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旅芸人の夫婦

 オニシダの森を抜けて回廊に戻ったギギルとシンは、百メルほど先に水場を見つけ、昼食の準備を始めた。シンが炉に火を焚いて、鍋で湯を沸かしてチャルを淹れた。ギギルはウカカ族から貰った干し肉の残りを火で炙り、イオリは保育器から這い出すと炉の周りをヨチヨチと歩いている。

「シンよ、イオリはだいぶん歩けるようになったじゃないか。ここから先は手を引いて歩かせてみるか」

「でも、この歩き方じゃ進むのに時間が掛かるよ」

「構わんさ、急ぐ旅でもなし。イオリの足に合わせてゆっくり行こうや」

 ギギルは嬉しそうに笑いながら、目の前に歩いてきたイオリを膝の上に抱え上げた。

「チャルができたよ。さあどうぞ」

 シンがギギルにチャルの入った椀を渡していると、ガラガラと音を立ててリマ二頭立ての荷車が水場に入ってきた。ギギルは用心のため、脇に立て掛けていた長剣を手元に引き寄せた。

 水場の奥にある空き地に止まった荷車の御者台から、小太りの労働種のオトコがひとり降りてきた。警戒を解くためだろう、オトコは遮光眼鏡を外し、襟巻を引き下げて顔を見せた。オトコはギギルと同じぐらいのトシの頃で、赤と青の斑模様の派手な上着の上にチウシの革の外套を羽織り、先の尖った大きな黄色い帽子を被っている。ゲジゲジ眉毛にドングリ眼で、団子鼻の下に付いている唇は分厚い。一度見たら忘れられない顔をしている。オトコはニコニコ笑いながらシンとギギルに話しかけてきた。

「すみませんな、昼食の邪魔をして。私らも水場を使わせてもらっていいですかな」 

「どうぞどうぞ。よければチャルもお分けしますよ」

 シンは人の好さそうな笑顔を浮かべて答えた。ギギルはオトコの派手な衣装を興味深げに眺めている。少なくとも害意は感じられない。ギギルはオトコに気付かれないように、長剣からそっと手を放した。

「おお、それはありがたい。それでは・・・オーイ、サルサ、降りておいで」

 オトコは大げさな仕草で喜ぶと、荷車に向かって声を掛けた。オトコと同じ派手な上着を着た労働種のオンナが荷車から降りてきた。オンナは手に大きな籠を持っている。

「どうも、改めまして、私はテルミ、これは妻のサルサです。ご覧のとおり夫婦の旅芸人ですわ」

 テルミはそう言うと外套を脱ぎ、派手な上着の袖口を摘まんで両手を広げ、おどけたような仕草で頭を下げた。サルサはテルミの横に立ってペコリと頭を下げた。サルサはほっそりとした体型で、腰まである長い黒髪を首の後ろで三つ編みにして、リマの尻尾のように垂らしている。細面の顔に優しく笑っているような細い目が印象的だ。サルサはギギルの膝の上に座っているイオリに気が付くと「あら、可愛い」と言ってニッコリと笑った。

 シンはスッと立ち上がると、テルミとサルサに向かって頭を下げた。

「私はシン、巡礼者です。こちらがギギルで、このコドモがイオリです」

 ギギルは座ったままで、手に持った椀を目の前に掲げてテルミたちに会釈した。ギギルの膝の上で、イオリが嬉しそうにウキャキャと笑った。

 テルミ夫婦は炉の周りに座り、サルサは持っていた籠の中からククやチウシの乳の入った水筒を取り出した。シンはチャルの入った鍋をサルサに渡した。テルミはククを頬張りチャルを啜りながら、顔に似合わぬ甲高い声で喋り出した。

「いやあ、この水場にたどり着くまで難儀しました。とにかくあの二回の大地震で起きた地割れや崖崩れで回廊が所々で寸断されていましてね。その度に荷車を迂回させるのに一苦労ですわ。皆さんはご無事で?・・・そりゃよかった。何しろ大きな地震でしたからな。こんなに短い間に二回も続けて起きるなんて、何かの前触れですかな。イヤだイヤだ・・・。そうそう、一回目の大地震でトキオンの街が大変なことになっているのはご存じ? 知らない? ナハハ・・・そうですか。いや何ね、トキオンの街の中心を通るあの大きな迂回隧道が崩落で半分埋まっちゃったんですよ。その上、半島側の特別街区にあったオラハン・ズ・デリの大邸宅が大陸から剥がれるように崩落して、オラハン邸は跡形もなく消えちゃったんですわ。凄まじい大音響がしたそうですよ、ガラガラガラッてね。それでもって、トキオンの市街地を真っ二つに裂くように大きな地割れが走っているそうで、今にトキオンの街全体が液化瓦斯の海に崩落するんじゃないかって噂でもちきりですわ」

 そこまで一気に喋ったテルミが、思い出したようにククを口に放り込んだ。炉の火を見つめながらチャルを啜っていたギギルが驚いたように顔を上げた。

「オラハン・ズ・デリのあの大邸宅が跡形もなく? そりゃ凄い、途方もない大規模な崩落だな・・・」

 テルミがドングリ眼を見開いて、ホウという顔をした。

「おや、おふたりはオラハン・ズ・デリの大邸宅をご存じで? 私らは何回かお声を掛けて頂いて、大宴会でお客さん方に興行をお見せしたことがあるんですが、とにかく大きな邸宅でしたな。あれが全部崩落したそうで・・・邸宅には沢山のヒトがいたはずですが、助かったヒトはひとりもいなかったそうです。くわばらくわばら。私らもトキオンを出発するのがもう少し遅ければ、巻き込まれていたかも知れません。あれからもう三ギグですか、トキの経つのは速いもんだ・・・」

