ジャックマイヨールのサインと自死と宗教と。
★ 宗教や、自死の話があります。苦手な方はお避け下さい。
★ それ間違ってね?と思っても、生暖かい上から目線で大目に見てあげてください。
よっしゃ。
いくぞ。
。。。
私、4月末に引越をしまして今は2拠点生活を送っています。
半年しても、荷物があっちの家とこっちの家にあるような感じです。
もともと物はあまり持たないタイプなのですが、どうしても手放せない、捨てられない物があります。
古いハンディカムビデオは本体を捨てたらテープが再生出来なくなりますし、プレイヤーは持ってないのにレコードは持っているとか。
大切では無いかもだけど、必要でも無いかもだけど捨てられないあれこれ。
そのうちの1つに、ジャック・マイヨールのサインがあります。
あ、なんかミーハーのようで恥ずかしいですね。
ご存知ない方に「ジャック・マイヨール」をちょっとご説明しますとですね。
フランス国籍のフリーダイバー。
4歳の時、母親に初めて水とのつき合い方を教わる。10歳の時に、佐賀県唐津市の屋形石の七ツ釜ではじめてイルカと出会い、その後の生活の原点となる。12歳で一家でフランスのマルセイユに移住。
《略》
周りの勧めでフリーダイビングに挑戦するようになり、1966年にハバナにて60メートルを記録したのを皮切りにエンゾ・マイオルカと共に記録合戦を繰り広げた。1973年、イタリアに居を移し、10余りの潜水実験に参加。それにより数十メートルの深度でフリーダイビング中のマイヨールの脈拍が毎分26回になっていることや赤血球が著しく増加していることが、スキューバで潜った医師によって測定されたこともある。1976年11月23日、エルバ島にて人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録をつくる。
《略》
1983年、母親の葬儀に参列するためにマルセイユに行った折にリュック・ベッソンと出会う。1988年、自伝をもとにした映画『グラン・ブルー』が同監督により製作され、世界中の人にその存在を知られる。
《略》
大の親日家であり、フリーダイビングにヨーガや禅を取り入れていた。千葉県館山市坂田に別荘を設けている。
《略》
ダイビングの第一線から引退した後は、イルカと人間との共存を訴えた。晩年はうつ病を患っていた。2001年12月22日、エルバ島の自宅の部屋で自殺をしているのが発見された。遺体のそばのテーブルの上に、『グラン・ブルー』のビデオと、直前に出演したテレビ朝日の『グレートマザー物語 ジャック・マイヨールの母』のビデオが置いてあった。
《 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AB 》
Wikipedia-ジャック・マイヨールより
世界的に有名になったのは、ジャン・レノ主演の映画「グラン・ブルー」からです。
海と空の青い世界で繰り広げられる、イルカとの交流やライバル「エンゾ」との友情の物語。
知る人ぞ知る名作です。
知り合いにマイヨールと交流があった人がいて「マイヨールが来日した時に一緒に食事をするのでサインを貰ってきてあげる」と言ってくれました。
マイヨールはどんな人か聞いたら「陽気な普通のおっちゃん」だそうです。
楽しみに待つ。そうして数日後。
手渡されたマイヨールの手書きサイン入りTシャツ。
↓ これよ ↓
…カタカナで「マイヨール」
皆様たぶん私と同じ事を思ったのではないでしょうか。
「これ、本物?」と。
私もそう思いました。
あんた自分で書いたんじゃね?(๑•ૅㅁ•๑)と。
そんな私の失礼な疑惑の眼差しに気づいた知り合いが「あ、マイヨールは日本語話せるし、日本大好きだから」と、慌てて付け足してくれました。
マジックで「マイヨール」と書かれた薄いヘインズTシャツを外で着る勇気もなく、黙ってそのままタンスに仕舞いました。
片付けをしていると奥深く、忘れた頃に出てくるマイヨールTシャツ。
広げて畳んでまた仕舞うを繰り返して数年後、マイヨールが自殺したというニュースが流れました。
そのニュースでは「…キリスト教は自殺はタブーであるため、マイヨールさんは数人の友人にひっそりと見送られたとの事です」と言っていました。
言葉は違っているかもしれませんが、そんな内容でした。
宗教の違いで自死の扱いも違うんだなと知りました。
世界の三大宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教です。(細かい宗派のことはさておきです
この三大宗教の中で、キリスト教とイスラム教は自殺を禁止しているのです。
仏教に於いては、自殺に対する明確な答えはないそうです。
日本人の思う自殺とフランス人の思う自殺では、受け取る側の感覚も違うのかもしれません。
憶測であり上手く言えませんが…
大切な人を亡くしたショックや悲しみ、行き場のない辛い気持ちを、宗教のタブーを犯した憤りに置き変えたりしているところもあるのかもしれないですね。
マイヨールの最期を調べてみたら『home dolphins』というサイトに書かれた内容が、ニュースに近いと思いますので紹介します。
《 私は2001年の12月ジャックがイタリアのエルバ島の自宅で自死したときに、友人三人と現地に駆け付けた。そこで目にしたものは日本では考えられない光景だった。病院の霊安室で寝かされていたジャック以外には、葬儀屋さんがいるだけで、ほかには誰もいなかったのである。友人やファンばかりではなく身内さえ誰一人も、だったのだ。
「2時間後に棺に蓋をしなければイタリアの法律に触れる」と葬儀社の人に言われて、慌てて我々は、日本から持って行ったジャックの好きだったカステラや思い出の品々を棺に入れて最後の別れをした。火葬場に行くまでの間にリボンを買い、そこに考え付くありとあらゆるジャックの日本人の友人の名前を書き込み最後の一行に、あなたを慕う世界中のファン一同と筆ペンで書止め、棺に結んだ。 その数240名弱。私は見なかったが、その日のイタリアテレビのニュースでは「ジャック・マイヨールの遺体は、日本から4人の侍が来て葬られた。」と流れたそうな・・・。 》
《 https://homodelphinus.org/team/%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%A8/ 》より
日本から4人の侍が来て葬られた…
うう…泣かせますね。(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
引越した家には持って来ず、元の家の押し入れ深く眠るジャック・マイヨールTシャツ。
また、忘れた頃に出てくると思います。
そしてまた仕舞う。
拙い文章、最後までお読みくださりありがとうございました。