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ネコの救済

作者: Azuk

微妙に暗めというか、あんまりハッピーエンドではないのでそういうのが苦手な方には非推奨です。

 真っ白な部屋の、真っ白い窓。その奥の真っ暗な空に、大輪の花が咲いていた。美しく、けれど一瞬で枯れてしまう儚い花。


――花火。


終わった後のあの切なさが嫌で、理由(わけ)もなく哀しくて、泣きたくなって。だから、僕は花火が嫌いだった。

けれど、僕の青春は、花火とともにあったといっても過言ではない。中学一年のころ、彼女と初めて二人っきりになったのも、中学二年のころ、彼女とのファーストキスを済ませたのも、高校一年のときに初セックスしたのも、――一昨年、別れたのも、同じ花火大会の日だった。

少し、その間のことについて記しておきたい。僕の――僕と彼女の存在証明として。





中学一年生のころ、僕はクラスで孤立していた。まあ、何てことはない、僕が馴染もうとしなかっただけなのだが。そんなわけで僕と話すのは「ご同類」か、もしくは物好きでお節介焼きな女子くらいのもので、彼女は後者だった。


彼女は、笑顔の明るい子だった。

彼女を見ていると、こっちまで幸せになれるような、そんな女の子だった。ころころと表情を変えるのだが、常に目元は笑っているのだ。

くりっとした瞳はネコのよう。セミショートの黒髪は艶やかにまっすぐで、太陽の光を浴びるといきいきと自己主張をするように輝き、月の光を浴びると黒曜石のような静謐さを醸し出す。

そして何より、彼女は優しく、聡明だった。





夏真っ盛りの、焼けるようなある日のことだ。彼女に、それを言われたのは。


「ね、花火、行かない?」


彼女のお節介焼きは他クラスまで知れ渡るほどで、それまでに三人の「ご同類」を討ち取ったとの噂だった。そしてその噂はおそらく真実だったのだろう。現に、僕と最も本の趣味が近かったネクラメガネ君(仮称)も、今ではすっかりクラスに溶け込んでしまっている。ちなみに、彼はコンタクトに変えてからは女子に微妙な人気が出ていると、ペドブサイク(仮称)から聞いていた。

だから、僕はこのとき、これは「かわいそうなことにクラスで孤立している僕」をクラスに溶け込ませようとする、お節介焼きな彼女の作戦だと思っていた。


必然、僕の答えはそれなりのものになる。

「いや、いいよ。僕、あんまり大人数でいるのって好きじゃないからさ。」

完璧な返答だ、と僕は思った。遠慮しているなら強引にでも誘うのだろうが、群れたくないとはっきり言ったからには、彼女も諦めてくれるはずだ、と。

しかし彼女の返答は予想外のもので、きっとこれが僕という人間の人生の、最大の分岐点だったのだろうと今は思う。


「別に、みんなで行こうとかそういうことじゃなくって…その、私が、君と一緒に行き…たい…ん、だけど、……ダメ?」


そのときは予想外すぎて、飲んでたコーヒー牛乳を盛大に噴き出した記憶がある。ドッキリか何かか、とか悶々と考えてて、結局当日になって「行く」と言ったのだった。

…ここから先のことは思い出すのも恥ずかしいから適当に省かせてもらうけれど、当然ドッキリとかそういうこともなく、更にいえば、ぶっちゃけると僕は小学校のころから彼女に恋をしていたので、このときそれが両思いだったのが判明したまでのことだった。クラスにも溶け込めない奴が恋なんて。と、そうやって諦めていた僕にとって、それはまるで奇跡のようだと思えた。


……奇跡の代価を要求されるなんて、神様がそんなにケチだなんて、そのときは夢にも思わなかったけれど。


 まあ、その後は順調にお付き合いを重ねてきたつもりだ。お互い恋愛に積極的だとはお世辞にもいえなかったので、周りはやきもきしていたようだけど。ケンカもしたけど、それでもずっと一緒だと信じてた。


――だから、あのときは信じられなかったんだ。



 


