表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/37

勇者と愛剣、誇りと魂の欠片(後)

 砕けた剣は何も語りません。

 無惨な破片となった、あの剣はもう、なにも応えません。


 勇者さまの肩が、落ちておりました。

 荒事を生業とするような武人の肩が、静かに、静かに沈んでいるのです。


 その横顔を、オルフィーナ姫様もまた、じっと見つめておられました。

 まぶたを伏せ、唇はかすかに開いて……言葉を、飲み込まれました。


 そんな様子を横目に、鍛冶師ガランは黙ってパイプに火をつけました。

 くぐもった煙が、重く沈んだ時間そのもののように、ゆらゆらと宙に漂います。


 やがて――


「……かつても、ありしことぞ」


 静かに、勇者さまが呟かれました。

 誰に語るでもなく、記憶を掘り起こすような声で。


「誠……あったのだ」


 語るほどに冷えていくような、乾いた口調でした。

 語尾に抑揚はありません。


「折れ、砕けたのだ、剣の魂が……我が目の前にて」


 その眼差しは、砕けた剣ではなく、ずっと先のなにか――

 遠く、過ぎた時の彼方を見ているようでした。


「何が悪うござったか……今もって判然とはせぬ。

 いや――分かっておるのやもしれぬ……が、はや無益」


 ぽつり、ぽつりと落ちる言葉。


「……諦むるほか……」


 その声はあまりにも小さく、かすかな動きでした。


 誰もが言葉を失い、ただ、心を縛られたような、そのとき。


 鍛冶師ガランが、ふいに、ぷかぁと音を立てて煙を吐き出し――


「ばぁっかじゃねぇ~のぉ」


 その一言は、あまりにも自然で、あまりにも突然で、

 まるで世間話のついでのように、工房の空気をすり抜けてゆきました。


「まったく、武人さんってのよぉ、どいつもこいつも諦めが、早えんだよなァ」


 勇者が、ぴくりと肩を揺らしました。


「なっ――」


 反射的に声を出しかける勇者を、ガランは目もくれずに遮ります。


「諦める? そういう口の動きだったな。……で? それで満足か? 終わりか? 納得してんのか、おい?」


 語気は抑えているのに、言葉はどこまでも鋭くて重い。


「ったく……剣が砕けた? 魂が折れた? だからもう無理? やれやれ、随分と“安い”剣だな、そいつぁよぉ」


 安いという言葉を耳にした、勇者さまが、ハッと息を呑みます。

 

「ああ、どうせこいつも安ものなんだろなぁ。あっ、あれか、蚤の市で叩き売られてた、二束三文の作りの悪いなまくらじゃねーの?」


 ガランはゲハハと嘲笑すら漏らして続けます。


「だってよ、諦められるんだろ? なら、諦めろよ。そして、そこらのにある、なまくらでも使ってりゃいいんだ……お安くしとくぜ? 俺の言っていることがわかるか? わかるかねぇ? ……わかんねぇよな。おめぇは馬鹿だから、な」


 ものすごい煽りでした。

 当然――


「……安い、だとッ!」


 勇者さまの声が――爆ぜました。

 低く、噛みしめるような声音。


「我が剣を、愚弄するか貴様……ッ」


 その声音に、工房の空気が張り詰めます。


「幾度死地に立ち、共に斬り抜け、血を浴び、我が手に在った剣ぞ……ッ」


 拳が震えています。でも、怒声ではありませんでした。

 誉れを知る男の、抑えきれぬ静かな憤り。


「安きは、貴様の言の葉ぞ……魂の重みも知らず、刃を値札で笑うとは……

 貴様、それでも鍛冶を名乗るか――ッ!」


 勇者さまの眼には、火が宿っていました。

 それは罵倒に対してでもなく、嘲笑にでもなく、

 “我が剣を侮辱“された武人の怒り――


 ――勇なる者の怒り。

 まさに、それだけが、そこにありました。


「……ふん」


 そこでガランはふぅ、とひとつ、長く煙を吐いて。

 まるで鍛え上げた鉄を前にしたような目で、勇者を見据えた。


「……熱がある、いい声だったぜ、武人さんよ。

 んじゃ、其れに免じて、ひとついいことを教えてやるよ」


 言葉は静かに、けれど重く響きました。


「剣の魂ってのはな、死なねぇのさ……

 死ぬときは……使い手が諦めたとき、なんだぜぇ?」


 ガランの視線と、勇者の視線がぶつかります。

 鋼と鋼が火花を散らすような、静かなる睨み合い。

 だがそこには、敵意はなかった。ただ、互いの“信”を見定める目でした。


「なぁ、お前さん――どうなんだ?」


 言葉は静かに、しかしまっすぐに、心を撃ち抜いてきました。

 言外の“諦めてねぇよな?”という意気がひしひしと。


 勇者さまは、息を呑んだまま、動けません。

 拳を握ったまま、ただ目を伏せ、目を閉じ、

 そして……ゆっくりと――


「……応ッ!」


 その声は様々な想いがのったか、わずかに震えていました。

 でも、たしかに、魂の底から絞り出した、確固たる意志の色がありました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