「・・・三ギグ? 一回目の大地震からは、まだ一ギグしか経っていないはずだが」

 首を傾げたギギルに向かって、テルミがパタパタと手を振った。

「え? 一ギグ? ナハハ・・・またまた御冗談を。一回目の大地震は私らがトキオンの街を出発して二カイン後でしたよ。エルパの街に向かう途中でしたから。お蔭でそれからエルパに一ギグも足止めですわ。トキオンから避難してくるヒトでエルパは溢れかえっていましてね、そこでトキオンの惨状を聞いたんですわ。エルパを出発してエンサを抜けてトトネスでまた半ギグの足止め、その次のゴルドでも半ギグ足止めさせられて往生しました。何しろ街の皆さんは地震で殺気立っていて、こっちは興行どころじゃありゃしません」

 テルミはチャルをズルリと一口啜ってから続けた。

「ゴルドを出発して何とかメディクを抜けたと思ったら、オニシダの平原では大きな地割れと断層ができていて、回廊が通れないじゃありませんか。メディクからヒトがきて地割れに橋を掛ける作業が始まったのが半ギグちょっと前でしょう、橋が架かるまで私らは断層の前で野宿ですわ。そしたら六カイン前に二回目の大地震でしょ、驚きましたなあ。おかげで地割れは塞がったんですが、断層の壁は残ったままなんで、この壁を切り崩して道を通さなきゃなりません。キョウの日の出時にやっと通過できるようになったんです。とにかく食料が尽きそうなんで、キョウのうちにユパドの街にたどり着こうと必死になって荷車を走らせてきたんですよ。ここの水場からだとユパドまで残り十ギールですから、荷車をゆっくり走らせても二カクンほどでたどり着けます。やれやれですわ、ユパドで興行をして金を稼がにゃなりません」

 喋り疲れたのか、テルミは椀の中に残っていたチャルをガブリと飲み干した。

 テルミの話を聞いたギギルとシンは、顔を見合わせて首を捻った。

 一回目の大地震はギギルたちがオニシダの森に迷い込んだそのヨルに発生している。その次のヨルにギギルは白いタテガミオオカミと戦い、左腕を骨折したのだ。ウカカ族に助けられて、ウカカ族の村で一ギグ近く世話になったのだから、一回目の大地震は一ギグ前ということになる。二回目の大地震はウカカ族の村を去る前のヨルだから、まだ二カイン経っていないはずなのだ。テルミの話を総合すると、オニシダの森での一カインは、外の世界の三カインに相当するようだ。

「あのオニシダの森ではトキがゆっくりと流れていたようだな。やはり不思議な森だ」

「信じられないけど・・・本当なんだね」

 ギギルとシンが真面目な顔をして話しているのを聞いて、テルミはキョトンした顔をした。

「オニシダの森とは何です? この平原はオニシダがまばらに生えていますが、森なんぞありゃしませんぜ。私らは何度もここを通っていますし、今もこの平原を荷車で走ってきましたけど、オニシダの森など見ちゃいません。ただ・・・」

「ただ?・・・何ですか」

 シンが釣り込まれたように尋ねた。テルミは秘密を打ち明けるかのように身を乗り出すと声を潜めた。

「いやね、この平原を通っていると蜃気楼の中にボンヤリと浮かぶ緑色の森が見えることがあるそうで、それがおとぎ話に出てくる『森の住人ウカカ族』の住む森だという噂ですわ。え? お前は見たのかって? ナハハ・・・私は見たことありませんがね。それに噂では、その森に迷い込むと永遠に抜け出せないそうですわ。森に取り込まれてオニシダにされちゃうのか、ウカカ族に殺されて食われちゃうのかは知りませんがね。ブルル・・・イヤだイヤだ」

 ギギルはチャルの入った椀を持ったままウウムと唸った。ギギルたちがオニシダの森に迷い込んだのも、ウカカ族と出会ったのも、ウカカ族の助けを受けて森から抜け出すことができたのも、イオリの女王の力に導かれたのかも知れないとギギルは思った。

 ギギルの膝の上に座っていたイオリが地面に降り、サルサの所にヨチヨチと歩いて行った。サルサは嬉しそうにイオリを抱え上げると、手に持っていたククを小さくちぎってイオリの口に運んだ。イオリは嬉々として大きな口を開けている。襟巻の下から現れたイオリの顔を見てサルサは眼を見張った。

「まあ、何て色の白いコドモでしょう。痩せてはいないようだけど、栄養が足りないのかしら・・・このコドモのお父さんは?」

 シンが小さく手を挙げた。

「私です。イオリは卵のトキに両親を亡くして、私が養親になりました」

「あなた巡礼者って言ったわよね、こんな小さなコドモと一緒に巡礼を?」

「ええ、イオリの父親が亡くなる間際に、イオリを頼むと託されたんです」

 サルサは訝しげな顔でシンを見ている。シンは保育器の底からリトの街のズーラ街長の発行した出生証明書と養育権証明書を取り出してサルサに見せた。卵を誘拐したと思われては、たまったものではない。

