第八話 勇者と因縁
名前がコンプレックスの勇者、巳継を殺そうと正体を現すアリル。彼女の目的が復讐と分かった今、巳継に与えられた選択肢は……。果たして、巳継は生き残れるのか?
僕の名前は、勇者巳継。勇者の末裔だ。
別に、僕はある日突然、目が呪われて一人でぶつぶつ独り言を呟きながら勇者を自称したわけでも、オンラインゲームにハマりすぎてみんなから勇者と言われ始めたわけでもない。
信じられないことに、苗字が勇者なのだ。な……なんだってぇ!?
話を戻そう、どうやら僕は厄介な奴に絡まれたらしい。
その名も吸血鬼。そう、あれだヴァンパイアだのドラキュラだの言われる処女の生血を好んで啜るという変態紳士さんだよ。
女性の場合はあれか? 童貞の生血でも啜るのだろうか? いやそんなことはどうでもいい。
その吸血鬼にどうやら絡まれてしまったらしい。カツアゲとかじゃなく。
もっと酷いヴァージョンだ。吸血鬼に命を狙われた、まさに絶体絶命。
目の前にいる銀髪ツーサイドアップ、深緑の目の美少女は吸血鬼で僕は命を狙われている。
えっ? なにやらエロゲーとかにありそうな展開だって? 実にその通り。
しかも僕の命を狙っている理由はなんと、僕のご先祖様に一族を滅ぼされたかららしい。
これってうまくいけばあれじゃね? 回避できるんじゃね? 死亡フラグ。
大概こういう展開って、『過去を話す』『戦う』『説得』『感動のオチ』で最終的に好きになって終わる展開じゃないかな?
いや、間違いない。そういう展開だ! じゃなきゃ僕は殺される。
この場合、ラブコメやエロゲーの主人公はそのフラグを立てた女の子が、メインヒロインじゃない限りその好意に気づかない。
だが、僕は違う。残念ながら僕はそういうお約束な展開にはならない。
そう、脱童貞! そして、リア充に。フフフ……今まで憎んでいたリア充にまさか自分がなろうとは。
だが僕は躊躇しない。いくよ? 最後まで。僕はハーレムとか修羅場とかそういうのはやらない派なんでね、堅実に愛を育ませてもらうよ。
ククク……そして、実は過去の話はもうすでに済ませてしまっている。こういう場合、『あんたのせいで!』みたいに激情しながら話すのが最も多いパターンなのだが、彼女、高町アリルの場合。
かなり淡泊だった。ちょっと慌てたけど、まぁセーフじゃないかな? ギリギリセーフの範囲?
……どう見ても殺す気満々なんだけど。ここはもうちょっと話を掘り下げるべきか?
だってこのまま戦うと、確実にあの世行きになりそうだ。目がいっちゃってる。
そして、すごく不気味な笑いを浮かべている。狂気というものが形を持つと多分、こうなりそうだ。
僕は唾をゴクリと飲み込み、自分を落ち着かせながらしゃべった。
「そういえば、君って何歳?」
「女性に年齢聞くなんて、失礼だと思うな」
やべっ! 地雷踏んだ! 次の瞬間猛スピードで突進してくるアリル。
あまりの速さに目で追えない。
次の瞬間にはもうすでに、彼女は目の前に来ていた。スローモーションに見える、まるで映画じゃないか。僕が、そうつっこもうとした瞬間にあることに気づく。
彼女の細く白い腕が、僕の腹にめり込んで見えない。嘘だろ、数センチはめり込んでいる。
冗談じゃない、と思った瞬間目の前から彼女が消えた。いや、違う。
僕がものすごい勢いで吹っ飛んだんだ。轟音が鳴り響き、衝撃波で周りの民家は吹き飛び突風が吹き荒れた。
僕は数十メートルほど吹き飛び、民家に激突した。
コンクリートを突き破り、家の中にダイブする。窓が無残に砕け散った。
しばらくの静寂、僕はわけがわからず辺りを見渡す。あれ? ここどこだっけ?
知らない人の家に僕はいる。窓は吹き飛びテーブルは壊れ、あちこち散らかっていた。
これは? 僕のせいなのか? 混乱している頭で立ち上がろうとするが、酷い激痛で立ち上がれない。なにより、息ができない。
僕の腹は、さっき殴られた時からへこんだままだ。息ができない苦しみに僕はもがいた。
「が……はっ」
やっと息ができたと思ったら、口からおびただしいほどに血を吐いた。いったい体の何%の水分が失われたんだろうか?
