知らないうちに満たされていた
王都での生活は、
思っていたよりも、静かだった。
特別なことは、何も起きない。
朝は、決まった時間に起きる。
朝食を取る。
日中は、書庫や応接室で過ごす。
誰かに急かされることも、
叱られることもない。
――それだけ。
それだけなのに。
ミレイユは、
毎日少しずつ、困っていた。
「……何を、すればいいのか……」
やるべきことが、ない。
それは、
こんなにも落ち着かないものなのか。
⸻
リアナは、
何も指示を出さなかった。
「今日は何をすれば良いでしょうか…?」
と聞いても、
「あなたが決めて」
と、返される。
困って立ち尽くしていると、
「決められない日もあるわ。
そう言う時は、それでいいじゃない。」
と、平然と言われる。
それが、
いちばん戸惑った。
怒られない。
評価されない。
頑張らなくても、
ここにいていい。
――意味が分からない。
⸻
ある日、
リアナが何気なく言った。
「そのリボン、似合っているわね」
それだけ。
評価するつもりはなさそうな口調。
ミレイユは、
一瞬、理解できなかった。
「……え……?」
「色があなたに合っていると思うわ」
それ以上、言わない。
その日一日、
胸の奥が、妙に温かかった。
理由は、分からない。
⸻
別の日。
食事の席で、
ミレイユが少し多めに取ったパンを見て、
「それで足りる?」
と、リアナが聞いた。
責める声ではない。
確認だ。
「…はい」
「ならいいわ」
それだけで、話は終わる。
残しても、
怒られない。
全部食べても、
褒められない。
でも、
否定もされない。
ただ、私が私であることを認められている。
それが、
少しずつ、身体に染みていった。
⸻
夜、部屋に戻る。
怒鳴り声は、ない。
仕事も、ない。
代わりに、
「今日どうだった?」と聞かれる。
答えられなくても、
責められない。
「……分かりません」
そう言うと、
「そういう日もあるわよね」
と、返ってくる。
毎日が、
そんな調子だった。
⸻
数日経った頃。
ミレイユは、
ふと気づく。
夜、驚くほどぐっすり眠れている。
夢を、見ない。
朝、身体が重くない。
――あれ?
これは、
良いことなのだろうか。
そう考えてから、
慌てて首を振る。
期待してはいけない。
ここは、仮の場所だ。
ずっといられるとは、
限らない。
でも。
胸の奥が、
じんわりと、満たされている。
それを、
否定しきれなくなっていた。
⸻
その日、
書庫で本を読んでいたときだった。
指先が、
少し、熱い。
「……?」
気のせいだと思い、
本に視線を戻す。
次の瞬間。
ページの端に、
淡い光が滲んだ。
驚いて、
本を落とす。
光は、すぐに消えた。
周囲を見回す。
誰も、いない。
「……今の…なに…」
胸が、早鐘を打つ。
怖い。
でも――
嫌ではなかった。
身体の奥から、
静かな温かさが、広がっている。
痛くない。
苦しくない。
ただ、
安心している。
それが、
はっきり分かった。
⸻
その夜。
リアナの前で、
ミレイユは小さく切り出した。
「……あの……
今日……少し……変なことが……」
話し終えると、
リアナは、すぐに答えなかった。
だが、
驚いてはいなかった。
「……そう」
静かな声。
「それは、きっとあなたが
“幸せを感じた”ときの反応ね」
ミレイユは、言葉を失う。
「……これが……
幸せ……?」
「ええ、そう思うわ」
断言ではない。
でも、否定でもない。
「自覚がなくても、
身体は正直よ」
リアナは、少しだけ口元を緩めた。
可愛がられて、
守られて、
安心して
……その結果
ミレイユの胸が、
どくん、と鳴る。
能力だとか、
特別だとか。
そんな言葉よりも。
私は、ここで幸せを感じた。
その事実の方が、
ずっと、衝撃だった。