高校二年の夏。僕は、彼女と別れた。

いや、より正確に言うならば、一方的に別れさせられたのだ。つまり、振られた。

別れてくれと言われたこと、それ自体に否やは無かった。それが彼女の選択。僕に足りない何かがあったのだろう、と。僕が信じられなかったのは、それではない。


彼女が、僕に嘘をついた。

彼女は、嘘をつくと眼に表れる。瞬きが途端に増えるし、瞳孔も開き、視線がうろうろするようになる。苦手なことをするのに、緊張するからだろう。

その癖が、別れ話のときに表れた。

「好きな人が、できたから…」

理由を話す彼女の眼は、「今私は嘘をついています」と、そう語っていて。けれど僕は問い詰めなかった。問い詰められなかった。何故なら、そのとき彼女は上目遣いにこちらを見ていたからだ。それは彼女の、頼みごとをするときのしぐさだった。


『お願いだから、理由は聞かずに別れて』。


それが彼女の頼みごとだった。少なくとも僕はそう受け取って、だから、僕は何も言わずに別れた。


このとき理由を聞いていれば、何か違ったのだろうか――。時折、そんなことを考える。もちろん実在論的に言えばそんなことはありえないんだけど。でも、そう思わずにいられないくらい、このあと彼女に降り注いだ現実は過酷だった。





彼女と別れてからしばらくの僕は、正しく抜け殻だったと言っていい。自暴自棄になり、今まで全く未経験だった酒と煙草に溺れてみた。半年経った頃には毎日数缶のビールを空けるようになり、日に一つラッキーストライクの空き箱が出るようになった。それでも気分は晴れなくて、突然ぐれた息子に戸惑う両親に当り散らしたりもした。

本当に、何をやってたんだと怒りを覚える。苛立ち紛れに家の内壁に穴を開けたときの、母さんの悲しげな顔は今も頭にこびりついていた。何より、半年以上も経ってやっと気づくなんて、いくら学校も休みがちになっていたからって、あまりの自分の愚鈍さに呆れ果てた。


 ――学校に、彼女が、いなかった。


 これだけ経てばいいかげん傷も癒えたと思ったのか、その頃から僕に話しかけるクラスメイトが増えていた。何でも、彼女と付き合い始めてからは「変わり者」という印象が消え、更に半年間ですっかり「ワル」なイメージを板につけた僕は、今やクラス屈指の「気になる男子」だったらしい。事実はどうか知らないが、件の元ネクラメガネ君からの情報である。

 その頃から話し始めたクラスメイトたちは、必ずと言っていいほどまずこれを聞いた。


「彼女、学校来てないけどなにかあったの?」


しかし全くお粗末なことだが、僕はそれを聞かれて初めて彼女に何かあったことを知った。だから答えようは無かったのだが、同時に直感した。これが僕らの別れの原因だ、と。

僕はそれが何だったのか、是が非でも知りたかった。本当ならすぐさま彼女の家に電話して、彼女自身か彼女の母親に聞くか、あるいは彼女の家に押しかけたかった。

けれど、悩んだ。もう僕は振られている。理由を聞こうとしても、彼女は迷惑だと言うんじゃないか、と。


それを断ち切ったのは、彼女のお母さんだった。

彼女のお母さんが、僕に電話をくれた。

「あなたのことが、あなた宛のことが書いてある娘の日記がある」と。

血を吐くような思いを綴ったそれは、おそらくは死後に家族が発見することを想定した、遺書だった。僕宛に、とされた部分には、今は街の病院に入院していること、僕の負担になるのが嫌で嘘をついたこと、本当は今も僕が好きだということが書かれていた。そして最後に、

「ありがとう、ごめんなさい」

と、そう一言。

いても経ってもいられなくなって、僕は学校をサボって病院へと足を運んだ。

最初は「面会謝絶だから」と断られた。が、何度も何度も足を運ぶうち、彼女のお母さんが眼を真っ赤に泣き腫らしつつ一緒に説得してくれるようになった。すごく感謝している。

……そのとき彼女のお母さんに聞いた、「最後に一度くらい、娘に笑って欲しいんです」という台詞は、聞かなかったことにしたけれど。僕はそのとき、彼女が死ぬなんてことは全く一つも想定していなかった。





彼女と再会したのは、更に半年後――つまりは去年の夏ごろだった。

彼女のお母さんの努力が実った結果である。更にその上で「何があっても自己責任」という念書を書かされ、僕はようやく門前払いを免れた。


彼女は、一般病棟にはいなかった。隔離病棟の最奥部に、僕の求める病室はあった。当然だが、一人で行くことは叶わない。

担当医と助手二人に連れられて隔離病棟へ案内された。内玄関で殺菌済みの異様にがっしりとした防護服とマスクを着させられ、歩く途中に徹底的な殺菌を十七回も受けて、そうしてようやく僕は彼女に到達する。