「へええ、リトの生まれか。卵が産まれたのは・・・なるほど、そうすると体形変化期まで残り一ギグちょっとというところね。それにしちゃ身体も小さいし、まだヨチヨチ歩きだし・・・発育が二ギグほど遅れているようだわ、ちょっと心配だねぇ」

 サルサはイオリの手を上下に動かしたり、足を屈伸させたりしながら顔を曇らせている。

「遅れているというか・・・イオリが卵から出てきてからまだ一ギグ半なので・・・」

「ええ? それじゃ、それまでずっと卵の中で? 卵の中にそんなに長くいるもんかねぇ」

 サルサは信じられないという顔でシンを見た。うまく説明できないシンの目が泳いでいる。

「いや・・・あの・・・オニシダの森ではトキがゆっくりと流れていたので・・・」

 額に汗をにじませて、しどろもどろで説明するシンに向かって、サルサがキッパリと言った。

「何を言ってるのか分かんないけど、イオリちゃんをこのまま放っておけないね。シンさんたちはこれから回廊を上って行くんでしょう、行先はガンデラ? あたしたちも興行しながらガンデラに行くから一緒に行こうよ。イオリちゃんが回廊を歩くのは大変だし、この先迎える体形変化期にはオンナの手が必要だよ、特にオンナのコドモはね。あたしたちの荷車に乗って行けばいいよ。ねえ、テルミ、いいよね」

 サルサの口調にはテルミに有無を言わせない響きが含まれている。おそらくテルミはサルサの尻に敷かれているのだろう。

「ああいいとも、うん、その方がいい。旅は道連れ世は情けってね、困ったときはみんなで助け合わなきゃ・・・え? 困っていない? ナハハ、まあいいじゃないですか。シンさん、ギギルさんそうしなさいな」

 シンがチラリとギギルを見た。ギギルは頷くと頭を下げた。

「それじゃあお言葉に甘えて、テルミさん、サルサさん、ご厄介になります」

「はい、決まり。イオリちゃん、サルサおばさんと一緒に行こうね・・・ウフフ、オンナのコドモは可愛いね」

 サルサに抱かれたイオリはウキャキャと声を上げて喜んだ。


 ユパドの街に入ったギギルたち一行は、二頭のリマと荷車を街の共同畜舎に預けると、古ぼけた旅宿に部屋を取った。テルミとサルサは腰を落ち着ける暇もなく、街の広場に向かった。よほど懐が寂しいのだろう。ギギルとシンも、テルミ夫婦の興行を見ようと後について行った。

 ユパドの街はトリムカンドやトキオンほどの大きな街ではないが、回廊を行き交うヒトたちの休息地として栄えていた。街の中心にある広場には地下水が湧きだした直径十メルほどの円形の泉があり、ユパドの街の名所となっている。その泉を取り囲むようにして、広場の縁に沿ってグルリと円を描くように酒場や食い物屋が立ち並んでいた。

 ほとんどの店は、オニシダの柱を立てて梁を渡した骨組みに、荒い目のワタスゲの布を張り巡らせただけの簡素なもので、そういった店が肩を寄せ合うようにしてずらりと並んでいた。日の入り時を過ぎると広場には食事や酒を求めてたくさんのヒトが集まってくる。広場にはガヤガヤという喧騒が渦巻き、食べ物と酒の臭いの入り混じった濃密な空気が満ちていた。

 テルミは泉の横の空き地に立つと、派手な上着の裾を引っ張ってしわを伸ばしてから、ひとつゴホンと咳をして、恭しく一礼すると声を張り上げた。

「さあさあユパドの街の皆様、旅芸人のテルミ夫婦でございます。これからお目に掛けますのは、奇想天外奇妙奇天烈抱腹絶倒愉快痛快手に汗握る曲芸の数々、御用とお急ぎでない方はとくとご覧あれ。まずはサルサの玉乗りぃ!」

 サルサは直径が半メルのチウシの革でできた硬い玉の上にサッと飛び乗ると、足を器用に使って玉を前後左右に転がした。そして玉の上で均衡を取りながら、テルミが投げた五本の短剣を受け取ると、空中にクルクルと投げ上げては器用に受け止めている。

 サクラとしてテルミたちの前に立っているシンは「おお・・・」という大げさな感嘆の声を上げてパチパチと拍手を送り、その後ろでギギルは、通り過ぎようとしている通行人に「凄いよ、見てみなよ」と声を掛けている。イオリはシンの胸に抱かれてウキャキャと笑い声を上げて手を叩いている。

「次はサルサの宙返り!」

 サルサは玉の上で均衡を取りながら恭しく礼をすると、いきなりクルリと宙返りをして乗っていた玉から降りた。そして、前転、後転、側転、逆立ちを次々に披露し、最後にテルミの肩の上に飛び乗り、そこから後方に膝を抱えてクルクルと回りながら身体を横に二回捻る超絶技の宙返りを見せた。

 周囲から「オオ!」という歓声が上がった。歓声がヒトを呼ぶのだろう、テルミ夫婦を取り巻くヒトの数がどんどん増えてきた。みんな娯楽に飢えていて、テルミとサルサに向けられた目がキラキラと輝いている。