僕は殴られたんだよな? アリルに。決して魔法を食らったわけでも、ミサイルに直撃したわけでも、ダンプカーにはねられたわけでもない。
あの、華奢でか弱そうな女の子に殴られただけだ。なのに、この威力。下手すれば死ぬ。
というか、確実にもう致命傷だろ。制服はぼろぼろだし、体中は痛いし、鞄は吹き飛んだし。
あばら骨骨折どころか、内臓までぐちゃぐちゃになってる気分だ。意識を保っているのが不思議だ。
僕は、もう一度辺りを見渡す。ここは誰かの家だ、もしかしたら今の騒ぎで誰か来るかもしれない。
そうだ、間違いない。こんなことになっているんだ、警察も救急車も来るはずだ。
あの女が僕に止めを刺そうと追いかけてきても、この家の住人が僕を見つけて通報する方が速いだろうし、さすがに魔物でしかも吸血鬼だとしても警察には敵わないだろ。警察にも確実に勇者はいる。
だから、僕は殺されることは無い……多分。僕は体から冷たい汗が出るのを感じていた。
早く、早く、誰か来てくれ。僕は祈った。しかし、しばらくしてもこない。
どういうことだ? そんな、おかしい。知らない人間が民家に突っ込んできたんだぞ? 気づかない方がおかしい。
それに、物凄い音もしたはずだ。ここの住人じゃなくても周りは確実に気づく。
それなのに、辺りはいつもと変わらない静寂。静かすぎるほどだ。
ふと、壁にかかった時計を見る。そして、違和感を感じた。六時丁度を指しているその時計の秒針が動いていない。
どういうことだ? さっきの衝撃で時計が壊れたのだろうか。そう思いたい。
「君って結構鈍いんだね」
背後から急に声が聞こえた。思わず鳥肌が立つ、恐怖のあまり後ろに振り向けない。
まるで気配に気づかなかった。声をかけられなかったら、絶対に気づかなかっただろう。
なぜなら、今でも気配を感じないからだ。スピーカーから流れてくる声を聴いているみたいだ。
むしろ、その方が自然だ。僕は顔を少し横に向ける。
肩に白く細い指が置かれていた。体が震えるのを僕は感じた。
ゆっくりと後ろに振り向く。紛れもなくそこには高町アリルがいた。恐怖でどうにかなりそうだ。
アリルは冷たく微笑んだかと思うと、足を後ろに引いた。次の瞬間顔に信じられないほどの衝撃を感じた。恐らく蹴られたんだろう。
しかし、それを理解する前に僕はまた轟音と共に吹き飛ばされ、気が付いたら空中にいた。
何が起こったのかまるで分らない。何をされたというよりも、なんで僕は空を飛んでいるんだという疑問の方が大きかった。
しばらく空中を漂ったのち、ようやく顔に痛みを感じた。
目の端に何かが見えたような気がした、瞬間また腹にすごい衝撃を感じ、また吹っ飛ばされた。
二、三回地面を跳ねたのち、また民家に突っ込む。
「私の一族を滅ぼした勇者の末裔って聞いたのにこんなに弱いなんて、これじゃナイフ持ってきた意味ないじゃん」
なにやら遠くで不満そうな声が聞こえた。いやいや、あんたナイフなくても十分人を殺せるよ。
体中血だらけ、痣だらけ。骨は何本折れたかもうわからない。
制服は完全に使い物にならないほどに破け、靴は片方吹き飛んでいた。片方の靴を探す気力もない。
正直意識を保っているのが不思議だった。意識を失っていた方が、幸せだったかもしれない。
完全に殺される。そして、こんなことが起きているのに人っ子一人でてこない。
それどころか、民家に誰もいない。この家の時計も六時丁度で止まっている。
「出し惜しみせずに本気で戦っていいんだよ? ここは私が作った疑似空間『影の世界』だから」
なんだそりゃ。チートすぎて全然笑えない、それどころか指一本動かせない。かろうじて目を開けるのが精一杯だ。
「気づかなかった? 学校の屋上で会った時からずっと君はこの世界に閉じ込められていたんだよ?」
なんだそれ、初耳だよ、わけわかんなねぇよ。最初っから逃げ場なんてなかったのか。
つまり、勇者部の部員たちの冷たい態度も、影の世界とかいうものの幻想ってわけか。僕の中での部員たちの評価が戻った。
「つまんないな。血を吸うまでもないや、さっさと殺しちゃおうか」
ゆっくりゆっくり、アリルは僕が苦しんでるのを楽しそうに見ながら近づいてきた。
さながら死神の足音だ。いくら美少女でもこんな暴力的な死神は嫌だ。
ああ、ちくしょうちくしょう! こんな、こんなところでこんなにあっけなく、しかもこんな身勝手な奴の勝手な理由で殺されるなんて。僕の人生はこんなにも薄っぺらいものだったのか。
それでいいのか? それでいいのか? こんなわけのわからない理由で殺されていいのか。
いいわけない、いいわけないだろ。僕の人生だぞ。誰かの勝手でこんなにも理不尽に、終わらされるなんてそんなの納得できねぇよ!
