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第二十一楽章

「うわあああっ!」

「オーガが来たぞ!」

「死にたくなあああい!」

 比較的スムーズに進んでいた東門からの避難は、こんな悲鳴によって再び渾沌としてきた。

 恐怖と混乱で心が弱った避難をする人たちに間には、一気にパニックが広がる。

「あああああっ!」

「もう御終いだ!」

「どけっ! どけっ! 邪魔だ! 俺は先に逃げるぞ!」

「何よ! 私が先よ!」

 暴れる者、泣き出す者、終いには他の人を殺す者まで出る始末。

『……落ち着いて下さい。今から対処いたします』

 ミラはそう言って落ち着かせようと声を出したのち、ちらりと外を見る。距離があるためよく見えないが、どうやらオーガが五体いて、それに対して使用人たちが戦っている。

「……圧されている、のか?」

 俺はそれを見て、思わず呟いてしまった。オーガ五体に対して、あの人たちが圧されているのだ。南門に比較的近い東門と西門には、使用人下半分の中でも上の方のランクに値する人が割り振られていたはずだ。それなのに、圧されているどころじゃなく、今では負けそうなレベルだ。

「クソッ……ミラ、ここは頼んだ」

「……うん」

 俺はミラにそう言い残して、加勢をすることにする。渾沌とした騒ぎの上を俺は跳び過ぎ、その戦場へと着地してちょっと離れていたオーガを風と水の刃が混ざった竜巻の中に閉じ込める。その後、即座に状況を把握すべく風の精霊の力で周囲を探査する。オーガが五体……それと、それより大きな『何か』が一体。視認こそできないが、その存在は確認できた。

「食らえっ!」

 俺はその存在を直感で危険と感じとり、即座に大量の風の刃で攻撃する。しかし、その大きな影はそれらを避けた。その大きな影は、


『オーガの変異種を確認! オーガの変異種を確認! 各自警戒!』


 オーガより一回り大きく、夜の闇のように肌が真っ黒なオーガだった。その腕や脚は丸太のように太く、逞しい。その黄金の目は獲物を捕らえて逃がさないかのごとく、獰猛に輝いている。それがもっている金棒は、俺の身長よりも長く、太さは俺を超えている。

 俺はそれを視認出来た瞬間、風の精霊によって拡声したうえで全員に警戒を促す。東で戦っている義勇兵たちにも聞こえる大きさで叫んだので、直に応援が来るだろう。

 あの見た目はあきらかに変異種だ。影に潜む賢さ、見た目、そして何よりもその威圧感。先ほどまでは感じなかったが、姿を現した途端にその威圧感を隠そうともしない。

 オーガ変異種は俺を睨み、低く息を漏らす。ここまでの知能など、オーガにあるはずがない。この行動は、人間そのものだ。

(異世界に来て一カ月とちょっとでこれかよ……)

 俺はオーガ変異種を警戒しながら、背に隠して指揮棒を振り、他のオーガを『同時に』倒した。恐らくBランク相当まで強化されているであろうオーガを同時にだ。

 俺の背中に、驚いたような視線がいくつも突き刺さるのを感じる。それらは恐らく、オーガと戦っていた使用人たちのもの。

「手加減は、してられないな……」

 俺が取るべき行動は一つ。こいつを、

「南まで追いやる!」

 俺一人では、恐らくこいつに勝てない。基準は分からないが、知能だけなら人間レベルだ。Aランクに相当するだろう。

「ガアアアアアッ!」

 普通のオーガとは比べ物にならないほど迫力のある咆哮を上げながら、向こうも俺に襲い掛かってきた。

 俺は指揮棒を大きく振って、オーガに空気の塊をぶつける。それによってオーガ変異種が後退したところへ、大きな岩をオーガ変異種のサイドに置き、後ろにしか下がれないようにする。

 そこから、俺はひたすら強力な魔法を精霊に連発させ、オーガ変異種を東へと誘導する。

 右に逸れようとしたらそこには風の刃が、こちらに来ようとしたら岩でできた針山が……と進路が南に向かうように魔法を連発して誘導していくのだ。時には俺が南側に立ち、オーガ変異種をこちらに寄らせて南に近づけさせたりもした。

「タ、タクト君……?」

「ウェールズさん! 早く助けて!」

 ウェールズさんは何かを察して元々こちら側に近づいていた。俺とオーガ変異種の姿を見て目を丸くしている。そりゃあそうだろうな。今まで、訓練の中でも相手を殺しちゃうから自重して、威力をD~C程度に抑えていたから、俺がこれほどの魔法を連発しているのに驚いているのだろう。なんせ、今俺が使っている魔法はその一発一発がBランクに相当する。この精霊を指揮できる魔法は魔力の消費が激しいため、Aランクの魔法に相当する魔力を消費している。このことはウェールズさんも知っている。しかし、俺がそれを『連発』しているのだから、驚きもするだろう。だが、

