赤い薔薇結びの劇・3
劇の前半、終了。
いったん休憩です。
後半は、各ペアのみどころとなっています。
「ケインウェイから話は聞いた」
「……ちょっと待ちたまえ。その話をいまここでするつもりか」
リカール王妃は金色のドレスの裾をひいてシノンの眼の前まで来た。
片膝をつき、両肩を鷲掴みにする。
その顔は深刻で、眼には熱がこもっていた。
「おまえが早まった真似をするんじゃないかと、俺は気が気でならなかったんだぞ」
「落ち着け、リカール」
「愛を乞う、だと? 身分が違いすぎる結婚は悲劇のもとだ。いままでと同じようにはいられない関係になる。それを覚悟の上なのか? 後悔はないのか? 俺はおまえが泣くのは見たくない。思いとどまるならいまだ。止めてほしいなら止めてやる。どうなんだ」
シノンはリカールの白手袋を嵌めた手に手を重ねて、言った。
「止めるのではなく、押してくれ。実のところ、僕自身、この決断が正しいのか間違いなのかわからない。それでもいまこの機を逃したら次があるかわからない。ひとの心なんていつどう変わってもおかしくない。だからいまは心の欲するままに進むと決めた。決めたんだ」
「ならば押してやる」
「貴族会で却下されるかも知れない」
「上告してやる」
「審議会の査問で反対されるかもしれない」
「抑え込んでやる。他のどんな問題も俺がうまく取り計らってやる」
「本当に?」
「ああ」
リカールはシノンの手を持ち上げ、指先に唇をおしあてた。
「一生助けると、言っただろう。俺は、どんなときもおまえにとって真っ先に頼れる存在でありたいんだ。、まかせておけ」
そこで、親密な空気の漂う二人の間をケインウェイが引き裂いた。
「なんっで、リカールばっかりいい役取るわけ? ずるいだろうが! ここは、若い二人のために寛大にも結婚の許しを与える俺の見せ場だろう。あのさあ、俺だってシノンのためならなんだってするからな。結婚だって、俺が立候補できないなら、せめておまえが望む相手を応援してやるよ。ったく、なんでよりによってこの俺がおまえの……あー、くそっ」
カグセヴァ、舞台下より冷たい一撃。
「いったいなんの会話をなさっているんです。劇はどうなりました、劇は」
「うるさい。言えばいいんだろう、言えば。あー、王子とシノンの結婚を許す」
舞台は沈黙したままだった。
むっとして、ケインウェイは繰り返した。
「王子とシノンの結婚を許す!」
ルネーラ、ルカにこっそり肘打ちをする。
「……次はルカのセリフじゃないかしら」
「え? そ、そうですね。えっと、で、では王子が戻られるまで私がシノン様の護衛の任に就きたく存じます」
「僕は一度家に帰って、両親に王子とのことを報告しなければ。そのあとまたここへ来ます」
「わたくしも一緒に参りますわ」
シノン、ルネーラ、ルカ下手へ退場。
カグセヴァ、上手、舞台下に登場。
「そうして辺りに夕闇が迫り、家々の灯りがともりはじめたころになってもシノンとルカは王宮には戻ってきません。王は心配になり、シノンの家に使いを出そうとしたときです。ルカが身体を引きずりながら戻ってきました」
ルカ、下手より登場。舞台中央で倒れる。
「ルカー!」
スライエン、ルカを抱き起こす。
ルカの周りに王、王妃が集う。
「いったいなにがあった」
「シノン様が攫われました」
「王子に伝令を! 至急、兵を集めろ。なんとしてでもシノン殿を救うのだ」
「私も参ります」
「ルカが行くなら、僕も行きます、行きます」
ケインウェイ、ルカ、スライエン、退場。
王妃の傍白。
「神よ、どうか子らを守りたまえ。神よ、我が偉大なる父なるものよ――この切なる願いをどうか聞き届けたまえ」
王妃、悲壮感を漂わせたまま退場。
ミアンサ、ひとり舞台中央に残る。
傍白。
「大変なことになってしまったわ。わたくしがシノンの店で、イースター・エッグの中からたまたま見つけたこの宝石。シノンはなにも知らないようだった。
あとでこっそり訊ねるつもりだったのにシノンは寝込んでしまったし、持ってきたまま忘れていたけれど、一度ならず二度までも賊に襲われるなんて、たぶんこれが目的なのに違いないわ。
これをわたくしが持っていることは誰も知らない。シノンを助けるためにはどうすれば? この宝石と引き換えることができればいいのかもしれないけれど、ああ! わたくしでは賊の居場所などわからない。せめて王子にご相談できればよかったのだけれど――いいえ、いまからでも遅くないわ。王子を追いかけましょう。シノン! シノン! どうか無事でいてね。いま行くわ」
ミアンサ、さっとドレスの裾を翻して退場。
セットの変更。郊外。
天蓋付きの豪奢な寝台が一台、枕もとに小卓が一台、寝台から少し離れて肘掛椅子が一脚。
オーケストラ、迫りくる危険を感じさせるような腹の底に響く重みのある旋律を主体にした演奏を響かせる。
