七 聖なる婚礼
カグセヴァの独壇場です。
かっこいいです。
シノンは相変わらず男前。
連続告白劇最終話、どうぞおたのしみください。
時間はどんどん過ぎていった。
既に日没間近、空は最後の残照を掲げていた。
皆が息を詰めて戦いの行く末を見守る中、もはや立っているのもやっとという状態で二人は対峙した。 どちらの喉からも細い喘鳴が漏れ、血にまみれ、満身創痍の状態である。
常に身なりには気を使っていたセラも王子の面影などどこにもないほどぼろぼろの恰好で、だが、眼だけは爛々と光らせたまま、言った。
「……ようやく、ようやくみつけたのだ……私が求めていたもの……私が大切にしたいひと……私の、すべてを、かけて……欲しいと、思った……シノンは、わたしのものだ……」
カグセヴァもひどい有様だった。
眼に血がはいって視界は悪く、口の中もあちこち切れて声を出すのも辛かったが、さいわい、気力が勝った。
「……セラ様が……どれほどあの方を見てきたのかは知りません……だが、たかが一年半でしょう。私は、私は、あの方が生まれたそのときから、傍におりました。誰がなんと言おうとも、私こそがあの方の一番近くにいたのです。この命、この身を捧げて、慈しみ、守り、ずっとみつめてきたのは私だ。あなたではない。他の誰でもない……」
カグセヴァは遮二無二突っ込んで、拳を固めた一撃をセラの腹部に見舞った。
セラは咄嗟に避けようとしたものの、足がもつれてかわせなかった。
鳩尾に、重い渾身の一撃。
セラが呻き、膝からくずおれる。
カグセヴァは両腕をだらりと身体の横に垂らし、大きく息を繰り返し、血を滴らせながら、セラを見下ろして言った。
「……私はたかが執事の身分なれど、あの方に捧げるこの心だけは、この心だけは、なにより高く尊いものだと私は誓える……っ」
次の瞬間、セラは大の字になった。
ついに動けなくなったのだ。
静寂がみちる黄昏の光の中、カグセヴァは視線を彷徨わせた。
そして一点で留まる。
そこには眩いばかりの王家の婚礼衣裳である純白の衣装に身を包んだシノンの姿があった。
「私はあなたさまを愛しています」
カグセヴァは全身全霊の叫びを放った。
「誰よりもあなたさまを愛している!」
よろめきながら、一歩ずつ這うように歩を進めるカグセヴァのもとへ――シノンは顔を涙でしわくちゃにしながら長いレースのドレスの裾をひいてまっすぐに駆けていった。
「――カグセヴァ!」
二人が固く抱き合ったその瞬間、劇場は本日最大の爆発的な拍手と歓声に包まれた。
オーケストラは誰が申し合わせたわけでもなく国歌を演奏、祝福の嵐が巻き起こる。
シノンはカグセヴァの首に掴まりながら、声を震わせて呟く。
「……君が僕のためにここまでするとは思わなかった。誰の演出だ?」
「エドの発案です。他の執事補佐も協力してくれて……やはり、似合いませんか?」
「いや格好はともかく、こんな殴り合いは君らしくもないし、セラ殿らしくもない……」
「どうしても、力で負かす必要があったのです。他にはセラ様を納得させる術がない……セラ様からこの場であなたさまを奪うには、誰の眼にもはっきりと決着をつけることが肝心でした。私は自分の心には自信がありますが、心は眼には見えないものだから……」
「……うん、そうだな」
そのまましばらく二人は抱き合っていた。
この間、舞台袖や舞台裏や劇場内のそこかしこでは怒号飛び交い、忙しなく、猛烈に忙しなく大勢が右往左往して動き回っていた。
セラも救護係に助け起こされ、付き添われて手当てのために引っ込み、いつのまにか舞台上にはシノンとカグセヴァのふたりきりである。
