#028 ご指名追加で入ります♡
「――というわけで、今日からよろしくね、ハ~ルきゅん♡」
美王先生の研究室。その一角に、僕のためだけに用意された、可愛らしいフリルとリボンで装飾されたロッカーの前で、僕は、これから始まるであろう屈辱的な日々に、ただ天を仰ぐことしかできなかった。
あの日、変身が解けないという悪夢のような罠に嵌められた僕は、涙ながらに降伏宣言をし、晴れて――全く晴れやかではないが――美王先生の専属メイドとして、奉仕することになったのだ。
僕の主な仕事場は、この広大な研究室。そして、仕事内容は、ご主人様である美王先生の、身の回りのお世話全般。
「ハルくーん、お茶淹れてー。あと、肩揉んでー」
「……はい、ただいま」
「あ、ついでに、この実験データの入力もお願いできる? 眠くってさー」
「……承知いたしました、ご主人様」
その傍若無人な要求に、僕は内心でため息をつきながらも、ひらひらと揺れるメイド服のスカートの裾を気にしつつ、従順に応える。もはや、僕に拒否権などないのだから。
さらに、僕の受難はそれだけでは終わらなかった。
「――七座さん、ちょうどよかった。少し、手伝ってもらえますか」
研究室の奥から、無感情な声と共に現れたのは、美王先生の愛弟子であり、僕の友人でもある、鍔井真角くんだった。
「え、鍔井くんまで!?」
「美王先生の研究補助も、あなたの業務の一環だと伺っています。僕は、その研究の協力者。つまり、僕の手伝いをすることも、あなたの仕事です」
そのあまりに正論すぎる理屈に、僕はぐうの音も出ない。そして、彼に連れていかれた先は、彼のプライベートな研究室兼、寝室だった。
その扉を開けた瞬間、僕は、先ほどまでの零音先生への不満など、些細なことだったと思い知らされた。
「……うわっ」
思わず、声が漏れる。部屋の中は、足の踏み場もないほどに、専門書や実験器具、そして、栄養補助食品のゴミや脱ぎ散らかした衣類で埋め尽くされていたのだ。特に水回りからは、形容しがたい異臭が漂ってきている。
僕が絶句していると、真角くんは、表情一つ変えずに言った。
「別に、あなたのその姿形がどうとか、メイドであるとかいうことには、僕は一切興味がありません。ただ、僕の研究の邪魔になる、これらの面倒事を片付けてくれるというなら、それで構いません」
彼はそう言い残すと、再び研究に没頭するため、部屋を出て行ってしまった。
残された僕は、目の前の惨状と、手に持たされた掃除用具を見比べる。
「……これじゃ、メイドっていうより、ただの家政婦じゃないか……!」
僕の悲痛な叫びは、ゴミの山に虚しく吸い込まれていった。
それからというもの、僕の日常は一変した。
午前中は生徒として授業を受け、放課後になると、可憐なメイド服に着替えさせられ、零音先生の肩を揉み、真角くんの部屋でカビと格闘する。時折、二人の天才が交わす、僕には到底理解できない数式だらけの議論に、ただ相槌を打つのも、メイドとしての重要な仕事の一つらしかった。
そんな日々が続き、僕がすっかりメイドという役割に、不本意ながらも順応し始めていた、ある日のこと。
僕が美王先生のために紅茶を淹れていると、研究室の扉が、勢いよく開かれた。
「――お姉様! 鍔井さん! お二人だけ、ずるいですわ!」
そこに立っていたのは、腰に手を当て、頬をぷくりと膨らませた、僕のお目付け役、漆館杏那さんだった。
「あら、杏那じゃない。どうしたのよ、そんなにプンプンしちゃって」
「どうしたもこうしたもありませんわ! 私の知らないところで、晴人さんを独り占めするなんて!」
彼女は、ずんずんと僕の前に歩み寄ると、僕の手からティーカップをひったくり、恨めしそうな瞳で僕を見つめた。
「私も……! 私も、晴人さんにお世話されたいですわ!」
「えぇ~……?」
ソファで寛いでいた零音先生が、面倒くさそうに口を挟む。
「でも、杏那は家事も勉強も、全部自分で完璧にできるじゃない。メイドなんか、必要ないでしょ?」
「あら」
杏那さんは、くるりと振り返ると、悪戯っぽく、そして、どこか妖艶な笑みを浮かべた。
「家事以外にも、メイドさんにお願いできることは、たくさんありますのよ?」
彼女は、僕の耳元にそっと顔を寄せると、甘い香りと共に、熱っぽい声で囁いた。
「――例えば……私の『お着替え』の、お手伝いですとか♡」
杏那さんの唇から紡がれた、甘い毒薬のような言葉。僕の耳元で囁かれたその一言に、僕の思考回路はショート寸前だった。お着替え? 杏那さんの? 僕が?
