの、幸い表に出すような真似はせず、俺はミラにそう言った。
「……うん。お兄ちゃんが、あの変異種と戦い始めた後なんだけど……」
ミラはそう切り出して、語り始めた。
■
「……お兄ちゃん」
心配。私の心に浮かんでくる気持ちはまさにそれ。さっき、お兄ちゃんが変異種だと思う真っ黒なオーガと交戦したのを見てから、ずっと平静ではいられない。
「何だ! あの坊主強いな!」
「凄い! 一人で南の方まで押しやってったぞ!」
様子を見ていた避難する人たちは、その光景を見て平静を取り戻したみたい。お兄ちゃんがあの変異種を追っ払って、他のオーガを倒してから、また東門には冷静さが戻った。
しかし、私の心は落ち着けない。お兄ちゃんが心配。それでも、私は役目を果たす。
『……只今、ひとまずの脅威は排除されました。落ち着いて、冷静に避難してください』
お兄ちゃんが残してくれた魔法の効果を使って、避難する人たちに呼びかける。しかし、何だか自分で聞いていて、酷く空虚に感じた。
『……門を出るまでは走らないで、門を出た後から走り出してください』
『……荷物は最低限でお願いします』
けれど、これが私の仕事。お兄ちゃんが私が仕事をできるようにと残してくれたこの魔法で、私は皆に呼びかける。一人でも命を救うために。
『……列を乱さずに――――ゆっくり進んっ!?」
ついに、お兄ちゃんが残してくれた魔法の効果も切れた。ついに、私のやることが無くなった。
「……お兄ちゃん」
途端に、不安が襲い掛かってくる。私とお兄ちゃんを繋いでくれた魔法の効果も切れて、しかもやれることが無くなった。私の口から、か細い声が漏れる。
その時、
「グオオオッ!」
『グオオオッ!』
オーガ達の咆哮が鳴り響いた。周りの人たちがびくっ、と震えるも、音からして場所が遠いと分かり、若干不安に思いながらもそれぞれの行動に移る。
「グオオオオッ!」
『グオオオオッ!』
一体が咆え、それに続いてほかが咆える、という、オーガにしては珍しい統制がとれた行動に、私は嫌な予感がした。
「グルォオオオオッ!!」
『グルォオオオオッ!!』
その咆哮は、次第に大きく、長くなっていく。私は嫌な予感がして、その方向を振り向いた。
「っ!?」
そこで、私はかなり遠くでありながらも、その様子が『見えた』。
精霊さんが、大きな黒いオーガに『取り込まれて』いる。
「……う……そ」
私は、思わず後ずさりしながらその光景に対する言葉を漏らした。信じられない、こんなことが、こんなことがあるの? こんなことが、こんなことが『許されるの』?
そうしている間も、精霊さんたちはどんどん取り込まれていく。咆哮も、より長く、大きくなってきていて、今ではここでもはっきり聞こえるほどになっている。
「っ!」
私はその場から、南に向かって駆け出した。感じてしまった。あの黒いオーガの魔力が『増大している』ことに。
お兄ちゃんが、危ない。
その考えに至った時、体が勝手に動いたのだ。
立っていた建物から階段で下りていく時間も惜しみ、地面から土で出来た橋を造って、それをなるべく南の方向にある建物まで架ける。そして、その上を走って大幅にショートカットをする。
動きにくい。この洋服は、こうした激しい運動に向いていない。息も切れてきているし、結構な距離をずっと全力疾走してきたから、脚も痛い。けれど、私は止まらない。止まるつもりはない。
「お兄ちゃん!」
私はそう叫びながら、もう一度橋を架ける。そして、また全力で走り出す。
その時、
「グルォオオオオオオオオオン!!!」
『グルォオオオオオオオオオン!!!』
大地を、建物を震わすほどの咆哮が響き渡った。心の底から恐怖心を引きずり出すその咆哮は、あの変異種が精霊さんを取り込むことを止めた……『終えた』ように聞こえる。
威圧感が、ここまで伝わってくる。私は思わず脚を止め、変異種の方を見た。
遠目ではあるけれど、それでも分かる。高さは大きな建物ぐらいある。その姿から放たれるオーラは、思わず私の身体をその場に釘付けにした。
そして、
「ガアアアアアアアアッ!!!」
世界が、震えた。
あの変異種が、溜めこんだ力を解放するように、咆哮を放ったのだ。あちこちから、それを聞いて混乱した人たちの声が聞こえる。逃げ惑い、生き残ろうと必死だ。
精霊さんたちも、激しく明滅して同じ場所をぐるぐる回っている。精霊さんも、今のを聞いて混乱しているみたい。さっきの儀式みたいな咆哮の時から、精霊さんたちの様子はおかしかった。
あの咆哮には、精霊さんを乱す効果がある。
そうなると、
「お兄ちゃんが危ない!!!」
私は、今まで出したことも無いような声量で叫びながら、また駆け出した。
精霊さんがダメになっちゃったら、お兄ちゃんは戦えない。
必死になって、息も絶え絶えになりながら、私はひたすら走った。
でも、こうして走っているのは無駄かもしれない。私があそこに着いたところで、何も出来ない。多分、お兄ちゃんは精霊さんが見えないから、あの変異種の秘密に気づいていない。私はそれを伝えるべき。でも、それを伝える手段がない。あんな激しい戦いの中に入っていったら、私は確実に死ぬ。
(何で、何で私はいつも役立たずなの!? お父さんやお母さんやお姉ちゃんを困らせて、不安にさせて! お兄ちゃんには世話ばかりかけて、守られてばかりで!)
