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#046 郷愁、そして新たなる旅立ち

 熱狂と成長と、そして星空の下の小さな約束。

 僕たちの夢のような夏の強化合宿は、終わりを告げた。――そして。

 八月、お盆。世間が、故郷への帰省ラッシュで賑わう季節。

「――ただいま」

 がらりと、懐かしい玄関の引き戸を開ける。

 土間のひんやりとした感触と、線香の匂い、そして味噌汁の香り。何もかもが、僕が知っている、僕の実家そのものだった。

「あら、晴人。お帰り」

「おう、晴人か。その姿で、よくやっているようだな」

 ぱたぱたと、台所から駆け寄ってきた母と、居間で新聞を読んでいた父。二人は、僕の姿を、まるで昔からそうだったかのように受け入れた。

 彼らの前に立っているのは、数ヶ月前に、都会へと旅立っていった、一人息子。しかし、その姿は、腰まで届く艶やかなロングヘアに、女の子用の可愛らしいワンピースを身にまとった、完璧な美少女へと、変わり果てていた。

「……まあ、元気そうなら、何よりだ」

「そうねぇ。ご飯、できてるから、早く顔を洗いなさい」

 その、あまりにも、いつも通りの反応。

 拍子抜けするくらい普通だった。その普通さが僕の心を、じんわりと温かくした。


 実家に帰省したからといって、特に、やりたいことがあるわけではなかった。

 地元の友人たち……と呼べるほどでもないクラスメイト達も、それぞれの進路に進み、疎遠になっている。

 ただ、何をするでもなく、縁側でスイカを食べたり、父の肩を揉んだり、母の料理の手伝いをしたり。

 そんな取り留めのない、穏やかな時間が、ゆっくりと、流れていった。

 その日の夜。

 食卓には、僕が好きだった、母さん特製の唐揚げが、山のように並んでいた。

 久しぶりに食べる、母の味。それは、どんな高級レストランの料理よりも、僕の心を満たしてくれた。

「……どう、晴人。東京の学校は、楽しい?」

「うん。……大変なことも、いっぱいあるけど。でも、すごく、楽しいよ」

「そう。……友達は、できたの?」

「うん。……かけがえのない、仲間が、できた」

「そうか。正直、中学の頃のお前を見ていた時は不安で仕方なかった。この先本当にうまくやっていけるのか、ってな。しかし……写真、見せてもらったよ。いい友達に恵まれたみたいだな」