「驚いてないで早く! こいつはオーガの変異種です! 賢さで言ったらAランク相当ですよ!」

 俺からすれば驚いてほしくなかった。とっとと加勢して欲しいのである。今でこそBランクの魔法の絶え間ない連続攻撃で圧しているが、そろそろ集中力が限界が来そうなのだ。

「わ、分かった!」

 ウェールズさんはそう言って、オーガ変異種に後ろから斬りかかる。これ幸いとばかりに俺は打ち出す攻撃魔法を増やし、オーガ変異種の視界にウェールズさんが映りにくいようにする。弾ける炎とそれを巻き上げる旋風だ。

「ガッ!」

 結果、オーガ変異種はウェールズさんの剣を肩でもろに食らい、そこから大量の血を噴き出した。さすがAランク冒険者だ。こんな筋肉の塊みたいな奴まで斬ることが出来るなんてな。

「ガアアアアアッ!」

 オーガ変異種はその手に持っている金棒を即座にウェールズさんにかなりの速度で振り下ろす。ウェールズさんはそれを間一髪で躱し、体勢を整えた。

 そして、オーガ変異種は、

「ちょっ! マジか!」

「撤退、だと……?」

 大声を上げて、俺たちからものすごいスピードで『逃げて』いった。あのどんなに格上が相手だろうと決して逃げない暴れん坊のオーガが?

「追うぞ! あれは何かヤバい気がする!」

「はい!」

 俺たちは追いかけるものの、すでにオーガは魔物の群れの最後方へと消えていた。

「タクト君は変異種が発生すると、その普通種の魔物まで強くなるのは知っているかね?」

「は、はい」

 俺たちはオーガ変異種を追いかける。その途中で、ウェールズさんはこんな問いかけをしてきたのだ。

「では、その変異種が強いほど、その普通種の強化も大きくなるのは?」

「いえ、そこまでは……」

「そうか……」

 ウェールズさんはそう言うと、何かを覚悟するようにつばを飲み込んだ。

「今回のオーガは、通常種でもBランクに相当するレベルまで強化されている。これは、とてつもなく強化されているのだ」

「そ、そうなんですか?」

 俺は変異種については詳しくはないが、ウェールズさんが言うからにはそうなのだろう。

「と言う事は、だ。あの変異種は、それにしては『弱すぎる』。確かにAランクに相当する程度には強かったが、あの通常種の強化の大きさからして、あまりにも不自然だ」

「つ、つまり……?」

 俺はそこまで聞いて、嫌な予感が胸の奥からふつふつとわき上がってくるのを感じた。胸に鋭い圧迫感を感じ、嫌な汗が流れてくる。

 そしてウェールズさんは、より目を鋭くさせて、続きを、重々しく、静かに言った。


「あの変異種……『奥の手』があるぞ」


「……!」

 ウェールズさんの言葉に、俺は声を失った。じゃあ、さっき、あいつが撤退したのは……『奥の手がある』から?

「グオオオッ!」

『グオオオッ!』

 その時、あのオーガ変異種の咆哮が鳴り響き、それに追従するように他のオーガが咆えた。見てみると、あの変異種を中心に、オーガが十数匹集まっているのが確認できる。

「グオオオオッ!」

『グオオオオッ!』

「グルォオオオオッ!!」

『グルォオオオオッ!!』

 その、一種の儀式のようにさえ見える光景は、もはや異常としか言えない。その咆哮は、言っては悪いが、野良猫の喧嘩のように、少しずつ、大きく、長くなっている。

「な、な、なんなんだ……」

 ウェールズさんは『後ずさり』、『歯を鳴らして』そう呟いた。その目は、オーガ変異種を『見上げて』いる。

 あのウェールズさんが、『怯えている』のだ。そして、離れているから小さく見えるはずのオーガ変異種が、見上げるほど『大きくなっている』のだ。未知の現象、そして、オーガ変異種から放たれる圧倒的な『魔力』。

 オーガ達が咆えるたびに、変異種は巨大化し、より膨大な魔力を放つ。その、徐々に長く、大きくなっていく咆哮は、とてつもなく『不快』だった。

「このやろっ!」

 俺はそれを止めるべく魔法を使う。しかし、自らを盾に別のオーガが出てきて、それは防がれた。

 こうしている間にも、オーガ変異種は巨大化していき、咆哮は長く、大きくなっていく。そして、ついに、


「グルォオオオオオオオオオン!!!」

『グルォオオオオオオオオオン!!!』


 その儀式は終わった。咆哮の残響があたりに広がり、その後には、緊張感を孕んだ沈黙。オーガ変異種は、今や二十mもの大きさになっていた。その足はすべてを踏みつぶさんばかりに分厚く、脚は太く、大木の様だ。その腕も、樹齢が数百年レベルの大木のごとく、太く、逞しい。そしてその黄金の目は、狂気と、殺意と、悪意に満ち溢れていた。


「ガアアアアアアアアッ!!!」


 その絶対的な漆黒の王者は、大地を震わすほどの咆哮を上げた。全身の筋肉はこれでもかと言うほど隆起し、その一つ一つのふくらみが俺たちの身長ほどもある。

 その力は、直感で分かる。Cでも、Bでも、Aでも『ない』。正真正銘の怪物……『Sランク』に相当するだろう。あのウェールズさんですらこのありさまだ。『圧倒的な』差に恐怖をするほどの強さ。その、心を蝕む恐怖は、


「うわあああああっ!」


 沈黙を破った一人の悲鳴と共に、


『うわあああああああああああっ!!!』


 堰を切ったようにはじけ飛ぶ! 一気に義勇兵たちの間にパニックが広がり、ほとんどの人が冷静な行動をとれなくなってしまった。

「くっ!」

「そんなっ……!」

 精神的苦痛に対する厳しい訓練を積んできたらしいマーニエル家の使用人ですら、恐怖のあまりにその場から動けず、脚をガクガクと震わせていた。あのアリエルさんやヒーラさん、ギルドマスターまでもが恐怖に慄いていた。一般の義勇兵たちは気絶したり、仲間割れを始めたり、勝手に逃げ出したりと散々な状態になっている。

 また、オーガ以外の魔物たちもその咆哮を聞いてパニックになっていた。こちらも仲間割れやカテナ逃亡などを始めている。もはや、今まともに動けるのは俺とオーガの集団だけ。

「フォルテッシモ!」

 俺は指揮棒を体いっぱい使って振り、一mほどの火の玉を十個、一気に出現させる。さらに、

「アパッシオナート!」

 情熱的に(アパッシオナート)と指示をして、その火の球をより大きくする。一つ一つが三mほどもある。

 それらを、指揮棒をオーガの集団に向けて飛ばし、一気に二十体ほど葬る。しかし、それでもオーガ達はまだ百体ぐらい残っているのだ。

「くっ!」

 三匹のオーガが、俺を囲むようにして襲い掛かってきた! くそ、やはり連携も凄いな! 逃げ道を防ぐ形だ。

 オーガは雄たけびをあげ、少しずつタイミングをずらして俺に金棒を振り下ろしてくる!

「失せろ三下!」

 俺はそう言って指揮棒を振り、風の盾を展開する。Cランクで、その力強さのみならBランクに相当するオーガが、Bランクに進化している。つまり、その力強さはAランクだ。そのオーガが放つ全力の攻撃を、俺は風の盾で受け、それを『跳ね返した』。

『ゴッ!』

 オーガ達は声を揃えて、尻切れトンボの断末魔を上げる。顔面はぐしゃぐしゃになり、腕も千切れてしまっているのだ。

 風の盾による反発で、金棒の重さとオーガの力を足した力以上の力を加え、跳ね返して攻撃したのだ。顔面というのは、硬さ、という面で使える筋肉は意外と少ない。他は硬質な筋肉の鎧で覆われていても、顔面の筋肉までは硬くできなかったのだ。

「まだまだ!」

 俺は、さらに迫ってくるオーガどもに魔法を連発する。大きく開けた口内に火の塊を突っ込んだりといった、乱暴な戦い方もしたが、これではまだダメだ。

 あの黒いオーガには『敵わない』。

 この場にいる人間で、まともに動けるのは、幸か不幸か俺だけだ。この街には、この街の人には、この身を捧げても返しきれない恩がある。そろそろ、俺は一人立ちして日本に帰る方法を探すつもりなのだ。これぐらいの恩は、返させてもらうぞ!

 指揮棒を振り、何本もの炎の剣を作りだし、発射させようとした、その時、


「ゴオオオオオッ!」


 変異種は、大地を震わすほどの咆哮を上げた! そして、


「なっ!?」


 俺の周りに展開されていた炎の剣が、全て、『打ち消された』!

