殺人日記
答えが欲しくてこの小説を書きました。
実話に多少の脚色を加えています。
教えてください……誰が悪かったのだろうか?
後味の悪い最後で申し訳ありません
・七月十三日 雨
朝から小雨が降っている。こういう日は家から出たくない。バイトがなかったら今日は一日中引きこもっていただろう。
朝、しぶしぶ起きて洗面所に顔を洗いに行く。
ハロー、鏡の中の自分は今日も変わらない。
携帯がおもむろに鳴り出す。
「もしもし、まだ起きてない? 今日バイトが終わったら会えないかな? 折り返しお願い」
ほおって置いたら留守電に切り替わる。彼女からだ、付き合って3年になる。
少し嬉しくなってバイトに向かった。
バイトが終わってウキウキした足取りで歩く。彼女と会える、それだけで天にも昇った気になる。
交差点で信号を待っていると目の前で一組の親子がいた。
「もう、我慢しなさい! 家に着いたらご飯なんだから!」
どうやら、女の子がケーキを買ってと駄々をこねてるらしい。
そういえばさっきバイトの後輩にもらった飴玉が幾つかあったはず。ポケットをごそごそやって親子に近づいた。
「お嬢ちゃん、これあげるからママを困らせちゃだめだよ」
慌てて母親が娘の手を引っ張る。
「ほら、美咲。お兄さんにありがとうは?」
女の子はパッと嬉しそうにしてからお礼を言おうとした。
「ありがとう、おにいち………………」
光がそこで途絶えた。
『……速報です、たった今、都内○○の交差点で事故が発生。トラックが歩道に乗り上げたとの情報があり負傷者は不明……失礼しました、たった今情報が入りました。トラックの運転手は死亡。現場に居合わせた親子一組と男性の三人が重体の様です……』
・七月十八日 曇り
気分が沈んでしょうがない。結局あの事故で生き残ったのは自分だけらしい。
トラックの運転手は即死、あの親子も病院で亡くなったそうだ。
俺も手術してから三日目くらいが峠だったらしい。彼女が毎日見舞いに来てくれたらしい。
警察の人から事故の詳しい説明がされた。
どうやらトラックの運転手は飲酒していたらしい。
警察の人から自分の事も聞かれた、事故当時なぜあそこに居たかとか。
まだ、ハッキリしていない頭で数日前(ついさっきのような感覚だが)のことを思い出していた、あの親子のことを思い出した。警察には正直に言った、自分があそこで話しかけなかったらあの親子は死ななかったこと、言ってから止め処なく涙が溢れた。
警察のちょっと小太りだったおっさんは全部聞いてから。
「君は悪くないよ、悪いのは全部運転手だ。絶対に自分を責めちゃいけないよ。でも、その話を遺族にするかどうかは君が決めなさい」
同情するような口調だった、でも自分はそんなのが聞きたいわけじゃない。
ただその言葉はよく分かった。加害者がいなくなって被害者も戻ってこない今、被害者の遺族の怒りの矛先は誰に向けられるか。
念のためといっておっさんは電話番号を残した。通夜が執り行われらしい。
・七月二十日 曇り
行くべきかどうか悩んだが結局行くことにした。喪服をクローゼットの奥から引っ張り出して着る。
会場はすぐに分かった、早目に着く。今日ここに来たのはやはり遺族を一目見るためだ。
父親と兄が取り仕切っていた。通夜が終わってから父親と話す。温厚で良い人そうだった。自分事を話すとこう切り出した。
「美咲は……娘は最期どうしてましたか?」
自分は正直に話した、隠すべきではないと思ったからだ。ケーキをねだっていた事、自分が呼び止めて飴を渡したこと。笑ってお礼を言われたこと……そしてトラックに轢かれたこと。
「そうですか……笑っていましたか……ありがとうございます」
父親は深々と自分にお辞儀してきた。涙が出そうになるのを堪えてただ、ただ「すみません」と謝っていた。
兄の「お前がいなかったら母も美咲も死ななかった、何でお前だけ生きてるんだ」って言葉を聞いて逃げるようにして会場を出た。