頃合いを見計らって、カグセヴァはシノンを抱く腕をゆるめた。
顔を間近に覗きこむ。
「……さて、では、そろそろはっきりさせていただきます」
「うん?」
「結婚してください」
シノンは絶句した。
「私と結婚してください」
「……本気か?」
「リカール様に特別結婚許可証の件を知らされて、考えたのです。もしかしたら、こんなふうにいつか突然、あなたさまが他の男のものになってしまうかもしれないと。身の竦む思いでした。同時に、激しい嫉妬に苛まれました。もしもそんなことが起こったら、私はたぶん平生ではいられない……だから、自分の心をごまかすことを、やめることにしたんです」
シノンの左右の眼元を、カグセヴァの指が拭う。
シノンの後方、舞台袖の隅に、エドと部下たちをみつける。
懸命に祈るようなしぐさ。
カグセヴァは相好を崩し、背を押される気持ちで告白した。
「私だって、五年も待ちたくない。あなたさまが欲しい。どうか約束の薔薇を受け取ってください。薔薇の名は、言うまでもありませんでしょう?」
差し出された薔薇は、アリアン・ローでもっとも由緒正しい薔薇である。
“最愛のひと”。
だが、シノンはすぐには受け取らなかった。
「ちょっと待ってくれ」
途端に険しい形相になるカグセヴァの前で、シノンは腕の中から逃れようとする。
「……私が相手では不満ですか」
「そうじゃない。ちょっと放せったら」
「嫌です。私は待ちたくない。もう待ちたくないのです」
「だからそうじゃなくて――ああもう、仕方ないな。じゃあこのままでもいい」
シノンは身を捩って客席を振り向いた。
そして大いに盛り上がる観客席に向かい、唐突に、思いっきりの声を張り上げる。
「国民諸君に申し伝える! 突然だが、急ぎのため、こんな姿勢ですまない。僕は王子ではない。僕は王女である。僕はカーン四世の嫡子にして正統なる第一王位継承者シノン・クロワローア・グーゼルベルナー王女である! そしてここにいるカグセヴァ・ルースエネスこそが、僕の千人求婚の千人目の相手、僕がただひとり選んだ男だ。僕はこの者と結婚する!」
呆気にとられる面々をよそに、シノンはすっきりした顔でカグセヴァに向きなおり、あっさりと薔薇を受け取った。
カグセヴァは我に返って言った。
「……いまここで明らかにされるとは思いませんでしたよ。でも、これで晴れてあなたさまは私の妻です」
「いや、まだだ」
「……なんですって?」
「いちいち凄むな。まだ足りないじゃないか。せっかく三大司教の署名と捺印が揃った国籍不問の特別結婚許可証があるのだし、王と王妃もいることだし、愛の日でもあるし、婚礼衣裳も着たことだし、薔薇も用意されているし、指輪がないのが残念だが、まあいい、とにかくこのまま結婚の儀をしよう。もともと台本にもあることだ、皆の支度もすぐに整うだろう」
「よろしいのですか」
「いいじゃないか」
「……あとでなかったことになどしませんよ」
「あたりまえだ」
「そう言ってくださると信じておりました」
カグセヴァは悦にいった表情で、待機していたクライドディラーに腕を上げて合図した。
「……なんだ? またなにか突拍子もないことをしでかすのではないだろうな」
カグセヴァは珍しく、にっこりとした。
そして胸元に差し込んだ手を抜いて、掌をひらく。
「指輪はここに。その他にもまあ色々と準備いたしましたので、少々お待ちを。その間、若干猶予がありますのでどうぞ化粧直しなどなさってください。ああ、でもせっかくの純白の婚礼衣裳が私の血で汚れてしまいましたね……申し訳ありません」
