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コハク鉱石輸送隊

 コハク鉱石採掘場があるガンム・トリムカンドは、アルフ、ベクタよりも二ギールほど回廊を先に進んだ、半島のように大陸が突き出している場所にあった。ベクタ・トリムカンドの大門よりも四十メルほど高い位置にある。

 コハク鉱石採掘場は横幅四分の一ギール、奥行き三ギールという細長い形をしていて、天井の高さは僅か五メルほどしかなく、頭上の岩に圧し潰されそうに感じられる。何となく息苦しい気がするのは、淀んだ空気のせいだけではないようだ。三ギール奥にある実際の採掘現場は、直径二メルの円筒状の中心横抗の左右に、幾つにも枝分かれして網の目状に坑道が掘られていた。

 コハク鉱石採掘場の内部は、ベクタ・トリムカンドの市街地と同じように、所々に掘り残された岩の支柱が整然と並んでいた。中央に鉱石の運搬用の通路があり、通路に沿ってオニシダの枝を組み合わせた骨組みに、分厚いオニシダの板を打ち付けた頑丈な倉庫兼居住区が立ち並んでいた。中央通路にはリマに引かれた荷車が行き交っていて、ガラガラという車輪の音やカツカツというリマの蹄の音にヒトの怒鳴り声が混じり合い、それが人工洞窟内に反響して、中央通路は耳を覆うほどの喧騒に満ちていた。

 ギギルとシンは中央通路の端を出口に向かい、一ギールほど歩くと、ふたりの目の前に二階建てのコハク鉱石採掘場の管理役場が現れた。管理役場は立方体状に切り出した黒砂岩を積み上げた堅牢な造りで、クロム製の入口の扉は銀色に光っている。管理役場の先は外の回廊に通じる通路で、四分の一ギール先にはガンム・トリムカンドの大門が見えている。

 管理役場の入口の前には一メルほどの長さのオニシダの枝の警棒を持った戦闘種のオトコが立っていた。警備員だろう、背丈はギギルよりも大きい。ギギルとシンが管理役場に入ろうとすると、警備員がふたりの行く手を塞いだ。警備員は胡散臭そうな目でギギルとシンをジロリと見ると、ぶっきらぼうに言った。

「勝手に入るな。入鉱区許可証か身分証明書を見せろ」

 ギギルは両手を上げて害意がないことを示しながら、首を横に振った。

「どっちも持っていない。俺は何回もここの鉱石輸送隊の護衛で雇われたことがあるし、二トング前にも雇われたが、これまで許可証なんて言われたことはなかったぞ」

 警備員はフンと鼻で笑った。

「状況が変わったんだ。タチの悪いゴロつきが管理役場にまで押し入ってきてから警備が強化された。鉱石輸送隊の護衛の口なら、ここじゃなくて輸送隊本部に回れ。隣の建物だ」

 警備員はあごをしゃくって隣の建物を示すとふたりから離れた。ギギルが右手を軽く上げて「ありがとよ」と言ったが、警備員は管理役場の入口の前に立ったまま返事もしない。きっと、虫の居所でも悪いのだろう。

 管理役場の隣には平屋建ての建物があり、その横の広場には幌の付いた大型の荷車が五台並んで止められていた。広場の奥には粗末な造りの畜舎があって二十頭ほどのリマが繋がれていた。リマたちはのんびりとホシクサを食べている。

 ギギルとシンが輸送隊本部の建物の中に入ると、腰の高さほどの細長い机で仕切られた事務室の中から、しわがれて甲高い労働種のオトコの怒鳴り声が聞こえてきた。怒鳴っているのは輸送隊本部の副支配人のタルマンだ。ギギルよりも二十トングほどトシが上だろう。細長い机の前ではふたりの戦闘種のオトコが首をうなだれて立っていた。タルマンはしゃくれた顎を左右に振りながら、禿げ上がった頭の下についたギョロリとした大きな目を見開いて目の前のふたりのオトコを睨みつけていた。こめかみに浮き上がった血管が今にも切れそうにドクドクと脈打っている。

「またやられただと! お前たち、これで何回目だ!よくノコノコと帰ってこられたもんだ。でっかい図体して・・・マッタク・・・木偶の棒が!それで報酬をよこせだと・・・よくそんなことが言えたもんだ」

 背の高い方のオトコがオズオズと顔を上げて弁解するように言った。

「そんなこと言ったって仕方ないだろう。あんなに大勢で剣を振り回すんだぜ。こっちだって殺されちゃあかなわない。俺にだってカミサンもコドモもいるんだ」

「大勢って、いったい何人いたんだ」

「いやそれは・・・十人ぐらいかな・・・」

 タルマンが眼を剝いた。

「十人だと!」

「いや・・・七人・・・五人・・・確か、四人だったかな・・・」

 オトコは目を伏せると、最後の方は消え入りそうに小さな声になった。それに合わせるように、オトコの身体も少し縮んだようだ。

「四人! たったの四人を相手にして、お前たち護衛ふたりと御者と荷下ろし人足を合わせた四人のオトコが、何も抵抗せずに『はいどうぞ』とコハク鉱石を渡したってことかい」

「御者と人足は直ぐに逃げたから、残ったのは俺たちふたりだけなんだ。やつら狂ったように剣を振り回すんで危ないんだ」

「危ないから護衛を雇っているんだろうが!」

 タルマンの顔は怒りでどす黒く変色し、これ以上口を開くと卒倒しかねない。ギギルは笑いながらタルマンに近寄った。

「タルマン、そんなに怒っちゃ身体によくないよ」

「何を!・・・お前は・・・ギギルか?ギギルだ。何だこっちへ帰ってたのかい。そうなら顔を出せよ」

 タルマンは罵声を浴びせかけていたふたりに向かって二枚の五十シリカ玉をポイと放り投げると、もう用はないと言わんばかりにシッシッと掌を振ってふたりを追い払った。

 タルマンはさっきまでの鬼のような形相とは打って変わって、しわだらけの顔に笑みを浮かべながらギギルとシンの前にやってきた。

「ギギル、久しぶりだな。最後の仕事は二トング前だったか?」

 ギギルも髭面を歪めてニヤリと笑い返した。

「ああ、あれから暫く下層帯の方を回っていたんで、トリムカンドに戻ったのはついさっきだよ」

「まだ奥さんと卵の仇を探しているのか」

「それが俺の使命なんでね、必ず探し出して見せる。・・・それよりも護衛の仕事の口はあるかい。仇討ちの旅といっても食わなきゃならんのでね」

 タルマンは待ってましたと言わんばかりに頷いた。

「大ありだとも。最近はさっきのやつらみたいな役立たずの護衛しかいなくて困っていたんだ。コハク鉱石の値が上がっているから、それを狙うゴロツキが後を絶たんのだ。半トング前には、何とこのコハク鉱石採掘場にまで押し入ってきて、管理役場が襲われて二十万シリルも強奪された。そのおかげで警備も厳重になって、コハク鉱石採掘場に入るのに入鉱区許可証や身分証明書を持ち歩かなきゃいかんようになった。お前たち入鉱区許可証は?」

「俺たちが持っている訳がないだろう」

 ギギルが肩をすぼめると、タルマンは首を傾げた。

「それじゃあどうやってここへ入ってこられた?入口の大門の脇に検問所があったろう」

「コハク鉱石採掘場の奥にある、ベクタ・トリムカンドの飲食街に抜ける近道だよ。知ってるだろ?そっちには誰もいなかったぜ」

 タルマンのしわだらけの顔が、苦虫を嚙み潰したように歪んだ。

「マッタク、警備局のやつらは何をやっているんだか。ここの警備は穴だらけじゃないか。・・・まあいい、入鉱区許可証は儂が発行してやる。トキオンやガンデラのコハク鉱石関係施設でも使えるだろう。ところで、そっちの若いヒトはギギルの連れか?」

