第5章
車を運転しながら、サトルさんは楽しそうに聞いた。
「さー。ミメイどこ行きたい?」
「私はどこでもいいです」私が控えめに答えると、サトルさんはもー、前も俺が決めたじゃんと呆れつつ言った。
「あ、そうだ。星でも見る?」とサトルさんがまた楽しそうに聞いた。
「都会なのに見れるとこあるんですか?」と首を傾げる。
「うん。ミメイの目の中に光をいっぱい入れねえとな」とサトルさんがさらに面白そうに言い、それ、どういう意味ですか?と聞こうとした時には、車はすでに発進していた。
「途中で近くのご飯屋行こっか」とサトルさんは言い、ナビを入力した。
前回同様、私の好きな、ジブリのピアノのアルバムを流しながら気楽なドライブをする。だんだん自然が増えてくる景色を見ながら、うきうきと心躍らせる。しかし、私にはひとつ引っかかっていることがあった。サトルさんの左手を確認する。やっぱり指輪はしていない。
「あの、サトルさんって、あの……」
「ん?」
「なんでも、ないです」私がまごまごしていると、ふーん、とサトルさんはご機嫌のまま、適当に流した。夕食に立ち寄った蕎麦屋さんで、何品かのお料理をいただき、冷たいお蕎麦を食べた。大将さんと女将さんが夫婦でされているようで、とてもよくしていただいた。その後、サトルさんが連れてきてくれたのは、静かな湖だった。着く頃には、すっかりあたりは真っ暗になっていた。空を見上げると、星がくっきりとポツポツと見え光っていた。
「星、見えますね」私が言うと、どんなもんだい、と言うようにサトルさんはふふんと言った。
「あ!流れ星!」シュッと星が流れていき、指差した。
「あ、また!」私は大はしゃぎで夢中になって流れ星を探した。かなりの時間眺めており、サトルさんが少し退屈そうに見えた気がしたので、もう満足しました、と伝えた。すると、え、もういいの?と聞かれた。私の思い過ごしだったのだろうか。
「いやー。いいな、星」サトルさんはより上機嫌で言った。
「はい」夜景が車窓にかかるリボンのように流れて行く。なんだか2人だけの世界で、夢のような時間を過ごした。少し沈黙があり、その後意を決して聞いてみた。
「サトルさん、サトルさんって私のこと子供にしか見えないですか?」
「ん?俺のこと好き?」サトルさんは笑う。
「はい!」私はなんの躊躇いもなく答えた。だっこをせがむ子供のようだと自分でも思った。
「そっか。俺も好きだよ。ミメイ。んと、付き合いたい、んだけど」
「付き合いましょう」
「んー。だけど、ちと話しておかねえといけないことがある」それを聞いて、私は引っかかっていたことを今しか聞けないと思った。
「サトルさんは、歳も離れていますし、実は他の人がいらっしゃるとか、ご結婚、されてるとか、そう言う感じなのではないですか?」率直にそう問いかけると、
「んー。いや。違うんだよ。ミメイ、明日土曜日だけど空いてる?」とサトルさんは質問を返した。そして、空いてます、と答える。
「連れて行かないといけない所があるからその時話す」と、サトルさん。そうして、また家まで送ってもらい、別れた。
翌日、迎えに来た車に乗り、どこに行くのかと聞くと、サトルさんは俺の普段住んでいる家だと答えた。最初にお世話になったアパートは、サトルさんが別で借りているアパートで、出張の時にだけ使っているそうだ。普段は一軒家で暮らしているとの事。私は特に驚かなかった。サトルさんはどちらかというと高収入の男性のように見えた。閑静な住宅街、それも高級住宅街に入っていき、大きな一軒家が見えてきた。そうしてその家の前に車を停めた。
「着いたよ。とりあえず降りて」
「わ、素敵」サトルさんの家は、男性が1人で住むには違和感のある、美しいお庭のある家だった。
家の入り口には、紫の薔薇のアーチがかかっていて、私は見惚れていた。
「狂い咲きの遅い薔薇、っすわ」ガレージから戻ってきたサトルさんが言った。
「サトルさんが育ててるんですか?」
「やりだしたら、止まらなくてよ」そして、お花を育てている男性なんて素敵です、と付け加えた。入って行くと、オレンジや赤の大きい菊のような花があり、これはダリアだよと教えられた。ラベンダー色の花もある。桜の木も植っている。
「入って」サトルさんは玄関の鍵をあけ、私を中に入れた。中は意外にも殺伐としており、仕事部屋のような感じであった。
「寝る部屋とリビングしか使ってねーんだ、今は」
「そうなんですね」そうして、サトルさんはキッチンの方へ行き、コーヒーを挽き始めた。そうして、私の中に疑問が浮かび続けた。奥さんはいない、付き合っている人もいない、1人では大きすぎる家、紙袋に入っていたタオルと服。考えながら待っていると、サトルさんがテーブルにつき、コトン、とマグカップを2つ置いた。
「ありがとうございます」
「うん。ミメイ、今日来てもらったのは、俺は、妻を亡くしてるんだ。妻が、花が好きだったから、この家建てた」当たり前のように言うサトルさんを前に、私は青ざめた顔になった。
「え……」
「あ、ゴメン。重い話だけど、俺からしたら日常で、さらっと言っちまったな。その、だから、俺はバツついてるよ」
「そ、そうなんですね……あの、え、ご病気、とかですか?」そう聞くと、サトルさんは、困り顔で笑い、首をゆっくりと横に振った。
「俺が自殺に追い込んだんだ、ってとこ」サトルさんはさらりと、しかし懺悔の表情で言った。少し震えているようにも見える気がするけれど……私は目を丸くして何も言えなくなり、ラテをすすった。
「妻は片親でね、兄弟姉妹もいなくて、妻の母親が施設に入ってて、俺が金渡して面倒見てる」
「そうなんですね。あの、自殺に追い込んだって言うのは……」
「うん、家内が死にたいって毎日毎日泣いて、暴れて、もういい、もういいよ、いいんだ、楽になりたいよなって言った。そしたら次の日いなくなってて、警察も動いて、死んでいたことが、半日後になってわかった」
「……そうなんですね…….サトルさん、サトルさんにご事情があったとしても、私は受け入れます。サトルさんのことが私は好きです」そのあと少し沈黙があり、サトルさんはコーