第十六楽章
翌日の朝、俺は起きてから三十分も立たないうちに化け物二人から逃げていた。
「タァクゥトォくぅん、まぁちぃなぁさぁああい!」
「一緒に、一緒に、一緒に寝た……あの恰好で……ふふふふふふ」
後ろから飛んでくるのは魔法と矢の雨霰。そして、その一つ一つが必殺の威力。マーニエル家の廊下は阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「ピウ・モーソ! ピウ・モーソ!!」
俺は必死に、速度と風と空気を司る風の精霊により速く! と指示を出しまくってひたすら自己加速をする。一カ月も生活してたんだ! この屋敷はどう逃げればいいか大体わかるぞ!
幸いなのはアリエルさんと使用人たちは中立だと言う事。いや、助けろよとかそんな贅沢なことは言わない。あの化け物二人だけで済んでいるだけ幸運と思わねば。
さて、どうして俺はこんなことになっているのだろうかと言うと、それは、ミラと一緒に寝たのが原因であろう。
■
「ん、んんん……」
俺は、まぶた越しに差し込んでくる光で目を覚ました。外では小鳥がチュンチュン鳴いている。隣を見ると、そこにはまだ寝ている愛おしい、美しくも愛らしい女性の姿が。
……とか思わせぶりな表現をしてみるが、普通にミラと一緒に寝ただけだ。やましいことなぞ何にもない。年長者として、不安を与えないようにするのも勤めの一つだろう。
ミラはまだ寝ているようだ。あどけない寝顔が大変可愛らしい。
「……よく考えてみれば、これって危ないよな」
ミラのパジャマは、何故か今日に限ってかなり薄手のキャミソールだった。場合によっては下着とも受け取れるレベルである。しかも色が黒だからね。
おおう、ミラが抱きついてきて分かるが、ほんのわずかに柔らかい感触を感じる。薄手のパジャマなせいか、胸の感触が伝わってくるのだ。まだまだ発展途上ではあるものの、将来が楽しみである。
……いかん、このままでは変態になってしまうぞ。相手は日本で言うところの小学生だ。ちょっと危ないだろう。……いや、そもそも三、四歳しか離れていないわけだから好意を抱くのも普通か? ……は、いかんいかん。もう何も考えるな。お世話になっている家の娘さんに手を出すわけにはいかないし、どうせ日本に帰るのだからこっちの人間と深い関係になってはいけない。
「……う、ん、んんん……」
ミラが、そう唸ってからゆっくりと目を開ける。どうやら起きたようだ。
「おはよう、ミラ」
「……おはよう……っ!」
俺が挨拶をすると、ミラは眠そうに目を擦りながら挨拶をしてきた。そして、何故か顔を真っ赤にして跳ね起きた。
「……わ、私はなんでお兄ちゃんの部屋で一緒に?」
あ、寝起きだからボケてんだな。
「ほら、昨日の夜、ミラが一緒に寝たいっていうからそうしたんだろ。覚えてるか?」
混乱しているミラに説明をする。
「あ……そうだった」
ミラは、そう呟くと呼吸を整えた。そして、
「……ありがとう、お兄ちゃん」
また顔を真っ赤にしながらお礼をしてくれた。
「どういたしまして。さて、じゃあ身だしなみでも整えますかね」
俺はそう言って、頭の寝癖を押さえつける。俺の言葉を聞いたミラは、何故かものすごい焦って部屋に備え付けられている櫛で髪の毛を梳かしはじめた。……察するに、寝起きの整っていない身だしなみを見られるのが嫌なのだろう。家族相手ならまだしも、俺は違うからな。
「自分の部屋に戻って整えてきたらどうだ? 慣れている櫛とか、そういったもんがあると思うけど?」
この手の身だしなみ関連には大変疎い。本を読んでたらたまたま知ったような知識程度なら少しあるが、いかんせん、普段は最低限整っていればいいと思っているので、このような言い方になってしまった。
「……そうする」
ミラは顔を真っ赤にしながらそう言うと、「……失礼しました」、と残して部屋を出て行った。
俺は水の精霊に頼んで頭に霧吹きのように水を浴びる。それから跳ねている髪の毛を押さえつけ、また水の精霊に頼んで髪の毛の水を蒸発して貰う。これで寝癖直し完了だ。
「……うっ!」
ふと、何だか寒気がした。髪の毛を乾かすのが不十分だったのだろうか。それとも一緒に寝たから汗をかいたとか? いや、服も大して濡れていない。なら……この寒気は何だ?