彼女は、少なくとも見た目の上では、いつもと変わりなかった。いや、いつものひまわりのような笑顔だけが、少し翳って見えたけれど。

「あんなひどいこと、したのに…来ちゃったんだ……」

言葉とは裏腹に、彼女は嬉しそうだった。少し陰のある顔が、却って普段とは違う彼女の美しさを際立たせる。まるでスミレの花のような儚い笑顔は、控えめで、けれどそこに確かに存在することを感じさせた。

「ネコは昔っから嘘が下手だからなぁ……」

余談だが、付き合い始めてから、僕は彼女をネコと呼んでいた。理由は目つきと、それから、彼女を僕のわがままで縛らないという宣言のつもりだった。ネコはずっとネコで、誰のものにもならない生き物だと僕は思ってたから。

「……ごめん、なさい」

「いや、いいよ。多分…僕がネコでも、そうしたし」

落ち込んだ彼女を少しでも慰められるように、慎重に言葉を紡ぐ。彼女の泣き顔は見たくなかった。

「ところで、いつ頃退院できる?つか、何でこんなとこにいるの?結核とか天然痘とか?」

彼女の母さんの台詞を忘れたくて、あえて聞いた。ただ、それだけでもない。これだけ厳重に封鎖された空間に彼女はいる。となれば、それ相応の病名があるはずだった。日本で拡散してはいけない病。なんか僕でも知ってるような有名なやつなんだろう、海外から特効薬が届けば助かるんだろうと、そう思っていた。

しかし。

「正体不明……だって。お医者さんも初めて見るウィルスで、でも、今これが世界に広まったら、間違いなくたくさんの人たちが死ぬだろう、って。いろいろやってみたけど、特効薬とかはまだ出来なくて、それどころか、少しでも効く薬が見つからなくて。だから、


――私は、間に合わないみたい。」


「……え?」

嘘だ。そう思った。けれど、彼女の瞳は悲しいくらいまっすぐにこちらを見ていた。そんな眼で――覚悟は出来てる、なんて眼でこっちを見るなよ。僕はたじろいだ。

「何で……何でだよ。おかしいだろ。だってネコは、

……おかしいだろ!」

怒りに任せ、どん、と机を叩く。分厚い防護服越しにはあまり衝撃が伝わらなかったが、彼女がおびえた顔をして、僕はしまったと思った。


このとき、何でいい人ほど早くに死んじゃうのかな、なんて、いつぞや母さんが言ってたのを思い出して、余計に焦っていたのを覚えている。それが昔、彼女の父親の葬儀をしたときの言葉だってことまで思い出して、神様を恨んだのも、鮮明に思い出せる。あんたは一家に恨みでもあるのか、と。


「……ねぇ、お願いがあるの」

やり場の無い憤りに震える僕に、彼女が話しかけた。


「ね、花火、行かない?」


その日が花火大会だってことを、僕はすっかり忘れていた。

「本当に大丈夫?」

担当医の許可は出たものの、それでも気になって、僕は彼女に問うた。

「うん、…空気感染はしないみたいだから」

「そういう問題じゃなくて、ネコが――、」

彼女に何かあったら。僕はそのときの覚悟が出来ていなかった。いや、するつもりもなかった、といった方が正しいか。彼女が死ぬなんて、そのときもまだ僕には信じられなかった。

「その点は心配要らない。彼女は我々の患者だ。救えもしないのに何を、と思うかもしれないが……全力を持って彼女を守る。無能な私たちの、せめてもの罪滅ぼしだ。」

病室では一切喋らなかった担当医が、代わりに答えた。どこまで本気かは分からなかったが、少なくとも悪い人ではない、ということだけは感じられた。信頼してもよさそうだった。