「ああ、シンと言うんだ。俺の命の恩人でね、ここんとこ一緒に旅をしている。こいつは巡礼者だよ」

「シンといいます。よろしくお願いします」

 シンがペコリと頭を下げた。タルマンは値踏みするような目でジロジロとシンを見た。

「儂はタルマンだ。輸送隊本部の副支配人をやっとる。それで・・・シンも護衛につくのかい。ヒョロヒョロとした身体をしているが腕は立つのか?」

 ギギルが違うと首を横に振った。

「護衛は無理だが一緒に旅しているんでね。荷車の空いている所にでも乗せてもらいたい。護衛は俺に任せろ」

 タルマンの眉間に刻まれていたしわがようやく消えた。

「分かった。まあ見張りぐらいはできるだろう。よし、決まりだ。ちょうどアシタ、トキオンまで出発する鉱石輸送隊がある。出発はアシタの日の出時だ。日の出時の一カクン前に本部横の広場に集まってくれ。キョウのヨルはここの宿泊所に泊っていいぞ」

「了解。助かったぜ」

 タルマンが発行してくれたふたり分の入鉱区許可証を受け取り、ギギルとシンが輸送隊本部の建物を出たトキには、既に日の入り時を迎えていた。

 輸送隊本部の横の広場を抜けると、畜舎の隣に傾いた宿泊所があった。近づいてよく見ると、オニシダの大きな枝を組み合わせて外枠を造り、それにチウシの革を壁代わりに貼り付けただけの簡易な建物で、壁の所々に通気用の穴が開いていた。中に入ると大きな梁と梁の間にワタスゲの毛を紡いだ糸をより合わせて作った寝袋が二十ほど並んでぶら下がっていて、四人が横になっていた。建物の真ん中には石を積み上げた炉があり、その上に大きな寸胴の鍋が置かれて中から湯気が上がっていた。炉の横の粗末な椅子に腰掛けて、炉の中の炎を見ていた戦闘種のオトコがゆっくりと顔を上げてシンとギギルを見た。オトコはタルマンと同じくらいのトシだろう、左足は太ももの途中から先がなくオニシダの枝の義足が付いていた。

「よう、アベル爺さん。まだ生きてたか」

「オッ? ギギルか。久しぶりだな。お前こそよく生きてたな」

 アベルと呼ばれたオトコは、ギギルの声に笑って頷くと、炉のそばの椅子を指差した。

「まあ、掛けな。鍋の中はリマ肉の煮込みだ。腹が減っているなら適当に食べればいい」

「ヴォルト(火酒)を仕入れてきたんだ、こいつで一杯やろうぜ」

 ギギルとシンはアベルの前の椅子に腰掛け、ギギルがアベルにシンを紹介した。ギギルは上着の下に肩から下げていたチウシの胃袋で作った水筒を取り出し、手近にあった三つの椀にヴォルトを注いだ。

「とりあえず、再会に乾杯」

 ギギルはそう言うと、持っている椀を目の高さまで掲げてから、椀の中のヴォルトをガブリと飲んだ。つられてシンが椀の中のヴォルトをゴクリと飲み、途端に喉を抑え目に涙を浮かべてゴホゴホとむせ返った。アベルはそれを見てニヤリと笑ってからヴォルトをちびりと舐めた。

 アマヨモギの煮汁を発酵させたヴォールという発泡酒を、更に煮詰めて造るヴォルトは『火酒』という名前のとおり非常に強い酒で、普通はシリカバチの蜜を加えて、それを水かチウシの乳で薄めて飲む。ヴォルト自体にはほとんど味が付いていないが、口に含むとアマヨモギのほのかな甘みが喉の奥に感じられる。ギギルはこのヴォルトに目がないのだ。

 炉の中の炎がユラユラと揺れて、アベルの痩せて貧相な顔を照らしている。鍋の中のリマ肉の煮込みがコトリと音を立てた。リマ肉の甘い脂の匂いが漂っている。

 アベルはしわがれた声を出した。

「どうしたぃギギル、また護衛の仕事に舞い戻ったか」

「ああ、飯を食わなくちゃいけないからな。金を稼いでからまた旅に出る。今度はこのシンと一緒に上層帯に行って見る」

「まだ探しているのか」

「俺は絶対に諦めないぜ。必ず探し出してケリをつけてやる」

 ギギルはヴォルトの入った椀を右手の掌の中で器用にクルクル回しながら、炉の中の炎をジッと見つめていた。いつものギギルとは違う厳しい顔をしている。その横顔に向かってシンが尋ねた。

「何か込み入った話のようだけど・・。ギギルが探しているというのは誰なんだい。先程のタルマンさんは仇だと言っていたけど・・・」

「そうか、シンにはまだ話してなかったな・・・」

 ギギルはそう言うと、椀の中のヴォルトを一口飲んで口を湿らせた。

「俺は上層帯にあるコルトバンという街で生まれた。親父は傭兵だったらしいが、俺が卵から出てきて三ギグほど過ぎた頃に、酒場での喧嘩に巻き込まれて殺されたらしい。それ以降はお袋のサユミが俺を育ててくれたが、酷い貧乏でね。戦闘種の俺が、比較的手取りのいい軍人を選んだのはそのためだ。俺はその街で軍人として訓練を受け、コルトバン軍の司令部で働いていた。妻のリリカと出会い、結婚して三トング目にリリカが妊娠した。

 そろそろリリカのお腹の中から卵が出てくるという頃に、俺は軍の演習で一ギグ(一ギグ=四十カイン。一月に相当)ほど家を留守にしたんだ。俺の留守中にリリカが無事に卵を産んだと演習先に連絡があった。演習から帰って家の扉を開けると黒い服を着て頭巾を被った大きな戦闘種のオトコの背中が見えた。その向こうに血まみれで倒れている妻のリリカと無残に割られた卵があった。

 何があったのかは分からない、ただリリカと卵がそいつに殺されたことは確かだった。俺は剣を抜いてそいつに切りかかったが、そいつは恐ろしく腕の立つやつで、振り向きざまに振るったそいつの剣で俺の左手は切り飛ばされた。俺はそいつに突き飛ばされて壁で頭を強く打ち意識を失った。血まみれのリリカの姿と割れた卵、やつの黒い背中とやつの左手首に光る金色の腕輪しか覚えていない。それ以来、俺はリリカと卵の仇を探して旅をしているのさ、もう十トングになる」

 ギギルは遠くを見るような目をしてフウと息を吐いた。

「それだけじゃ手掛かりは何もないのと同じだね」

「まあな。だが左手首の金色の腕輪は、この大陸の最上部に住むと言われている女王の密使である『監督使』の印であることは間違いない。監督使はこの大陸のどこかの街に派遣されて『女王の耳』から届けられる情報を集約して女王に送るんだが、その他に女王にとって都合の悪いやつを暗殺する任務を負っているんだ。噂じゃ産まれてきた次の女王候補者を暗殺する任務も負っているらしい。いわば女王の放った暗殺者だな、凄腕のはずだ。俺はその監督使の印を手掛かりにして仇を探しているのさ」

 シンは半信半疑という顔をしている。

「女王とか監督使とかいうのは本当にいるのかい。私の生まれた下層帯じゃ伝説の類としか思われていないけど」

「本当にいるとも。俺の左手のカギ爪、そう、監督使に切り飛ばされた左手首がその証拠だ」

 ギギルはそう言うと、左手のチウシの革の分厚い手袋を外してカギ爪を見せた。炉の炎を反射してカギ爪がギラリと光った。

「このカギ爪でいつかその仇を切り裂いてやる。それだけが俺の生きがいなのさ」

 ギギルは左手に手袋を嵌めた。シンは何も言えずにギギルの左手の手袋を見つめている。ギギルは吹っ切るように椀の中のヴォルトをガブリと飲み干すと、チウシの胃袋の水筒を掴み上げ、再び椀の中にヴォルトを注いだ。