歯をガチガチ鳴らしながら震えていると、ドアをノックする音が聞こえた。そのあまりにも唐突な音に、タイミングも相まって俺の肩は大きく揺れる。
「はい、どちらさまですか?」
この家の人間に警戒なんかするわけない。普段ならノックの時点で自分から開けに行くか、どうぞ、と確認もせずに入らせるだけだ。だが、今回は警戒心が勝った。ドアの向こうには、得体のしれない化け物がいる気がしたのだ。
「タクト君、ちょっと開けてくれないかね?」
「ちょっと用があって来たの」
どうやら、マーニエル夫妻のようだ。ウェールズさんとヒーラさんか。なら安心……いや、このドアの向こうからくる圧迫感は何だ? これは魔力ではないだろう。なら……気迫? いや……『殺気』だ。
「どうしたのかね? 早く開けてくれないか?」
「待ちくたびれちゃうわよ?」
いかんいかんいかん。この声色はマズイ。何だか、底冷えするほど冷たいぞ。……七匹の子ヤギで、狼に応対していた子ヤギの気持ちが分かる気がする。はたまた、ホラー映画で深夜にインターホンを押された登場人物か。ドアの向こうの人は善良そうだが、明らかにヤバそうな人がいるこの状況。
「……フォルテ」
俺は指揮棒を振って、風の精霊に対して、俺の前面に風の盾、それもかなり強力な物を出してもらう。
深呼吸を数回して心を落ち着ける。そして覚悟を決めてドアを開ける。
「はい、なんっ!?」
ドアを開けた瞬間、僅かな隙間から剣を振り下ろされた。俺は半ば反射的にそれを避け、ドアから離れる。
「タァクゥトォくうううううん! あんな薄着のミラと一緒に寝たのは本当かなぁあああ!?」
「ふふふ、今日の朝日は見せてあげたわよ。……明日はどうかしらね♪」
ひいいいいいっ! 般若のような形相をしたウェールズさんと絶対零度の笑みを浮かべたヒーラさんがドアを乱暴に開けて押し入ってきたあああっ! しかも、二人とも現役冒険者のころの本気装備だっ! ウェールズさんに至っては目の下に隈が出来ていて余計に怖い!
「許可したのはあんたたちでしょうが!」
とんでくる魔法や矢を必死に逸らしながら大声で抗議する。敬語? 知らぬ! そんなの気にしている場合じゃない!
「そこは紳士的に断れ!」
「私たちがあんな寂しそうで、不安そうな目をしたミラのお願いを断ることが出来るわけないでしょ!」
「理不尽だっ! 俺だって断れるわけがない!」
ミラの願いを断れない、という部分では一致しているのが微妙に悔しい。
部屋の中の家具や調度品、その他もろもろが魔法と矢と剣によってどんどん壊れていく。ああ、寝心地良かったベッドが、ふかふかのソファーが、センスのいい鏡台が……目の前で高級品がガシガシ壊れていく。そのほとんどはあの二人のせいだ。俺は基本的に攻撃を撃ち落としたり逸らしたりしているだけ。
「そもそも、あんな恰好をしている嫁入り前の婦女子と一緒に寝ようとするのが間違いだ!」
「私たちもあんな薄着だとは思わなかったわよ!」
「あんたらの責任じゃねぇかあああっ!」
俺は魂の叫びをあげながら、上手いこと廊下に脱出する。
「ミラ! アリエルさん! アルバートさん! 他の皆様! 助けてえええ!」
「「逃がすかっ!」」
廊下に出て助けを求めるも、使用人たちはさっと目を逸らす。その目は、全員が俺に対して申し訳なさそうな色を出していた。
「わたくし共も助けてさしあげたいのはやまやまです。ですが、旦那様と奥様を止めるほどの力はわたくし共にはございません」
……理由を聞いて納得してしまった。うん、まだこの人たちが敵じゃないだけましだと思おう。
「あらあら、この騒がしさは……きゃっ!」
俺が廊下を疾走していると、たまたまドアを開けた寝起きのアリエルさんの横を通り過ぎた。風でスカートがめくれあがって年の割には可愛い柄、しかし面積が少ない下着が見えたが、今はそんなのに構っている暇などない。
「た、タクト君!? どうしたきゃっ! お父さんとお母さん!?」
後ろを振り返ると、あの二人に通り過ぎられて困っているアリエルさんが見えた。本日二回目の下着公開だが、性的興奮など抱けない。
廊下の、あの最高のセンスを誇った芸術の数々までもが見るも無残な残骸へと変わり果てていく。花瓶は破片に、花は生ごみに、絵画は木のクズと紙切れに。
「アッチェレランド! アレグロ! プレスト! プレスティッシモォオオオッ!」
だんだん速く、速く、急速に、とても急速にと速度をだんだんあげて自己加速をしていく。走るためにはそれ相応の腕の振り方が必要だが、俺が指揮棒を振りながら走っているのはそれが理由だ。こっちのほうが早く走れる。
火属性と風属性に適性があるウェールズさんは、剣に魔力を込めてから振り、『飛ぶ』斬撃のような魔法を撃ってくる。炎の斬撃だったり風の斬撃だったりだ。