「お次は、わたくしテルミの登場! 口に咥えたこの棒の上に何でも乗せて御覧入れまするぅ」

 テルミはそう言うと一セル(十五センチ)ほどの長さの細く丸い棒の端を口に咥えた。そしてサルサが投げる玉や杯や剣を棒の先で器用に受け止めて、その棒の上にピタリと乗せた。棒の上に乗せられた玉や杯や剣はまるで棒に吸い付いているようで、テルミが身体を動かしても棒から離れることがない。

「オオオ!」という驚嘆の声が周囲のあちこちで上がり、出し物が終わる度に大きな拍手が沸き起こった。テルミの手品、サルサの綱渡り、テルミの火炎放射・・・半カクンほどの出し物が終わる頃には、テルミ夫婦の周りは黒山の人だかりとなっていた。

「さあさあお客様方、キョウの出し物は以上でございます。ご覧いただきましたお客様方、楽しかった、面白かったというお気持ちを是非お金に変えて頂きまして、サルサが帽子を持って伺いますので、その中にお入れくださいませ。キョウご覧いただけなかったお客様、もう一度見たいというお客様、アスも日の入り時からこの場所で興行いたします。どうぞお誘いあわせの上ご来場くださいませ。ありがとうございます、ありがとうございます」

 テルミは立て板に水を流すように淀みなく口上を述べると、帽子を取り、腰を折り曲げるようにして深々と礼をした。

 ギギルとシンはサルサの差し出した帽子に気前よく二十シリカ玉を投げ込んだ。それを見て周囲の見物客たちも、なにがしかの金を帽子の中に投げ込んでいく。サルサの帽子の中には思いの外たくさんの金が集まったようで、テルミの前に戻ってきたサルサの顔が明るく輝いていた。


 ギギルとシンが宿屋に戻って遅い夕食を食べていると、テルミとサルサが興行に使う道具を抱えて帰ってきた。テルミの顔がほころんでいる。

「ナハハ、久しぶりに大漁ですわ。ここんところ地震だナンダで稼げなかった分をちょっとは取り戻せました。サクラのおふたりが盛り上げてくれたお陰ですな、アシタも宜しくお願いしますよ。お礼にヴォルトと骨付き焼肉を買ってきましたんで、おふたりでどうぞ。私とサルサもククを腹に入れたら合流しますんで、お先にやっていて下さいな」

 テルミはそう言うとヴォルトの入ったチウシの胃袋の水筒とオニシダの葉に包んだリマの骨付き焼肉をギギルとシンに差し出した。ヴォルトを受け取ったギギルが髭面を歪めてニヤリと笑った。

「こりゃあ有難い、これで俺のヴォルトに手を付けなくて済むぜ」

「もう少ししたら、寝る前にギギルのヴォルトを一口貰おうと思っていたんだ」

 そう言ってシンがニッと笑った。ギギルが口を尖らせる。

「マッタク、シンよ。俺のヴォルトばかり当てにしないで、ちいっとは自分でも買ってこんかい」

「シン・・・」

 鈴が鳴るような声がした。突然名前を呼ばれたシンはキョロキョロと辺りを見回した。

「ギギギ・・・」

「何だいシン」

 ヴォルトの入った杯を持ったギギルがシンの方を振り向いた。ギギルと目が合ったシンが違うと首を横に振った。

「ギギギ・・・」

「シン、もう酔っ払ったのか、ろれつが回っていないぞ。俺はギギルだ」

「シン、ギギギ、シン、ギギギ・・・」

 シンがギョッとして寝台の上のイオリを見た。イオリは寝台の上に置き上がって、翡翠色の大きな瞳を輝かせてシンたちを見ながら、たどたどしく名前を口にしている。

「イオリだ、イオリが喋っている!」

「シン、ギギギ、シン、ギギギ・・・」

「そうか、もう言葉が出る時期か・・・コドモの成長は速いな。ほらイオリ、ギギルと言ってごらん、ギギギじゃなくて、ギ、ギ、ル、ギ、ギ、ル」

 ギギルは蕩けるような笑顔をイオリに向けている。名前を呼ばれたのがよほど嬉しいのだ。

「ギギギ、ギギギ」

「だめだこりゃ」

 ギギルが大げさに天を仰ぐと、シンが大きな口を開けて笑った。

「アハハハ、これからはギギギでいいじゃない。カギ爪のギギギだ。ウン、こっちの方がカッコイイや」

 ギギルは不満げにムウと下唇を突き出した。シンがニッと笑う。

「アシタから私が言葉を教えるよ。イオリ、アシタからお話の仕方の勉強だぞ」

 シンはイオリを抱っこすると、イオリの頭をグルグルと撫でた。

 ギギルとシンがイオリの相手をしながら貰ったヴォルトをチビチビと飲んでいると、テルミとサルサがやってきた。

 ギギルの横の椅子に腰掛けるや否や、テルミが堰を切ったように喋り出した。

「いやいやキョウは本当にありがとうございました。おふたりともサクラがお上手だ、まさか以前にどこかでやっておられた? 初めて?・・・はぁ、とても初めてとは思えない迫真の演技ですな。え? 褒めすぎだ? ナハハ、まあいいじゃありませんか。おや、イオリちゃん、まだオネムじゃない。遮光眼鏡を外すとまた可愛いねぇ・・・ん? その眼は?・・・ウウウッ」