「ところでアベル爺さんよ。ここのところ鉱石輸送隊が頻繁に襲われているそうだが、いったいどうなっているんだ。警備隊は出てないのかい」

 アベルは水晶から削り出した煙管にヤニクサの葉を詰め、炉の火を付けるとスウッと吸い込み、プカリと紫色の煙を吐いた。

「たちの悪いゴロツキの集団らしいが、戦闘種で相当腕が立つらしいぞ。主な構成員は四人で、その他に助っ人みたいなのが何人か加わることもあるそうだ。だがな、ゴロツキ連中だけなら一回や二回の襲撃で終わるはずだ。ゴロツキどもには大量のコハク鉱石を売り捌く伝手がないからな。これだけ頻繁に鉱石輸送隊を襲うとなると、トキオンかガンデラの鉱石商人が裏にいるとワシは睨んでいる。上層帯ではコハク鉱石不足でコハク鉱石の値が相当上がっているそうだからな。それとガンム・トリムカンドのコハク鉱石採掘場の管理役場にもそいつらの仲間がいるはずだ。警備隊が巡回する日程と行程が漏れていて、警備隊はいつも空振りだ」

 ギギルは指で顎を擦りながら頷いた。

「なるほどね・・・こりゃ気を引き締めて行かなきゃならんな」

「ギギルはいつの便の護衛だ?」

「アシタだ。日の出時に出発、その一カクン前に集合だ。アシタは早いからそろそろ寝るか」

 ギギルがシンを見ると、シンは一杯のヴォルトで酔いつぶれて寝ていた。


 日の出時の一カクン前に、ギギルとシンは輸送隊本部の横の広場に立っていた。広場には幌の掛けられた三台の荷車が並び、それぞれの荷車にはリマが二頭ずつ並んで繋がれていた。コハク鉱石の入った長さ一・五メル、幅と高さが半メルの、オニシダの幹をくり抜いて作られた箱が、荷車に十箱ずつ合計で三十箱積まれていた。箱の蓋には管理役場の仰々しい印を押した封かんが貼られている。各荷車には労働種の御者ひとりと荷下ろし人足ひとりが既に乗車して護衛を待っていた。

 輸送隊本部から副支配人のタルマンが書類を持って出てくると、積荷の封かんと書類を突き合わせて最終確認をしてから、ギギルとシンの方に向かって歩いてきた。

「おはようさん。キョウの鉱石輸送隊は荷車三台、行先はトキオンの街の中央鉱石市場、積荷はコハク鉱石三十箱だ。護衛は四人、それと同乗者ひとり。輸送隊の隊長はギギルがやってくれ。残りの護衛はこいつらだ」

 タルマンが後ろを振り返ると、輸送隊本部でタルマンから罵倒されていた役立たずのふたり組とアベルが立っていた。

「背の高い方がカイン、背の低い方がレイン、こいつらは兄弟だ。それとアベル。ギギルはアベルとは何度も組んでいるよな。まあ、よろしく頼む」

 ギギルは相棒となる護衛の顔ぶれを見て目を白黒させている。

「アベル爺さん、その足でまともに動けるのか」

「任せろギギル、まだまだ若いもんには負けんよ。それに、ワシも食わなきゃならんのでな」

 アベルはニヤリと笑って酒臭い息を吐き、カインとレインはよろしくと言ったきり神妙な顔をして下を向いている。兄弟だけあって金壺眼とがっしりと張った顎がよく似ていた。ギギルがギロリとタルマンを睨んだ。タルマンは素知らぬ風であさっての方を向いている。

「ああ、日の出時じゃな。それじゃあ出発してくれ。ギギル、よろしく頼む。すまんな、なにせ人手不足なもんでな・・・人手不足はつらいな、うん、本当につらい・・・」

 タルマンはそう言いながら片手を上げて挨拶すると、やはり気が引けるのだろう、そそくさと輸送隊本部の建物に入って行った。その姿を見てギギルはフンッと鼻から息を出すと、仕方ないと首を振った。役立たずばかりが集められたようだが、こうなった以上、この顔ぶれで任務を全うしなければならない。

「よし、出発だ。俺とシンは一番前の荷車、レインが真ん中の荷車、アベル爺さんとカインは最後尾の荷車だ。何かあれば角笛で合図しろ。見張りを怠るなよ」

 ギギルはそう言うと遮光眼鏡を掛け、鼻と口を覆うために襟巻を引き上げた。

 四人の護衛とひとりの同乗者を乗せた鉱石輸送隊が、ガンム・トリムカンドの大門を潜り抜けた。目指すは二バール先にあるトキオンの街の中央鉱石市場、到着は四カイン後の日の入り時の前の予定である。


 緩やかな勾配の上り道が延々と続いている。大陸の壁面は波のように大きくうねっていて、そのうねりに沿って回廊も左右に曲がっているので、容易に前方は見渡せない。回廊の左側は切り立った大陸の壁面であり、右側は大陸のはるか下に広がる液化瓦斯の海に落ち込む果てしない深淵の崖である。柱のような大陸の外周に刻まれた回廊であるということは、今いる地点の上方と下方にも回廊が通っているはずだが、どちらも遠すぎて見えない。大陸の壁面は硬い岩石でできているが、力を入れるとウロコ状にパラパラと剥がれてしまうため、大陸の壁面を垂直に上ったり下りたりすることはできなかった。また、大陸の内部には所々にとても硬い岩盤層が縦横に走っているため、隧道を掘って大陸の内部を貫通する道を作ることもできなかった。ヒトが街から街へ移動するためには、この大陸の周囲に刻まれた回廊をひたすら進むしかないのだ。

 トリムカンドからトキオンまでの回廊は荷車がすれ違えるほどの道幅があり、荷車が走り易いように路面も整備されていた。回廊には大きな荷物を背負って歩くヒトや、小さな荷車を引いたヒトが往来していて、時折トキオン方面から下ってくるリマに引かれた荷車とすれ違った。二頭のリマが引く荷車はヒトの駆け足程度の速度で回廊をゴトゴトと進む。リマの首に下げられた鈴玉がシャンシャンと音を立てている。荷車の前に設けられた御者台に御者が座り、時々細いシダタケの枝で作った鞭でリマの尻を叩いている。ギギルとシンも御者台に並んで座り、ゆっくりと流れて行く景色を見ていた。

 トリムカンドを出発して三カイン目に入り、行程は丁度残り半分となっていた。キノウのヨルは回廊にある小さな宿場街ガルンドで宿泊し、キョウは日の出時にガルンド出発したのだ。出発から既に四カクンが過ぎ、昼食時が近づいていた。

「そろそろ昼食にするか。そこの水場で止めろ」

 ギギルが百メル先の水場を指差した。

 回廊には所々に壁面から水の染み出している場所があり、そこに水場が設けられていた。壁面から滴り落ちる水は、大きな岩をくり抜いて造られた水瓶に溜められていて、その水は回廊を通行するヒトは誰でも利用することができた。水場の周りには壁面を削って造られた二十メル四方の空き地があり、荷車を止めて簡単な煮炊きができるように、石を組んだ粗末な炉もあった。日の入り時までに宿泊できる街までたどり着けない場合は、この水場でヨルを明かすことになる。

 水場の空き地に三台の荷車を並べて止めると、ギギルたちは炉の近くの岩に腰掛けた。御者がリマにホシクサと水を与えている。水場の水瓶から溢れた水が小さな流れとなって回廊まで流れ出していた。その流れに沿って深緑色で膝の高さほどの植物が群生していた。葉の大きさはヒトの掌ほどで、所々に小さな白い花をつけている。シンはその植物に気付くと、足元が濡れるのも気にせずに嬉しそうに葉を摘み始めた。小さな手提げ袋がすぐにいっぱいになった。シンは手提げ袋を持ってギギルの隣に腰掛けた。