兄の名前は陽平というらしかった。
・七月二十二日 曇り
消え去りたい消え去りたい消え去りたい消え去りたい消え去りたい消え去りたい
どうして自分が生き残ったのか? 自分は幼い命を奪ったのだ、それを育てる命も奪ったのだ。悪いのは運転手だそうだ、そうに決まってる。
だけど『殺人者』は自分なんだ。
なんであの時生半可な好意で呼び止めたんだ、トラックが来ると知ってたら呼び止めなかったのに。
屑だ、自分は屑だ
・七月二十三日 晴れ時々曇り
今日は久しぶりに彼女に会う日だ、今日ぐらいは明るく振舞わなきゃ。
近くのファミレスで待ち合わせすることに決まった。
久しぶりに自分を見た彼女は驚いていた、どうやらかなりやつれているらしい。指摘されるまで気が付かなかった。
「すごく酷い顔してるよ、びっくりしちゃった」
「ごめん……でも、もう大丈夫だよ、多分立ち直れた」
「ならいいけど……」
その後は自分がいなかった間の大学の話など他愛もないことを喋り続けた。
「ちょっとトイレいってくるね」
そう言って彼女がトイレに行った後、ふと窓の外をみて凍りついた。
何かがおかしい、目の前の景色に違和感がある。
ふと植え込みの方へ目を向けて気が付いた。
自分を呪う視線、自分の全てを憎む目線。
陽平がこちらを見ていた。
窓の外からこちらをじっと見ている……。おそらくは自分の事を調べたのだろう……。
その後のことは覚えていない、彼女の車で彼女の家に泊まった。もちろん陽平のことは言っていない。
言えるはずがなかった。
・七月二十四日 晴れ
……夢を見た、美咲ちゃんとそのお母さんの夢だ。
美咲ちゃんが泣いていてお母さんが必死になだめすかしている。俺は無意識のうちに声を掛けていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
「お腹がへったの……」
美咲ちゃんは悲しそうだった。
夢から覚めた後、事故現場へ向かった。花束とあの日あげるはずだった飴玉とケーキを持って……。
誰も自分が事故にあった当事者だなんて分からないだろう。
案の定、花束が置いてあった。自分のお供え物を置いて、心の中で「ごめんなさい、ごめんなさい」って呟いた。涙が止まらなかった。
嗚呼、自分は一生この親子を殺したことを背負っていくんだと分かった。
その日、夢の中で美咲ちゃんは笑っていた。
・七月二十六日 雨
その日、自分は大学の帰りだった。自分の住んでいるマンションは12階建てで、自分は7階に住んでいる。
自分はいつもエレベーターではなく階段を使っている。その方が運動になるからだ。
その日も階段で上がっていった。六階まで上がって七階が見えたとき、自分の部屋の前に人影が見えた。
友人が来たのかな、などと思っていたら時間になりマンションの照明が入った。
自分の考えが甘かったことに戦慄する。
陽平がいた。自分の部屋の前に。
慌てて自分は階段に息を潜めた。陽平はその後十分ぐらいドアの前に立っていたが諦めて帰ろうとした。
まずい……今、階段に来ると殺される。陽平が手に持っていたサバイバルナイフを見てとっさにそう感じた。
だが、陽平はエレベーターの方へ歩いていく。助かった。
エレベーターを待つ時間が酷く長く感じた。
『チンッ』という音がしてエレベーターが到着する。陽平が乗り込んでドアが閉まる。
自分は助かったと思って家に入った。
家に入ると封筒が一通玄関先に落ちていた。封はしておらず、あて先もない。嫌な予感がした。恐るおそる中身を取り出す。
『コンコンコンコン
殺人者のドアをノックする
どうやら、殺人者はいないみたいだ。
はやく会えないかな、会いたいな。
あいつがいなくなれば美咲と母さんが幸せ。
僕も幸せ、殺人者も幸せ。』
吐き気がする……トイレにいって吐いた。
気分が悪い。自分が何をしたというのだろうか?