自分に嫌気がさして、心の中で叫んでしまう。感情が溢れて、目からは涙が出てくる。
弱い、無力、役立たず……そんな言葉が、頭の中を駆け巡る。
お兄ちゃんは凄い。精霊さんと以心伝心で、まるで踊るように、『音楽を奏でているように』戦う。そんなお兄ちゃんに、いつからか、憧れを抱いていた。遠くて、とても高いところに、お兄ちゃんはいる。でも、足手まといの私と、お兄ちゃんは仲良くしてくれる。
私は、そんなお兄ちゃんが危険な目に遭っているのを見過ごせない。
(お兄ちゃんに伝える手段が欲しい! 何か、何か!)
私は走りながら願った。その時、
(……精霊さん……?)
緑色に光る精霊さん……風の精霊さんが、私の口元に来た。そして、ゆっくり、穏やかに点滅すると、私の口の周りで、不思議な風が起こる。
(……この感覚……お兄ちゃんがやってくれた、声を大きくする魔法)
身体に、一気に増してきた気だるさを感じながら、私は前だけを見て駆け出す。
何で、精霊さんが私の気持ちを感じ取って助けてくれたのかは分からない。もしかしたら私の願いは届かなくても、精霊さんの気まぐれで助けてくれたのかもしれない。はたまた、単に精霊さんが混乱しているだけかも……これはあの精霊さんの行動的には無いかな。
とにかく、精霊さんは、私を助けてくれた。お兄ちゃんに、私が伝えられるように。精霊さんを、助けられるように。
すぐ目の前に、街を囲む壁が見えた。そこまで、土の橋は架かっている。
そして、私は迷わず壁の上に立ち、一生懸命声を張った。
『お兄ちゃん!!!』
■
「なるほどな、そんなことがなぁ……」
俺はミラの話を聞いて、そんなことを呟いた。出来事だけを大雑把に聞いただけだが、中々興味深い話だった。それと一緒に、ミラが俺の事を大切に思ってくれている、ということを知ることが出来る内容でもあったから、ちょっと面映ゆい。
遠くの方で、人間の、テンションが高い声が聞こえる。多分、あの変異種を倒した上に、オーガも全員倒したから士気が上がったのだろう。
ミラの触り心地がいい髪をゆっくりと撫でながら、俺は一つの推測を立てた。
「意志によって精霊が力を貸してくれる、そしてそのタイミングで失った膨大な魔力」
俺は、推測にたどり着くまでの要素を口に出す。
「それってさ、ミラも、『精霊に指示できるようになった』ってことじゃないか?」
「……え?」
俺が出した推論に、ミラは目を丸くして驚く。
「精霊に指示を出すのに、結構な魔力を俺が使っているって前に言ってたよな? ということは、それと同じことをミラがした、と考えるのが自然じゃないかな?」
俺は、ミラの髪を撫でていない方の手の人差し指を立ててそう言った。
二人の間に沈黙が走る。遠くの方で聞こえる、勝ったぞ! とか生き残った! と言った歓喜の叫びが遠く感じる。
「……だとしたら、私……お兄ちゃんに近づけたのかな?」
ミラは、不安半分、期待半分、と言った感じの表情で俺を見上げてそう言ってきた。
そうか……ミラは、俺を目標にしてくれたみたいだ。正直、俺自身はとてもじゃないが、目標とするには全然至らない人間だ。だけれども……そう考えてくれたのは、俺を目標として見てくれたのは、純粋に嬉しい。
ミラは、まだこんな年なのに、凄く立派だ。これだけで、充分凄いことだ。
ミラへの回答は、決まりきっている。
「ああ、もちろんそうだ。……ミラが近くにいるなら、俺もそれだけ嬉しいよ」
俺はそう答えて、満面の笑みを浮かべながらちょっと強めに頭を撫でた。
久しぶりに休日テンションのため、今日中に二話投稿します。