 イオリの顔を覗き込んだテルミは吃驚したような顔をしてサルサを振り返った。

「何さテルミ?」

 サルサはテルミに促されるようにイオリの瞳を見てハッと息を呑んだ。

「イオリちゃん、その瞳の色は・・・外では遮光眼鏡を掛けていたから分からなかったけど、なんて綺麗な・・・翡翠色? まさか・・・」

「イテテテ、腹が急に・・・」

 テルミがワザとらしく腹を抑えて呻き声を上げた。テルミの顔は血の気が引いて青白い。

「皆さん、私はこれで失礼します。サルサ、部屋で休むよ」

「大変、それじゃあたしも一緒に・・・皆さん、ごめんなさいね。ゆっくり飲んで下さいな」

 テルミとサルサはそう言うと、後ろも振り返らずにバタバタと自分たちの部屋に駆け戻った。ギギルとシンはポカンとした顔でテルミたちの背中を見送った。

「急にどうしたんだろう、何か悪いものでも食べたんだろうか。これは大丈夫かな?」

 シンは貰った骨付き焼肉の臭いをクンクンと嗅いでいる。ギギルはヴォルトをグビリと一口飲んだ。ギギルの眉間にはしわが刻まれている。テルミとサルサの態度の急変がどうも引っ掛かるのだ。

「ウウム、イオリの瞳の色を見た途端テルミの顔色が変わった。イオリが女王候補者と気付いたからなのか・・・」

 シンの顔色が曇った。

「まさか監督使?」

「いや、テルミやサルサが監督使とは思えん。殺気が感じられんからな。左手首に金色の腕輪もなさそうだし・・・」

「まさかサリー教?」

「卵のイオリならともかく、コドモのイオリにサリー教が関心を示すとは思えんが・・・とにかく油断しないことだな。シンもイオリから目を離すな」

 油断するなと言いながらも、ギギルはヴォルトをもう一口飲んだ。ヴォルトを控える気はなさそうだ。シンはギギルの言葉に頷くと膝の上に座っているイオリの頭を優しく撫でた。イオリは既にコックリコックリと舟を漕いでいた。


 日の出時までにはまだ二カクンあるという暗闇の中、テルミの部屋の扉が静かに開いて、荷物を抱えたテルミとサルサが周囲に目を配りながら廊下に出てきた。廊下にはギギルの立てる規則正しいいびきの音が響いている。ふたりは足音を忍ばせて廊下を歩くと、宿屋の受付の前を抜けて出入口に向かった。宿屋の出入口の扉の閂をゆっくり外して扉を開くと、ギギギという扉のきしむ音が辺りに響き、ふたりは思わずハッと首をすくめた。ふたりはその場でしばらく息を潜めていたが、誰も起きてくる気配がない。ふたりはゆっくりと肩の力を抜いてホウと息を吐くと、扉を抜けてヨルの闇の中に消えた。

 テルミとサルサは共同畜舎の横の広場に止めてある自分たちの荷車に近づくと、辺りを見回してから抱えてきた荷物を荷車に投げ込んだ。サルサが荷車に乗り込むと、テルミは畜舎に向かい、二頭のリマを引き出してきた。まだ寝ていたところを起こされた二頭のリマは不機嫌そうにブルブルと首を振り、蹄で地面をカリカリと掻いている。

「シイーッ、静かに。いい子だから、ホレ、言うことを聞いておくれ・・・」

 テルミは二頭のリマを荷車に繋ごうと、暗闇の中で悪戦苦闘していた。

「こんなに暗くっちゃ、やり難いだろう。手伝おうかテルミ」

 いきなり声を掛けられたテルミは、小さな悲鳴と共に飛び上がった。

 荷車の横にはギギルが立っていた。ギギルは鞘に入ったままの長剣を左わきに挟み、いつでも抜けるように剣の柄に手を掛けている。テルミはそれを見るとガタガタと震え出した。テルミは地面に膝を突くと胸の前で両手を擦り合わせて頭を下げた。

「あわわ・・・ご勘弁を・・・お金ならここに、え? お金じゃない?・・・まさか私の命を・・・え? 違う?・・・」

 荷車からサルサも降りてきて、テルミの後ろで膝を突いてギギルを見上げた。

「ギギルさん、お願い見逃して・・・」

 ふたりの姿を見つめるギギルの顔に浮かんでいるのは困惑の色だ。ギギルにはふたりを傷つける気など毛頭ないのだ。

「テルミ、いったいどういうことなんだい。こんな風に逃げ出すなんて尋常じゃないぜ。俺は別に危害を加えるつもりはないから、ともかく一旦宿に戻って、座ってチャルでも飲みながら話を聞かせてくれないか」

 テルミは観念したように頷くと、サルサの手を取ってゆっくりと立ち上がった。


 テルミ夫婦の宿泊していた部屋の中で、テルミとサルサは窓際の寝台に並んで腰を掛けていた。その隣の寝台に、まだ寝ているイオリを膝の上に抱えたシンが腰を掛け、寝台の横の粗末な椅子に、ギギルがテルミとサルサに向かい合うようにして座っている。

 テルミはシンの淹れたチャルの入った椀を両手で抱えて、しばらくクルクルと手の中で回して何かを考えていたが、おもむろにグイっと一口チャルを飲むと静かな声で話し始めた。

「私もサルサも実は本当の名前じゃありません。本当の名前? それはご勘弁くださいな。私はここから回廊をずっと上った先にある、上層帯のコルトバンという大きな街で生まれました」