あの事故で死にかけたのは自分も同じなのに、どうして生き延びただけでこんな目に。
嗚呼、鬱だ。寝てしまおう、寝てしまえば全て忘れられる。
その日の夢は自分が金属バットで礼治のことを殴っていた。
・八月三日 晴れ
しばらくは大学の友人の家を梯子して泊まっていた。
あの家に礼治が来ると知ってからは戻るのが恐ろしくなった。
だが、いつまでもそうしているわけにもいかずに家に戻ることにした。
今回は明るいうちに家に帰る。そうすれば礼治に会わなくてすむ、そう思ったからだ。
だが、自分の期待は見事なまでに裏切られた。
礼治がいた。
マンションの前で鉢合わせる。
慌てて逃げる、礼治も気が付いたようでこっちに向かってくる。
エレベーターのボタンを連打する。
ドアが開いたところで閉まるをさらに連打する。早く早く早く、はやく。
なんとか礼治が来る前に閉まった。
ほっと一息つけない。なぜなら礼治は階段で来るはずだ。
七階についた途端、転がるようにして外に出る。
泣きそうになりながら鍵穴に鍵を差し込む。
慌てすぎて鍵を落とした。礼治が七階につく。
ぎりぎりで部屋に転がり込む。鍵をかけた瞬間、ドンッと鈍い音がする。
サバイバルナイフを叩きつけたのだろう。
十分たってから便箋が扉の下に投げ込まれた。
読みたくないが、手は便箋の方へ勝手に伸びた。
中身を取り出す。
『どうして、どうして
殺人者は逃げる。
せっかくあえたのに、どうしてにげるの殺人者
僕が幸せにしてあげるのに、にげちゃった
美咲は泣いてる、母さんも泣いてる
はやく幸せになろうよ殺人者』
今度こそ、本当に恐ろしくなって警察へ相談することにした。
「……それで? 今、命を狙われてるって? 馬鹿言っちゃいけないよ。
そんな作り話誰が信じるの?」
「本当なんです! ドアにナイフの跡もありますし。手紙も証拠として出しますから」
「……一人暮らしにはよくあるんだよねぇ……寂しいから自演するってやつ? だいたいね……」
プツッと電話を切る。
警察は助けてなんかくれなかった。おっさんは電話には出てくれない。
自分の身は自分で守らなきゃ……。
・八月五日 曇り
防犯グッツのショップで催涙スプレーとスタンガンを買う。
デパートで包丁も用意した。
これで、自分で陽平を始末できる。
金属バットも目に付いたが……特に必要ないだろう。
ほら、馬鹿が誘われるようにしてやってきた。
懐の中のモノを握りしめた。もうちょっと、あと少し……。
陽平はこっちに近づいてくる。
死ね死ね死ね死ね死ね、しねしねしねしね
しねしねしねしねしねしねしねしね
しねしねしねしねしねしねしねしね
しねしねしねしねしねしねしねしね
殺してやる
ニタァ、と笑って包丁を取り出そうとした時。
「コラァッ、お前! 何やってる」
後ろからどなり声がする。はっとして振り返ると刑事のおっさんがいた。
陽平はこちらに気が付いて走って逃げていく。
「大丈夫かい?」
おっさんは陽平を追わずにこっちに来る。
懐のモノをしまう。
「どうしたんですか?」
「いや、一応念のためにパトロールしてたら。君の家の扉にこれが挟まっていてね……」
「封筒ですか」
「うん、君も言ってたろ。便箋がどうって」
「見せてください」
「う~ん、あんまり見せたくないけど。本人だからしょうがないか……」
おっさんからひったっくるようにして中身を読んだ
『早くしないかな、はやく幸せになりたいな
はやく遊ぼうよ殺人者
ぼくは待ちきれないよ
はやく幸せになろうよ』
その後、おっさんに何言われたのかあまり覚えていない。
気が付くと家だった。
助けてもらったというよりは邪魔されたといった感想しかない。
あそこで邪魔されなければ終わったのに……。
なんで、なんであそこで。
そうするうちに深い眠りに襲われた。
・八月九日 晴れ
この頃は誰にも会っていない。
最近はパトロールが厳しくなったようで礼治の姿も見ていない。
たまに留守電におっさんが録音していってるようだが、それさえも聞かずに消してしまっている。
最近は同じ夢しか見ていない。
夢の中では自分が陽平を何度も殺している。何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
数えきれないぐらいに。
洗面台に立つ。久しぶりに鏡を見た。
ハロー、鏡の中の自分はげっそりとやつれていた。
酷い面だなと鏡の中の自分を嘲笑ってみた。
寝れない体を睡眠薬で無理に寝かせて夢の中に行く。
ここ最近はいつも同じ夢を何度も見てる……。
いつもの夢の中で美咲ちゃんは泣いていた……。
いつもと違うのは、今日は自分の隣に『殺人者』がいる。
どうして? 泣いているの?
