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#021 ファインダー越しの今

 あの激闘から数日。脅威は依然として僕たちの日常のすぐそばに潜んでいるものの、機術研究部の部室には、以前と変わらない穏やかな時間が流れていた。

 ホワイトボードの前では、真角くんが怜士くんの立てた「疑似的時間停止理論」の数式に対し、淡々と、しかし的確に矛盾点を指摘している。杏那さんは優雅に紅茶を嗜みながら、その様子を微笑ましげに眺めていた。僕も、二人のやり取りに時折茶々を入れながら、自分の『双極』のメンテナンスに勤しむ。すっかり見慣れた、僕たちの放課後の光景だ。

「……なるほど。やはり、単一の機術式では情報加速の際に生じるタイムラグを相殺しきれない、か。思考のボトルネックだ」

「その通りです。並列思考を可能にする補助術式を組み込むか、あるいは術者自身の脳の情報処理能力を、身体強化とは別に引き上げるアプローチが必要になるでしょう」

「くそー、やっぱ一筋縄じゃいかねぇな、あの人への道は……!」

 頭をガシガシと掻きながらも、怜士くんの瞳は爛々と輝いている。かつて彼を覆っていた澱んだ空気はもうどこにもない。その姿を見ていると、僕の胸にも温かいものがこみ上げてきた。

「……ねぇ、みんな」

 僕は、ふと顔を上げて提案した。

「一枚、写真を撮らない?」

「写真、ですの?」

 杏那さんが不思議そうに小首を傾げる。

「うん。なんていうか……今のこの感じを、形に残しておきたくて。怜士くんがこうして前を向いて頑張ってることも、真角くんみたいな友達ができたことも、杏那さんが隣にいてくれることも……僕にとっては、全部、今の宝物だから」

 僕の少し照れくさい言葉に、怜士くんは顔を赤らめ、真角くんは僅かに目を瞬かせた。そして杏那さんは、ふわりと花が綻ぶように微笑んだ。

「仕方がありませんわね。晴人さんがそこまでおっしゃるなら、付き合って差し上げますわ」

 僕たちはホワイトボードの前に四人で並ぶ。僕のスマートフォンを近くの机に立てかけ、セルフタイマーをセットした。

「いくよー、はい、チーズ!」

 カシャッ、という軽快なシャッター音と共に、僕たちの「今」が切り取られる。

 画面に映し出されたのは、少しぎこちなくも吹っ切れたような笑顔の怜士くんと、相変わらずの無表情だけど、どこか場の空気に馴染んでいる真角くん。そして、僕の隣で完璧な笑みを浮かべる杏那さんと、その中心で満面の笑みを浮かべる僕。

「もう一枚! 今度はもっとくっついて!」

 僕がそう言うと、杏那さんが悪戯っぽく僕の腕に自分の腕を絡ませてきた。

「こ、こうですの?」

「うわっ、あ、杏那さん!?」

「おやおや、晴人さんのお顔が真っ赤ですわよ? ふふっ」

「怜士くんも、もっと真角くんに寄って!」

「お、おう……。な、なあ鍔井、肩とか……」

「……結構です」

「だよな!」

 そんな僕たちの微笑ましい攻防も、タイマーは容赦なく記録していく。カシャッ、カシャッ、とシャッターが切られるたびに、僕たちの笑い声が部室に響いた。

 撮り終えた写真を見返すと、どれもこれも温かい光に満ちていて、自然と頬が緩んだ。その中から一番綺麗に撮れた一枚を選ぶと、僕はスマートフォンの操作を続ける。宛先は、故郷の両親だ。

『お父さん、お母さん、元気ですか。

 こっちは元気にやっています。勉強は難しいけど、新しい友達もできて、毎日楽しいです。

 心配しなくて大丈夫だからね。』

 短いメッセージを添えて、写真を送信する。送信完了の文字を見つめていると、胸の奥が少しだけ、きゅっとなった。都会への憧れで飛び出してきたけれど、やっぱり家族のことはいつも気にかけている。この写真を見たら、少しは安心してくれるだろうか。

「……そういえば、いつから僕のこと名前呼びするようになったんですか」

「いやまぁ……怜士くんもこうして戻ってきたし彼のことを名前呼びするんだったら、このタイミングで真角くんもそうした方がキリがいいかな、って」

「……はぁ」


 その日の夜。寮の自室でレポートの課題に取り組んでいると、ポケットのスマートフォンが震えた。ディスプレイに表示されていたのは、『母さん』の文字。僕は少し驚きながらも、通話ボタンをタップした。

「もしもし、母さん?」

『晴人! あなた、あの写真どうしたのよ!』

 電話の向こうから聞こえてきたのは、弾むような母さんの声だった。

『もー、すっかり東京の子になっちゃって! それに、ずいぶん素敵なお友達ができたじゃない! 特にあなたの隣にいる、お人形さんみたいに綺麗な子はどこのお嬢さん!?』

「あはは……えっと、彼女は漆館杏那さん。こっちで一番仲良くしてくれてる、大切な友達だよ」

『あらあら、まあまあ!』

 母さんの楽しそうな声が聞こえてくる。電話の向こうで、父さんも何か言っているのが微かに聞こえた。

『お父さんも、晴人の顔が見れて嬉しそうよ。「都会の悪い虫に騙されてないだろうな」なんて言ってるけど、顔はにやけてるわ』

「大丈夫だって。みんな良い人たちだよ。部活にも入ったし、勉強も……まあ、なんとか頑張ってるから」

 戦いのこと、女装のこと。言えないことはたくさんある。けれど、充実した毎日を送っているのは紛れもない事実だ。その想いが声に乗って伝わったのか、母さんの声色が少しだけ穏やかになった。

『そう。なら良かった。……でもね、晴人。すっかり向こうに馴染んだみたいだけど、ちゃんとこっちのことも忘れないでよね。お盆には、必ず帰ってきなさいよ』

「……うん」

 僕は窓の外に広がる東京の夜景を見つめながら、力強く頷いた。

「分かった。必ず帰るよ。約束する」

 電話を切った後も、僕はしばらく窓の外を眺めていた。きらびやかな摩天楼の光。そのずっと向こうにある、故郷の優しい灯り。

 今の僕には、守りたいものが二つある。

 この新しい居場所と、かけがえのない仲間たち。

 そして、僕の帰りを待っていてくれる、温かい家族。

 そのどちらも失わないために、僕はもっと強くならなければならない。

 資料の解析が終わり、デストラクションナイツとの本格的な戦いが始まるというのなら、受けて立とう。

 胸の奥で、静かだが確かな決意の炎が燃え上がっていた。お盆に帰る頃には、今よりもっと成長した自分になっていよう。僕は夜空にそう誓い、再び机に向かうのだった。

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