 コルトバンという街の名前を聞いたギギルが一瞬ビクリと身体を震わせた。シンがチラリと横目でギギルを見たが、ギギルはテルミの方を向いたまま表情を変えない。テルミはそれに気づかず話を続けた。

「私の実家はコルトバンで昔から小さな雑貨屋をやっていましてね、私もよく店番をさせられたもんです。それと、私の家ではデンショツバメを二十羽ほど飼っていましてね、その世話は私の役目でした。可愛いもんで、籠の扉を開けても逃げないんですよ。たまにどこかにパッと飛んで行っても、しばらくするとちゃんと帰ってくるんです。あれは不思議なもんですな」

 テルミはチャルを一口啜った。

「私の母親は卵の私を産んでから直ぐに亡くなりまして、私は父親に育てられました。だから母親の顔は知りません。その父親も私が体形変化期を迎えてから五トング後に亡くなりました。ヨルになって急に熱が出て咳が酷いなと思っているうちにポックリですわ、アッという間でしたな。

 その父親が今わの際に私を呼びましてね。ゼイゼイという息をしながら、私の一族は遥か昔から女王の耳としての役目を負っていると言うんです。代々コルトバンに住んで、女王のために必要な情報を女王の住む城に届けるんだそうです、飼っているデンショツバメを使ってね。父親は私の手をギュウッと握って、女王の耳の役目をお前が引き継ぐんだと言うなり力尽きました。私にしてみれば何のことか分かりませんわ、女王というのも伝説の類としか思っていませんでしたしね。ですからそのトキは父親も最後に高熱で頭がいかれちまったかと思いましたよ。

 ところが、父親の葬式が終わったヨルに監督使がきたんです。真っ黒な頭巾付きの上着を着た痩せたオトコでした。頭巾に隠れて顔は見えませんでしたが、チラリと見えた両手はしわだらけでしたね。左手首に金色の腕輪が光っていました。入口の扉を開ける音も立てずに、霧のように部屋の中にユラリと現れたトキには、死神が迎えにきたのかと肝をつぶしましたよ。

 その監督使は私に向かって、しゃがれたキイキイという耳障りな小さな声で、女王の僕『女王の耳』を命ずると宣言しました。そして、手に持っていた分厚い本を開いてから、私の左手を取ると薬指の先に小さな針で傷をつけ、血の滲んだ薬指をその本に押し付けたのです。なぜか私は身体を動かすことができず、抵抗もできませんでした。声すら出せなかったんです。

 開かれた頁には数え切れないほどの名前が並び、その下に黒々と変色した血判が押されていました。私の祖父の名前があり、その隣に私の父親の名前があり、更にその隣に新しく書かれた私の名前と赤く滲んだ私の血判が並んでいました。監督使は私を見て口元だけを歪めてニヤリと笑ったようですが、私はその後のことを覚えていません。気が付くと日の出時を過ぎていて、私は床に倒れていました。手に女王の耳となったことを示す契約書の写しを握っていました。その契約書にはどういった情報をどのようにして女王に届けるのかが書かれていて、最後に、契約を破る者には死が与えられると締め括られていました」

 テルミはホウッと一息つくと右掌で額の汗を拭い、ぬるくなったチャルをガブリと飲んだ。テルミの膝の上に置かれた左手をサルサが優しく握った。シンは少し驚きを浮かべた表情でテルミを見ている。ギギルは眉間にしわを寄せ、底光りするような目でテルミを見ている。テルミが話を続けた。

「女王の耳といっても、情報を送ることなんてそんなにしょっちゅうありゃしません。二~三ギグに一回デンショツバメの足に情報を書いた紙を巻き付けて放す程度で、その内容もどこかで事故があっただの、軍隊の演習があっただの、誰か偉い人がガンデラからきただの、まあどうでもいいような情報ですわ。それでも一ギグに一回、雑貨屋の奥にある私の机の引出しの中に、いつの間にか報酬のシリル金貨が一枚入っているんです。ですから私の家の雑貨屋は全く繁盛していませんでしたが、この報酬のお陰で生活に困ることはなかった。

 父親が死んでから四トング過ぎてサルサと結婚しました。ホシヨミ祭りのヨルに若者が集まって輪になって踊るんですが、そこで知り合いましてね。その頃のサルサはぽっちゃりしていて、ほっぺが赤くて可愛い顔をして、そう、一目惚れですわ。こりゃ何とかしなくちゃいかんと必死になりましてね。そこで踊りにかこつけて手を握りまして、そんでもって・・・え? そこはいい? ここからがいい所なんですが・・・ゴホッ。

 そう・・・サルサと結婚してから三トング経ったトキです。コルトバンの街の、ある軍人さんの家で、奥さんが不思議な色をした卵を産んだという噂が流れてきたんです。噂の出どころは知りませんが、おそらく産婆さんか使用人じゃないでしょうかね。不思議な色の卵の情報は女王の耳の契約書に記載された中でも最重要の情報とされていまして、その情報を得たら直ちに女王の元へ送るよう厳命されています。そこで私は慌てまして、一羽だと途中でザドラに襲われる恐れもありますから、三羽のデンショツバメにその情報を書いた紙を括り付けて放ったんです。それがどういう結果を生むかも知らずにね。

