プロローグ
王女でありながら、王子を務める主人公と、陰に日向に、主人公を支える執事の物語、はじまりです。
王宮、午後四時、王子第二執務室。
「あなたさまは王女、私は執事。あなたさまが主で、私が従。おそれながら、なにかご不満でも?」
王家執事長カグセヴァ・ルースエネスは、影の如く背後に控えたまま応じた。
年は二十四。
きちんと手入れされた濃い灰色の髪、灰色の切れ長の瞳。
骨格のいい八頭身で、黒の執事服を一部の隙もなく着ている。
仕事は多々ある。
家政・政務の補佐、他の召使の雇用・解雇、来客応対、その他もろもろ。
常に主人とその家族のため、毎日心を砕いている。
「不満だね」
と、答えたのはシノン・クロワローア・グーゼルベルナー。
王女でありながら王子である主で、次期王位継承者、この国で最も華やかなひとである。
年は十九。
よく笑う気さくな性格、明灰色のやわらかな短い髪ときれいな二重瞼、屈託のない明灰色の瞳。
完璧な六頭身で、立ち居振る舞いは優雅で品がある。
いまは執務中のため、シンプルな執務服姿だ。
「はい、おしまい」
最後の書類に目を通し、サインをする。
カグセヴァはこれを受け取り、書箱に納める。
「あのね、僕は君と主従関係じゃない、もっと別の、特別な関係を望んでいるんだけどね。どうすればいいかな」
「……あと五年、お待ちになられては?」
シノンが視線を外し、うつむいて、切なげにため息をつく。
「……五年は長い。来年には僕もいまの身分から解放される。そうしたら、すぐにも結婚話が来るだろう。父上や母上はともかく、王族審議会や貴族会はとても待ってはくれないよ」
「では、諦めるのですか」
「誰が諦めると言った」
不敵な微笑。
カグセヴァの好きな表情のひとつだ。
「僕は君を諦めないし、五年も待てない。いいさ、なにか考える。いや、実はもう考えてある。さっそく実行することにしよう。覚悟しておけ」
その口ぶりがいかにも波乱含みだったので、カグセヴァは急に心配になった。
「お戯れは、ほどほどになさってくださいね」
「戯れじゃない。僕は本気だ。第一、君がすんなりと僕になびいてくれれば、こんな苦労はしなくてすむんだ。君のせいだ」
カグセヴァの心中は複雑だった。
本当は、声を大にして叫びたいのだ。
心だけならば、あなたのものですよ、と。
だが、自分の身分、立場、職種を考えればそんなことは王子のためにならないとわかっている。
この身は王家に属するもの。
終生の忠誠を誓い、忠義を誓った。
影に徹すること。
表舞台に立てるわけがない。だが。
あなたさまを愛している。
それもどうしようもない事実だった。
シノンは身だしなみを整えてから食堂に現れた。
既に王と王妃は待っていて、シノンが食卓につくと、すぐに給仕がはじまった。
「結婚したいのですが」
前置きもなく、シノンはズバリと言った。
左手にフォーク、右手にナイフ、白身魚のソテーを切り分け、口に運びながらである。
「しかし適当な相手がおりません。そこで僕はひろく扉を開き、先着千名まで求婚を受けます。その中で、最高の求婚を申し出てくれたひとを、伴侶に選びたいと思います。
ただし、本人限定、代理人はなし、手紙もだめです。
あとは老若男女出自身分経歴を問わず――ということで、あれ、父上、母上、聞いていらっしゃいますか」
わずかな沈黙のあと、おもむろに、王と王妃は我に返った。
「結婚!」と、王。
「結婚?」と、王妃。
すっかり動転した王と王妃は蒼褪めた顔を見合わせた。
食堂の端にずらりと並び待機する、執事長カグセヴァ以下、料理長と十名の給仕係は、この先の展開をほぼ完璧に予測した。
シノン王子の突拍子もない言動に、順朴な王と王妃が翻弄される。
結果、あらゆるものが滅茶苦茶になるのだ。
それをしたのは、まず王だった。
「いくら法で認められているとはいえ、女性はいかん。世継ぎはどうする、世継ぎは」
びっしりと額に浮かんだ脂汗を、王はナプキンで拭った。
「男性でもすごくお年を召した方はだめですよ。それに、小さな子供も」
王妃はワインを煽り、なにを思ったのか、ぽいとグラスを床に捨てた。
シノンは爽やかに笑って手をひろげる。
「さあ、どうでしょう。僕は細かいことにこだわるつもりはありません。とにかく、僕の気に入った求婚であれば、それでいいんです」
「そなたは王子なのだぞ!」と、王。
「あなたは王女なのですよ!」と、王妃。
勢いよく、テーブル・クロスを掴んだまま立ち上がった国王夫妻の足元に、ものすごい音をたてて卓上のすべてのものがひっくり返った。
料理長は絶望の吐息を漏らし、軽く眼をつむって天井を仰ぐ。
カグセヴァは姿勢を崩さず、皆に、待て、と眼で指示する。
王と王妃は再び顔を見合わせた。
「なんですの、王子というのは」と、非難がましく王妃。
王はしどろもどろに、弁明をする。
「いや、公には王子なのだから、あまりおかしな素性の者を選ぶのはどうかと思ってだな」
シノンはこの押し問答をまあまあ、と遮った。
壁際の執事長まで聞こえるように、だが、どこまでものどかな口調で先を続ける。
「僕がどこの誰を選ぼうとも、お二人には温かく迎えてほしいのです。だって家族になるのですから」
「ううむ、しかし――」
「それが僕たってのお願いです」
最愛の王女でありながら王子であるシノンに、王も王妃もまるで弱い。
こんなふうに甘えられては尚更だ。
そしてそれを、シノンもよく知っている。
完璧に負けを期しながら、恐る恐る、王は訊ねた。
「その、千人求婚とやらは、いつはじめるのだね」
シノンはにっこりと微笑して答えた。
「すぐにでも」
はじめまして、安芸と申します。
物語は、宮廷恋愛群像劇です。読みやすさ、にぎやかさ、そして明るく心あたたまるお話を、と思い、軽め、甘めに仕立てました。皆様の日常に少しでも愛がプラスされればさいわいです。未熟者ではありますが、どうぞお愉しみくださいませ。