あの日と同じような言葉を掛けた、ただし自分の手にあったのは飴玉なんかじゃなくて血が付いたナイフだ。
「うん、あのね……お兄さんのお顔がコワいの」
しょうがないんだよ、だってこうしないと君のお兄ちゃんに殺されちゃうんだ。
「でも……お兄さんコワいよ」
ああ、恐いか。自分の胸を押さえてうずくまる。胸の奥からどす黒いモノがせりあがってくる。
恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い
死にたくないんだ、まだ。死にたくはない……。
恐いなら自分も一緒だ、恐い礼治が恐い。
『違うだろ?』と殺人者が話しかけてくる。『お前が恐いのは礼治なんかじゃあない、俺だろ? あんなカス俺なら一突きで殺せるぜ?』
違う、やめろ! お前なんか存在しないんだ! もう、やめてくれ!
『いい加減認めろよ、美咲ちゃんを殺したのはお前だろ?』『偽善者ぶるのはやめろよ、俺はお前で、お前は俺だ』
五月蠅い五月蠅い五月蠅い。もう、やめてくれ……。
耳鳴りがする、胸がキリキリと締め上げられる。
誰か……誰か……助けて……。
『殺せよぉ、俺!』
「きゃぁ!」
目が覚めると自分の部屋だった。
自分の顔のすぐ前に人がいる、自分の彼女。恐らく下の大家から合い鍵を借りてきたのだろう。
「ごめん……心配だったから、様子を見に来た……の」
状況は最悪だった。
自分は手に包丁を握っている。それの刃先は自分の彼女に向けられている。
「その……なにも食べてないでしょ? 最近……」
差し入れ、それを持ってきただけであろう彼女を……殺そうとした。
「ああ、嗚呼アアァァ……」
怯える、何に? 自分に。
陽平なんかじゃなかった、自分の敵は…………。
「大丈夫、大丈夫だから……」
「いや……だ、いやだ……」
一歩一歩下がってく、後ろは壁だ……。もう逃げられない。
何に? 何から逃げる? 逃げるって?