「ギギル、いいものを見つけたよ。ほらクロドクダミだ」

 シンはそう言いうと一枚の葉っぱを軽く手で揉んでからギギルに渡した。ギギルは受け取った葉っぱの臭いを嗅いで鼻をつまんだ。

「ウプッ、酷い臭いだ、鼻の奥が痺れるような感じがする・・・シン、これが熱で倒れていたときに俺が飲んだ薬湯の元かい。まあ、効能は確かだよな」

「葉っぱの繊維を潰さなければ臭いはしないので、上着の内側の小物入れにでも入れておくと何かと重宝するのさ。私はこうやって袋に入れて首から下げているけどね。煎じることができなければ、このまま口に入れて噛んでもいいんだ。皆さんもどうぞ」

 シンはそう言うとクロドクダミの葉を全員に配った。

「それじゃあ、チャルを淹れようか」

 シンは炉で火を焚いて、鍋を掛けるとチャルを淹れた。

 ギギルはシンと並んで座ると、小刀の先に差したククを火で炙った。表面がとろりと蕩けたククを一口大に丸めて口の中に押し込み、モグモグと咀嚼して口の中にククの甘みが広がったところで、椀のチャルを啜る。シンは小さくちぎったククを椀の中のチャルに浸して口に運んでいる。ククの食べ方もヒトそれぞれなのだ。

 アベルは左足の義足を投げ出すように前に出して岩に腰掛け、懐から水晶を削って作った煙管を取り出すとヤニクサを詰め、炉の火を付けると美味そうに紫煙を吐き出した。

 カインとレインは炉を挟んでギギルと反対側の岩に並んで腰を掛け、下を向いて神妙な顔つきでチャルを啜っている。

 ギギルは遮光眼鏡を掛けたままで、みんなを見渡した。

「さて、飯も済んだし、そろそろ出発するか。みんな分かっているだろうが、ここからが正念場だ。ガルンドの街で仕入れた情報だと、この先のナナ崩れ平原からアカカベを抜けて次の宿場街リトまでの四分の一バールの区間が盗賊団の最も出没する場所らしい。ここは大陸の壁面が大きく崩れて回廊の幅が広がっていて、場所によっては幅が五ギールもあるし、所々に崩れ残った岩山が点在していて隠れるところに事欠かない。とにかくここを全速力で走り抜けて、日の入り時の前にリトの街にたどり着くぞ。警戒を怠るな」

「もし、盗賊団が出たらどうする。この荷車でリトまで逃げ切れるかな」

 カインが青白い顔をして聞いた。

 ギギルは長靴の底で地面をザッと平らにならしてから、荷車に見立てた三個の小石を地面に並べた。

「重い荷物を積んでいるんだ、逃げ切れる訳がない。盗賊団が出たら三台の荷車をこういう風に三角形に並べて簡易砦を作り、その中にシンと御者と人足を入れる。俺とカインとレインは砦の外で盗賊団を迎え撃つ。アベル爺さんはその脚だから簡易砦の中に入って、シンたちを守ってくれ」

「任せろ。こんな脚じゃが、まだ若いもんには負けんぞ」

 アベルは口から煙を吐きながら右手の親指を立てた。カインとレインは何も言わず眉をひそめて顔を見合わせた。このふたりはどうも最初から腰が引けているようだ。これではタルマンに怒鳴られるのも無理はない。ギギルが凄みのある声を出した。

「ひとつ言っていくが、俺が輸送隊の隊長で護衛する以上、俺の指示に従ってもらう。勝手に敵に背を向けて逃げるようなことをしたら、俺が叩き切るからな」

 ギギルの右手が、脇に置いてある長剣をガチャリと叩いた。ギギルがカインとレインを遮光眼鏡の中から睨みつけると、ふたりは怯えたように頷いた。


 ギギルたちを乗せた鉱石輸送隊の三台の荷車は、ナナ崩れ平原の中をクネクネと曲がりながら延びる回廊を全速力で走っていた。御者が容赦なく振るうシダタケの鞭を受けて、荷車に繋がれたリマたちは首を左右に振り、口に泡をためながら必死で荷車を引いている。リマの首から下げられた鈴玉が狂ったようにシャンシャンと鳴り、車輪が立てるガラガラという音と、回廊が左右に曲がる度に車体が上げるギシギシという音が平原にこだましている。この速度ならリトの街までの四分の一バールの距離を約三カクンで走り抜けられるだろう。日の入り時よりも少し余裕をもってリトの街に到着することができるはずだ。

 昼食後に走り出してから一カクンが経過した。そこはナナ崩れ平原の丁度真ん中で、回廊の幅が五ギールもある広々とした岩の平原となっていた。平原には牙のような細長い円錐形をした灰色の岩柱が林立していた。岩柱の太さや高さはバラバラで、周囲が二メル、高さ四メルほどの小さな岩柱もあれば、周囲が四百メル、高さ三百メルという小山のような岩柱もあちこちに点在していた。岩柱は途中で折れているものや根元から倒れているものもあり、それらが平原に折り重なり相互に絡み合って複雑な網目模様を描いていた。これらの岩柱の間を縫うようにクネクネと曲がりながら、時折道路の上に覆いかぶさるように倒れている岩柱の下を潜り抜けるようにして回廊が続いている。

 周囲が二百メルほどの大きな岩柱の根元に沿って、回廊が左に曲がった場所をギギルたちの鉱石輸送隊が抜けると、岩柱の陰から六頭のリマが回廊に飛び出した。リマにはチウシの革で拵えた鞍が付けられていて、六人の戦闘種のオトコが乗っていた。リマの身体が上下する度に、オトコたちの腰に佩かれた剣がガチャガチャと音を立てた。

 最後尾の荷車に乗るアベルが盗賊団に気付き、慌てて角笛を吹き鳴らすと、ボウウボウウという音が平原にこだました。角笛の音に気付いたギギルは、後方を振り返り盗賊団の姿を確認すると、髭面を歪めて不敵に笑った。

「おいでなすったか。おい、荷車をその先の空き地に止めて、俺が言ったように三台で簡易砦を作れ。シンは御者と人足と一緒に中に入っているんだ。いいな、アベル爺さんの指示に従うんだぞ、無茶はするな」

 御者はギギルの指示に頷くと荷車を空き地に突っ込んだ。残りの二台も後に続くと、荷車は空き地の真ん中で三角形を形作るように止まった。御者は荷車が止まり切らないうちに御者台から飛び降りると、簡易砦の中にできた三角形の地面にうずくまって頭を抱えた。残りの荷車からも御者と人足が飛び出して、同じように地面にうずくまった。シンは、地面に片膝を突いて、荷車の車体の下から簡易砦の外に目をやっている。

 最後尾の荷車の御者台の上から、アベルが颯爽と簡易砦の中に飛び降りた。着地と同時にボキリという音がして、アベルの義足が折れた。アベルは頭から地面に突っ込むと、そのまま地面に倒れ込んで動けなくなった。

「アベルさん」

 シンがアベルに走り寄る。呻き声を上げながら上体を起こし、地面に胡坐をかいたアベルが、忌々しそうに左足を叩いた。

「クソッ、義足が折れちまった。チクショウ、こんなときに。面目ない・・・こんなことなら、金をけちるんじゃなかったわい」

 アベルの様子を確認したシンは、荷車の下を潜って簡易砦の外に出ると、ギギルに声を掛けた。

「ギギル、アベルさんの義足が折れて動けなくなった。こうなったら私も何か手伝うよ」

 ギギルが荷車の下から簡易砦の中を覗き込むと、地面の上に胡坐をかいたアベルが両手を合わせて「ギギル、すまん」と謝っている。ギギルはヤレヤレと首を横に振った。

「シン、中途半端な手伝いは足手まといになるし、怪我のもとだ。気持ちだけもらっとくよ。ひとつ言っておくが、もし、俺がやられて盗賊団に砦を破られたら、絶対に抵抗するな。そのときは鉱石をくれてやって命だけは守るんだ、いいな。アベル爺さんにもそう言っといてくれ」

