#039 夏期講習4時間目:世界、そして機術の可能性
「――心技体。この三つのどれが欠けても、真の機術師にはなれない。そして、この理念こそが、私たち機術学園の、揺るぎない根幹なのよ」
美王先生による、機術学園の成り立ちと理念に関する講義は、僕たちの胸に、新たな誇りと、背負うべき責任の重さを刻み込んでくれた。僕たちがいるこの場所は、ただ強い力を学ぶだけの場所ではない。その力を、正しく未来へと導くための、いわば『賢者の揺り籠』なのだ。
一息つくように、先生は用意されていた冷たいお茶を一口飲んだ。
「さて、と。少し話が大きくなっちゃったわね。でも、君たちには知っておいてほしかったの。自分たちが、世界の中で、どういう立ち位置にいるのかを」
「世界……ですか?」
僕が問い返すと、先生はにっこりと頷いた。
「そうよ。機術の研究と教育を行っているのは、何も日本だけじゃない。世界には、私たちとは全く違う理念で、この『力』を扱っている組織が、大きく分けて、あと二つ存在するわ」
「そりゃまぁ、冷戦してた奴らが次なる兵器として編み出そうとしていたのが機術なんだから、そりゃ世界の奴らも機術に手を出してるよな」
「そ。まぁここら辺は今回の趣旨からは外れるから、かる~く触れる程度にしておくけど、一応紹介しておくわね」
彼女はホワイトボードに、三つの大きな円を描き、それぞれに文字を書き込んでいく。
一つは、『アカデミア連合』。
一つは、『ミリタリーグロウ』。
そして、最後の一つは、『アルカナム・ソサエティ』。
「まず、あたしたち日本の機術学園が属しているのが、この『アカデミア連合』。ドイツやカナダの学術機関が中心で、『ジュネーブ機術憲章』っていう国際条約を一番マジメに守ってる、言わば『正統派』よ。才能ある若者を保護して、正しく教育しましょうね、っていう、君たちが今まさに受けてる教育方針ね」
先生は、僕たちがいる円を指し示した。うん、これは分かる。
「この方々のお陰で、私たちは清く正しく機術を学べる環境にあるのですね」
「次に、そんなアカデミア連合と、ずーっとライバル関係にあるのが、『ミリタリーグロウ』」
「ミリタリー……軍、ですか?」
僕の呟きに、先生は頷いた。
「その通り。アメリカ、ロシア、中国なんかが中心の、国家主導・軍事研究路線の組織よ。彼らにとって、機術師は『兵士』であり、『国家の資産』。才能のある子供は、小さい頃から国の管理下に置かれて、徹底的に戦闘技術と忠誠心を叩き込まれる。そこには、私たちが重視する『心の教育』なんて、ほとんど存在しないわ」
「……それじゃあ、まるで、冷戦時代の……」
「そう。あの『機術ゾンビ』の悲劇の、反省点を活かした、現代版ってわけ。個人の個性より、部隊としての連携や効率を最優先する。だから、彼らの機術師は、一人ひとりは画一的だけど、集団で動いた時の強さは、ハッキリ言って脅威よ」
「ひぇー……。やっぱ大国の教育は恐ろしいっすね」
「大国になればなるほど、機術を用いたテロの規模も大きくなる。市民を守るためなら、心を無にして戦わなければならない。それが彼らの中心とする思想よ」
僕たちの脳裏に、もしも『傷痕の同盟』の信者たちが、あんな烏合の衆ではなく、訓練された軍隊だったら、という恐ろしい想像がよぎる。
「そして、最後がちょっと厄介な連中なのよね。『アルカナム・ソサエティ』って言うんだけど」
先生の声のトーンが、少しだけ低くなった。
「イギリスの古い貴族社会なんかが中心の、秘密結社よ。彼らは、ジュネーブ憲章にも加盟せず、自分たちの『血統』の中に、大昔から機術――彼らはそれを『魔術』って呼んでるけど――の才能が受け継がれてるって、本気で信じてる」
「魔術……」
