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運命は僕に微笑む  作者: 安芸
第二章 舞踏会にて
12/43

四 薔薇園

 嫉妬の嵐。

 抵抗できない。

 

 

 


 その視線に、シノンはだいぶ前から気づいていた。

 だがちょっと席をはずそうとするたびに新手に掴まり、一言応対すると、あっという間に囲われて身動きできなくなるという悪循環の繰り返しで、なかなか前に進めず、そうこうするうちに、もの言いたげなまなざしを伏せて、大広間のバルコニーから外へと相手が出ていってしまった。


「失礼、通してくれるかな。急な用件ができてね、行かせてほしいんだ」

 

 軽く目配せすると、前に道ができた。

 シノンは「ありがとう」と言って一気に広間を過ってバルコニーから中庭へと降りた。

 

 中庭の薔薇園には所々に篝火が焚かれ、幻想的な雰囲気を醸し出していた。 

 空に雲はなく、白い月がかかっている。

 風は冷気を孕んでひんやりしていたが、寒いというほどでもない。

 むしろ、会場の熱気に充てられたあとでは心地いいくらいだった。

 セラは中庭のほぼ中央、どの篝火の明るさからも離れた暗がりに、ひとり佇んでいた。


「まなざしで僕を連れ出すとは、なかなか艶っぽいですね」

「気づいてはくださるかと思いましたが、出てきてくださるかどうかは賭けでした。こんばんは、シノン殿」

「いい夜ですね、セラ殿。ところで、ルネーラと踊ってくださったようで。お礼を申し上げます」

「なぜあなたに礼を言われねばならないのです」

「それもそうか。失敬。いえ、あなたに了解も取らずに勝手に彼女の恋人役を押しつけた格好になっていたので、そのことを気にしていただけたのかと思ったまでで、他意はないです」

「無論そうです」


 セラは振り返り、微笑んで見せた。

 が、口元は笑っていても眼は笑っていない。


「あなたがルネーラ殿をかまってほしそうにしていたので、ダンスを申し込みました。姫君はダンスがお上手だ」

「ええ」

「でも私が踊りたかったのは、あなただ」

「それは、僕が王子である以上、難しい注文ですね」

「あなたは王子ではないでしょう?」


 セラの瞳がすっと細められる。

 シノンは追及をかわすように月を振り仰ぎ、うーんと伸びをした。


「そんなことはどうでもいいではありませんか。僕はこの国の世継ぎで、あなたは我が国の客人。それでよろしいでしょう? それに僕はこんなことが話したくてここへ来たわけではありません。ルネーラのことでお話があったのです」

「いいですよ、伺いましょう」

「ルネーラはエストレーン卿との縁談をどうしても破談にしたいようなのです。協力していただけませんか」

「要点が抜けていますよ。つまり、私を偽の恋人役にしておいて断りたい、もしくは、断られるように仕向けたい、とこういうことですか」

「そのものずばり、そうです」

「私の意志はどうなるのです」


 その呟きには痛みがあって、シノンは逸らしていた眼をセラにひたと据えた。

 だがシノンが口を利くより先に、セラが言った。


「私はあなたが好きです」


 セラの真剣なまなざしが、月光に浮かび上がる。

 シノンは息をのんだ。


「あなたが好きです」

 

 繰り返されて、ようやくシノンは我に返った。


「……まさかあなたがいまこんな言葉を僕に向けるとは思わなかった」

「直接言わないと、あなたははぐらかすか、逃げるでしょう?」

「直接言われても、僕の答えは決まっていますけどね。……聞きたいですか」

「そんな自虐趣味はありません。私がどうしてあなたの千人求婚に名乗りを上げなかったと思っているのです? あなたの心が他にあることを、私が知らないとでも?」

 

