「宇宙の広さに比べれば自分の悩みなんてちっぽけ」理論で悩みが解決するなら苦労はしない
会社でミスをした。
今日のところは帰宅を許されたが、明日からはミスへの対処とか、迷惑をかけた人たちへの謝罪とか、色んなことが待っている。
いわば必ず当たる占い師から「明日のあなたは大変な一日となるでしょう」と予言されているような状態であり、さっきからため息しか出ない。
電車を降り、自宅に向けて夜道をとぼとぼと歩いていると、土手があった。
普段は何気なく通り過ぎる場所だが、今の俺は「普段はやらないことをやってみよう」という気持ちになっていた。ようするに、ちょっとした無茶をやって、現実逃避したくなっていた。
だから俺は、土手に仰向けに寝っ転がることにした。
スーツは草まみれになるだろうが、かまうもんか。いっそ明日は草まみれのスーツで出勤してやろうか、とすら思った。
夜空を見る。
満天の星、というわけにはいかないが、星がそれなりに見える夜だった。
今日は晴れだったし、空気が澄んでるんだろうな。
あの光ってる星々は、言うまでもなくものすごく遠くにあり、仮に俺が光の速さで飛べたとしても、一生かかってもたどり着けない。
宇宙は広いなぁ、と思い知らされる。
だが同時にこうも思う。宇宙が広かったからといって、それがなんだっていうんだ。
時折、ドラマなんかでこんなシーンを見る。
悩んでる人に、
「宇宙の広さに比べれば君の悩みなんてちっぽけさ」
なんて励まして、悩んでる人もそれでスッキリしちゃう、みたいなシーン。
冷めたこと言うようだけど、あんなんで晴れやかな気分になれるなら誰も苦労しないよな。
宇宙がどれだけ広かろうが、明日俺が怒られることに変わりないし、宇宙に比べ俺がどれだけちっぽけだろうが、明日俺が平謝りすることに変わりはない。
例えばいじめられてる子がいるとする。
火のついたマッチを顔に近づけられる、なんてイジメを受けたとする。
その子に「太陽に放り込まれるよりはずっとマシだろう?」なんて言ったとして、それがなんの励ましになるというのか。
そりゃ確かにマシだろうが、だからといってそれでイジメがなくなるわけじゃないし、マッチの火が平気になる、なんてことはあるわけないんだ。
その子にとっては「自分がイジメを受けている」、これが全てであり、宇宙がどんだけ広かろうと太陽が熱かろうと、何の足しにもなりゃしない。
「宇宙の広さに比べれば自分の悩みなんてちっぽけ」理論で悩みが解決するなら、誰も苦労はしない――
俺はこんなことを考えながら、ぼんやりと夜空を眺め続けた。
それから、どれだけ眺めてたんだろう。
ふと、声が聞こえてきた。
『あ~あ、どうしよう……』
男の声のようでもあり、女の声のようでもある、不思議な声だった。
誰かが近くにいるのかと思い、俺は声を上げる。
「誰だ!?」
驚いたのもあって、我ながら大きな声が出た。
すると、返事が来た。
『おや、私の声が聞こえるのかい。こりゃ珍しい』
周囲を見回しても、誰もいない。
じゃあ、こいつは一体誰なんだ。
恐怖に駆られ、俺はもう一度怒鳴った。
「誰だよ!?」
『私か? 私は宇宙だ』
俺は絶句した。
ウチュウ? うちゅう? 宇宙?
今、こいつは自分のことを“宇宙”と言ったのか?
「今、あんた宇宙って言ったのか?」
『そうだ、宇宙だ』
「今俺たちが住んでいる……この宇宙?」
『その通りだ』
いや、なんだよ、宇宙って。
宇宙の声が聞こえるって、電波ってレベルじゃない。
幻聴か? しかし、それにしてはやけにはっきり聞こえる。実在感がある。
仕事のミスで落ち込みすぎて、俺はおかしくなってしまったのか?