思考が定まらない、死にたい。
『殺人者』は自分だ、自分だったんだ。
「もう、やめてくれ!」
ブンッと包丁を振り回した。彼女はビクッとして一歩だけ下がる。
「殺しちゃうから……『殺人者』だから……」
もはや自分でも何を言っているのか分からない。
「大丈夫だよ、大丈夫……だって、君は……こんなにも優しいんだから」
「嘘だ! だって……殺したんだよ、自分が!」
否定する自分に優しく微笑むと彼女は……。
握った……刃先を……
「え!?」
ポタッポタッと赤い滴が垂れ落ちる。
何度も嗅いだ匂い……鉄分の匂いがする。
「離せよ! 何やってんだ!」
「離さないよ、君がそれを下ろすまで」
「ふざけんな、殺すかもしれないんだぞ!」
「無理だよ、君は殺さない。だって……優しいから」
彼女は微笑みを崩さない。包丁を握ったまま離そうともしない。
「初めて会った時、覚えてる?」
「うるさい」
「大学のキャンパスで迷子になってた時に『大丈夫ですか?』って聞いてくれたよね?」
「うるさい」
「嬉しかったんだよ、あの時。当たり前のことかもしれないけど、それでも……嬉しかった」
「うるさい!」
怒鳴りつける、一体この女は何なのだろう? 自分を恐がらない、むしろ全て受け入れる。
「ねえ、まだ。死にたいって思ってる?」
「当たり前だ!」
「……何で?」
「俺が……俺が殺したんだぞ! あの時、呼び止めなかったら……死にはしなかったんだ……」
最後の方は嗚咽だった……。分かってる、本当はそんなこと意味が無いのだ。
美咲ちゃんはもう、戻ってこない。自分は生きてる。
彼女はそんな自分の頭をなでながら言った。
「私は消えたりしない……絶対に君の元から消えたりしないよ」
「ウゥ……アァ―――――――――――」
「辛かったら、二人で分ければ……いいよ」
初めて、心の底から哭いた。
彼女に抱かれて夢に落ちる。
「お兄さん!」
美咲ちゃんに会う。会って謝る。
それだけだった、それがしたかった。
「美咲ちゃん……あのね……お兄ちゃんは、もうここには来れないんだ。…………ゴメン」
許されるわけが無い。許されるはずが無い。許されて言いわけが無い。
でも、それでも言わなきゃいけなかった。
「お兄さんはね、これからも。絶対に美咲ちゃんのこと忘れない。でも……もう、ここには来れない」
長い、沈黙だった。
「うん、わかった!」
自分の予想に反して、美咲ちゃんは今まで一度も見たこともない笑顔を見せた。
「お兄さん、頑張って! 応援してる!」
嗚呼、嗚呼嗚呼。
本当は最初っからこの子に許してもらいたかったのかもしれない。
自分の中の幻覚でも、妄想でも。この子に一言謝りたかったのかもしれない。
「バイバイ!」
「あっ」
手を振ったかと思うと、美咲ちゃんの姿は消えていた。
「……バイバイ。ありがとう」
忘れないだろう、自分は二人の人間を殺した。
忘れないだろう、自分は命を奪った。この手で。
忘れない、自分は重い十字架を背負う必要があることに。
忘れない、美咲ちゃんが最後に笑ってくれたことを。
いつの間にかに『殺人者』は消えてしまったようだ。
・八月十九日 晴れ
ここ最近は彼女の家に居候になっている。
あれ以来、凶器になりそうなものは全て彼女が処分した。
自分にはデキすぎた彼女だと思う。
陽平は相変わらず自分のマンション周辺をうろついているようだ。
何度かポストに手紙が入っているのを見る。
『どうして逃げるの
幸せにしてあげなきゃ
僕が殺人者を殺して、
美咲を幸せにするんだ
早く遊ぼう殺人者
早く出てこい
もう、待ちきれないんだ』
前ほどの不快感は無くなっていた。代わりに思うことが一つある。
お前の中の美咲ちゃんは……まだ、笑ってないのか。
自分が言える義理ではないだろう……。
あれ以来、普通に生活するように努めた。
事故現場には、ほぼ毎日花束を届けに行ってる。