 月に雲がかかり、二人の頭上に影が落ちる。

 しばらくして、また月が顔をのぞかせる。


「私が声にせずとも、あなたは私の気持ちなど、とうの昔に気づいていたはずだ。なのにルネーラ殿の恋人役などをあてがった……これはあまりにむごい仕打ちではないですか」

「申し訳ない、ルネーラたっての希望があって、強引だとは思ったけど、ああいう手段に出させてもらいました。僕は彼女に弱いから、どうしてもかなえてあげたかった」

「私もあなたに弱いから、今回のことは引き受けましょう。それで、縁談の日時はいつなのです」

「一ヶ月後。“赤い薔薇結びの祭り”が終わったあとです」

「その“赤い薔薇結びの祭り”とはなんですか」

「早い話が建国の祖の祝いの祭りです。色々催しがあって、最後には建国にまつわる伝説をもとにした劇も上演されます。そうだ、もしよろしければ、セラ殿も参加しませんか?」

「私が?」

「ええ。僕も出ます。いかがですか? 無理にとは申しませんが」

「そうですね……たまには変わったこともいいかもしれません。お引き受けしましょう。では、それまではできるだけルネーラ殿のお傍にいるようにしましょう。それはそうと、代わりに、と言ってはなんですが、ひとつ私のお願いも聞いていただきたいのですが」

「……お願い?」

「そんなに警戒なさらずとも大丈夫です。ただあなたを私の国に招待したいのです。二年もの長き間こちらにお世話になったお礼に、ぜひ、あなたにもイスクースにいらしていただきたい。ご案内したい素敵な場所がたくさんあるのですよ。いかがです?」

「ありがたいお話ですが、僕の年間予定は冬まで埋まっていまして、来春にならなければ動けません」

「もちろんそれでかまいません。では来年の春に迎えを寄こしましょう」

「春の旅、か。それはいいな。楽しみにしております」

「約束の証に、口づけをひとついただけませんか? できれば、この白薔薇も一輪添えて」

 

 セラのさりげない笑みにつられて、シノンは軽く請け負った。


「かまいませんよ。では庭師を呼びましょう」

「それには及びません」

 

 セラは懐から取り出した短刀で素早く薔薇の茎を伐り、棘を折った。

 それを優美なしぐさでシノンに差し出す。

 薔薇を受け取ろうと伸ばした手を、シノンは掴まれた。

 そのままぐいと引き寄せられ、腰を抱かれて、後頭部を押さえつけられ、強引に唇を奪われた。

 抗おうともがいたがびくともせず、ますます深く口づけられる。

 口が割られ、するっと熱くて柔らかい舌が差し込まれて、シノンはびくっとした。

 舌を噛み千切ろうとした矢先にいったん離され、息継ぎをする間もなく角度を変えて、またふさがれた。

 と同時に背筋を撫でられ、うなじをくすぐられる。

 抵抗できない。

 膝の力が抜けてゆく。

 口づけは執拗で、激しく、それでいて繊細で、巧みだった。

 シノンは眩暈に襲われた。

 もう立っていられなかった。

 くずおれたシノンの身体を腕一本で支えて抱きとめながら、セラは低く囁いた。


「……あなたの心が余所にあることは知っています。その男をどんな眼で見ているかも知っています。だが私も、みすみすその男にあなたをくれてやるつもりはない」

 

 セラの眼が欲情の凄みを帯びる。

 シノンは身動きがとれぬまま、戦慄した。


「……今宵はおとなしくしているつもりだったんです。でもあなたがあまりに無防備で、かわいらしいのがいけない。離したくなくなりました。いっそこのまま、私の部屋にあなたをお連れしてもよろしいですか……?」

 

 そこへ、殺気の塊の如く厳しい声音が背後から飛んだ。


「王子をお返しください、セラ様」


 セラはふーっとため息を吐いて、ゆっくりと振り返った。


「……君か。ひとの恋路を邪魔する者はなんとやら、だよ。そこを退きたまえ」

 

 カグセヴァは退かなかった。

 猛り狂った瞳の獰猛さとは裏腹に、恐ろしいほど静かな声で繰り返す。


「王子をお返しください」

「やれやれ、無粋なことだ。せっかくいいところだったのに。いったいいつから君は見ていたのかな……?」

「早く、王子をこちらへ」

 

