元気になりすぎる
最初は、本当に思いつきだった。
「……お菓子、作ってみてもいいですか」
昼下がり、
ミレイユがそう切り出したのは、
ほんの気まぐれだった。
リアナは書類から目を上げる。
「もちろん、いいわよ」
「キッチンも空いているわ」
それだけだった。
許可でも、特別扱いでもない。
“やっていい”が、当たり前に返ってきただけ。
ミレイユは、少し嬉しそうに微笑むと、小さく頷いた。
「…はい」
⸻
キッチンに立つのは、久しぶりだった。
でも、手は覚えている。
粉を量る。
卵を割る。
砂糖を混ぜる。
難しいものじゃない。
焼き菓子だ。
混ぜながら、
ミレイユは不思議と落ち着いていた。
誰にも急かされない。
失敗しても、怒られない。
今日は、
うまくできても、できなくてもいい。
その余裕が、
胸の奥を温かくする。
――楽しい。
そう思った瞬間、
空気が、少しやわらいだ。
本人は、気づいていない。
⸻
焼き上がったお菓子は、
見た目は普通だった。
「…できました」
少し緊張した声。
リアナは、
紅茶を用意しながら言う。
「ありがとう」
まず一つ、取る。
特別な香りがするわけでもない。
見た目も、よくある焼き菓子。
一口、かじる。
「……」
リアナは、動きを止めた。
「……?」
ミレイユが、不安そうに覗き込む。
「……おいしいです…か?」
「ええ」
即答だった。
だが、それだけでは終わらない。
胸の奥に、
すっと風が通る。
頭が、妙に冴える。
さっきまで感じていた
小さな疲労が、消えている。
「……これは…」
リアナは、もう一口食べた。
確信する。
これは、
“回復”だ。
⸻
その後が、少し大変だった。
味見をした使用人が、
「……あれ?
やけに身体が軽いです……」
と言い出し、
午後の作業が、
異様に捗り始める。
「いつもより、
全然疲れません……」
「え、私もです」
食べた使用人たちが、ざわつく。
ミレイユは、
完全に固まっていた。
「…???」
リアナは、額に手を当てる。
「……ミレイユ」
「は、はい……!」
「次から、
お菓子を作るときは、
量を考えましょう」
「……?」
意味が分からない、という顔。
リアナは、
少しだけ困ったように笑った。
「あなたが作ったもの、
どうやら質の良い癒しが“入る”みたいなの」
ミレイユの目が、
まん丸になる。
「…え??
わ、私…何も…え…??」
「ええ、あなたはおそらく、何もしてないわ」
即座に否定する。
「楽しんでただけでしょう?」
「…はい!」
「それでこれよ」
リアナは、
残っていたお菓子を見る。
「ほぼ、
…ポーションみたいなものね」
「……ぽ、
ポーション……?」
言葉をなぞるように、繰り返す。
リアナは、
真顔で頷いた。
「美味しくて元気になるポーションね」
⸻
その夜。
ミレイユは、ベッドの上で考えていた。
自分が作ったお菓子。
食べた人が、元気になったこと。
正直驚いた。
けれど怖くはなかった。
むしろ。
食べた人が笑っていた。
身体が軽くなった、と言っていた。
それが、
嬉しかった。
胸の奥が、
また、温かくなる。
力は、静かだ。
でも、確かに、
そこにある。
――私が、楽しいとき。
――私が、安心しているとき。
それが、
そのまま、形になる。
「……不思議……」
そう呟いて、
ミレイユは、眠りについた。
——————
その報告は、
リアナから父へ、静かに行われた。
夕刻の執務室。
書類を広げる父の前に、
リアナは簡潔に事実を並べる。
「ミレイユが作った焼き菓子を食べた者が、
見て明らかなほど回復しています」
「疲労軽減。
集中力の向上。
軽度の不調の改善」
「持続時間は短いですが、
効果は安定しています」
父は、黙って聞いていた。
途中で眉をひそめることも、
驚いた様子を見せることもない。
「……非常に…効きすぎるな」
ただそう言った。
「はい」
リアナも、否定しない。
「意図的に強めたわけではありません。
ただ、日常の延長でこの効果です」
父は、指を組む。
「市井に流れたら?」
「噂になります」
「売買されたら?」
「管理できません」
答えは、分かりきっている。
「……隠す、という選択はないな」
父は、はっきり言った。
「ええ」
リアナも、同じ考えだった。
「王国に、正式に報告しましょう」
“守るために、表に出す”。
それが、この家のやり方だ。
⸻
数日後。
王城の一室で、
簡易的な聴取が行われた。
裁きの場ではない。
責任の所在を明確にするための場だ。
「癒しの力が、
作ったものに宿る、と」
担当官が確認する。
「はい」
リアナが答える。
「本人が意図しなくても、
安心して楽しく過ごした結果として」
「……危険性は?」
「暴走はありません。
むしろ、環境が乱れると発現しません」
記録魔法による裏付けも、
淡々と提出される。
派手な再生はしない。
“ある”という事実だけで、十分だった。
⸻
「結論として」
王国側の代表が言った。
「現状のままでは、
個人の管理を超えています」
リアナは、静かに頷く。
「そこで、提案があります」
その言葉に、
ミレイユは、少しだけ身構えた。
「保護の名目を、
より安定したものにしたい」
書類が、一枚差し出される。
「――養子縁組です」
場が、静まる。
政略でも、
見せしめでもない。
「能力のため、ではありません」
念を押すように、言葉が続く。
「生活基盤を固定するためです」
「誰の養子に?」
尋ねる。
返答は、即座だった。
「アルデハイト家、
もしくは信頼できる王国貴族家を希望します」
リアナは、横にいるミレイユを見る。
彼女は、
まだ、判断できる顔をしていない。
だから。
「決断は、急ぎません」
リアナが言った。
「本人の意思を、最優先に」
父も、静かに頷く。
「……まずは、
“選択肢”として提示しましょう」
⸻
帰りの馬車。
ミレイユは、
膝の上で手を握っていた。
「……私……
何か、勉強とかをした方がいいのでしょうか……」
小さな声。
リアナは、すぐに首を振る。
「いいえ」
「これは、
あなたを縛る話じゃない」
「むしろ、
あなたが安心して生きるための話」
「もちろんあなたが勉強したいと思うならしたらいいわ。私たちがあなたに求めることは、安心して生きなさいと言うことね」
ミレイユは、
少しだけ考えてから、呟いた。
「……安心、って……
私が…選んでも、いい、ということですか…?」
「ええ」
即答だった。
「選ばなくてもいいし、
選んでもいい」
ミレイユの胸の奥が、
静かに、温かくなる。
力は、今日も安定している。