「ばかなことを言うな。汚れ? 君が僕のために闘って流した血だぞ? 名誉の勲章に決まっている!――誰か、カグセヴァの手当てを!」
劇場内はおおわらわだった。
クライドディラーの指示で仲間たちは作業を分担し、きびきびと働いた。
劇場の通路という通路に婚礼用の純白の絨毯を敷き詰め、いたるところに白い花の飾りつけをした。
来場者全員に白いリボンを結んだ白薔薇を配り、協力を呼びかける。
王宮聖歌隊は白い婚礼祝い用の衣装に着替え、舞台前の小空間に扇型にひろがって整列し、オーケストラも全員が白い衣装に着替えた。
指揮者のタクトまで白である。
舞台は真っ白に飾り付けられ、中央には神父のための白亜の宣誓台が運び込まれた。
カグセヴァは舞台袖の一番奥まったところで、執事補佐エドの手荒な手当てを受けていた。
「まったく、手を怪我するなど言語道断、あなたらしくもない。この手でどうして仕事をするつもりです。いっそ治るまで休まれてはどうですか」
「そうします」
「ええ、ええ、わかっています。どうせそんなわけにはいかないと言うのでしょう? ったく、いつか働きすぎで倒れますよ。私がなんのためにあなたの補佐に――あれ? いま、なんて言いました?」
「少し休むと言ったんです。復帰まで、あとをよろしくお願いします」
エドは眼を丸くしながらも、嬉々として誇らしそうに、力強く頷いた。
「どうぞ新婚休暇を満喫してください。私ほか部下一同に、万事おまかせを」
そこへ、白いドレスに着替えた王妃姿のリカールがやってきた。
「結構やられたじゃないか。あの有様だと肋の何本かいったろう」
「シノン様を娶るのです。このくらい安い代償ですよ」
「それもそうだな。とりあえず、俺も一発殴らせてもらう」
言って、リカールはエドを身振りで遠ざけ、拳を振り上げる。
エドが思わず眼をつむる。
リカールはカグセヴァの腹部に下から抉るような強烈な一発を見舞った。
カグセヴァは堪らず呻いて、頭から落ちかけた。
すかさずリカールの腕が支える。
「……いまのが一番ききました……」
「貴様、儀式の途中で無様に気を失ったりしてみろ。そのときは俺がシノンをかっさらうぞ。それが嫌だったら今日が終わるまでは死ぬ気で立っていろ」
「はい。色々ご尽力、ありがとうございます……」
「忘れるな。シノンの十九年を知っているのは貴様だけじゃない。シノンを幸せにしたい男は貴様だけじゃないんだ。だが、いまは黙っていてやる。他ならぬ、シノンの望みだからな」
去ってゆくリカールの後ろ姿に、カグセヴァは深く頭を下げた。
白い婚礼衣裳に着替え、身嗜みを整えて、軋む身体をおして舞台に戻ると、そこには白い正装姿の皆が勢揃いしていた。
王と王妃、リカール、ケインウェイ、ルイズとミアンサ、ルネーラとエストレーン卿、ルカとスライエン、そしてセラ。彼もまた白い衣装に着替えている。
「……祝福はしない。だが今日のところは負けを認める」
苦り切った口調で、セラは告げた。
カグセヴァは感謝の意を込めて目礼した。
それからエドほか執事補佐の部下たち、クライドディラーとその一味、サザン、オーケストラ隊、王宮聖歌隊全員、そして裏方の面々も皆着替えている。
客席を見渡す限り、来場者全員が白い薔薇を挿した聖帽を被っている。
これは結婚式に参列する際に被る帽子で、劇のために持参していたものだった。
宣誓台には三人の大司教――エザル・ドケーシス大司教、デルマ・ダーグリマ大司教、ピエ・ジョーネ大司教――が聖書を片手に肩を並べて立っている。
そして宣誓台の正面には王家の婚礼衣裳を身に纏ったシノンが待っていた。
「三大司教様まで呼んだのか」