僕が顔を真っ赤にして固まっていると、彼女はさらに追い打ちをかけるように、僕の耳に熱い吐息を吹きかけた。
「……それから、日々の訓練で凝り固まった、この身体を『ほぐして』いただく、とか。メイドさんなら、ご主人様の健康管理も、大切なお仕事ですものね?」
マッサージ。その単語が意味する光景を想像してしまい、僕の頭は完全に沸騰した。もう、何も考えられない。
そんな僕の純情な反応とは対照的に、ソファで寛いでいたはずの本物のご主人様が、不満の声を上げた。
「えぇ~、ずるーい! 何よそれ、杏那だけ! あたしだって、ハルくんにお着替え手伝ってもらったり、マッサージしてもらったりしたい~!」
子供のように駄々をこねる零音先生。その姿は、普段の妖艶な彼女からは想像もつかないほど可愛らしかったが、言っている内容は全く可愛らしくない。
「お姉様」
杏那さんは、くるりと振り返ると、氷のように冷たい視線で零音先生を牽制した。
「流石に、教師が生徒にそのような破廉恥なことをお願いするのは、ライン越えですわよ。もし、どうしてもそれを実行なさるというのであれば、私のお父様にお母様、そしておじい様とおばあ様にも……この件を洗いざらいご報告しなければならなくなりますわ」
「そ、それは……流石に困る、わね……」
どうやら、彼女にも頭の上がらない存在はいるらしい。観念したように、美王先生はソファに深く沈み込む。その姿に、僕は内心、胸を撫で下ろした。よかった、これで杏那さんからの理不尽な――しかし、とてつもなく魅力的な要求も、うやむやに……。
だが、僕の淡い期待は、次の瞬間、無残にも打ち砕かれることになる。
僕の視線が、知らず知らずのうちに、悔しがる美王先生の、その豊満すぎる身体に釘付けになっていたのだ。悔しさからか、あるいは無意識にか、彼女の胸元は普段よりも大きくたわみ、白衣の隙間から覗く谷間は、抗いがたい引力で僕の視線を吸い込んでいた。
その、僕の不埒な視線に、杏那さんが気づかないはずはなかった。
「……とは言っても、晴人さん」
彼女は、呆れたような、それでいて、全てを見透かしたような笑みを浮かべ、僕の顔を覗き込む。
「本当は、お姉様の、そのセクシーなボディを、心ゆくまで堪能したいのでしょう?」
「い、いやぁ~、それは……ははは……」
図星だった。僕は、曖昧な笑みを浮かべて誤魔化すことしかできない。
「ねぇ~? 堪能したいでしょ~?♡」
その声に、悪魔が復活した。
ソファから身を起こした美王先生は、僕の視線が自分のどこに向けられていたのかを正確に理解し、わざとらしく胸を張り、腰をくねらせる。白衣のボタンが、はち切れんばかりに軋む。それは、男という生き物の本能を、根源から刺激する、あまりにも扇情的なポーズだった。
「ぐっ……!」
僕は、思わず後ずさる。理性と煩悩のシーソーが、激しく揺れ動く。
そんな僕と、勝ち誇ったような美王先生の姿を交互に見比べ、杏那さんは、やれやれといった風に、一つ、大きなため息をついた。
「……仕方ありませんわね」
そして、彼女は、悪魔のような、いや、女神のような、一つの提案を口にしたのだ。
「――それでしたら、こうしましょう。わたくしの監督の下、晴人さんには、お姉様とわたくし、お二人同時にご奉仕していただきますわ♡」
「「えっ」」
僕と、美王先生の声が、綺麗にハモった。
「お姉様がお着替えをなさるなら、わたくしも隣でお着替えをいたします。お姉様がマッサージをお受けになるなら、わたくしも隣でマッサージを受けます。そうすれば、晴人さんの視線が、どちらか一方に偏ることもありませんし、何より、わたくしの厳格な監督があれば、お姉様も破廉恥なラインを越えることはできないでしょう?」
それは、一見すると、完璧な妥協案のように聞こえた。
だが、僕にとっては、地獄の釜の蓋が開いたのと、同義だった。
「ど、同時に、なんて……! そんなの、無理です!」
「あら、どうして? 晴人くん、嬉しいくせにぃ~♡」
「嬉しいっていうか、その、キャパシティが……!」
僕の悲痛な叫びは、二人の美女の、悪戯っぽい笑みにかき消される。
こうして、僕のメイドとしての、最も過酷で、そして、最も甘美な試練の幕が、否応なく上がることになるのだった。




