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とても困っている董卓さん  作者: 神奈いです
第4章 董卓は成功を続けるも、うまくはいかない

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第15話 群雄の動き

 漢の孝献皇帝 初平二年(西暦191年)。


 夏に入り、董卓は長安に戻った。反董卓連合軍も解散し群雄たちもそれぞれの道を歩んでいる。


 袁紹は劉虞の擁立に失敗したが、并州の張楊の軍、そして南匈奴の於夫羅の軍と合流することができた。この兵を用い袁紹は洛陽への進軍はせず、逆に東に兵を向けた。

 冀州刺史の韓馥は袁氏に代々仕えていた役人であり、兵糧を送る約束をしていたが、それをさぼっていた。袁紹が主家面をしてあれこれ言うのが気に入らないので、兵糧を止めれば軍団が四散すると思ったのだ。しかし逆に袁紹は謎の魅力を発揮して各地の群雄を集めている。

 そんなおり、韓馥は部下の麹義と仲たがいをした。上司に逆らう部下を懲罰しようと兵を率いて麹義を攻めたが、韓馥は逆に負けた。


 麹義は猛将だ。後に袁紹軍に加わるが、その中でも圧倒的な戦績を誇る。ぽっと出てきて負けただけの顔良文醜なんかよりもはるかに上ではないか。荀彧が自分たちが倒した敵に対して「いやぁ強敵でしたね」と言っているだけで袁紹軍の猛将と言われる顔良文醜に特に功績はない。

 

 話がそれたが、その麹義が袁紹と合流してしまった。韓馥は恐れた。ここで郭図が出てくる。

 「公孫瓚と袁紹が同時に攻めてきたら持ちません。ここは冀州を袁紹に譲りましょう、袁紹は必ずや将軍(韓馥)を厚遇するはずです」

 韓馥には度胸がない。部下が反対したが、それを押し切って袁紹に冀州を譲ってしまった。結局その後、暗殺されると勘違いして自殺してしまう。袁紹や劉備など図太い人間たちに比べ、韓馥は到底乱世に向いていなかったのだろう。


 こうして袁紹は冀州を手に入れ、群雄として拠点を得て自立した。


 ― ― ― ― ―

 

 鮑信と曹操はそんな袁紹を危うげに見ている。

 鮑信は曹操に言った。

 「袁紹を盟主と仰いだが、袁紹は利益を求めて乱を悪化させているだけだ。あれではまるで董卓ではないか」

 曹操は鮑信の意見に賛同して、黄河を南にわたって兗州に入った。兗州では黒山賊が東郡を襲っていたが、太守の王肱は対処できなかった。それを退治して曹操が東郡太守となった。曹操はすぐに隣の済北国の相に鮑信を推挙し、事実上兗州北部を二人で占拠した。


 そのころ、青州の黄巾残党が力を増していた。青州黄巾は大挙して渤海を攻めたが公孫瓚に迎撃された。青州黄巾30万に対し、公孫瓚は歩騎2万で立ち向かい、惨殺数万、捕虜7万の大勝利を得た。つまり、この30万というのはほぼ難民であったと思われる。

 

 劉虞は袁術と協力して献帝を助け出そうと、子の劉和のもとに騎兵数千を派遣した。公孫瓚もそれにあわせて従弟の公孫越に騎兵千を預けて袁術のもとに送った。しかし袁術は欲望を制御できない。公孫越に誑かされて、劉和の兵を奪ってしまった。劉和は袁紹の下に逃げ込んだ。それを知った劉虞と公孫瓚の仲が悪くなった。


 袁紹は兵を出して孫堅のもつ潁川郡の陽城を攻めさせた。孫堅は嘆いた。

 「董卓討伐のために皆で挙兵したのではないのか!?俺はいったい誰と一緒に戦えばいいのだ」

 袁術は孫堅の援軍に公孫越を送ったが、公孫越は流れ矢に当たり戦死した。これにより公孫瓚と袁紹は断絶し、公孫瓚は厳綱を冀州刺史に、田楷を青州刺史に、単経を兗州刺史に、また劉備を平原の相に任命した。つまりこれらの土地を侵略すると言う宣言である。


 公孫瓚は袁術と組んでいる。袁紹は劉表と組んだ。袁術は怒った。

 「袁紹は袁氏の血筋ではない!奴隷の子だ。なのになぜ群雄は俺に従わずに奴隷に従うのだ!」

 袁術がそう公孫瓚に伝えたと聞いて、袁紹も怒った。

 

 袁術は孫堅を荊州に派遣して劉表を討たせたが、孫堅は勝ちに乗じて追撃している時に、劉表の武将黄祖の伏兵に狙撃されて死んだ。

 

 董卓は以前「袁氏に従った孫堅は死ぬしかない」と予言したがそのとおりになった。



 ― ― ― ― ―


 そのころ、黄巾党討伐の殊勲者であった朱儁が董卓配下から逃げ出し、中牟で兵を挙げて反董卓連合を呼び掛けた。徐州の陶謙は兵三千を派遣して朱儁に与した。


 そのころ、益州の劉焉は張魯を漢中に派遣して自立させ、朝廷の使者を殺させた。劉焉は「五斗米道が道を塞いでいます」と報告して税を朝廷に送らない。益州の豪族を殺して回り、馬車を千乗つくって贅沢をした。荊州の劉表は「劉焉は益州で自立して一派を立てようとしているようです」と報告した。

 

 そのころ、襄平の公孫度の威名が高まり、避難民が遼東に逃げた。


 このように各地の群雄は朝廷に従わず、勝手に役人を任命して租税を私物化している。



 董卓は気に入らない。儒教こそが聖なる教えであり、皇帝は至尊であると学んできた。よって、長安で皇帝に仕えて、儒教の教えにのっとった政治をしている董卓こそが正しく、反乱軍に道理があるはずがない。


 なのに反乱軍はあちこちで力をつけて完全に群雄割拠している。高名な儒者を高位につけて、儒教を政治の忠臣としているので、その徳を恐れて反乱軍はおのずから降伏してくるはずなのだ。政治はそういうものだと学んできたのに、全くその通りにならない。


 すでに後漢は滅んでいるようなものだった。

 

 「つまらん」


 董卓は政治に興味を失った。

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