 

「がっ!」

 その驚きで固まってしまったところへ、変異種の蹴りが入り、俺は数m後ろへ飛ばされてしまった。

 俺の魔法が、『打ち消された』? 魔法を打ち消す方法、だと……。魔力を乱すこと、身体的ダメージを与えて魔力を散らすこと、精神を乱すこと……『精神』を乱す……っ!?

「そういう事か!」

 俺は体勢を整えるべく、大きな風を足元に起こしてバックステップをして距離を取る。

 俺はあの咆哮で大きく精神を乱されない。だが、『精霊』ならばどうだろうか? 俺はいつのまにか自分で魔法を使っている気になってたが、実際は『精霊』が魔法を使っている。ということは、精霊の精神が乱されているのだ。

「ちっ!」

 精霊の精神は『音』に影響される! ということは、あの咆哮で精霊の精神を乱しているのだ!

 俺は追いかけてくるオーガの攻撃をかわしながら舌打ちをする。幸い、あの咆哮は連発できないようだが、あれはかなり危ういぞ! 俺は思わず、諦めかけてしまう。精霊がダメになったら、俺は戦えない。

 俺がそんな考えに至った、その時、


『お兄ちゃん!!!』


 大音量で、とても聞きなれた、美しい声が聞こえてきた。

『……ミラか?』

 俺は即座にその声を発しているのがミラだと理解し、こちらも声を大きくして確認を取る。

『……うん、そう。お兄ちゃん、そのオーガは、精霊さんたちを『取り込んで』強くなった』

『精霊を、『取り込んで』?』

 俺は信じられない内容を聞いてオウム返しで聞いてしまう。精霊は空気中、そこらじゅうに存在するが、生物の体内には取り込まれないはずだ。何故なら、精霊は実体を持たないため、風や呼吸に影響を受けない。

 それなのに、ミラはオーガ変異種が『取り込んだ』、と言ったのだ。偶然などではなく、『意図的に』体内に入れた、と言っている。

『……オーガ変異種が咆えるたび、精霊さんたちはフラフラとオーガ変異種の口の中に入っていった。多分、あのオーガ達の咆哮は、『精霊さんが体内に来るように誘導する』効果がある』

『嘘だろ……』

 ミラの話に俺は思わずそう呟いてしまったが、心の中では完全に信じている。ミラが嘘をつくわけがないのだ。

『……それで、精霊さんたちを取り込むたびに、あの変異種は大きくなっていた。多分、魔力をたくさん持っている精霊さんを取り込んで、自身を『強化』している』

 そんなことが、可能なのか……。なんて能力だ。精霊ほどの魔力を取り込むことが出来るなんて……普通なら容量オーバーで自滅するだろうに。

(だからこそ……『変異種』って奴かよ)

『ありがとう、ミラ。……ミラが言いたいことは分かってるよ。……取り込まれた精霊たちを、『助け』ればいいんだな?』

『……うん。……もう、戦えるのは、お兄、ちゃん、しか……いない。……ごめん、なさい』

 ミラは、セリフの後半を嗚咽交じりに話し、最後に謝ってくる。

『大切なミラの頼みだ。断るわけがないさ。ちょっと……いや、正直かなり怖いけど、俺も精霊に指示を出して魔法を使っている身としては、取り込まれたとなれば、黙っていられない』

 俺は、そこまで言うと奥歯を強く噛み締め、巨大なオーガを睨む。

 俺は、この世界で精霊に力を与えて貰っているも同然だ。恩返しも、こうして戦っているのも、あの時にミラを守れたのも、ミラの心を開いたのも……ミラと家族の間の溝を埋められたのも、皆精霊たちのおかげだ。そんな精霊を、無理矢理操るようにして体内に取り込んだのだ。許せるわけがない。

 それに、このまま放っておいたら、こいつは確実に街を破壊する。そんなことは、させるつもりなどない。

『そうそう、ミラ。一つお願いがあるんだ』

『……何?』

 俺は最後に、ミラを安心させるために言葉を紡ぐ。

『さっきのごめんなさいが、終わった時に『ありがとう』になっていると嬉しいな』

 さて、じゃあ奴への復讐と行くか。

 俺自身に力はない。実際に魔法を使うのは精霊たちだ。音楽で、実際に『奏でる』のは『奏者』であるように。

 俺は奏者ではない。『指揮者』だ。奏者と対等の立場でありながら、音楽の中心を作る。

 しきしゃ精霊そうしゃは対等なんだ。

 

 あんな奴に負けていられるか!

ごめんなさい、長くなったんで分割します。

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