くそ……くそ! 近づくな。近づいてくるな! 僕は僕はまだ死にたく……。
「じゃあね。ちょっとだけ退屈しのぎになったかも?」
僕は、首根っこを掴まれたと思った瞬間また空中に投げ出された。
そして、空中で反転した僕は背中めがけて思いっきり正拳突きを食らった。
いや、正拳突きと呼ぶには威力が違い過ぎる。クの字にに折れ曲がったと思ったら、それを通り越して反対側まで折りたたまれた。
大量に吐血した瞬間、僕は民家の中に吹っ飛んで行った。
衝撃波で窓ガラスは割れ、民家は衝撃波でバラバラに吹き飛ぶ。辺りに土煙が立ち込めた。
「あぁ……殺し足りない。全然弱いじゃん、まだその辺の人間の方が強い気がするよ」
アリルは埃を払うように、服を叩いた。髪型どころか、服装さえ乱れていない。
光のない深緑の目で、虚空を見つめながらアリルはため息をついた。
「暇だから、このあたりの人間しらみつぶしに殺していこうかな?」
ガラガラ、何かが崩れる音がした。崩れた民家中に人影が写る。
「おい、勝手に殺すなよ。てか、僕はバトル漫画の主人公みたいに肉体派じゃないんだよ」
「何だ生きてたんだ。というか、君立てるんだね? 骨という骨はへし折ったと思ったのに」
まぁな。全身複雑骨折、おまけに内臓破裂もしてる気がする。
「mens sana in corpore sano 展開」
「メーンス・サーナ・イン・コルポレ・サーノーって、ラテン語?」
「ああそうだ。意味は『健全な精神は健全な肉体に宿る』。いっとくが、これは正当防衛だからな」
これは、魔法じゃない、魔法に形を持たせたものだ。魔法が力とするならこれは武器ってところか。
昔から勇者の末裔なんて奴は、いろんな奴に絡まれるものだ。だから、こういう保険を掛ける。
勇者はむやみに殺しはしない。代わりに絶対的な力で押さえつける。
その一つがこれだ。魔法に形を持たせ、さらに強化した。
極力使いたくない。クラスメイトに銃をつきつけているようなものだ。
僕の両手に白いボクシンググローブの様なものが形成されていく。しかし、ボクシングローブにしては大きすぎる。それは拳から手首まで覆い、流線型の形に変化した。
次に僕の周りに、羽のような形のものが六つ現れた。
「それってピンチになると出るっていう、勇者特有のあれかな?」
「いや、そんなに便利なものじゃない。ピンチになると出るっていうのは当たってるけどな。こいつの能力は僕の意志が折れない限り、絶対に負けないという能力だ」
「なんだ。やっぱりそうじゃん、勇者補正って奴? まあいいけどね」
「もっとわかりやすく言うと、僕の意志が続く限り死ぬほど攻撃を受けてもHP1だけ残るって能力だよ。体はボロボロ、骨はボキボキ、内臓ぐちゃぐちゃでも死ぬ寸前で生き残る。ただし、折れた骨やつぶれた内臓が再生するわけじゃない。骨なら折れる寸前で、内臓ならつぶれる寸前で寸止め状態だ」
だから、念のために毎日鎮痛剤を持ち歩いたりしてるのは内緒だぜ。鞄が吹っ飛ばされた時はビビったけど、ポケットになぜか入ってて助かった。
『勇者おすすめ! 飲む鎮痛剤スーパー!』なんて、すごく怪しい名前だけど効き目は本物なんだよな。
とりあえず、こうして立ててる。飲んですぐ効くってどんな鎮痛剤だよ。
「なんでもいいや、じゃあ殺し合いの続きしよっか?」
アリルは妖艶な微笑でこちらを見る。はぁ……こいつを使ったのは小学生のころヤンキーに絡まれた時以来だ。
「お手柔らかにお願いします……」
また、恐ろしいスピードで僕の目の前にやってくるとすかさず腹にまた正拳突きを食らわせる。
「が……はっ!?」
僕はまた吹っ飛ばされるが、今度はアリルが追撃してきた。二撃目を打ち込もうと構える。
僕は足を地面につけて踏ん張り、体を捻じる。そして、アリルの拳にタイミングを合わせて打ち込む。
瞬間、衝撃で二人とも吹き飛ぶ。アリルは驚いたような顔をしてよろめく。
「なに? それ?」
「説明は死亡フラグなんで省かせてもらう。ユーナスアーラ、加速しろぉぉぉぉぉぉ!」
六枚の羽の内の一つが輪っか状に変形しする。僕はその中心に右足を入れる。
僕は加速し、一気に目の前のアリルに近づく。そして、鳩尾付近に拳を添える。
「イクスフラ」
次の瞬間、僕の拳を中心に衝撃波が辺りを吹き飛ばす。アリルは衝撃波をもろに食らって、遠くに吹くとんだ。
さすがにあれを食らって気絶しない奴はいない。そう思った僕の考えは甘かったのかもしれない。
何事もなかったかのように立ち上がり、服についた汚れを払っている。
「じゃあ、次は私も本気でいくね?」
彼女は笑顔でそう言った。その笑顔に僕は凍りつくしかなかった。