「ありがとうございます、先生」

屈託の無い顔で礼を言った彼女は、ベッドから起き上がろうとして、よろけた。

「きゃっ!?」

「危ねっ!」

前のめりに倒れこみそうになった彼女の体を、咄嗟に受け止めた。

…軽い。止めようの無い、残酷な何かを感じずにいられなかった。

「まったく…気をつけなよ。ネコって昔からどっか危なっかしかったからなぁ」

泣き出してしまいそうで、でも一番辛いのは彼女自身だと分かっていたから、泣かなかった。緩んだ涙腺をごまかすように軽口を叩く。多分、声は震えていたと思う。けれど、彼女も担当医も、何も言わなかった。

――僕は花火が嫌いだ。終わった後の切なさが嫌だった。理由(わけ)も無く哀しくなって、泣きたくなって。一瞬だけ輝いても、すぐに消えてしまったら仕方ないじゃないか、と。

だから僕は煙草の火が好きだ。大きな炎になることは無いけれど、なかなか消えない煙草の火は、花火とは正逆で、だから僕は、煙草の火が好きだった。





どん、という音が響き、夜空に大輪の花が咲き誇る。全体としてみれば鮮やかなそれらは、一つ一つを見ると、一瞬で消える儚い命の連続であることが良く分かる。けれどそれらは、確かにここに存在したと、強く主張しているようにも見えた。

「私、花火って大好き」

彼女がつぶやく。

「どうして?」

と、僕。

「だって、花火って一瞬だけど、すごく鮮やかじゃない? なんかさ、私、勇気付けられてる気がするんだ。おまえは生きてる、って。他の人より短くても、精一杯輝いて、後悔の無いように生ききればいいんだ、って。」

死ぬつもりみたいなこと言うなよ、と返そうとして、気づいた。彼女が花火に特別な感情を抱くようになったのは、彼女の父が死んでからだ、ということに。つまりそれは、元々は父への鎮魂だったのだろう。お父さんは早くに死んでしまったけれど、その分一度にたくさんの愛情をもらったんだよ、と。それを今は自身に転用しているだけなのだ。

ならば、僕が言うべきは一つだけ。


「ネコは、花火とは違うよ。たとえネコが眠っても、ずっと起きなくなっても、僕の中のネコは絶対に消えない。僕や、ネコのお母さんや、クラスのみんながいる限り、ネコは夜空に飲み込まれたりしない。ネコは、一瞬なんかじゃない」


今でも覚えている。僕の、今思えば少々恥ずかしい、けれど本心だったこの台詞を聞いて、ネコは笑った。まるで人ではない、もっと高位な存在の――そう、月の女神のような笑みだった。


「ありがとう。私、君の彼女でよかった」


そういって、彼女は。

激しく喀血して、倒れた。





結局、そのまま彼女の意識は戻ることなく、逝った。葬式には、僕は出なかった。だって、僕の中の彼女は、まだ死んでなんか無かったから。

それに、ああは言ったけど、人は悲しみを忘れて生きていくものだ。彼女を過去のものにしないつもりなのは、多分、僕と彼女のお母さんくらいだろう。彼女を過去にして忘れる儀式に付き合って、僕が彼女を忘れるのが怖かった。


だから僕は、四十九日を過ぎたころ、墓の前で一人っきりの儀式をしていた。彼女を忘れないための儀式。


そのときのことだ。僕が、喀血したのは。


運ばれた先は、彼女と同じ病院、彼女と同じ病室だった。ただ一つ違うのは、先客がいたこと。彼女の担当医だった男だ。

「これは……彼女の怨嗟かもしれないね。私は、彼女を救えなかったから」

彼の台詞に、僕は首を横に振った。彼女は、ネコはそんな奴じゃない。

むしろそれよりも――


「救い、だと思います。ネコの。」

「救い?彼女は、我々を何から救ったんだい?」


「この時代から、です」





あれから一年。

世界は混沌とし始めた。完治どころか病状の進行を止めることさえ出来ない疫病は、次第に人類そのものを蝕み始めている。

僕はもうすぐ死ぬだろう。これから予想されうる非人道的な医療実験や、暴動、経済の――文明の崩壊。それらが降りかかってくる前に。

彼女は優しくて聡明だから、そうなる前に僕らを招いてくれたのだ。

けれど、それでは彼女を消さないという約束を守れない。だから、僕はこうして書き残している。煙草のように燻り続けてくれるだろう、彼女と僕の存在証明を。


夜空に大輪の花が咲いて――そして、消えた。

花火の終わりには、いつも無常の感傷だけが残る。

終わり


リアル部活で昔書いた作品。処女作だったりします。

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