九 すべて白紙に
主人公シノンの出番です!
決意が凛々しいです。
山吹色の西日が射していた。
夕闇が迫る。
まもなく日没を迎えようという時刻である。
シノンとケインウェイは小児病棟の子供たちを見舞った帰り、ルイズを見つけた。
「ルイズ殿! 奇遇ですね。こんなところでなにをされているんです?」
ルイズは、臨時休業の札の下がった雑貨屋の軒先の階段に、ぼーっと座っていた。
「……ああ、シノン殿。いえ、なんでもありません……」
「なんでもない、というお顔ではありませんね。どなたか、探しびとでも?」
「ミアンサか?」
シノンはケインウェイの鳩尾に思いっきり肘鉄を食らわせた。
「少しは空気を読め。それで、僕がお力になれることがありますか?」
悶絶して地面に蹲るケインウェイを放っておいて、シノンはルイズの横に座った。
ルイズは膝頭に肘をつき、組み合わせた指に額を押しつけて、思い詰めたように言った。
「……私はおかしい、シノン殿」
「なにがです」
「私はあなたに求婚するためにこの国へ来ました。ところが、あなたではない女性に心を囚われ、頭を悩ませています。私は不実な男です」
のたうつのをやめて、ケインウェイが腹部を擦りながら注意を促した。
「……おいおい、王女って立場を忘れているぜ」
「もう王女ではありません。私は王子です。王女である証の指輪を外し、王子である証の指輪を嵌めました。これで、正式にウィンストーン卿に求婚をお断りできます。ええ、今夜にでもそうお伝えするつもりです。そして」
ルイズはゆっくりと顔を上げ、シノンを見つめた。
「シノン殿」
「はい」
「私との愛人契約及び婚約の申し込みを白紙に戻していただきたい」
「いますぐに」
ルイズは、ふ、と笑った。
「……なぜでしょうね。あんなに長い間憧れていたあなたを諦めたと言うのに、少しも残念じゃない……むしろ、ほっとした気持ちです。これで心置きなくミアンサに会えます」
シノンは拳を握り、眼でルイズにも同じしぐさを促し、拳を突き合わせた。
「では僕からひとつ助言です。アリアン・ローの求愛には赤い薔薇が不可欠です。あなたが選んで差し上げるとよいでしょう。さいわい、明日は愛の日です。ジンクスがありましてね、明日、愛を誓い合った二人は最高に幸せになれると、昔からそう言います。幸運を」
ルイズは決意を秘めた瞳をきらめかせながら、晴れ晴れとした顔で立ち去った。
向かった方角は王宮ではなかったが、シノンとケインウェイは放っておいた。
「さて、では我々も戻るか」
二人並んで帰る道すがら、ケインウェイがたどたどしく尋ねた。
「な、なあ、もし明日俺が赤い薔薇を用意したら、受け取ってくれるか?」
「いや」
「……あのさ、千人求婚のときもそうだったけど、なんで俺だけ色々だめなわけ?」
「知りたいか?」
「知りたい」
「まあ……知らぬは本人ばかりと言うのもなんだしな。教えてやるが、一応まだ秘密にしておけよ。要は、君は僕の実弟だ。僕自身も王家の掟とやらに縛られた身だが、君も僕の血を分けた弟ということで、その掟の一部に引っかかった。つまり君は、生まれながらに僕の弟、正統王位継承者第二位ケインウェイ・クロワローア・グーゼルベルナーだ」
「は、笑えねぇ冗談だな」
「冗談じゃない。本当だ」
ケインウェイの顔が引きつる。
周囲では興味津々の輩が大勢、息を詰めて耳をそばだてている。
「……弟? 俺が、シノンの弟? 弟、弟、弟、弟……弟だってぇ?」
「だいたい君は、自分の名前に疑問を感じたことがないのか?」
ケインウェイは激しく動揺した。
「……ある、けど、ない。あれ?」
「……君のその大雑把な思考は時に羨ましいね。どうしてそう色々なことに無頓着でいられるんだ?」
「だって別に困ってねぇ――それ、本当の本当な話なわけ? じゃ、シノンって俺の」
姉、という単語はシノンが口を塞ぐことで外に漏れるのを回避した。
ひとしきりぎゃあぎゃあ喚いたあと、ケインウェイはむっつりと黙りこんだ。
その背後では、声の大きいケインウェイのために秘密もなにもあったものではなく、衝撃の事実判明! と、上を下への大騒動に発展していった。
ややあって、ケインウェイは再びのろのろと口をきいた。
「……一部でひそかに噂になっていた、祭りのあとの重大発表って、俺のこと?」
「いいや」
「違うのか。じゃ、他になにがあるんだ?」
「僕が愛を乞う」
「は? な、なんだって」
シノンは開いた掌に拳をぱしんと打ち込んで、笑いながら、挑むように言った。
「千人求婚の続きだ。今度は僕から求婚してやる。皆の前で永遠の愛を誓わせてくれる……!」
現在通勤・通学時間なので、少しでも、皆様の活力になればうれしいです。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。