 ギギルはシンの肩をポンと叩くと、最後尾の荷車の前に走り出た。カインとレインがボンヤリと並んで立っている横にギギルが走り寄ると、カツカツと蹄の音を響かせながら六頭のリマに乗った盗賊団が空き地に走り込んできた。ギギルは肩から下げている長剣を外し、左わきに鞘を挟んで右手で剣を抜くと、鞘を地面に落として荷車の下に蹴り込んだ。ギギルは腰の後ろにも短剣を斜めに差している。ギギルの姿を見て、カインとレインもはじかれたようにそれぞれ剣を抜いた。

「ギギルさん、やつら六人もいますよ。この前よりふたり増えています」

 カインの声が震えている。声だけではない、剣を持つカインの手も小刻みに震えている。

「増えたふたりは助っ人ってことだな。それじゃ俺たちひとりにつきふたりを相手にすれば丁度数が合うじゃないか。割り勘だな、勘定のトキに揉めなくてすむぜ」

 ギギルが不敵に笑うと、カインとレインは心細げに顔を見合わせた。

 六人の盗賊団はリマから降りると、やけにゆっくりとした動作でギギルたちの前に近づいた。六人は歩きながらスラリと腰の剣を抜いた。盗賊団の頭目がギギルの前に立った。背丈はギギルよりも更に頭半分ほど高く、チウシの革をなめした胸当てを着けている。

 頭目は、親しい友達と世間話をするかのような砕けた口調でギギルたちに話しかけた。唇が動くたびに、右の目じりから頬に抜ける古い刀傷が威圧するように歪んだ。

「護衛の諸君、お仕事ご苦労さん。さてと・・・手短にすまそうぜ、鉱石を置いてとっとと消えな。運んでいるのはあんたらの鉱石じゃないだろう。盗られてもあんたらの懐は痛まない。怪我をしちゃつまらんし、死んじまったら元も子もないぜ。さて、どうする」

「護衛が仕事をほっぽり出して逃げ帰ったとなっちゃ、これからの仕事に差し障るんでね。ムズカシイ言葉で言うと信用問題ってやつさ、こっちも辛いんだ。分かるかい」

 ギギルはそう言うと鼻と口を覆う襟巻をグイっと下げて、髭面を見せるとニヤリと笑った。髭の間から白い歯がこぼれた。

 頭目はギギルの反応が予想外だったらしく、チラリと後ろを振り向いた。頭目の背後に立っている盗賊たちは、薄ら笑いを浮かべている。頭目はゆっくりとした仕草で鼻と口を覆う襟巻を引き下げると、ニヤリとギギルに笑い返した。

「それじゃあ仕方ないな。力ずくでやらせてもらうぜ、こっちも商売なんでね。ムズカシイ言葉で何と言うか分からんが・・・」

 頭目は喋り終わる前にいきなり剣を振り上げると、ギギルの頭上に剣を叩きつけた。チウシの手袋を嵌めたギギルの左手が咄嗟に上がり剣を受け止めた。ギギルの右手の長剣が光の帯を引くように頭目の腹に吸い込まれた。ギギルの長剣は頭目の腹を突き通り、剣先から三分の一ほどが背中に突き抜けた。頭目は信じられないという顔で自分の腹に突き立っている剣を見ている。

 ギギルは右足を上げて頭目の腰を蹴り、その反動で腹から剣を引き抜くと、左手の手袋に噛みつき、咥えるようにして手袋を外した。手袋を外したギギルの左手の先には、クロムで作られた二股の大きな鋭いカギ爪が鈍い銀色の光を放っている。

 仰向けに倒れた頭目を飛び越えて、ギギルが盗賊団に向かって稲妻のように走った。ギギルの正面で咄嗟に剣を上げたオトコの胸の真ん中にギギルの右手から突き出された長剣が吸い込まれ、ギギルの左横に呆然と立っているオトコの首の根元をカギ爪が切り裂いた。カギ爪に切り裂かれた首から噴水のような血しぶきが一メルほども吹き上がり、その隣に立っていたオトコは血しぶきをまともに浴びて顔を血で濡らした。血しぶきを浴びて思わず顔を覆ったオトコの脳天にギギルのカギ爪が振り下ろされた。頭蓋骨を割られたオトコは、血と脳漿を吹き出しながら、膝からグシャリと崩れ落ちた。

 一瞬のうちに、四人が血にまみれて地面に転がった。

 ギギルは手袋を咥えたまま、盗賊団の残りのふたりに向かってゆっくりと顔を向けた。息ひとつ乱していないギギルの顔は悪鬼のようだ。

「あんた・・・まさか・・・カギ爪のギギルかい・・・」

 ギギルが手袋を咥えたまま頷くと、ふたりは後退りしながら剣を投げ捨てた。

「助けてくれ。俺たちふたりは助っ人で、キョウが初めての仕事なんだ。本当だ」

 ギギルはそれを聞くと、『行け』というように顎を振ってから、ふたりに背中を向けた。

 ギギルが背中を向けた途端、ふたりは懐に忍ばせた短剣を引き抜き、無言でギギルに襲い掛かった。ギギルは一瞬で振り向きながらひとりのオトコの短剣をカギ爪で弾き飛ばし、右手に持った長剣を下からすくい上げるように振り上げて、そのオトコの脾腹を存分に切り裂いた。ギギルの長剣は男の身体を半ばまで切り裂きそこで止まった。最後のオトコが突き出す短剣がギギルの目の前に迫る。ギギルは長剣から右手を放すと、身体を開いて短剣を避けようとした。

 ヒョウという風を切る音と、ゴッという鈍い音がした。

 最後のオトコが仰け反り、カラリと短剣を落とした。ギギルは身体を捩ると舞うようにオトコの横をすり抜けた。すり抜けたギギルの右手には目にも止まらぬ早業で抜かれた腰の後ろの短剣が握られていて、オトコはギギルの短剣で喉を切り裂かれていた。オトコは喉から吹き出す血を両手で押さえながら、棒が倒れるようにバタンと仰向けに倒れた。倒れたオトコの両足の爪先が微かに痙攣していたが、すぐに止まった。

 ギギルが簡易砦を振り向くと、荷車の御者台の上に立つシンの姿が見えた。シンの右手には、オニシダの枝で作られた半メルほどの長さの投石器が握られていた。オニシダの細い棒が緩いS字状に撓められていて、先端には半球状のくぼみがある。このくぼみに拳ほどの大きさの石を乗せ投石器を持って腕を振ると、石を百メル以上も飛ばすことができる。但し、狙った的に正確に当てるには高い技量が必要だった。

 ギギルは手袋を咥えたまま、短剣に付いた血を最後の男の服で拭い、腰の後ろの鞘に戻した。ギギルは、身体を半ば切り裂かれた男の死体から長剣を引き抜くと、ゆっくりとした足取りで簡易砦に戻った。カインとレインは両目をカッと見開いて、その場に立ったまま声も出ない。

 ギギルは御者台の上に立つシンに右手を上げた。

「シン、助かったぜ。シンが投石器を操ることができるとは知らなかった。それにしても上手いもんだな」

「私の家ではチウシを五頭飼っていたんだ。コドモの頃からチウシの放牧の際にこれを使っていたんでね。これで遠くのチウシを呼び集めるんだよ。それにしてもギギルは凄腕だね。六人をあっという間だ」

 カインが震える声で言った。

「あんたがカギ爪のギギル・・・ギギルさんか。最初はこの人数でどうなるかと思ったが助かりました」

 カインが神妙に頭を下げると、ギギルは「いいよ」と言って顔の前で右手を振った。

 シンはアベルたちの様子を見るため、御者台から簡易砦の中に飛び降りた。ギギルがカインとレインに背を向けて地面に片膝を突き、血の付いた長剣の手入れを始めると、カインとレインは目を合わせて頷き、ギギルの後ろにそっと近づいた。ふたりが無言で剣を振り上げようと身じろぐと、機先を制するように、ギギルが片膝を突いた姿勢のまま、背中越しにふたりに顔を向けた。

「やはり、お前さんたちが盗賊団の本当の頭目だったな。最初からどうもおかしいと思っていたんだ」

 カインは顔をしかめると、先程とは別人のようなどすの利いた声を出した。

「ばれちゃあしょうがない。俺たちは盗賊の仕事が本職でね。この仕事を続ける以上、いつかはカギ爪のギギルと出くわすかもしれないと思っていたんだ。腕前は見せてもらったぜ」