周りからも、よく笑うようになったと言われた。
このままの日常が続く、それが望みだった。
あれ以来、夢の中で美咲ちゃんは見なくなった。
・九月二十日 曇り
久しぶりにバイト先の飲み会に行った。
自分はアルコールが飲めないほうだったから。彼女と一緒に早めに抜け出す。
帰る頃にはもうすでに深夜に差し掛かろうとしていた。
道にはもう人がいない。
「頭、下げてて」
もうすぐ彼女の家に着く、と思ったころに彼女が急にそう言った。
「えっ?」
慌てて聞き返すがもう遅い。
衝撃が走る……。
「あっ」
一瞬世界が傾く。グラッとした衝撃の後。急な痛みが体全体に走る。
「あっ」
立っていられずによろける。ふと見上げると見知った顔があった。
陽平……自分達とすれ違う時に何かしたのだろう。
もう、見慣れた目で俺を見降ろす。
「ああ……」
痛みの正体に気が付く。脇腹をナイフで刺された。
間一髪のところで、彼女が自分を突き飛ばしたから逸れたのだ。
「……やった」
ぼそっとした声で喋る。嫌な奴だ、こんな時でさえ、そう思ってしまった。
「満足か……」
地面に倒れたまま、そう聞いてみた。
ギョッとしてこちらを見る陽平がおかしかった。
まさかあの程度で死ぬと思ってたのかこの馬鹿は……。
「まさか……死なないのか何て……思ってないよな?」
ああ、多分自分は間違えたのだ。
『殺人者』は消えてなんか無かった。自分の心のずっと深いところに居たのだ。
「がっかりさせないでくれよ……」
ずるずると這い上がる。血が吹き出てるが気にしない。
「なんで……なんで死なない!」
怯えるようにして陽平が一歩下がる。それに合わせるようにして一歩近づく。
「来るな! バケモノ!」
怯えきった声を投げ掛けてくるが、そんなことはどうでもいい。
「なんで、そうまでして自分を殺そうとする?」
聞きたかったこと。聞きたくなかったこと。
でも、必要だって事に気が付いた。
「お前が! お前が生きてるからだ!」
本当に自分の事が憎いのだろう。陽平はこちらを威嚇しながら叫ぶ。
「どうして、美咲も! 母さんも死んで、お前だけ生き残った!」
何度も、何度も自問したこと……。
「お前なんかが死ねばよかったのに!」
……シネバヨカッタ、あんたなんか死ねばよかったのに。
昔の思い出だ。
酒に溺れた母からよく聞いた言葉。
「でも……死ななかったよ、何度も何度も死のうとしたのにね……」
「だから、僕が殺すんだ! 化け物を! ……ハハハ、僕がバケモノを退治するんだ!」
……あんたは魍魎だよ!
「…………」
初めて……目の前の男の本心を聞いた気がした。驚きよりも先に悲しみが込み上げてくる。
そろそろ意識が朦朧としてくる。
『なあ、やるのか?』『分かったか? 結局、俺はこうするしかないんだよ……』
そこから先の話は意識が無かったので覚えていない。
最後に……彼女が叫んだ気がした。
・九月二十二日 雨
お馴染みになった病院の椅子に腰かけてこの日記を書いている……。
思い出せないところがあって、途中途中抜けてしまっている。
目が覚めると病院で、近くに彼女と刑事のおっさんがいた。
二人の話を合わせると、どうもこう言う事らしい。
あの後、自分は脇腹に刺さったナイフと抜いた。
それを右手で構えて、左手で陽平のパーカーの裾をつかむ。
「な、何すんだよぉ……」
……これで、楽になれる……。
そう思って自分はナイフを首筋に刺し込もうとした。
「ダメ―――」
その瞬間、彼女が叫ぶ……。
ハッとして動きを止めた瞬間に、陽平が自分を振り払って逃げ出した。
「きゃっ」
反対にいた彼女を突き飛ばし、車道に逃げようとする。
ブッブゥ――――
「うわぁぁぁぁぁぁ」
その瞬間、陽平は運送トラックにはね飛ばされたらしい……即死だそうだ。
パタンッと日記を閉じて考える。
最初に間違っていたのは誰だろうか? あの、トラックの運転手か? 自分か?