一方、水属性に適性があるヒーラさんは矢じりが高速で動く水の刃になっている矢を容赦なく飛ばしてくる。しかも、あの弓は弦が相当強いようで、威力も折紙つきだ。
俺はそれらを水の壁で減速させたのちに土や風の壁で防ぎ、火の壁で足止めをする、という方法を取ってひたすら逃げた。
屋敷内になるべく被害を出さないように同じ場所をひたすらぐるぐる回って逃げた結果、屋敷のある部分だけ戦場跡のようになった。
■
「……言い訳は?」
「「ございません」」
ミラの介入によって冷静になった二人は、ミラから説教を受けていた。ミラの正面に正座した二人、ミラの隣に俺、その後ろにずらりとアリエルさんや使用人たちが並んでいる。ちなみに二人が正座している場所はミラ御手製の細かい土の突起が無数に突き出ている床だ。尖ってはいないが丸まっているので、ツボに刺さって痛いだろう。
「……お兄ちゃんに謝って」
「「まことに申し訳ございませんでした」」
ミラの言葉に、夫婦は声を揃えて、土下座スタイルで俺に頭を下げてきた。この夫婦仲いいな。
「いえ、お二人ともミラの事を大切にしているんだって実感は出来たんで大丈夫です。次がなければそれで」
俺は笑顔でそれを受け入れた。怪我はしたものの、かすり傷程度だから回復できたし、二人の愛ゆえの行動だ。ミラを愛しているのは嬉しいことだし、それがちょっと……かなり過剰になっただけだ。
「身体的には疲れていないですけど、精神的に疲れたので俺は自室で寝てきますね」
俺はそう言い残して、その場を去った。身体的な疲れがない理由は、水の精霊による回復。よく仕組みは分からないが、疲労も回復できるのだ。
ついでに説明しておくと、魔法の四属性は身体機能も司っている。例えば、風は先ほどやったように速さを司り、火は攻撃力、地は耐久力、水は回復力を司るのだ。速さと攻撃力は、どちらも身体機能的には『筋力』に分類されるはずだが、なぜか速さを上げても攻撃力は上がらない。といっても、速くなった分威力は増すけど。
自室は、使っていた部屋は荒れているのでその隣のランクアップした部屋になった。ベッドがふかふかである。
「ああ、疲れた……」
精神的疲労を休めるため、俺は二度寝を敢行した。……腹減ったなぁ。
■
「……この屋敷はどう直すの?」
「「わたくし達が先頭に立って直させていただきます」」
「……反省は?」
「「しております」」
やれやれ、お父さんもお母さんもちょっと大げさすぎるわね。確かに、一緒に寝たのは頂けないけれど、許可を出したのはお父さんとお母さんなんだし、タクト君が断れないのも仕方ないわよね。
それにしても、普段はおとなしいミラが怒るとオーラが凄いわね。魔力が溢れているわけじゃないけど、威圧感があるわ。
わたしは傍観者だったけど、タクト君も大変だったわねぇ。前にわたしのお見合いの時に、相手の男の子がわたしの胸に触れようとしてきた時もあんな騒ぎになったわね。あの時は相手が悪かったけど、今回についてはタクト君は被害者ね。周りの被害が抑えられるように逃げるルートにも気を遣ってたみたいだし、お父さんとお母さんにも反撃は加えていなかったわ。
「……お兄ちゃんに、嫌われちゃったらどうするの?」
ミラの声色が変わった。何かにおびえるように震えている。その変化に気付いたのか、お父さんとお母さんも驚いた顔でミラを見上げる。
「……これでお兄ちゃんが怖がっちゃって、私から離れちゃうかもしれない」
ミラの目には、涙が溜まっていた。その涙の向こうに感じるのは、不安。これから、タクト君が遠慮しちゃってミラと積極的に関わらなくなるのを心配しているのね。
「……私の自分勝手だって分かってる。お父さんやお母さんが私を思っての行動だっていうのも分かってる。……けれど、今回の事は余計」
ミラはそう言い残して、自分の部屋へと帰っていってしまった。さっきの言葉には、明確な拒絶が籠っていた。今まで、ミラが物心ついてからはそんなことはなかったのに……。
けれど、ちょっと『嬉しい』わね。この世の終わりみたいな顔をしているお父さんとお母さんには悪いけれど、ミラが拒絶の意思を表したのは嬉しい。
だって、むしろ今まで拒絶をしなかったのがおかしいんだもの。子供なら、親と衝突するのは当たり前よね。それなのに、ミラは賢すぎて、気を遣いすぎて、お父さんとお母さんが好きすぎて、今まで拒絶をしなかった。こうして、明確に拒絶したのは……『成長』の証よね。
それにしてもミラ、やっぱりタクト君のことが好きだったのね。懐いているとか、そう言うのじゃない。明確に、『恋愛感情』を抱いているわね。
ふふふ、今の態度ではっきりしたけど、最近のミラったら『可愛くて』、『綺麗に』なったもの。女の子は恋をすると綺麗になる、とはよく言ったものよね。
さて、自分は目の前にいる、今にも自殺しそうなお父さんとお母さんのフォローでもしますか。
朝チュン(迫真)