『どうやらお前は私と波長が合ったようだな。だから、こうして会話することができる』
「いや、波長って何?」
『波長は波長だ。お前が宇宙のことを考えたので、それで波長が合ったのだろう』
「そんなんで波長が合ってたら、宇宙の研究をしてる人なんか、しょっちゅう声が聞こえちゃうんじゃ……」
『他にも色々条件があるのだ。とにかく、非常に珍しいことだぞ。幸運に思え』
「はぁ……」
幸運というより不運な気がするが、とにかく俺は納得することにした。
『せっかくだ。会話を楽しもうじゃないか』
「まあ、いいですけど」
俺は了承した。
こうなったら付き合ってみよう。少しぐらいは気が紛れるかもしれない。
これでも俺は小学校の頃は宇宙好きだった。
両親が買ってくれた図鑑を読んで、木星には斑点があるんだーとか、土星以外にも輪があるんだーとか、知識を得て、賢くなった気になったものだ。宇宙飛行士に憧れた時期だってある。
まあ、結局今の俺は宇宙とはなんの関係もない業種のサラリーマンだけど。
だから俺は――
「質問してもいいですか?」
『いいぞ。何でも答えてやる』
マジかよ。宇宙が質問に答えてくれるなんて、JAXAやNASAの人が聞いたら泣いて羨ましがるんじゃなかろうか。
俺はいきなり核心を突くことにした。
「宇宙の果てって……どうなってるんですか?」
人類の永遠のテーマと言ってもいいかもしれない疑問だ。哲学的でさえある。
そんな疑問の答えに、俺は誰よりも早くたどり着けるんだ。
さて、答えは――
『これといって何もないぞ。ああ、看板はあるけどな。“宇宙の果てへようこそ”って』
「……は?」
俺は呆気に取られた。
「看板があるんですか?」
『ああ、目印があった方がいいと思ってな。置いておいた』
宇宙の果てには何がありますか? 看板があります。以上!
こんなバカバカしい話があるか。観光地じゃないんだぞ。
俺の中のロマンが急速に崩壊していくのを感じる。
『どうせなら、他にも飾りつけでもしようかな、と思うが……』
「しなくていい! しなくていい!」
俺は懇願した。これ以上、人類のロマンを傷つけないでくれ。
『そうか。じゃあやめておくか』
俺は心の底からホッとした。
『他に何かあるか?』
宇宙が聞いてきたので、
「宇宙人っているんですか? あ、もちろん、地球人以外って意味で」
これもまた人類の永遠のテーマと言える質問だ。
沢山いるなんて説もあれば、全くいないという説もある。果たしてどっちなんだ。
個人的には、いる方が嬉しいのだが……。
『そりゃあもちろんいるよ』
いるんだ。俺は喜んだ。
SF物に登場する宇宙人たちは、決して空想だけの存在じゃないかもしれないんだ。
『というか、多分君の身近にもいるだろうな』
「……え」
俺はぞっとした。
宇宙人はすでに地球に紛れて……なんてのもSF物でよくある設定ではあるが、マジで身近にいるのだろうか。
俺にはこれ以上は怖くて聞くことができなかった。
他にもこんな質問をしてみる。
「宇宙にはなぜ空気がないんですか?」
“宇宙の果て”や“宇宙人”に比べるとだいぶ神秘性は落ちるが、聞いてみたいことだった。
『多分、私が空気読めてないからだろうなぁ』
確かに読めてないな、と言う他ない回答だった。頼むからもうちょっと宇宙らしくしてくれよ、と言いたかった。
このまま質問していると、知らなくていいことばかり知ってしまいそうだ。
ここでふと、俺は最初に聞こえた声を思い出す。
確か『あ~あ、どうしよう』なんて言ってたような……。
さっそく尋ねてみる。
「あの宇宙さん、さっき『あ~あ、どうしよう』って言ってましたよね」
『ん? ああ、言ってたような気もするな』
「ひょっとして宇宙さんにも悩みがあるんですか?」
『そりゃもちろんあるよ』
宇宙にも悩みはあるのか。
俺はぜひ聞いてみたくなった。
もしかしたら、今まさに悩んでる俺に、何かヒントになるかもしれない。
『例えば、最近膨張しすぎてるから、ダイエットしないとなぁ、とか』
いきなり期待を裏切られた。
「え、膨張? ダイエット?」
『宇宙は膨張してる、みたいな話聞いたことない? 最近膨張が止まらなくて……悩んでるんだ』
宇宙の膨張ってそういうものなのか?