「そう。彼らにとって、力は学ぶものじゃなく、生まれつき持っているものを『解放』するものなの。彼らの中で発展してるのは物理学など言った理系じゃなく、考古学や歴史学と言った文系の学問。古代ルーン文字の詠唱とか、魔法陣を描いたりして、力を発動させるのよ。アカデミア連合やミリタリーグロウが最新の機術を開発するのなら、アルカナム・ソサエティは失われた古代の機術を復元する方法を取ってるのよ」
「……ファンタジーの世界ですわね」
杏那さんが、呆れたようにため息をつく。
「でも、その力は本物よ。中には、現代科学では到底解明できないような、呪術とか、召喚術みたいな『秘術』を操る一族もいるらしいわ。最も謎が多く、最も予測不能な連中ね」
「興味深いですね。いつかはそういった古代機術も、科学の一部として取り込まれる日が来るのでしょうか」
「ちなみに一応言っておくけど、アメリカやイギリスの機術使いが皆あたしたちの理解できない感覚で機術を学んでるわけじゃないわよ。アカデミア連合に加盟してちゃんと真面目に機術を学んでる子たちもいるから、そこは誤解しないようにね」
学校、軍隊、そして、秘密結社。
世界には、僕たちの知らない、様々な『力』の形が存在するのだ。
「……どうかしら。少しは、視野が広がった? 君たちが井の中の蛙じゃなく、ちゃんと大海を知った上で、自分の進むべき道を選んでほしかったのよ」
先生は、そこで一旦、講義を区切った。
「さて、いよいよ本題に入りましょうか」
彼女は、ホワイトボードの文字を全て消すと、今度は、僕たち四人の名前を、それぞれ書き出した。
「君たちは、『強くなりたい』と言ったわね。でも、その『強さ』の形は、一つじゃない」
美王先生は、僕たち四人の名前が書かれたホワイトボードを、楽しそうに指でなぞった。彼女の瞳は、好奇心に満ちた科学者のそれに戻っている。
「ここからは、もっと具体的な話。君たち一人ひとりが、これからどんな『強さ』を目指していくべきか。そのための、道標を示してあげる」
彼女は、ホワイトボードに、複雑な樹形図のようなものを描き始めた。その頂点には、機術という言葉が書かれている。
「まず、基本のキからね。君たちが一年生の最初に学ぶ、『基本7属性』。炎、水、氷、風、電気、土、そして、木。これらは、言わば機術の『アルファベット』みたいなもの。ここから、全ての応用が始まっていくわ」
僕も、入学当初、これらの属性を一通り試したことを思い出す。僕は、その中でも特に電気に親和性があるように感じた。
「でも、君たちみたいな、特別な道を選ぶ子もいる。……それが、『発展機術』よ」
先生は、樹形図の枝を、さらに広げていく。そこには、僕たちが今まで戦ってきた、あるいは、その片鱗を垣間見てきた、恐るべき能力の名前が並んでいた。
「例えば、杏那の『重力』や、ハルくんの『磁力』。これらは、物理法則に直接干渉する、極めて高度な計算能力を要求される属性。真角くんなんかは、『ベクトル』なんていう、力の向きそのものを操作する、さらに難解な領域に足を踏み入れようとしてるわね」
彼女は、怜士くんの方を向いて、にやりと笑った。
「怜士くんが研究してる『時間』も、そう。因果律を崩壊させかねない、世界的に研究が凍結されてる、禁断の領域。……まあ、君がやってるのは、まだ自分の脳内時間を加速させてるだけだから、セーフだけどね」
怜士くんは、どこか誇らしげに、しかし、神妙な顔でその言葉を聞いている。
「他にも、襟間会計が得意な『情報』、相手の心を操る『精神』、運命そのものに干渉する『因果』……。あるいは、もっと直接的な、『光』や『闇』、『腐食』や『血』なんていう、物騒な属性もあるわ。これらは全て、君たちの脳が持つ、唯一無二の『特性』によって、その扉が開かれるの。ちなみに一応言っておくけど、基本機術が発展機術より劣ってる、なんてことは全然ないからね。むしろ発展機術は世界に使い手が少ない分、学ぶのは独学になりがちだし、どうすれば強くなれるかの道筋から自分で切り開いていかなければならない。例え発展機術を使えても、実戦レベルに仕上げるのすら至難の業、とはよく言われるわ。対して基本機術は使い手が多いから、より実戦レベルにまで鍛えやすいわ。水属性の静葉ちゃんや風属性の美羽ちゃんが君たちより劣ってるなんてことが全くないのは、今まで一緒に戦ってきたなら分かるでしょ?」