 セラは名残惜しそうにセラの頬をそっと撫でると、カグセヴァに引き渡した。

 セラとカグセヴァの間で火花が散った。

 どちらの瞳にも嫉妬と敵意が吹き荒れていた。

 すれ違いざま、セラはカグセヴァに宣戦布告を叩きつけた。


「……いずれ遠からず、シノン殿はいただくよ。君はおとなしく引っ込んでいたまえ」


 言い捨てて、セラは悠々とした足取りで会場へと戻っていった。

 カグセヴァは動けないシノンをさっと抱き上げて、少し離れたところに置かれた薔薇細工のベンチに運び、そっと横たえた。


「水をお持ちします。少しお待ちを」

 

 上着を脱いで、シノンに被せる。

 それから最短距離をいって厨房に飛び込み、冷たい水の入った水差しとクリスタル・グラスをひとつ持って引き返した。


「水です。飲めますか? 無理のようですね。失礼」

 

 カグセヴァは自ら口に水を含み、シノンの上に覆いかぶさって、口移しで水を与えた。


「……ん」

「もっといります?」

 

 かすかな頷き。

 カグセヴァはシノンの頬を両手に挟み、もう一度やわらかく唇を押しつけて水を飲ませた。


「……いつから見ていた」

「あなたさまが、セラ様の手から薔薇を受け取ろうとしたところからです」

「……なんだって」

 

 シノンは気色ばみ、ベンチに肘をついて上体を半分起こした。


「じゃあ、なぜもっと早くに助けない」

「……呼ばれませんでしたので」


 シノンの胸の中で、なにかがぶつっと音を立てて切れた。

 シノンは怒りと悲しみと屈辱に震えた。

 歪な形相を浮かべながら、無理矢理起き上がる。


「まだ動けませんでしょう。お部屋までお連れしますが」

「触るな。君の手など借りたくない」

 

 カグセヴァの手を乱暴に振り払い、シノンは歩きはじめた。

 が、膝が笑い、何歩も持たず足がもつれる。

 よろめく。

 倒れかけたところを、如才なくカグセヴァの腕が伸びて後ろから支えた。


「……なにを怒ることがあるのです」

「触るなったら! いいから放せ!」

「嫌です」

 

 ぐっ、とカグセヴァの腕に力がこもり、次の瞬間シノンは後ろから抱きすくめられた。

 ついで、シノンの眼から涙が溢れた。


「……僕は呼んだ。君を、呼んだ! こ、声には出せなかったが、呼んだんだ。怖くて、本当に怖くて、必死に逃げたかったのに腕を振りほどけなくて……君に助けてほしくて、君に助けてほしくて! なのに君はずっとただ見ていたというのか」


 シノンの口から嗚咽が漏れる。

 悔し涙が流れて頬を伝う。


「放せ。君など知らない。知るものか! 嫌いだ! 君など嫌いだ! もういい。もう、どうだっていい! もう――君などやめる。放せったら」

「……なんですって?」

「放せ。放せったら!」

 

 シノンは激怒し暴れたが、カグセヴァの腕はびくともしなかった。

 それがまた癇に障って、シノンはほとんど逆上して叫んだ。


「君はいつだって余裕で、僕ばかりが必死で! こんなときですら君は顔色のひとつも変えやしない。もう僕にかまうな。僕など放っておけ」

「……もう一度同じことをおっしゃったら、私はなにをするかわかりませんよ……?」

 

 シノンは怯えた。

 かつて耳にしたこともないくらい、激情を孕んだ低い声。


「……この私のどこが余裕だというのです。舞踏会場からあなたさまが不意にいなくなったので探したところ、中庭の暗がりであなたさまとセラ様を見つけました。あなたさまがセラ様の腕にさらわれて唇を奪われたとき、私はあまりの衝撃で動けなかったのです。目の前が真っ白になって、なにも考えられなくなってしまって、情けないことにしばらく茫然と、あほうのように突っ立っていたのです」