それとも……。
結局、自分の行動は正当防衛に分類されるし、その後の事故についても陽平の飛び出しを見ている人が証人になって、自分はお咎めなしだった。
やるせない気持ちになっているのもつかの間。
行かなければいけない所を思い出した……。
「……そうですか……」
美咲ちゃんの実家、つまりは……俺が殺した三人の家だ。
本心を言えば、残った家族……父親に責めて欲しかった。
誰かに罵倒されたかった、お前はクズだと……。
「大変申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる。
「…………夕飯、食べていきませんか?」
父親は優しく自分にそう言った。
「最近はね、自分でも料理してみるようになったんですよ……やっぱり女性って凄いな、亡くなった妻には一生頭が上がらんですわ」
ハハハと父親は笑いだした、どう反応していいのか分からないので苦笑いで返す。
「そう言えば……僕の実家からおいしい漬物が届いた……あ、あったあった」
終始ニコニコしている父親と自分の奇妙な組み合わせがある。
「これね、僕の地方の名産品でね……食べてみて」
父親は食事の間中様々なものを自分に振舞ってくれた。
「あの……聞きたいことがあります……」
食事が終わってお茶を飲んでいる時に質問することにした。
「はい」
自分の質問が分かっている父親は、正座のまま自分の話を聞いてくれた。
「どうして……どうして僕を憎まないんですか? 美咲ちゃんも、お母さんも……最後に残った陽平君も……僕が……殺したようなものなのに! どうして何も言わないんですか!」
言葉にすると自然に涙が出てくる。溢れる涙は止まらなかった。
どうして……自分の周りの人達は皆、こんなにも優しいのだろう……。
しばらく黙ってから父親は口を開いた。
「あのですね……憎いか憎くないかって言えば……私は君が憎い」
「……」
「でもね、過ぎ去った事はもう戻らないし……陽平の事は……あの子が全面的に悪かったと思いますよ」
「ちがっ……」
「あなたは、あなたで苦労していたのでしょう? ここに来るだけでも凄いと思いますよ」
そこで父親は言葉を切って仏壇の遺影を眺めた。
「あなたが生きた事には、意味があると思います。それが何かは私には分かりません。ただ……私は誰かを憎みたくはないのです。君が最初に真実を話してくれた時は正直なところ、とっても嬉しかった。憎しみの連鎖はもう終わりにしませんか? 陽平の事はむしろこちらが謝るべきなのに……」
「いえ、そんなつもりじゃ……」
ニコっと笑って父親は続ける。
「僕は……生きててもいいんですか?」
卑怯だと思う、逃げだと思った。予想する答えが返ってくるのは分かり切っていたのに……。
それでも……それでも誰かに認めて欲しかった。
「あなたは生きるべきです」
今回はそれがたまたまこの人だったのだ……。
・九月二十三日 晴れ
父親の好意で一日だけ泊まることにした。
陽平の部屋だった場所に布団を敷いて考える。
……自分は陽平を許せるだろうか? 陽平は結局自分を許してくれるのか…………。
自分がこれまで関わった命が急に重く感じる。
それでも、これから自分はそれらを十字架に乗せて背負う必要がある。
幽霊がいるのなら、陽平の霊に会いたかった。
彼なら自分が探していた答えを見つけてくれそうだ……。
でも、それは逃げかもしれない。
結局のところ、それらは自力で見つけなきゃいけないのだ。
答えのない砂漠を延々と進んで初めて見つけられるものかもしれない。
久しぶりに安らかに眠れた。
帰り際に父親に「また、遊びに来て下さい」と言われた。
自分の事を許してくれた人だ、もし許されるなら今度は彼女と二人で来ようか……。
・九月三十日 雨
救いなんてこの世界に無い。
誰も結局の所、救われないのだ。
電話は朝の十時にあった。
居眠り運転らしい……つくづく車と縁があるなと自嘲する……。
手術室に運ばれる彼女は……血塗れだった。
ふらふらしながら手洗場に行く。
涙を洗わなきゃいけない。
顔を上げてふと気付く……。
嗚呼、君か……ようこそ……。
ハロー、鏡の中の殺人者は引き攣った笑いを浮かべている