「うん」

 両親との、ぎこちない会話。

 でも、その一言一言に僕を案じる、二人の不器用な愛情が、込められているのが分かった。

 僕は、唐揚げを頬張りながら、ふと、あの合宿の最後の夜のことを、思い出していた。

 杏那さんがか細い声で、漏らした不安。彼女は、いつかこの平和が不意に終わりを告げるのかもしれない、そして明日には死んでしまうかもしれない、と言った。

 そうだ。

 僕たちの日常は、常に、薄氷の上にある。

 天樹錬が残した、不気味な予言。世界には、まだ僕たちの知らない巨大な悪意が潜んでいる。

 次に僕たちが戦う相手は、アーク・リベリオンよりも、遥かに強大で、そして、非情な相手かもしれない。

 もしこの帰省を逃していたら。

 もし次の戦いで僕が死んでしまったら。

 次に両親が僕を見るのは、冷たくなった棺桶の中の僕の姿、かもしれない。

 いや、あるいは。

 遺骨すらも残らず、二度とその姿を見せることさえ、できなくなるかもしれない。

 だから、僕は帰ってきたのだ。

 姿形は、変わってしまったけれど。

 それでも、僕はこうして元気で生きている。

 仲間たちと笑い合い、時には悩みながらも、ちゃんと前を向いて生きている。

 その姿をただ、一目見せておきたかった。

 それが僕にできる、今の精一杯の親孝行だと思ったから。

「……美味しい」

 僕は口の中の唐揚げを、ゆっくりと飲み込んだ。

「……やっぱり、母さんの唐揚げが、世界で、一番だよ」

「あら、そう。たくさん食べなさい」

 母は嬉しそうに、僕の茶碗に山盛りのご飯をよそってくれた。

 この当たり前の、温かい食卓。

 父さんの不器用な優しさ。

 母さんのとびきりの笑顔。

 僕がこれから戦う理由は、もう都会への憧れなんかじゃない。

 僕を信じ、送り出してくれたこの人たちを、悲しませないため。

 そして僕が東京で見つけた、かけがえのない仲間たちといつかまた、こんな風に、笑い合える未来を掴むため。

 僕はぎゅっと箸を握りしめた。

 心の中で一つの、静かな誓いを立てながら。

「――ごちそうさまでした」


 実家での穏やかな日々は、まるで夢のように、あっという間に過ぎていった。

 都会の喧騒も、命を懸けた戦いも、ここにはない。ただ、懐かしい匂いと、変わらない家族の愛情だけが、僕の心を優しく包んでくれていた。

 帰省二日目の昼下がり。

「せっかくだから、少し、散歩でもしない?」

 父のそんな提案で、僕たち家族三人は、子供の頃、僕がよく遊んでいた、近所の公園へと向かっていた。ワンピース姿の僕と、それを何の違和感もなく受け入れている両親。傍から見れば、仲の良い、ごく普通の家族の休日に見えるだろう。僕の性別以外は。

「ほら、晴人。昔、この滑り台から落ちて、大泣きしたでしょ」

「わはは、そうだった、そうだった。あの時は、みみずが一匹いただけで、この世の終わりみたいな顔をしてたな」

「お、お父さん! 母さんまで! もう、やめてよ!」

 ブランコに揺られながら、昔の恥ずかしい思い出話を暴露され、僕は顔を真っ赤にする。こんな、他愛のない時間が、永遠に続けばいいのに。心の底から、そう思った。

 そんな、和やかな空気を引き裂くように、聞き覚えのある声が、僕たちの背後から聞こえてきた。

「あれ……? もしかして、七座のおじさん、おばさん?」

 振り返ると、そこにいたのは、地元の高校の制服を着た、男女のグループだった。まずい。彼らは、僕の中学時代の、元クラスメイトたちだ。特に、グループの中心にいる男子は、僕が都会の学校を目指していることを、よくからかっていた相手だった。

「あら、まあ! みんな、久しぶりねぇ」

 母が、愛想よく彼らに挨拶をする。僕の心臓は、警鐘のように、ドクドクと鳴り響いていた。頼むから、僕には気づかないでくれ……!

 だが、その願いは、無残にも打ち砕かれた。

 グループの一人の女子が、僕の顔を、穴が開くほど、じっと見つめてくる。

「……あのー、すみません。そちらの、綺麗な方……」

「ひゃっ!?」

「どこかで、会ったこと、ありませんか……? なんか、すっごい、昔の七座くんに、似てるっていうか……」

 来た。

 来てしまった。人生最大級の、ピンチが。

 僕の脳は美王先生の物理学の講義の時以上に、超高速で回転を始めた。どうする? どう言い訳する?

「――い、」

 僕の口から、か細い、裏声が漏れた。

「――い、従姉妹ですっ!」

 僕は、自分でも驚くほどの勢いで、叫んでいた。

「わ、私、晴人くんの、従姉妹の、『はるな』と申します! 今、遊びに来てまして……! あは、あははは……!」

 終わった。

 僕の人生、終わった。

 こんな、苦し紛れの、バレバレの嘘が、通用するはずがない。

 元クラスメイトたちは、怪訝そうな顔で、僕と、両親の顔を、交互に見比べている。沈黙が痛い。

 ああ、誰か、助けて……!

