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血染めの攻略姫  作者: あをい
序章
1/4

目覚めと解放

 脳が、焼けそう…。


 冷たい処置台の上で、少女は意識を取り戻した。鼻を突くのは、カビと鉄錆、そして幾種類もの劇薬が混ざり合った、この忌々しい実験室の臭い。


「……、……ぁがっ…」


 ピンクブロンドの髪が、血と汗で汚れた処置台に張り付いている。


 上から見下ろしてくるのは、白衣を纏った男だ。その手に握られた魔導具が、禍々しい紫色の光を放つ。闇魔法『記憶の深層剥離(ディープ・ピーリング)』。


「ぐ、あ……ぁ、あああ!!」


 脳を直接、熱したナイフで掻き混ぜられるような激痛。

 本来ならとっくに精神が崩壊しているはずだった。だが、イリアには生まれ持った固有能力があった。


 固有能力:『並列思考』


 情報を複数の領域で処理できるその資質が、皮肉にも彼女から「狂う自由」すら奪っていた。


「……さすがは並列思考持ちの吸血鬼だ。通常の検体なら数秒で脳が焼ける負荷にも耐えている。これなら『異界の魂』の定着も時間の問題だな」


 男の冷酷な観察眼が、イリアを人間ではなく「優れた器」として見定めている。


 この閉鎖的な施設で繰り返される、禁忌の実験。異世界の魂を呼び寄せ、その英知を抽出する。その高負荷に耐えうる頑強な吸血鬼の肉体と、記憶の重複による精神崩壊を防ぐ並列思考。彼女は、実験体としてあまりにも「優秀」すぎた。


  *


 何度死を予感しただろうか。

 自死を選んだこともある。

 拘束されたわたしは舌を噛みちぎることくらいしかできないけれど、その程度じゃ生命力の高いわたしじゃ死に切れない。


 今日もまたギリギリ気を失わない程度に変な薬を飲まされて変な魔法を使われるんだろう。


 「被検体"イリア"、始めるぞ」


 白衣を纏った男がそう言うと見慣れた紫色の光が視界を覆う。


 ────。


 地獄のような数時間が過ぎ、いつものペースであれば今日の実験が終わる頃。


「あ、が……あ、あああああ!!」


 処置台の上で、少女の体が大きく跳ねた。


『……、……。プロトコル、精神融合完了。』


 脳内の暗闇に、白衣の男の声が響き渡る。

 今までと何ら変わらない実験だったはずなのに明らかに今までと違う。


脳を焼く激痛の隙間に、覚えのない「異物」が流れ込んできた。


(――なんだ、これ。エラーか? ラグが酷すぎる……!)


 脳内に響く、男の声。それは白衣の男のものではない。もっと若く、冷めていて、それでいて生存への執着に満ちた、誰かの「思考」だ。


『……っ、だれ……? わたしの、なかに……』


(おい、なんだよこの状況……っ! さっきまで格ゲー(バーストファイター)の大会でバトってたはずじゃ……、分かんねえけど、このままじゃ……このままじゃ終わる。死ぬのか? 俺が? こんなところで!?)


"誰か"の叫びが、イリアの『並列思考』の領域に強引に割り込む。


イリアは驚愕した。今までどれほど願っても訪れなかった「死」が目前にあるというのに、この入り込んできた魂は、全力で「生」を掴もうとしている。


『……お願い、異界の方。……わたしを、飲み込んで……』


 それは、イリアが絞り出した最期の、そして呪いのような願いだった。

 この地獄で削られ続けた自分という存在を、異界から来た強固な魂に「捕食」させ、跡形もなく塗り潰してほしかった。


(……は? 飲み込む? 待て、何なんだよこれ、意味が――!)


 異界の魂の戸惑いが抜けぬ間に、精神の境界線が淡く崩れ始めた。

 深く、暗い海の底で、冷え切った二つの魂が互いの温度を求めて混じり合うように――


 光を失ったイリアの絶望という「影」に、異界の魂の剥き出しの生への執着という「光」が吸い込まれ、混濁し、一つの渦となっていく。


 ──。


 これまで彼女を苛んでいた猛烈な激痛が、嘘のように遠のいていく。

 代わりに訪れたのは、深海のように静かで、凪いだような静寂。


 異界の魂の記憶から漏れ出た「異世界の風景」が、イリアの『並列思考』という器に万華鏡のように映し出される。色鮮やかな街並み、光る石版、そして彼が命を懸けて挑んできた「勝負」の熱狂。

 それらの情報が、少女の空っぽだった心に、淀みなく満ちていった。


ドクン、と心臓が一度、大きく脈打つ。


「おい、どうした……? 反応が消えたぞ!?」


 白衣の男が、焦って顔を覗き込むと同時にイリアは、ゆっくりと目を見開いた。


 真紅の瞳。


 けれどそこには、先ほどまでの「死にたがりの少女」の弱さはもうない。

 異界の魂という新しい核を得て、少女の肉体は、生き残るための進化を果たしたのだ。


「……、……。……あたたかい」


 少女の唇から、一切の抑揚がない、けれど凛と響く声が漏れる。


「あたたかい」と呟いた少女の瞳には、もはや白衣の男を恐れる色はなかった。


(………。)


