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弟の婚約者がどうみてもドアマットヒロインなので愛でることにしました。  作者: ちょこだいふく


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6/23

削られない時間



 朝、目を覚ましたとき、ミレイユは一瞬だけ混乱した。


 ――ここは、どこだろう。


 天井を見つめ、次に自分の息遣いに気づく。

 いつもより、浅くない。

 胸の奥が、ひどく痛くもない。


 すぐに思い出す。


 昨夜は遅くまで掃除をしていた。

 床を拭き、階段を磨き、使用人が残したままの道具を片付けて。


 疲れているはずなのに、

 目覚めは、思ったより悪くなかった。


 それが、少し不安だった。


 ――油断してはいけない。


 身支度を整え、簡単な朝食を済ませる。

 量は少ない。

 いつも通りだ。


 屋敷の門前には、すでに馬車が来ていた。


 今日も、迎えが来ている。


 それだけで、胸の奥がきゅっと縮む。


 嬉しい、とは言えない。


 その感情の正体が、まだよく分からなかった。



 アルデハイト侯爵邸に着くと、

 昨日と同じ侍女が出迎えた。


「おはようございます、ミレイユ様」


 “様”。


 呼び方に、まだ慣れない。


「……おはようございます」


 声が、昨日より少しだけ出た気がした。


 リアナ様は、すでに執務机に向かっていた。


「おはよう。

 体調はどう?」


 それは、確認であって、試験ではない。


「……問題、ありません」


 言いながら、胸の奥を探る。


 本当に?


 眠い。

 少し、身体は重い。


 でも、“動けない”ほどではない。


「そう」


 リアナ様はそれ以上、追及しなかった。


「今日は、昨日と同じでいいわ」


 同じ。


 それは、

 また何もしなくていい、という意味だ。


 少しだけ、肩の力が抜ける。



 午前中、ミレイユは書庫で過ごした。


 本を読むでもなく、

 ただ、棚の前に立ち、背表紙を眺める。


 触れてもいい。

 戻さなくても、怒られない。


 それだけで、時間がゆっくり進む。


 昼食は、昨日と同じ場所で取った。


 温かい。

 急かされない。


 食べる速度が、昨日よりも遅くなっていることに、

 本人だけが気づいていない。


「……あの」


 食後、ミレイユは小さく声を出した。


「なに?」


「……午後も、本当に……自由、ですか」


「ええ」


 即答だった。


「眠くなったら、横になってもいいのよ」


 ミレイユは、言葉を失った。


 眠る、という選択肢が、

 昼に存在するとは思っていなかったからだ。


「……叱られませんか」


「叱る理由がないわ」


 それだけだった。



 午後、ミレイユは窓際の椅子に座った。


 光が、柔らかい。


 目を閉じても、

 何かを失う気がしない。


 気づけば、意識が浅く沈んでいた。


 ――夢は、見なかった。


 目を開けると、

 どれほど時間が経ったのか分からない。


 でも、頭が重くない。


 それが、怖かった。


 “楽”なのに、

 “慣れてはいけない”気がする。



 夕刻、帰りの馬車が用意された。


「今日は、ここまで」


 リアナ様は、昨日と同じ言葉を使う。


 変わらない。

 だからこそ、安心する。


 馬車に乗り込むとき、

 ミレイユは小さく頭を下げた。


「……ありがとうございました」


「また明日」


 その一言で、

 胸の奥に、小さな灯がともる。



 夜。


 屋敷に戻ると、待っていたように仕事を言いつけられた。


 掃除。

 片付け。

 手伝い。


 身体は、正直だった。


 昨日より、少しだけ、つらい。


 昼に休んだ分、

 夜の疲労が、はっきり分かる。


 それは、初めての感覚だった。


 ――今までは、

 疲れていることすら、分からなかった。


 布団に入る頃、

 ミレイユは天井を見つめた。


 明日も、迎えが来る。


 そう思うと、

 胸の奥が、静かに緩む。


 現状はまだ救われてはいない。

 何も、変化してないし解決もしていない。


 それでも――


 削られない時間が、

 確かに、ここにある。


 それだけで、

 人は、少しずつ変わるのだと。


 ミレイユは、まだ知らない。


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― 新着の感想 ―
泊まりじゃないなら逆に大変な気もするけどどうなんだろう?馬車の移動って疲れるって言うし…
「……叱られませんか」 「叱る理由がないわ」 ↑人に必要なのは、こういう母性なのかも知れない。
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