 ええ、その軍人さんの奥さんと産まれた卵は監督使の手で殺されました、むごい話です。今の女王が、産まれてきた新しい女王候補者を抹殺していた何て知らなかった・・・私はヒト殺しに加担させられたんです。奥さんと卵が殺されたのは私の情報のせいなんです。私は耐えられなかった・・・だからサルサに全てを打ち明けて、実家の雑貨屋はそのままにして逃げ出したんです。ふたりで名前を変えて、旅芸人を始めたんです。監督使から逃げ回るという、将来の当てのない生活ですが、それなりに楽しいこともありました。あれからもう十トングですか、長いような短いような・・・。

 さっきイオリちゃんの綺麗な翡翠色の瞳を見てギョッとしたんです、女王の耳の契約書に書かれていた女王に報告すべき最重要情報のひとつに『翡翠色の瞳』がありましたから。イオリちゃんは女王候補者に間違いありません、そうすると監督使がイオリちゃんを殺しにやってくる。皆さん方と一緒にいれば監督使と鉢合わせして、そこで私らが女王の耳の契約を破って逃げていると分かると、私らも監督使に殺されます。だから皆さん方と別れるしかないと思って、皆さん方が寝ている隙にこの街を出発しようとしていたんです」

 テルミが目を瞑り疲れたように項垂れると、サルサがテルミの手を取って掌で優しく擦った。シンは想像を超える話を聞いて言葉を失い、呆然とテルミを見ている。

 テルミの顔を底光りする目でじっと見つめていたギギルが掠れた声を上げた。

「コルトバンの街で軍人の妻と卵を殺した監督使がどんなやつだったのか、テルミは知らないか」

 テルミはスッと顔を上げてギギルを見た。

「女王の耳は情報を集めて女王に届けるだけで、自分以外に誰が女王の耳なのかも知りませんし、監督使と会うこともないのです。私が監督使を見たのは女王の耳の契約のトキだけなんです・・・ただ・・・」

「ただ?」

「ええ、事件のことを聞いて、私はサルサと一緒に事件現場の軍人さんの家の前まで行ってみたんです。まだ警備隊が家の中を捜査していましたけど、既に家の周りは野次馬でいっぱいでした。まあ、ヒトゴロシなんて滅多にありませんからね、みんな興味津々ですわ。しばらくすると警備隊長と軍服を着たがっしりとした身体つきのオトコが家の中から並んで出てきました。そのオトコの着ていた軍服はコルトバンと軍事協定を結んでいるガンデラ軍のものでした。まあ、どちらの軍服もよく似ていますけどね。

 警備隊長とその軍人は、私とサルサの目の前を何らや話しながら歩いて行ったんですが、警備隊長の声を聞いて思わずギョッとしました。しゃがれたキイキイという耳障りな声は女王の耳の契約を告げにきた監督使の声にそっくりだったんです。警備隊長はその隣の軍人のことをソトルと呼んでいました。ええ、私の従兄弟と同じ名前だったんでオヤッと思って覚えているんです。ソトルと呼ばれた軍人が、被っている帽子を直そうと左手を上げた際に、左手首に嵌められた金色の腕輪がチラリと見えたんです。あのふたりはたぶん監督使ですよ、軍人の奥さんと卵を殺した監督使かどうかは分かりませんがね。

 それと不思議なことに、殺された奥さんの旦那さん、この方はコルトバン軍の司令官だったらしいんですが、この方が事件の直後から行方不明になりましてね、この方が何かご存じかも知れませんな。ひょっとしてこの旦那さんが犯人だったりして」

 突然ギギルが椅子を後に蹴り倒してテルミに飛び掛かった。ギギルの右手がテルミの胸ぐらを掴んで吊るし上げている。テルミが両手をバタバタと動かして、グウウと苦し気な声を上げた。シンが慌ててギギルの腕を抑えて、引きずるようにしてテルミから引き離した。

 テルミは喉を抑えて苦し気に声を絞り出した。

「ゲホゲホ・・・ギギルさんいったい何を?・・・私が何かしましたか?・・・」

「何かしましたかだと! 全てはお前のせいだ!」

 ギギルの顔は怒りのためにどす黒く変色している。テルミを睨みつけるギギルの目は燃えているようにギラギラと光っていた。怒りが胸の奥でグラグラと沸騰して、ギギルの身体は瘧に罹ったようにブルブルと震えている。ギギルの脳裏には、胸から血を流して床に倒れたリリカの姿と、保育器の中で無残に割られて血の海に沈んでいた卵の姿がハッキリと蘇っていた。

 テルミは何が何だか分からないまま、怯えた目でギギルを見た。テルミは震える声で言った。

「ギギルさんが何を怒っていらっしゃるのか分からないんです・・・」

「しかも、この俺が犯人だと! この野郎!」

 ギギルは左手に嵌めている手袋を投げ捨てると、カギ爪をテルミに向かって振り上げた。

「ギギルやめて!」

 シンが両手を広げて、テルミを庇うようにギギルの前に立ち塞がった。ギギルはカギ爪を頭上に振り上げたまま、その場で動かなくなった。ギギルの両肩が激しく上下に揺れている。