カグセヴァ登場。
片手に角灯を下げ、片手に小さな松明を持っている。
「夜になりました。シノンが自宅から攫われて早半日が経とうとしています。鳩尾に一撃を受けて気絶させられたシノンが、いまようやく眼を覚ましました……」
カグセヴァ、角灯に火を点し、これを掲げて舞台を照らすようなしぐさをして、ゆっくりと退場。
寝台から、むっくりとシノンが起き上がる。
「どこだ、ここは」
黒装束に黒い剣を腰に佩いた、ヴィバル登場。
「俺の隠れ家のひとつさ。お目ざめかい、お嬢さん」
「また君か」
「まあそう言うな。俺は欲しいと思った女は手に入れないと気がすまない性質でね」
「“天使の涙”とやらは見つかったのか?」
「しらを切るつもりか? 奴の話を聞く限りじゃあ、場所といい、看板の趣きといい、人相といい、そいつを預けた相手はどうもおまえで間違いないらしいんだがね」
「知らないものは知らん。そもそも“天使の涙”とはなんだ?」
「世界でも希少価値の高い巨大な青いダイヤモンドさ。別名“悪魔の涙”とも呼ばれている」
「それだけ高名な宝石ならば王家の所有物じゃないのか? そうか……さては、盗んだな」
「さて、白状してもらおうか。まあ、おまえをそっくりいただいたあとでもかまわないがな」
突然、ヴィバル、シノンの上にのしかかり、押し倒す。
「退け」
「断る」
ヴィバル、シノンに唇を重ねる。
手首をがっちりと抑えつけられ、はじめ柔らかく触れ合ったあと、むさぼるように激しい口づけになった。
「離れなさい」
怒り滾った恫喝が劇場を揺るがした。
どうみても演技とは思えない、逸脱した舞台上の行為に釘づけになっていた観客も思わず戦慄するほどの大声だった。
セラ、上手より登場。
本気で腹を立て、嫉妬に狂った表情を一片も隠しもせず、冷たい睥睨をヴィバルに注ぎながら柄に手を伸ばし、剣を抜き放った。
「……よくも私のシノンに触れましたね……」
ヴィバル、名残惜しそうに起き上がり、乱れたシノンの髪を優しく指で梳いて整えたあと、緩慢な動きで寝台を降りた。
「……よくぞここがわかったと褒めてやってもいいが、いまは邪魔だ。せっかくこれからがいいところだったってのに――まあいい。決着をつけようじゃないか。来い」
「望むところです。叩き斬ってくれましょう」
セラとヴィバル、一気に距離を詰めて切り結ぶ。
間髪おかず起こる剣戟戦。
鋼がかち合う音が鋭く鳴り響き、技と技、力と力の押し合いで真っ向からせめぎ合う。
まったくの両者互角の攻防。観客は総立ちとなり、興奮が奔流となる。
そこへ、下手より絶妙の間合いで盗賊団登場。
上手からはルイズとエストレーン卿、そして警備兵の面々が登場。
更に花道から少し遅れてケインウェイ、ルカ、スライエン登場。
「首領を助けろ! 国家の犬などぶちのめせ!」
「王子をお助けしろ! 奴らをひとり残らず捕えるんだ!」
舞台上は大乱闘の場と化した。
手加減無用とばかりに誰もかれもが暴れ狂った。
飛び交う怒声、罵声、嘲笑誹謗。
鬨の声、正義の主張、神の名においての突撃指令。
シノンも参戦した。敵役から奪った剣を手に、威勢のいいかけ声とともに立ち塞がるものを次から次へとこてんぱんにのしてゆく。その巧みな剣術、身体の捌き方、足運びは華麗にして無駄がなく、見ているだけで血沸き肉踊る戦いぶりだった。
観客は熱狂した。
オーケストラ隊は自己と楽器を一体と成した。汗を飛び散らせながら盛り上げまくった。
どこからかルネーラの悲鳴が上がり、舞台袖から引きずり出されたところをエストレーン卿が駆けつけて賊を斬り伏せ、ルカの窮地にはスライエンが身を呈して庇い、まずいところに姿を現したミアンサをルイズが腕にさらって助け、そして、セラがヴィバルの手からシノンを奪い返した刹那、盗賊団は申し合わせたように一斉に斃れた。
同時に警備隊による捕縛。
警備隊と盗賊団の一斉退場。
最高潮に達する音楽、拍手喝采、声援に応える王子とシノン、助っ人の面々。
市民役のエキストラ、舞台下に多数登場。
喜びに沸きかえる市民、だがその声も徐々に沈静化し、静まった。
そして舞台には主要登場人物が残された。
中央にセラとシノン、上手にルイズとミアンサ、下手にエストレーン卿とルネーラ、花道左手にスライエンとルカ。
観客は全員が着席し直していた。
固唾をのんで、食い入るように舞台をみつめている。
いったい最後はどうなるのか。
ぴりぴりした極度の緊張感の中、エコー・ポイント上に厳かにカグセヴァ登場。
「ご来場の皆さまにご案内いたします。ここでいったん休憩とさせていただきます。第二部開始は二十分後となります」
どきどきしてきた……!
私まで緊張しています。
次の次より、連続告白劇です。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。