八 泣くのはやめて
心、その鍛えにくいもの。
ルネーラの侍女は困ったように繰り返した。
「申し訳ありません、ルネーラ様は、本日はどなたともお会いにならないとのことです」
「でも、恋人の私は別でしょう。そこを通しなさい。失敬、ルネーラ殿、私です」
セラはルネーラを訪ねて、やや強引に入室した。
「お身体の加減がよくないと聞きました。いかがされました?」
ルネーラは長椅子の上でぼんやりしていた。
セラを見ると、重たげに顔を上げた。
「セラ様……」
シノンと少し似た面立ちのその瞳にうっすらと涙が滲み、セラの心を掻く。
セラは無言でルネーラを抱き上げ、そのまま部屋を後にした。
祭りの喧騒から離れて、セラは蓮池の東屋にルネーラを連れてきた。
「ここでしたら落ち着いてお話を伺えます。そういえば、スライエン殿はどうされました?」
「……今日はまだお見かけしておりません。あ、でも、侍女にどなたもお通ししないよう言いつけたのでそのせいかも知れません」
「まあいいでしょう。それで、どうなさいました? 私でよろしければお話ください」
セラが少しも興味本意ではない、心底気懸りそうな様子で待っているので、ルネーラは思い切って口をひらいた。
「……昨日、エストレーン卿に縁談の中止を申し入れされました。事実上の破談です。おかしな話です。こうなることを望んでいたはずなのに、いざ破談となるととても悲しくて……」
ルネーラは嗚咽を噛み殺して静かに泣き崩れた。
セラはなにも言わず、ハンカチーフを差し出してルネーラの傍についていた。
やがて涙を引き取って、ルネーラは弱弱しく笑みながら、小さく告げた。
「わたくし、セラ様をお慕いしておりました……」
「光栄ですが、私はシノン殿を好きなのです。ですからあなたのお気持ちには応えられません。いえ、それ以前に、いまのあなたの心は私にはない。そうでしょう?」
「……わかりません。わたくし、自分の気持ちがわからないのです。ただ、悲しくて辛いのです。こんなことで、わたくし明日の劇にきちんと出られるでしょうか」
「出るのです。存じていますよ。毎朝、卿とお二人で劇の稽古を頑張っていらしたではありませんか」
「でも、とても気まずいのです……」
「では、こうしてはいかがです? 明日の劇中で、あなたの気持ちを伝えてみるのです」
「……え?」
「私には、なぜ卿が突然あなたとの縁談を破棄されたのか知る由もありません。ですがここだけの話、我々紳士を気取る男も、傷つきますし、悲しみます。意外と臆病で、ときには逃げ腰になったりします。ですからここは、あなたが勇気を出してみるのです」
「……わたくしが、勇気を……」
「応援します」
「うまく伝えられるでしょうか」
「うまくなくてもいいのですよ。あなたらしく、素直に正直にお話しなさい。そうすればきっと、気持ちが通じます」
ルネーラは意を決したように、頷いた。
そこへ、間延びした呼びかけをして、スライエンが飄々と現れた。
「いたいたー。探しちゃいましたー。ルネーラ殿、具合は大丈夫ですかー?」
セラはふっと可笑しくなって笑った。
「え、なんですか、なんですか。なんで笑うんです」
「いえ、進歩したな、と思いまして。ルネーラ殿を見ても逃げなくなったな、と」
」
スライエンが得意げに胸を張る。
「美人に免疫ができましたー」
「なるほど。ところで、スライエン殿はルカ殿と明日の打ち合わせは済んでいるのですか?」
「だって、ルカがどこにもいないんですー。ううう」
「……あの、セラ様こそ、シノンと一緒に稽古をしなくても大丈夫なのですか?」
セラの返答は柔和で簡潔だった。
」
「大丈夫ですよ。だって、私たちは結婚することが決まっているのですしね」
「あの……結婚って、劇の、お芝居の中のことでございますよね?」
「そうですよ」
「……そ、そうですわよね。みんな劇の中のこと、演技ですものね」
「そうですとも、芝居です。芝居なのですから、演技に決まっているじゃないですか」
だがそう言ったセラの瞳は恐いほど静かに冷めていた。
第四章もいよいよ大詰めです。今日中にはあげたいと思います。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。