「ギギル、ヤメテ、ギギル、ヤメテ」

 寝台の上に置き上がったイオリが翡翠色の大きな瞳をギギルに向けて、一生懸命たどたどしい声を上げた。

 イオリの声を聞いたギギルはフッと力を抜き、カギ爪をゆっくりと下した。ギギルの顔から怒りの色が消えていく。ギギルは静かに目を伏せた。ギギルの胸の奥で渦巻いていた灼熱の怒りが瞬く間に冷めて、硬いしこりとなって残った。いや、それは胸の中にポカリと空いた空洞だ。

「みんな、すまん・・・血迷っちまった・・・」

 ギギルはそう言うと、ノロノロとした動作で床に落ちている手袋を拾い上げて左手に嵌め、椅子にドサリと座った。そしてガクリと項垂れると、右手で頭を抱えて動かなくなった。シンはギギルの肩に手を置くと、静かに言った。

「ギギル、こういうトキは落ち着いて、チャルでも飲もうよ」

「あたしが新しいチャルを淹れてきます」

 サルサがそう言って立ち上がり、部屋を出て行った。


 ギギルはサルサが淹れてくれたチャルを啜りながら、妻と卵の仇討ちの旅に出ることになった経緯をポツリポツリと語った。ギギルの話を聞くにつれて、テルミの目が大きく見開かれた。

「そんな・・・それじゃギギルさんが、あの殺された奥さんと卵の旦那さんなんですか・・・何てこった・・・私はどうすればいいんでしょうか、罪を償うことができるんでしょうか・・・それに私は酷いことを言っちまった、旦那さんが犯人かもなんて・・・申し訳ない、私はバカです」

 テルミは両掌で顔を覆った。ギギルはチャルの入った椀を右手に持ったまま静かに言った。

「いや、俺の方こそ血迷っちまった、すまん。悪いのは監督使とそれを操っている女王なのにな、まだまだ修行が足りんよ」

 穏やかないつものギギルの声に戻っていた。

 サルサはテルミの肩を優しく抱くと、涙を溜めた目をギギルに向けた。

「テルミは今も夢にうなされているんです、殺された奥さんと卵のことが頭の中から消えないって・・・テルミは優しくて弱いヒトなんです、だから逃げたんです。許してくれとは言いません、でも、テルミも苦しんでいることは分かってあげてください」

「リリカと卵の仇討ちは俺に課せられた使命だ、決着は俺がつける。テルミ、お前さんに罪はないよ、この俺が言うんだから間違いない。お前さんはこれ以上悩む必要はないから、サルサと一緒に旅を続けなよ。テルミ夫婦の芸は天下一品だ、俺が保証するぜ」

 ギギルは憑き物が落ちたようなスッキリとした顔でテルミを見つめ、最後に髭面を緩めてニヤリと笑った。テルミとサルサがスウッと頭を下げた。

「シン、ギギル、シン、ギギル・・・テルミ、サルサ・・・」

 イオリがシンの腕の中で身体を捩ると、たどたどしい口調で名前を呼んだ。ギギルは目に温かな色を浮かべてイオリの頭を優しく撫でた。

「オッ、ギギルと言えるようになったか、偉いぞイオリ。どういう巡り合わせなのかは分からんが、俺はシンとイオリに出会って一緒に旅をしている。イオリの命を狙う監督使からイオリを守り抜くことが俺の使命だと感じているんだ。俺の仇討ちは多分その先にあるはずだ。シン、お前さんの巡礼者としての使命はイオリを導くことだよ、導く先がどこなのかは分からんがね」

 シンにはギギルの言葉が腹の底にストンと落ちたのだろう。悟ったような顔をギギルに向けた。

「ギギル、それじゃあ、私たちはイオリの持つ女王の力に呼び寄せられて、巡り合ったってことかい?」

 ギギルは力強く頷いた。

「そうでなきゃ、こんな偶然はないだろう。そう、これは・・・運命なんだ」

 テルミが真っ赤な顔をして突然立ち上がった。テルミの目が燃えるように光っている。これから進むべき道がハッキリとテルミに見えたのだ。

「そうですよ! 私たちもイオリちゃんに呼び寄せられてここにきたんですよ。私の罪を償う方法はイオリちゃんを守ることなんだ。な、サルサ? そうに違いない。ギギルさん、シンさん、一緒に行きましょう。監督使なんぞを恐れてちゃいけないんだ、いざとなればギギルさんがやっつけてくれるし。え? 知らない? そんなつれないことを・・・ナハハ、まあ、いいじゃありませんか。ああ、もうすぐ日の出時だ、こうしちゃいられない出発しましょう」

 テルミの豹変にギギルは目を白黒させている。

「テルミ、お前さんキョウのヨルもここで興行するって触れ回っていたじゃないか。お客さんをすっぽかしちゃっていいのかい」

「何を言ってんですか、ギギルさん。善は急げですよ。え? 善じゃない? 急がば回れ? これは違うか・・・ナハハ、いいんですよ。なあ、サルサ」

 テルミの心が暗闇から解き放されたことが分かったのだろう、サルサの顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。

「何だかこのヒト急に元気になっちゃって・・・すいませんねぇ」

 シンは部屋の中を見回すと、わざとしかつめらしい顔をして言った。

「ねえみんな、こういうトキは落ち着いて、座ってチャルでも飲もうよ」

「俺は景気付けにヴォルトでもいいぜ」

 ギギルが髭面を歪めてニヤリと笑うと、釣られるように、イオリが翡翠色の大きな瞳を輝かせてウキャキャキャと大きな声で笑った。

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