奥様が「あらやだ、最近ケーキを食べすぎて太っちゃったわ」って言うようなレベルの話なのか?
『あとは、ブラックホール増えすぎかな~とか』
「増えすぎたらダメなんですか?」
『あれは人間でいうホクロみたいなもんだからねえ』
ブラックホールはホクロなのか。
ものすごい重力を持ってて、光をも吸収する宇宙の破壊神みたいな存在が、ホクロだなんて……。
「宇宙って元々暗くて黒いですし、ブラックホールってそこまで目立ちませんよ」
俺はついこんな言葉をかけてしまう。
『あ、そう? よかったー、ちょっと安心した』
安心されてしまった。
『あとは趣味の話でもしてみるかな……』
宇宙の趣味、どんなものなんだろう。俺は耳を傾ける。
『銀河系の渦巻きをずっと眺めるとか、彗星の軌道をクイッと変えてみるとか……』
さすがに宇宙らしく、スケールの大きい趣味だ。しかし、どこかショボい。
『最近は超新星爆発にハマってる。上手く爆発させると綺麗なんだよ、これが』
そんな爆竹を鳴らすみたいなノリで星を爆発させないでくれよ。
高レベルなのか低レベルなのか分からなくなる。リアクションに困ってしまう。
すると、宇宙が――
『ん、そろそろ時間みたいだ。それじゃ波長の合った地球の人間よ、お別れの時間だ』
「そうですか、お疲れ様でした」
相手は宇宙なのに、俺もすっかり仕事仲間とか、得意先を相手にする程度のノリになっている。
『運がよければ、また一億年後ぐらいに波長が合うかもしれないな』
しかし、スケールは大きい。
一億年後なんて俺はもちろん生きてるわけがないし、人類だってどうなっているやら。
とはいえ、俺には一言だけ言っておきたいことがあった。
「あの、宇宙さん」
『なんだ?』
「さっき超新星爆発させるのにハマってるって言ってましたけど、ブラックホールが気になるなら、それやめておいた方がいいですよ。ブラックホールの原因になっちゃいます」
『え、そうなの!? そいつは知らなかった……教えてくれてありがとう!』
宇宙にお礼言われちゃったよ。
アドバイスの内容は、「ニキビを潰すと跡になるからやめた方がいいよ」程度のものだが。
『では、さらばだ……』
これを最後に、宇宙の声が聞こえなくなった。
――と同時に、俺はまどろみから覚めた。
土手で寝転がったまま、うとうとしてしまったようだ。
頭をはっきりさせるため、俺は首を左右に振る。
今のは、全て夢だったのだろうか。
しかし、妙な現実感がある。全てが夢だったとは思えない。
俺は本当に宇宙と会話してしまったんだ、という気持ちは強く残っている。
もちろん、今の話を他人にしても、誰も信じてくれないだろうけど。信じてくれる奴がいたとしたら、それはきっと危ない奴だ。
俺はついさっきまで「宇宙の広さに比べれば自分の悩みなんてちっぽけ」理論で悩みが解決するわけない、と感じていた。
それは今も同じこと。
俺は本当に宇宙と会話したかもしれないけど、明日会社に行かなくていいわけじゃないし、ミスの処理に追われることになるのは間違いない。上司にだって怒鳴られるだろう。
しかし、なんだか心が軽くなっているのを感じていた。
宇宙だって悩んでいるんだ。そう思うと、少し気が楽になれた。
俺は宇宙の悩みを一つ解決してやったんだ。そう思うと、自分の悩みもどうにかなる気がしてきた。
錯覚かもしれないけど、何の解決にもなってないけど、明日は大変な一日になるけど、頑張ろう、という気になれた。
俺は土手から起き上がると、スーツについた草や葉っぱをはたいてから、まっすぐ帰路についた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。