 カグセヴァはシノンを掻き抱く腕に力を込めた。


「この私のどこが余裕だと? いまにも嫉妬で気が狂いそうです。いっそ狂ってしまいたい。そしてあなたさまに触れたあの方の息の根を止め、あなたさまをもう二度と誰の目にも触れないところへ閉じ込めてしまいたい。私だけがあなたさまのすべてでいられるよう、いつだって傍にいたい。なのに私は執事で、あなたさまは王子で、それはどうしようもないことで――余裕ですって?」

 

 カグセヴァはシノンの身体を反転させた。

 矜持をかなぐり捨てて、面と向かう。


「そんなもの、ありません。あなたさまに関する限り、余裕などどこにもない。それでなくとも他の方々に比べて、地位も財産も身分もなにもないというのに、あなたさまに飽きられないためになにをすればよいのかさえわからないくらいだというのに、余裕などあるわけがないでしょう。あまり私をいじめないでください……」

「……カグセヴァ、君は本物か」

「……はい?」

「君がそんなにおしゃべりになるなんて、ちょっとおかしい。いや、だいぶおかしい」

「おかしくもなるでしょう。あんな場面を見せつけられては……」

 

 カグセヴァは語尾を荒げて言葉を切った。

 自分がどんな顔をしているのかわかっているようで、無理矢理視線をねじ伏せ、片手で顔を覆い、シノンに背を向ける。


 王宮から、“月隠れの一夜”の最終楽章がきれぎれに流れてくる。


「……もう動けますか」

「うん、大丈夫、かな。君こそ……その、落ち着いたか?」

 

 カグセヴァはゆっくりと振り返った。

 瞳から獰猛さは失せたものの、沈鬱なままだ。


「……私を嫌いなどと、嘘ですよね? 私のことを知らないとか、やめるとか、もういいとか、散々罵っておられましたけど、すべて嘘ですよね……?」

「すまない。あれは怒りにまかせて口から出たもので……傷ついたか?」

「ええ」

「謝る。あんなことがあったあとでなんだけど、でも、君の本音が聞けて……嬉しかった」

 

 シノンはためらいがちにカグセヴァの胸にことん、と頭を預けた。

 風がシノンの髪をあおる。

 すると、すぐ真上で声がした。


「……お疲れでしょう? 今夜は特別に、私が介抱して差し上げます」

 

 カグセヴァの手が、がしっとシノンの手首を掴む。

 なにか、不穏な空気が漂っている。


「いや、介抱してもらうほど不調じゃないから大丈夫……この手はなんだ」

「いえいえ、大丈夫ではありませんでしょう。無理をなさらずとも、今夜は私が抱きかかえて部屋までお連れして、入浴のお手伝いと、着替えのお手伝いと、おやすみのお手伝いをして差し上げます。朝までつきっきりで介抱いたしますので、どうぞご遠慮なく」


 シノンはたじろいだ。

 カグセヴァの迫力は有無を言わせぬものだった。


「に、入浴? き、着替え? おやすみの手伝い? 朝まで介抱って――」

「介抱って言ったら介抱ですよ。ご安心を、誰の邪魔も入らないようにしてからゆっくり、じっくり、お相手いたします」

「そこまでしてくれなくとも――」

「いえいえ、消毒しなくては。色々、隅々まで、きれいにしてさしあげます。まさか、嫌とはおっしゃいませんよね? ああ、舞踏会の続きを心配していらっしゃるのでしたら私におまかせください。口裏合わせなどいくらでもいたします。さ、参りましょう」


 カグセヴァはシノンの返答を待たずに軽々と腕に抱きあげた。


「怖くても、逃がしませんよ。今宵はおとなしく私に介抱されてください」


 シノンは嫌とはいえなかった。

 ほどなく、シノン王子が体調を崩されたため途中退出、という知らせがカーン四世のもとにひそやかに届けられた。



 無理キス。で、本命登場。やめられません、お約束展開は。笑。

 以上、カグセヴァにさらわれるシノンでした。

 次話より、第三章開始です。


 引き続きよろしくお願いいたします。 

 安芸でした。

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