祝福の花
アルデハイト侯爵邸に戻ったのは、
夕暮れ前だった。
街の喧騒が遠ざかり、
屋敷の静けさが、ゆっくりと戻ってくる。
ミレイユは、部屋に入ると、
いつもより深く息を吐いた。
「……楽しかった……」
言葉にした瞬間、
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
街を歩いたこと。
お茶を飲んだこと。
教会で、静かに座った時間。
どれも派手ではない。
でも――
確かに、心に残っている。
ベッドに腰掛けると、
身体の力が、自然に抜けた。
疲れているはずなのに、
嫌な重さはない。
むしろ、
胸の奥が、満ちている。
――あれ?
ミレイユは、そっと自分の手を見る。
指先が、
淡く光っていた。
「……?」
慌てて、手を握る。
光は、消えない。
熱は、ない。
痛みも、ない。
ただ、
静かで、柔らかい光。
呼吸に合わせて、
ゆっくりと、明滅している。
「……これ……」
怖さは、なかった。
驚きはある。
でも――
嫌ではない。
むしろ、
安心している。
光は、
ミレイユの胸元から、
そっと広がっていく。
空気が、やわらぐ。
部屋の隅に置かれていた、
小さな鉢植え。
今まで、
元気があるとは言えなかったそれが、
ふるりと揺れた。
葉の色が、
わずかに濃くなる。
「……え…」
次の瞬間。
蕾だったはずの先端が、
静かに、開いた。
音もなく。
急ぐこともなく。
まるで、
そこに咲くのが当たり前だったかのように。
ミレイユは、
しばらく言葉を失っていた。
これは、
街で感じた“あの温かさ”と、同じだ。
安心。
満たされているという感覚。
――幸せだ。
その感情が、
そのまま形になっている。
そう、
直感的に理解した。
⸻
一方、その頃。
王都の外れにある、
小さな教会。
夕刻の祈りを終えた神父は、
何気なく中庭へ足を運んだ。
「……?」
そこで、
立ち止まる。
中庭の片隅にある、
一本の木。
長く手入れが行き届かず、
今年はもう無理かもしれないと
思われていたそれが――
「……花?」
枝先に、
淡い花が咲いている。
しかも、一輪ではない。
葉は瑞々しく、
幹には、確かな生命力が戻っている。
「…そんなはずは」
神父は、
ゆっくりと近づいた。
土に触れる。
冷たくない。
乾いてもいない。
むしろ、
よく整えられた庭のようだ。
だが、
誰も手を加えていない。
今日、
教会を訪れたのは――
「……先ほどの…」
思い出す。
静かに座り、
祈りも言葉もなく、
ただ、目を閉じていた少女。
名も、身分も聞かなかった。
だが。
「……祝福?」
神父は、
胸の前で小さく十字を切った。
これは、
神に捧げられた祈りではない。
人が、人として安らいだ結果だ。
そんな奇跡が、
本当にあるのだとしたら。
神父は、
咲いた花を見つめていた。