 異界の魂が培った勝負師の感覚が、白衣の男の重心、呼吸、指の動きを瞬時にフレーム単位で切り分ける。それを『並列思考』が拾い上げると同時に最適な魔法を構築する。


「おい、何をブツブツ言っている! 異界の知識を吐き出せ、イリア!」


男が、無防備に手を伸ばし、イリアの細い肩を掴もうとした。

──その時。


 イリアの『並列思考』が、異界の魂の「最適解」を物理現象へと変換した。


「……」


 少女が、小さく指を弾く。


処置台にこびり付いていた彼女自身の血が、重力を無視して一閃した。

 それはイリアが脳裏に描いた軌跡に沿って、空中で鋭利な紅い結晶の刃へと姿を変える。


「なっ……」


 男が驚愕に目を見開く暇すらなかった。

 真紅の刃は、吸い込まれるように男の喉元を横一文字に切り裂き、そのまま背後の石壁に突き刺さった。

 カチリ、と硬質な音が実験室に響く。


「……ッ、が…………あ、……」


 男は自分の喉を両手で押さえ、言葉にならない喘ぎを漏らす。

 指の間から溢れ出すのは、彼が今まで弄んできた少女と同じ色の鮮血。

 

 少女は無表情のまま、音もなく処置台から床に降り立った。


男が崩れ落ち、静寂が戻った室内で、研ぎ澄まされた聴覚が、廊下の奥から近づく足音を捉える。

 男が死に際に漏らした呻きか、あるいは魔法の発動による魔力の乱れを察知したのか。


「おい、被検体の様子はどうだ。……なんだ、この臭いは!」


 扉が開き、二人の白衣の男が中を覗き込む。彼らの目に映ったのは、喉から血を噴き出して転がる同僚と、返り血を浴びて佇む少女の姿。


「なっ……貴様、何を――」


 男たちが腰の魔導具に手を伸ばすよりも早く、イリアの指先が動いた。

 壁に突き刺さっていた血の刃が、彼女の意思に呼応して「逆行」する。


真紅の刃が背後から男の一人のうなじを貫き、弾丸のような速度でイリアの手元へと戻る。

 もう一人が絶叫を上げようと口を開いた瞬間、イリアは無造作にその男の顔面を掴み、処置台へと叩きつけた。


「ぐっ、あ……!?」


 吸血鬼の剛力。男の鼻骨が砕ける鈍い音が響く。


廊下へ出ると、そこには既に異変を察知した男が待ち構えていた。

 他の白衣たちとは明らかに違う、実戦慣れした構え。男は抜剣すると同時に、魔力を帯びた重厚な一撃を叩きつけてきた。


「化け物め、大人しく器らしくしていれば楽になれたものを……!」


 凄まじい風圧。だが、イリアはそれを紙一重の最小動作で回避する。


男の剣が空を切った刹那。

 イリアは自身の周囲に浮遊させていた血の結晶を、五つの「杭」へと再構築して放つ。


「なっ、ぐあぁぁぁ!!」


 男の四肢、そして心臓の横を、紅い杭が寸分の狂いなく貫通する。

 男は、自分が何に敗北したのかすら理解できぬまま、石壁に釘付けにされた。

 残りの研究員たちは、もはや戦う意志すら失い、腰を抜かして震えている。

 イリアは彼らを一瞥もせず、ただ最短距離で出口へと進み続けた。


重厚な石造りの扉を突き破り、外の空気に触れた瞬間。

 

 頬を打ったのは、実験室の腐った臭いではなく、夜の森の冷たくて清々しい風。

 

 月明かりの下、ピンクブロンドの髪をなびかせた少女は、血に濡れた己の両手を見つめ、静かに呼吸を整えた。


 ─その時、ドッと疲労感がイリアを襲う。急速に視界が歪み、足取りが重くなる。


 極限まで削られた肉体に、無理やり異界の魂を定着させ、さらに並列思考と魔法を使った代償は重かった。

 

 追手が来る前に。


 彼女は本能に導かれるまま、深く険しい森の奥へと這い進んだ。


 やがて、斜面に隠れた小さな岩穴を見つけ、その中に滑り込むように身を投げ出す。

 カビ臭い土の匂い。けれど、あの実験室に比べれば天国のような安らぎだった。


「……、……あ」

 

 襲ってきたのは、耐え難いほどの寒さと、猛烈な睡魔だった。

 彼女は、血と泥に汚れた自分の体を小さく丸め、そのまま意識を深い闇へと沈めていった。


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