 カインの横に並んで、無表情のままギギルを見ていたレインがペッと地面に唾を吐いた。先程のギギルの腕前を見ても、恐れや怯えの色が全く見えないのは、腕に相当自信があるのだろう。

 カインとレインはジリジリと前に進み、打ち込む間合いを図りながらゆっくりと剣を上げた。迂闊に立ち上がると隙を見せることになるため、ギギルは片膝を突いた姿勢のままゆっくりと身体を回してカインとレインに正対した。血を拭うために、ギギルの長剣は半ば砂の中に沈んでいる。カインとレインの両目はギギルを見据えて青白く光り、身体の前に構えた剣は必殺の動きを秘めた剣気を発してギギルを威圧している。

 ギギルはその姿勢のまま動けなくなった。

「なかなかやるじゃないか。ほかのやつらと同じヘナチョコだと思っていたが」

「あんなやつらと一緒にしないでくれ」

 一分の隙もないギギルを前にして、カインとレインも動けなくなった。

 三人は睨みあったまま微動だにできずにトキだけがジリジリと過ぎていく。地面に落ちた三人の影が、外光の動きに合わせてゆっくりと動いている。ヒラヒラと舞い寄ってきたマダラチョウが、三人の間に張りつめている闘気を感じたのか、スウッと離れていった。

「ギギル、どうかしたのかい?」

 突然、シンが簡易砦の荷車の隙間から顔を出した。カインとレインの瞳が一瞬揺れた。

 張りつめていた闘気の均衡が破れた。

 カインとレインは左右から一気に間合いを詰めると、鏡に写っているかのような同じ動きで、銀色の流星と化した一撃をギギルに叩きつけた。ギギルは砂に埋もれた長剣の刃を横に倒したまま跳ね上げ、カインとレインに砂を浴びせると、その長剣をカインの胸に投じた。そして片膝を突いた体勢から一瞬で跳び上がると、身体を捻りながらカインとレインの振り下ろした剣を飛び越えた。カインとレインの間を、デンショツバメが身を翻すようにして飛び抜けたギギルは、地面に落ちると前転をして受け身を取り立ち上がった。カインとレインは剣を振り下ろした姿勢のまま動かない。

 カインの胸にはギギルの長剣が深々と突き刺さっていた。

 レインの首はギギルが飛び抜けながら振るったカギ爪に切り裂かれていた。

 カインとレインはゆっくりと倒れた。ギギルは振り返ってふたりを見ると、大きく息を吐き出してから額の汗を右手で拭った。そしてふと胸の前に手をやると、チウシの革の外套がザックリと切られていた。生死を分けたのは紙一重の差でしかなかったのだ。

「凄い使い手だった。危うくやられるところだったぜ」

 ギギルはヤレヤレという風に首を振ると、カインの胸に刺さっている長剣を引き抜いた。

「ギギル、これはいったい・・・なぜ?」

 シンの声が震えている。その声に気付いたアベルも顔を出した。

「こいつらふたりが盗賊団の本当の頭目だった。アベル爺さんも、うすうす気付いてたんじゃないか」

「まあな。護衛にしちゃおかしいと思ってたよ。それにしても、盗賊団の手引き役か何かの下っ端かと思っていたが、まさか頭目とはな」

 そこへ数頭のリマの疾走する蹄の音が響いてきて、広場の中に五頭のリマが走り込んできた。四頭のリマには戦闘種のオトコが、残りの一頭のリマには労働種のオトコが乗っていた。労働種のオトコがギギルの前でリマを止めると、リマの上からギギルに向かって怒鳴った。

「剣を下せ、ギギル。儂だ、タルマンだ。後ろの四人は助っ人の護衛だ・・・ん?・・・何と盗賊団全員を始末したのか。さすがはカギ爪のギギル、大したもんだ」

「タルマン? リマから降りて顔を見せろ。全員だ・・・ゆっくりと降りろ、剣には手を掛けるな」

 五人のオトコはリマから降りると、労働種のオトコがギギルの前に進み、鼻と口を覆う襟巻を引き下ろした。輸送隊本部の副支配人タルマンのしゃくれた顎が現れた。

「タルマン、なぜこんな所に?・・・それに、後ろの助っ人とは?」

「驚いたかい。なあに、簡単な話じゃよ。儂はカインとレインが盗賊団の一味だと睨んでいたんだが、なかなかしっぽを出さない。そこで信頼できて腕の立つオトコがきたらカインとレインを付けて護衛に送り出して、この四人の助っ人に秘かに後を追わせる。警備隊だと大人数過ぎて気付かれちまうんでね。盗賊団が襲ってきたら四人の助っ人が加勢して一気にケリを付けようと計画を練っておったんだ。そこにギギルが現れたって訳さ」

 タルマンは周囲に倒れている盗賊団の死体に目をやると、感心したような声を出した。

「それにしても一、二、三・・・八人もいたのか・・・それをギギルひとりで・・・。助っ人の出番がなかったな、四人も雇って損したわい」

 ギギルは不満げに唇を尖らせた。

「盗賊団の一味どころか、カインとレインが盗賊団の頭目だったぜ。マッタク・・・そういう計画なら先に教えといてくれよ。そうすりゃ、手出しせずに助っ人がくるまで待ってたのに。働きすぎだ、手当ての割り増しをもらうぜ」 

「四人も無駄に雇って、更に割り増しだと・・・こっちが破産しちまうよ。・・・まあいい、分かった何とかしよう。盗賊団の身ぐるみを剥いでトキオンで処分すれば幾らかにはなるだろう。金も少しは持ってるだろうし・・・」

 割り増しと聞いて眼を剝いたタルマンだったが、少し考えてからニタニタと笑いだした。ギギルは呆れたという風に両手を広げた。

「おいおい、死んじまったやつらの身ぐるみを剥ぐ?本気かい」

 タルマンは当然だという目でギギルを見た。

「ああ、死んじまったら要らないだろう。捨てて行くのもモッタイナイ、有効利用じゃよ。それに盗んだ鉱石を売った金で買ったものもあるだろう。待てよ、それなら元々はガンム・トリムカンドのコハク鉱石採掘場のものだと言えるよな。ウン、そうだ、そのとおりだ。オッ、やつらの乗ってきたリマもいるじゃないか。ウヒヒ・・・ギギルに割り増しを払ってもお釣りがきそうだ」

 タルマンはホクホク顔でひとり頷くと、助っ人の四人に盗賊団の身ぐるみを剥いでから死体を埋めろと指示した。助っ人のひとりが不服そうな声を上げたが、タルマンのひと睨みで下を向いて黙った。助っ人らしい働きをしていないと思い至ったのだ。

 ギギルとシンは鉱石輸送隊の先頭の荷車の御者台に座り、タルマンたちの作業を見ていた。アベルは最後尾の荷車の御者台に座り煙管を咥えて、時々紫煙をプカリと吐き出していた。盗賊団の八つの死体は裸にされて地面に並べられていた。助っ人の四人は荷車に積んであった作業用の穴掘り棒で地面に穴を掘り始めた。

 盗賊団を憐れむ気持ちはサラサラないが、それにしても身ぐるみ剥されてこんな所に埋められるとは、やつらも思ってもいなかったろうとギギルは思った。そうは言っても、ひとつ間違えば自分が殺されていたのだ、まあ、これも運命だと諦めなと、ギギルは心の中でカインとレインにつぶやいた。

「さてと、いつまでも付き合っていられない。タルマン、俺たちは先に出発するぜ。リトの街で待ってる」

 ギギルが声を掛けると、助っ人の横で穴掘りの監督をしていたタルマンが片手を上げた。

 鉱石輸送隊の荷車が動き出した。しかし、二百メルも進まないうちに荷車を引いているリマが暴れはじめた。御者台から飛び降りた御者が、リマを落ち着かせようとリマの鼻づらを必死で撫でているが、リマは全く言うことを聞かない。

