勇者と愛剣、誇りと魂の欠片(後)
砕けた剣は何も語りません。
無惨な破片となった、あの剣はもう、なにも応えません。
勇者さまの肩が、落ちておりました。
荒事を生業とするような武人の肩が、静かに、静かに沈んでいるのです。
その横顔を、オルフィーナ姫様もまた、じっと見つめておられました。
まぶたを伏せ、唇はかすかに開いて……言葉を、飲み込まれました。
そんな様子を横目に、鍛冶師ガランは黙ってパイプに火をつけました。
くぐもった煙が、重く沈んだ時間そのもののように、ゆらゆらと宙に漂います。
やがて――
「……かつても、ありしことぞ」
静かに、勇者さまが呟かれました。
誰に語るでもなく、記憶を掘り起こすような声で。
「誠……あったのだ」
語るほどに冷えていくような、乾いた口調でした。
語尾に抑揚はありません。
「折れ、砕けたのだ、剣の魂が……我が目の前にて」
その眼差しは、砕けた剣ではなく、ずっと先のなにか――
遠く、過ぎた時の彼方を見ているようでした。
「何が悪うござったか……今もって判然とはせぬ。
いや――分かっておるのやもしれぬ……が、はや無益」
ぽつり、ぽつりと落ちる言葉。
「……諦むるほか……」
その声はあまりにも小さく、かすかな動きでした。
誰もが言葉を失い、ただ、心を縛られたような、そのとき。
鍛冶師ガランが、ふいに、ぷかぁと音を立てて煙を吐き出し――
「ばぁっかじゃねぇ~のぉ」
その一言は、あまりにも自然で、あまりにも突然で、
まるで世間話のついでのように、工房の空気をすり抜けてゆきました。
「まったく、武人さんってのよぉ、どいつもこいつも諦めが、早えんだよなァ」
勇者が、ぴくりと肩を揺らしました。
「なっ――」
反射的に声を出しかける勇者を、ガランは目もくれずに遮ります。
「諦める? そういう口の動きだったな。……で? それで満足か? 終わりか? 納得してんのか、おい?」
語気は抑えているのに、言葉はどこまでも鋭くて重い。
「ったく……剣が砕けた? 魂が折れた? だからもう無理? やれやれ、随分と“安い”剣だな、そいつぁよぉ」
安いという言葉を耳にした、勇者さまが、ハッと息を呑みます。
「ああ、どうせこいつも安ものなんだろなぁ。あっ、あれか、蚤の市で叩き売られてた、二束三文の作りの悪いなまくらじゃねーの?」
ガランはゲハハと嘲笑すら漏らして続けます。
「だってよ、諦められるんだろ? なら、諦めろよ。そして、そこらのにある、なまくらでも使ってりゃいいんだ……お安くしとくぜ? 俺の言っていることがわかるか? わかるかねぇ? ……わかんねぇよな。おめぇは馬鹿だから、な」
ものすごい煽りでした。
当然――
「……安い、だとッ!」
勇者さまの声が――爆ぜました。
低く、噛みしめるような声音。
「我が剣を、愚弄するか貴様……ッ」
その声音に、工房の空気が張り詰めます。
「幾度死地に立ち、共に斬り抜け、血を浴び、我が手に在った剣ぞ……ッ」
拳が震えています。でも、怒声ではありませんでした。
誉れを知る男の、抑えきれぬ静かな憤り。
「安きは、貴様の言の葉ぞ……魂の重みも知らず、刃を値札で笑うとは……
貴様、それでも鍛冶を名乗るか――ッ!」
勇者さまの眼には、火が宿っていました。
それは罵倒に対してでもなく、嘲笑にでもなく、
“我が剣を侮辱“された武人の怒り――
――勇なる者の怒り。
まさに、それだけが、そこにありました。
「……ふん」
そこでガランはふぅ、とひとつ、長く煙を吐いて。
まるで鍛え上げた鉄を前にしたような目で、勇者を見据えた。
「……熱がある、いい声だったぜ、武人さんよ。
んじゃ、其れに免じて、ひとついいことを教えてやるよ」
言葉は静かに、けれど重く響きました。
「剣の魂ってのはな、死なねぇのさ……
死ぬときは……使い手が諦めたとき、なんだぜぇ?」
ガランの視線と、勇者の視線がぶつかります。
鋼と鋼が火花を散らすような、静かなる睨み合い。
だがそこには、敵意はなかった。ただ、互いの“信”を見定める目でした。
「なぁ、お前さん――どうなんだ?」
言葉は静かに、しかしまっすぐに、心を撃ち抜いてきました。
言外の“諦めてねぇよな?”という意気がひしひしと。
勇者さまは、息を呑んだまま、動けません。
拳を握ったまま、ただ目を伏せ、目を閉じ、
そして……ゆっくりと――
「……応ッ!」
その声は様々な想いがのったか、わずかに震えていました。
でも、たしかに、魂の底から絞り出した、確固たる意志の色がありました。