 その時、僕の隣で、女神の声が、響いた。

「あらあら、はるなちゃん、そうだったわねぇ」

 声の主は、母さんだった。彼女は、僕の肩を優しく抱き寄せると、完璧な笑顔で、こう続けたのだ。

「この子、小さい頃から、うちの晴人にそっくりで、よく双子みたいだって、間違えられてたのよ」

「――ああ」

 父さんまでもが、重々しく、頷いた。

「わざわざ、お盆に合わせて帰ってきてくれてな。俺たちにとっても、自慢の、もう一人の娘みたいなもんなんだ」

 二人の、あまりにも堂々とした、完璧すぎる連携プレイ。

 その嘘には、一片の淀みも、迷いもなかった。

 元クラスメイトたちは、完全にその空気に飲まれ、「へぇ、そうなんだ! 似てるわけだー!」と、あっさりと、納得してしまった。

 彼らが、「じゃあね、はるなちゃん!」と手を振って去っていくのを、僕たちは、笑顔で、見送った。

「……な、なんで……」

 僕は、震える声で、両親に問い詰めた。「あんな、無茶苦茶な嘘に、付き合ってくれたの……!?」

 すると、二人は、顔を見合わせて、少し、困ったように笑った。

「いや、よく分からんが、お前が、すごく困っているようだったからな」

「息子を助けるのは、親の、当たり前の役目でしょう?」

 その、多くを語らない、しかし、全てを包み込むような優しさに、僕の胸は、熱くなった。


 その翌日。

「はるなちゃん……じゃなかった、晴人。ちょっと、買い物に付き合ってくれない?」

 母さんは、どうやら、僕を「はるなちゃん」として扱うのが、すっかり、気に入ってしまったらしい。

「その格好、都会では流行ってるのかもしれないけど、少し、地味じゃないかしら? お母さんが、もっと、とびっきり可愛いお洋服、選んであげるわ!」

 僕の抵抗も虚しく、僕は、町の小さな服屋へと、連行された。

 そこから先は、僕にとって、一種の公開処刑だった。

 母さんが、どこから見つけてくるのか、フリル満載のワンピースや、肩が大胆に露出したオフショルダーなど、僕にとっては罰ゲームでしかない服を、次々と、試着室に持ってくる。田舎町によくこんな若い子向けの服屋があったものだ、と思う。東京に進出してもやっていけるんじゃないだろうか。

「か、母さん、これは、流石に……!」

「いいから、着てみなさいな! 絶対に似合うわよ! ほら、店員さんも、そう思うでしょ?」

「ええ、お嬢様! 絶対、お似合いになりますわ!」

 母さんと店員さんの、完璧なタッグ。僕に、逃げ場はなかった。

 結局、僕は白地に青い花柄の清楚で、しかし、どう見ても女の子にしか見えない、ワンピースに着替えさせられてしまった。

「まあ、可愛い! やっぱり、うちの子は、世界一ね!」

 母さんは、満面の笑みで、僕の頭を撫でた。

 その格好で、町のスーパーへと向かう道中は、針の筵のようだった。

 すれ違う近所のおばさんたちが、「あら、七座さんのところの、娘さん?」「お母さんそっくりの美人さんねぇ……」と、口々に、声をかけてくる。僕は、ただ、愛想笑いを浮かべて、俯くことしかできなかった。

 スーパーで、買い込んだ食材で、両手が塞がった、その帰り道。

 重い荷物を持とうと、僕がふらついた、その時だった。

「――あ、大丈夫? 持ってあげるよ」

 すっと、僕の手から、買い物袋の一つが、軽くなった。

 見上げると、そこにいたのは、僕と同じくらいの歳だろうか。少し日焼けした、爽やかな笑顔の、見知らぬ男子高校生だった。

「……あ、ありがとう、ございます……」

 僕は、思わず、また、裏声で、そう答えてしまった。

「ううん、気にしないで。女の子が、そんな重いもの、持っちゃダメだよ」

 彼はにこっと笑うと、僕の家の近くまで荷物を持って、送ってくれた。

 生まれて初めてだった。

 異性からそんな、純粋な親切を、向けられたのは。……いや、同性なんだけど。

 彼の顔を、まともに見ることさえできず、ただ、心臓だけが、うるさいくらいに、鳴り響いていた。

 ……いつの間に僕は、随分と女の子に染まっていたらしい。

 