「どうした」

「何かに怯えているようです・・・コラッ、おとなしくしろ・・・」

「ギギル、あれは・・・何かがこちらに向かって飛んでくる」

 シンの指差す方向を見たギギルは顔色を変え、後ろの荷車とタルマンたちに向かって怒鳴った。

「ザドラだ! みんな急いで荷車の下に入れ!オーイ、タルマン! ザドラだ、死体から離れろ!」

 ギギルはシンを抱えるようにして御者台から飛び降りると、荷車の下に潜り込んだ。リマの鼻づらを撫でていた御者も、悲鳴を上げながら荷車の下に飛び込んできた。後方からタルマンと四人の助っ人の逃げ惑う悲鳴が聞こえてくる。ギギルは長剣を抜いて右手に持ち、左手の手袋を外した。シンも訳が分からないまま護身用の短剣を抜いた。ギギルは唇の先に人差し指を当てて静かにするように伝えると、じっと耳を澄ませた。緊張しているのだろう、ギギルの表情が硬い。

 荷車の上を掠めて大きな何かが通過し、風圧で荷車が揺れた。バサバサと羽音を立てて、身体全体に羽毛の生えたトカゲのような生き物が地面に下りたった。

 翼を広げると五メルあり、頭から尻尾の先までは二メルある巨大な始祖鳥だった。翼の先には指の名残が四本残っていて鋭い爪が付いており、胴体に付いた太い二本の脚の先にもそれぞれ五本の指があってこちらにも鋭い爪が付いている。頭部はくちばしの代わりに鼻と口が前に長く突き出していて、その下の裂けたように大きな口には小さな鋭い牙が上下にびっしりと並んでいる。頭部の両側の付いた小さな目は黄色で縦長の瞳孔は黒く、時折瞼が下から上に閉じられる。胴体と翼の部分は赤と青の斑、胸と腹は薄い黄色の和毛が生えていて、頭部から背中を経て尻尾の先までこげ茶色の三本の線が走っている。

 回廊大陸の中層帯の上部から上層帯にかけて生息しているザドラは、回廊を通るヒトやリマを襲う肉食のトリで、回廊で行き倒れた死体もザドラの餌になる。

 荷車の百五十メルほど先に下りたザドラは、盗賊団の死体に向かって二本の脚と尻尾を使ってヨタヨタと歩いた。そして一番端にあるカインの死体に近づき、フンフンと臭いを嗅いでからいきなり噛みついた。片脚で死体の足を抑えると頭を振って死体の上半身の肉を食いちぎった。恐ろしい顎の力だ。そして上を向いて口を開け、顔を振りながら噛み切った肉片を飲み込むと、死体の残りの部分に噛みつき、再び上を向いて肉片を飲み込んだ。あっと言う間にカインの死体はバラバラの肉片になり、ザドラの胃袋の中に消えた。辺り一面は血の海と化している。

 ザドラが次の死体を食べ始めると、上空から更に三羽のザドラが次々に飛来した。四羽のザドラは争うようにして死体を食べ始めた。

 最後尾の荷車の下まで這って行ってザドラの様子を覗っていたギギルが帰ってきた。

「今のうちだ。ゆっくりと荷車を動かしてここから離れるぞ。やつらは地上を歩く速度が遅いんだ。地上に降りたザドラなら、ある程度離れてから全速力で走れば追い付かれない」

「飛んできたらどうする・・・」

「やつらは地上から飛び立てないんだ。回廊の端の崖から空中に飛び出して、上昇気流に乗るしか飛べないのさ。だから、ここからならナナ崩れ平原を抜けて回廊の端の崖に出るまで時間が掛かる。それまでにリトの街に逃げ込むんだ。いくぞ」

 ギギルは怯えている御者を殴りつけて荷車の下から引っ張り出すと、リマの鼻づらを掴ませた。ギギルは二頭のリマの両目と両耳を自分と御者の襟巻で縛ると、御者と並んで力いっぱいリマを引っ張った。しばらく脚を踏ん張っていたリマもしぶしぶと歩き出し、荷車はゆっくりと進み始めた。鉱石輸送隊の荷車はザドラのいる場所から四百メルほど離れてから、全速力で走り出した。シンは青白い顔で後ろを振り返っている。

「中層帯や上層帯にはあんな恐ろしいやつがいるのかい。肝が縮んだよ」

 ようやく緊張の解けたギギルが、ヤレヤレと額の汗を右手で拭った。

「街の入口にある門は外気と外光を遮断するだけでなく、ザドラの襲撃から街を守るためでもあるのさ。だから中層帯や上層帯の街の門は頑丈に造られているんだ。これから先の回廊はザドラの襲撃に注意しながら進まなきゃならん。シンも覚えておくんだな」

「回廊を歩いていて襲われたらひとたまりもないね」

「上空から飛来してきたザドラに掴まれて、そのまま空中に運ばれたら終わりだ。二本の脚の爪に掴まれないように逃げるしかない。ザドラが地面に下りれば、やつらは歩くのが下手だから何とか戦える。翼の下に潜り込んで、薄い黄色の和毛が生えている柔らかな腹を狙うんだ」

 ギギルはあたかも目の前のザドラと戦っているかのように、身体を屈めて剣を突き出す仕草をした。それを見てシンが感心している。

「凄いね、ギギルはザドラと戦ったのかい」

「俺はない。今の話はアベル爺さんからの受け売りだ」

 ギギルはあっけらかんと言った。

「アベル爺さんの左足はザドラとの戦いで食いちぎられたんだそうだ・・・よく助かったもんだよ」

 シンは心配そうに後ろを振り返った。もうここからではザドラの姿は見えない。

「タルマンさんたちは大丈夫かな」

「そうだ、タルマンから護衛料の割増しを貰うんだった。食われてなきゃいいが・・・」

 ギギルが心配しているのはタルマンの身体ではなく割増し料の方だろう。

 全速力で走るギギルたち鉱石輸送隊の荷車がようやくナナ崩れ平原を抜け、アカカベと呼ばれる茶褐色の壁面が連なる回廊に入った。回廊の幅は急に狭くなり六メルほどしかない。左側の壁面は頭上に覆いかぶさるように迫り、右側ははるか下の濃密な液化瓦斯の海まで続く断崖である。上り勾配も少しきつくなっている。リトの街までの残り距離は三ギールちょっと、この速度なら三分の一カクンもあれば到着できる距離だ。

 突然、後ろの荷車から角笛の音が響いてきた。アベルが吹き鳴らしている角笛だ。

「何だ・・・アベル爺さん、何か見つけたのか? シン、何か見えるか」

 シンが御者台に立って後ろの荷車の方を見ると、最後尾の荷車の御者台の上でアベルが狂ったように両手を振り、上空を指差している。アベルの指差す先では、一羽のザドラが大きく旋回しながら、恐ろしい勢いでギギルたちの荷車に向かって迫っていた。

「ギギル!ザドラがくる! 右上空だ!」

「荷車を止めるな! できる限り左の壁側に寄せて全速力を維持だ。ナナ崩れ平原にいたやつらにしちゃ早すぎる・・・新しいやつだろう。シン、伏せていろ」

 荷車の幌の上部が壁面を擦っている。頭上に覆いかぶさるようにせり出した壁面のために空中から荷車にうまく近づけないのか、上空から飛来したザドラはギギルたちの荷車の横を、身体を傾けながらすり抜けていく。二本の脚の爪が御者の目の前に迫る。

 ギギルは御者の身体を思いきり引っ張って御者台の床に伏せさせると、下から跳ね上げるようにして長剣をザドラの脚の爪に叩きつけた。ガシャリと音がしてギギルの長剣は弾かれたが、御者を掴もうとしたザドラの脚は空を切った。