樹形図は、もはや、僕たちが到底覚えきれないほどの、無限の可能性を示す、巨大な銀河のように見えた。
「――でも」
先生は、そこで一旦、言葉を切ると、今度は、樹形図とは全く別の場所に、もう一つの円を描いた。
「機術は、何も、外に現象を出すだけが全てじゃない。ベクトルを、完全に自分の内側……自分自身の肉体に向けることで、全く別の強さを手に入れる道もある。それが、『身体強化』よ」
彼女は、力強く、その円を指差した。
「龍弥ちゃんが、その代表ね。彼女は、機術エネルギーの全てを、自分の筋繊維や骨格の強化だけに注ぎ込んでいる。だから、属性変換によるエネルギーロスが一切ない。純粋な『力』と『速さ』において、彼女の右に出る者はいないわ」
先生は、憐れむように、怜士くんを見た。
「怜士くんの『時間知覚加速』も、この系統ね。思考だけを加速させて、肉体がついてこない、一番もどかしい段階。ここから、神経伝達速度も加速させる『瞬動』の領域にまで至れるかどうかが、君の最初の壁になるわね」
「……分かってますよ」
怜士くんは、悔しそうに唇を噛む。
「そして、ハルくんや杏那ちゃんにも、この道は開かれているわ」
先生は、僕と杏那さんを交互に見た。
「ハルくんの華奢な体格は、パワーよりも、アクロバティックな動きで敵を翻弄するスタイルに向いてる。杏那は、自分の周りの重力を完璧に制御することで、まるで無重力空間を舞うように戦う、『重力均衡』の使い手になれる素質があるわ」
僕が、舞うように……?
杏那さんが、無重力で……?
想像もつかない、新しい自分の姿が、頭の中に浮かび上がる。
「……どうかしら。機術の世界が、君たちが思っていたよりも、ずっと、ずーっと、広くて、自由だってこと、分かってきた?」
先生は、満足げに僕たちを見回すと、おもむろに、四冊の分厚い冊子を取り出した。
「はい、これ」
彼女は、その冊子を、僕たち一人ひとりに手渡した。表紙には、『発展機術総覧』と書かれている。中をめくると、今、先生が話してくれた、ありとあらゆる機術の詳細なデータと、その習得に必要な知識、訓練方法が、びっしりと書き込まれていた。まるで、ゲームの攻略本か、魔法の図鑑のようだ。
「さて、みんな! 前々から、こうなりたいって考えてる子もいるし、今、この話を聞いて、新しい可能性に気づいた子もいるでしょう?」
先生は、パン、と手を叩いて、僕たちに告げた。
「だから、今日の宿題。この図鑑をよーく読んで、『自分は、これから、どんな戦い方ができるようになりたいのか』を、もう一度、真剣に考えてくること。君たちが目指すべき、未来の自分の姿を、明確にイメージしてくるのよ」
彼女は、悪戯っぽく、ウインクをした。
「明日からは、君たちが提出した『宿題』と、私が必要だと思った特訓メニューを組み合わせて、君たち一人ひとりだけの、特別なカリキュラムを組んであげる。……覚悟、しておきなさいな♡」
その言葉は、まるで悪魔の囁きのようだった。だが、僕たちの心は、不安よりも、これから始まる未知の訓練への、燃え上がるような期待感で、満たされていた。
渡された『図鑑』の重みが、僕たちがこれから手に入れる、新たな力の重さのように感じられた。
僕たちは、それぞれの部屋に戻り、ページをめくり始める。
自分だけの、最強の姿を、夢見て。
僕たちの、本当の強化合宿は、まだ、始まったばかりだった。