 楽しい時間は、あっという間に、過ぎていく。

 それは、地獄のようだった夏合宿も、この、夢のように穏やかだった帰省も、同じらしかった。

 気づけばもう、僕が東京に帰る日の朝になっていた。

 荷造りを終え、玄関で両親が僕を見送ってくれる。

「晴人、もう心残りはないか?」

 父さんの、不器用な問いかけ。

 僕は少しだけ考えて、そして笑って答えた。

「……そうだな。強いて言うなら、一つだけ」

 僕は、家の前の、少し開けた場所に出ると、両親に向き直った。

「最後に、東京で身につけた、僕の技、見せてあげたいな」

 僕は、静かに、目を閉じた。

 そして、あの夏の日々を、思い出す。

 美王先生の講義。真角くんとの議論。肆谷副会長の、厳しい指導。

 そして、仲間たちと、笑い合った、たくさんの、時間。

「――顕現せよ! 『磁界拘束光刃』!」

 僕の手の中に、練習用の、出力を抑えた、二本のナイフが現れる。

 僕は、それを、胸の前で交差させ、連結させる。

 そして、僕の意志に応え、柄の両端から、青白い、美しい、光の刃が、「ブォン!」という音と共に、姿を現した。

「おお……!」

「まあ……!」

 両親が息を呑むのが、分かった。

 僕はその光の剣を、天に掲げた。

 そしてあの日のように、叫んだ。

「必殺! ――『ブレイジング・スラッシュ』!」

 僕の身体が、ドリルのように回転し、空を切り裂く。

 もちろん、目の前に敵はいない。

 これはただの、エキシビション。

 僕がこの夏手に入れた、力の証明。

 僕は空中で華麗に一回転してみせると、静かに地面に着地した。

 光の刃が、しゅん、と音を立てて、消える。

 静寂。

 そして、次の瞬間。


 パチパチパチパチ……

 僕の背後から聞こえてきたのは、二つの、温かい拍手の音だった。

 振り返ると、父さんと母さんが、信じられないものを見たという顔で、でも、どこか、誇らしげな笑顔で、僕を見つめていた。

「……すごいじゃないか、晴人」

 父さんが、かすれた声で、言った。「いつの間に、そんな……そんな、すごい力を」

「本当に……。もう、私たちの知ってる、泣き虫の晴人じゃ、ないのねぇ」

 母さんの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 その二人の、あまりにもまっすぐな賞賛。

 それは僕が、ずっと欲しかった言葉だったのかもしれない。

 都会への憧れ。コンプレックス。誰かにすごいって、認めてもらいたかった、あの頃の僕。

 違う。

 もう、違うんだ。

 僕はもう、誰かに認められるために戦っているんじゃない。

 この二人の笑顔を守るために。

 そして僕が東京で出会った、かけがえのない仲間たちと、共に未来を掴むために。

 そのことに、気づいた瞬間。

 僕の頬を、一筋の熱いものが伝い落ちた。

「……あれ?」

 おかしいな。

 泣くつもりなんて、なかったのに。

 涙は、後から後から溢れてきて、止まらなかった。

 それは、悔し涙でも、悲しい涙でもなかった。

 ただ、温かくて、しょっぱくて、そして、どうしようもなく、嬉しい、涙だった。

「……バカだなぁ、お前は」

 父さんが、ごしごしと、乱暴に、僕の頭を撫でた。「男だろ。……いや、今は、違うのか? まあ、どっちでもいい。泣くな」

「そうよ。せっかくの、可愛い顔が、台無しじゃない」

 母さんが優しい手つきで、僕の涙を拭ってくれる。

 僕は泣きじゃくりながら、何度も頷いた。

「……うん」


 駅のホーム。

 新幹線のドアが、閉まろうとしている。

「それじゃあ、父さん、母さん。……行ってきます」

「ああ。気をつけてな」

「体にだけは、気をつけるのよ。ちゃんと、ご飯、食べるのよ」

 僕は二人に、もう一度深々と頭を下げた。

 そして最後に、とびっきりの笑顔で言った。

「――また、帰ってくるから!」

 その言葉はいつか、また必ずこの場所に、元気な姿で戻ってくるという、僕の、固い、固い、約束だった。

 プシュー、と音を立てて、ドアが閉まる。

 ゆっくりと動き出す新幹線。

 窓の外で小さくなっていく、二人の姿。

 僕は、その姿が見えなくなるまで、ずっと、ずっと、手を振り続けた。

 さようなら、僕の、愛おしい故郷。

 さようなら、僕の、弱かった、過去の自分。

 僕の短い夏休みは、終わった。

 でも僕の、本当の物語は、ここからまた始まる。

 胸の中には、二つの、温かいお守り。

 父さんの、不器用な優しさ。

 母さんの、とびきりの笑顔。

 僕はもう、一人じゃない。

 帰る場所がある。

 待っていてくれる、仲間たちがいる。

 僕は、窓の外の景色を見ながら、静かに、拳を握りしめた。

 待ってろ、みんな。

 もっと、もっと、強くなった、僕が、今、帰るから。

 僕の心は、次なる戦いへの不安ではなく、仲間たちとの再会への、燃え上がるような期待感で、満たされていた。

 僕の新しい日常が、もう一度始まろうとしていた。

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