 ザドラは崖の外に飛び出すと一旦壁面を離れ、大きく旋回してから気流に乗って上昇すると、再びギギルたちの荷車に向かってきた。

 さっきまで頭上を覆うように張り出していた壁面はほぼ垂直になり、茶褐色だった壁面の色は灰色に変わっている。アカカベを抜けたのだ。ギギルたちの荷車は回廊の上にむき出しの状態になっていた。リトの街まで残りの距離は一ギールとなった。ひだ状に大きくうねる壁面が大陸側に抉れたところを抜けると、今度は反対に壁面が外に向かって半島のように張り出していて上方が開けている。回廊は半島の先端をグルリと回り込むように大きく左に曲がっているため、そこを抜けるためには、荷車が崖から外に飛び出さないように速度を落とさなければならない。恐らくザドラはそこを襲ってくるだろう。

 ギギルはチウシの革の外套を脱ぐと、羽織るようにして肩から掛けた。そして襟巻を外すとギリギリと捻じって紐状にしてから御者台の背板を通し、それを自分の腹にしっかりと巻き付けて結んだ。そしてギギルは御者台の上に立ち上がった。

「シン、そこに伏せたままじっとしていろ、それと俺の手袋を持っていてくれ」

「ギギル、無茶だ」

「ザドラの最初の一撃を躱せるかどうかが勝負だ・・・くるぞ!」

 ギギルは右手に長剣を持ち、左手のカギ爪をペロリと舐めた。ギギルの横にシンが投石器を抱えてうずくまった。

 はるか上空からザドラが滑空してきた。荷車は半島の先端部分に差し掛かっていて、車体が回廊に沿って大きく左方向に回り込んでいく。荷車は外側に大きく振られて車輪が軋んでギリギリと悲鳴を上げている。半島の先端部分は視界を遮るものがないため、虚無に落ち込む断崖に周りを全て取り囲まれたような錯覚に陥る。

 ギギルは御者台の上で、荷車から振り落とされないように足を踏ん張りながら少し腰を落とし、ジッとザドラを見つめた。ポツンとした黒い点のように見えたザドラの姿が加速度的に大きくなる。ザドラの黄色い両目が光った。高速で滑空してきたザドラはギギルに襲い掛かる直前、翼を広げて制動をかけると、シャーという威嚇音を発して両脚の爪を振り上げた。ギギルに向かってザドラの両足の爪が襲い掛かる。

 ヒョウという風を切る音がした。ギギルの横でうずくまった姿勢のまま、シンが投石器を振ったのだ。投石器から放たれた石は、ザドラの頭部を掠めた。ザドラの動きが一瞬止まった。

 ギギルがザドラに向かって左手のカギ爪を振り上げた。ギギルは顔面に迫ったザドラの爪を左手のカギ爪で払いのけ、右手の剣をザドラの翼の下の薄い黄色の和毛の生えている腹に突き立てた。ザドラはその場で大きく羽ばたきをしてふわりと浮き上がるとギギルの背面に回り、ギギルの肩に両足の爪を突き立てた。ギギルはカギ爪をザドラの左脚に突き立てると、身体を大きく捻った。羽織るようにして肩から掛けていた外套が脱げて、ザドラの両脚の爪に掴まれたギギルの身体が自由になった。

 ヒョウという風を切る音と、ゴッという鈍い音がした。

 シンの投石器から放たれた石がザドラの右目を直撃した。ザドラは首を振り大きく羽ばたいて、逃げようともがいたが、左脚にギギルのカギ爪が食い込んでいる。ギギルはザドラの左脚に長剣を叩きつけた。濡れた布を地面に叩きつけたようなビシャリという音がして、ギギルのカギ爪の先にザドラの左脚が残された。

 ザドラはギギルの外套を右脚の爪で掴んだまま崖の外に飛び出し、大きく羽ばたいて空中で静止するとギギルを睨んだ。潰れた右目から流れ出た血が顔半分を濡らしている。ギザギザの歯の並んだ大きな口が開きシャーという威嚇音が辺りに響いた。

 ヒョウという風を切る音がして、ザドラの右目に再びシンの投石器から放たれた石が吸い込まれた。ザドラはガクンと首を大きく振り、枝から離れた木の葉のようにクルクルと旋回しながら虚無の深淵に落下していった。


 回廊を全速力で走る鉱石輸送隊の前に、オニシダの枝で造られた頑丈な門が姿を現した。

「リトの街が見えた・・・何とかたどり着いたな」

「ザドラの姿は見えない。ギギル、何とか逃げ切れたみたいだね。まったく、どうなることかと思ったよ」

 鉱石輸送隊の三台の荷車はリトの門の前の広場に走り込んだが、日の入り時はまだだというのに、リトの門は固く閉ざされていた。ギギルは御者台から飛び降りると門に駆け寄り、門の脇にある小さな潜り戸をドンドンと叩いた。

「おおい、門を開けてくれ、トリムカンドからきた鉱石輸送隊だ。途中でザドラに襲われて逃げてきたんだ、早く中に入れてくれ」

 ギギルの声が聞こえたのか、潜り戸に付いている覗き窓がガタッと開いて髭面のオトコの顔が覗いた。オトコは決まり文句を口にするかのように素っ気なく言った。

「ザドラが飛行している間は門を開けられない決まりだ。門の横にある待避所に入ってしばらく待ってくれ」

 門の横には直方体状に切り出した黒砂岩をコの字型に並べて背の高さほどに積み上げ、その上に屋根の代わりにオニシダの枝を組んで作った格子を乗せただけの粗末な待避所があった。ヒトが五~六人も入ればいっぱいになる広さしかなく、荷車やリマを隠す場所はない。

「おい、こんなんじゃザドラに襲われたらひとたまりもないぞ。俺たちがザドラに襲われたらどうするんだ。中に入れてくれ」

「すまんが決まりなんでね」

 オトコは冷たくそう言うと覗き窓をバタンと閉めた。ギギルは今にも噛みつきそうな顔で覗き窓を睨んでいる。

「クソッ・・・シン、それを持ってきてくれ」

 シンは御者台に置いてあったザドラの脚を抱えてギギルのもとに走った。ギギルはザドラの脚を受け取ると再び潜り戸を激しく叩いた。

「しつこいぞ。決まりは決まりだ。そこでしばらく待て」

 イラついた声で覗き窓から顔を出したオトコに向かって、ギギルは手に持ったザドラの脚を見せた。

「これを見ろ。ザドラは俺たちにやられて崖下に落ちた。だから門を開けろ」

 オトコはザドラの脚を見ると、身体をのけ反らせてグウッと声を出した。よほど驚いたのだろう。

「信じられん・・・ザドラを殺しただと・・・」

 オトコは驚愕した目でギギルの顔とザドラの脚を交互に見てから、慌てて奥に引っ込んだ。すぐに軋むような音がして、荷車が通過できるギリギリの幅だけリトの門が開かれると、先程のオトコが飛び出してきた。

「早く入ってくれ!急いで・・・」

 鉱石輸送隊の三台の荷車が門を抜け、門の奥にある検問所の前に止まると、検問所の中にいたオトコたちが七~八人も飛び出してきて、鉱石輸送隊を取り囲んだ。ギギルはそのオトコたちに向かってザドラの脚を放り投げた。ドサリと地面に落ちたザドラの脚から、オトコたちはワッと声を上げて離れた。ザドラの脚を遠巻きに眺めていたオトコたちは、恐る恐る近づいてザドラの脚に触り、暫くすると代わる代わる手に持って頭上に掲げると、驚きの入り混じった歓声を上げた。

 リトの門がゆっくりと閉まり始めると、門の外から大声が響いてきた。

「おおい、待ってくれ。儂らも中に入れてくれ・・・トリムカンドのコハク鉱石採掘場のタルマンじゃ・・・」

 タルマンと四人の助っ人が閉まりかけた門に向かって必死にリマを走らせていた。ギギルが「オレたちの連れだ」と言うと、覗き窓のオトコが頷いた。タルマンたちが門内に駆け込むやいなや、大きな軋み音を立てて再びリトの門は閉ざされた。

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