「王女の結婚の儀です。快く承諾していただけました。もっとも、手配をしてくださったのはリカール様ですが」
「リカールが協力を? そうか。やはりリカールは頼りになるな」
「……そういえば、リカール様と言えば、熱烈な口づけをされましたね……?」
「いや、あれはリカールじゃない。ヴィバルだ」
「同じことです。あなたさまはいまを限りに私の妻となられるのですから、もう二度と、他の男に唇を許さないでくださいね……?」
「宣誓前に花嫁を脅す花婿がどこにいる」
二人の押し問答に、大司教の中でも一番格の高いエザル・ドケーシス大司教が窘めた。
「神の御前である。私語は慎むように」
静謐なる沈黙が降りた。
エザル・ドケーシス大司教は厳かに口をひらいた。
「これよりシノン・クロワローア・グーゼルベルナー王女とカグセヴァ・ルースエネスの婚礼の儀を執り行う。参列者においては異議のある者はいま申し立てよ。さもなくば永遠に沈黙を。よろしい。異議のないものとする。では両名これへ」
シノンとカグセヴァは一歩前に進み出た。
宣誓台の上に立つエザル・ドケーシス大司教はデルマ・ダーグリマ大司教の持つ聖杯にみたした聖水を一滴ずつ二人に降りかけた。
「シノン・クロワローア・グーゼルベルナー王女よ、汝、病めるときも健やかなるときも、この者を愛し、敬い、添い遂げることを誓いますか」
「誓います」
「カグセヴァ・ルースエネスよ、汝、病めるときも健やかなるときも、この者を愛し、敬い、添い遂げることを誓いますか」
「誓います」
「では誓いの薔薇の交換を」
エザル・ドケーシス大司教はピエ・ジョーネ大司教の持つ聖盆に用意された赤い薔薇を取り、二人に一輪ずつ渡し、二人はこれを互いの胸に結びつけた。
「誓いの口づけを」
カグセヴァはシノンの顔にかかるベールをそっとのけた。
奇跡的に美しいシノンがそこにいた。
二人は柔らかく、だが、だいぶ長めに唇を重ねた。
「指輪の交換を」
エザル・ドケーシス大司教はピエ・ジョーネ大司教の持つ聖盆に用意された金の指輪を二人に授け、二人はつつがなく交換した。
エザル・ドケーシス大司教は神の名を唱え、片手を上げて微笑んだ。
「誓いは成された。ここに二人を夫婦と認める」
次の瞬間、地響きにも似た大歓声が起こった。
慣例に則り、白薔薇つきの聖帽が宙を舞い、同時に国歌斉唱の大音声が轟き渡る。
そして待っていたかのように教会という教会の鐘が一度に鳴り響いた。
高らかに連なる祝福の鐘の連鎖と号外を叫ぶ民たちの声により、シノンの結婚の知らせは瞬く間に世間を席巻して、たちまち祝福の嵐を呼びよせた。
愛による感動の波が誰もの心を打ち、涙、涙、涙の喜びに浸り、割れんばかりの喝采が鳴りやまぬ中――。
サザンが咽び泣きつつ、最後の職務をまっとうした。
「感動です! 感動の嵐です! 今年もまた愛する者同士が結ばれました。セラ王子は残念でしたが、なに、大丈夫! 愛は誰のもとにも訪れるもの。いつかぴったりな方が現れることでしょう。さてさて、ではでは、最高に盛り上がっているところ大変お名残惜しいことですが、そろそろお別れの時間がやってまいりました。赤い薔薇結びの劇、大団円にて、これにて終演! 進行役はサザン・イルエルクでした――!」
日没直前の紅いきらめきを浴びながら、ゆっくりと、いま緞帳が下りた。
赤い薔薇結びの劇、これにて終幕!
シノンとカグセヴァはめでたく結ばれ、シノンは王女の名乗りも挙げて、千年求婚の相手も明らかになり、本当によかったです。涙。
色々と申し上げたいこともありますが、あと少し続きます。
安芸でした。