#020 残された思いの間で
「な……なんでだよ……。俺の、完璧だったはずの模倣機術が……」
地面に転がったまま、残間くんが呻く。その声には、信じられないものを見たという驚愕と、絶対の自信を打ち砕かれた絶望が滲んでいた。ゆっくりと起き上がろうとするその体は、まだ衝撃から回復しきれていないようだ。
「簡単なことよ」
肆谷副会長は、肩で息をすることもなく、涼しい顔で言い放った。
「私の機術は、使い手本人の『地力』がそのまま威力に直結する、属性を持たない純粋な物理強化。小手先の模倣でどうにかなるほど、安っぽいつもりはないわ。基礎となる私自身が、その力を最大限に引き出すために、日々どれだけ血の滲むような鍛錬を積んでいるか……あんたのような紛い物に、到底理解できる領域じゃない」
そう言うと、副会長はまるで小枝でも投げるかのように、その巨躯に見合わぬ軽々とした動作で『鋼砕龍牙』を残間くんの足元に放り投げた。
咄嗟にそれを受け取ろうとした残間くんだったが、その手に宿った凄まじい質量に耐えきれず、大剣に引っ張られる形で無様に尻もちをつく。
「……さて。それじゃあ、あんたのおもちゃは回収させてもらうわよ」
冷たい声と共に、副会長は残間くんとローブの男が身につけていたデバイスを容赦なく剥ぎ取った。全ての希望を奪われた残間くんの口から、か細い声が漏れる。
「……ってください……」
「何?」
「待ってください……! 俺を……俺が行くのを許してください……!」
彼は、プライドも何もかも捨て去り、その場で土下座をした。額を地面に擦り付け、必死に懇願する。
「……そんなに、あの組織に行きたいの?」
「俺は……! 俺は、今までの人生、ずっと負け犬だったんです……! だから、勝ち組になりたい……! どうしても!」
「あなたの言う『勝ち組』とは、どのような人間なのですか?」
玖代会長が、静かに問う。
「それは……圧倒的な力を持っていて、他人を自分の都合のいいように扱き使えて……なんでも、思い通りにできる人間のことです……!」
「まるで、私の生き方ね」
肆谷副会長が、フンと鼻を鳴らした。
「でも、その生き方は大勢の敵を作るわよ。私はそれに快感すら覚えるタチだけど、あんたには向いてるとは思えない。きっと、あんたがそれを手にしたところで、すぐに虚しくなるだけよ」
「……そんなこと、ありません……! 現に、俺をいじめてきた奴らは、ずっと、ずっと楽しそうだった……!」
「……本当にそうかしらね。そいつらも、あんたの見ていないところでは、底なしの闇を抱えていたんじゃないの? その捌け口として、あんたに牙を剥いていただけかもしれない。……今の、あんたみたいにね」
「そんなわけないッ! あいつらは生まれながらのクズだ! 人間の世界に紛れ込んだバグなんだ! あいつらに同情できる要素なんて、一欠片も、あるもんかッ!」
過去のトラウマに縛られ、自分をいじめた相手を無条件の『悪』だと断じることでしか、心の平衡を保てない。彼の悲痛な叫びに、僕の胸も締め付けられた。僕だって、彼ほどではないにしろ、似たような経験がある。心のどこかで、あの時のあいつらに何か同情すべき事情があったなどとは、到底思いたくない。もしあったとしても……許せるはずがない。
「あんたが何を喚こうが、私があんたを見逃すことはない。何故なら、あんたを許せば、私の完璧な経歴に傷がつくからよ」
「ふざけんなよ! それじゃあ、あんたは自分のために俺を許さないって言うのか! 俺のことなんて、どうでもいいと思ってるってことじゃないか!」
「どうでもいい、とまでは言わないわ。ただ、あんたと私、どちらが大事かと聞かれれば、迷わず私だと答えるだけ。優先順位の問題よ」
副会長の言葉は、どこまでも冷徹で、残酷なまでに現実的だった。
「どちらにしろ、あんたに選択権はない。あんたは、私たちより弱いから。弱者は、強者の言うことに黙って従うしかないのよ。それが嫌なら、刑務所にでも入るしかないわね。危険分子として。そうなったら……あんたの大好きなアニメも、漫画も、web小説も、もう二度と自由には読めなくなる。いいの? それでも」
「そ、それは……! 嫌だ……!」
「でしょ? だったら、黙って強者の言うことを聞いてなさい」
その言葉は、残間くんの心の最も柔らかい部分を的確に抉った。しばらくの逡巡の後、彼は悔しさに顔を歪めながらも、ゆっくりと口を開いた。
「……分かったよ。どうせ、俺がまたああいった組織に入ろうとしたって、その度に、あんたらみたいなのが現れて、俺を叩き潰すんだろうしな……。もう諦めて、大人しく機術学園の一生徒として過ごしてやるよ」
だが、彼の瞳から闘志の火が消えたわけではなかった。彼は、憎悪と、そして新たな目標を宿した目で、肆谷副会長を睨みつけた。
「──ただし、肆谷龍弥! 俺は今のやり取りで、あんたに心底ムカついた! だから……絶対に、いつかあんたに一泡吹かせてやる。その時まで、首を洗って待ってやがれ!」
「お好きにどうぞ。でも、私は常に最前線にいるわ。あんまりぐずぐずしてると、あんたが強くなる前に、私が10代で死ぬかもしれないわよ? やるなら、さっさとしなさいな」
「……そん時は、心ゆくまで死体蹴りしてやるよ。だから、せいぜい無様に死なないようにな」
「言われずとも」
残間くんの捨て台詞に、肆谷副会長はただ不敵に笑ってみせた。
あれから、一週間が過ぎた。
部室のホワイトボードに、残間くんが熱心に数式を書き連ねている。その背中からは、以前彼が纏っていた刺々しい空気が嘘のように消え去り、今はただ、ひたむきな探究心が満ちていた。
その姿に、机で雑談していた僕と友人たちの視線が、自然と集まる。
「えーと、この世の物理法則に則るなら、時間に関する機術で現在可能なのは、対象の知覚情報を極限まで加速させ、疑似的な時間停止状態を創り出すこと……か」
「ふふ、残間くん、すっかり勉強熱心になったね。時間停止がそんなに気に入ったのかな」
僕の言葉に、隣に座る杏那さんがくすりと微笑む。
「アニメやゲームの世界でも、最強クラスの能力として描かれますから。疑似的とはいえ、一度でもあの万能感を味わってしまえば、虜になるのも無理はないでしょう。ただし、今度はご自身の力で掴み取らなければ、何の意味もありませんわ」
「うん。新しい仲間が増えて、僕も嬉しいよ」
僕らの誘いを受けた残間くんは、正式に機術研究部の一員となった。そして、かつて非合法なデバイスで手にした『時間知覚操作』の力を、今度は自らの理論と努力で再現しようと研究に没頭している。ひとまずの目標として、肆谷副会長への対抗策を念頭に、時間停止に近いとされる高速移動系の身体強化機術を選択したようだ。
副会長から「身体強化は、術者自身のフィジカルも不可欠だ」と助言を受けたらしく、最近では学園のジムで身体を鍛えるのが日課になっているという。さらに武器として細身の剣を手に、剣術の訓練も始めたらしい。副会長の絶対的な『パワー』に対し、極限の『スピード』で対抗する──それが、彼の見出した答えなのだろう。
この一週間で、日常には様々な変化が訪れた。
まず、最も大きな出来事といえば、あの戦いで奪取した機密資料の解析が、ついに完了したらしい。美王先生と玖代会長、襟間会計が中心となって進めていたその作業が終わり、僕たちにも近々、その内容が開示されるという。
だが、今の僕たちがすべきことはこの機術学園の生徒として、青春を謳歌することだ。
毎日授業を受けて、友達とくだらないことで笑い合って、そして放課後は、来るべき時に備えて機術の訓練に励む。
夕暮れの訓練場。僕は、磁力ナイフ『双極』の複雑な軌道を必死にコントロールする。隣では、杏那さんが重力子の密度を高める精密な訓練を。
そして、かつて僕らの敵だった残間くんも、今ではレイピアを手に、汗を流しながら素振りを繰り返している。
この穏やかな時間が、いつまでも続けばいい。
心の底からそう願う。だが、きっとそうはならないことも、僕たちは知っている。
だからこそ、この一瞬一瞬を大切に、僕たちは強くなる。
仲間たちと共に築き上げた、このかけがえのない居場所を、自分たちの手で守り抜くために。
物語はまだ、序章を終えたばかりなのだから。




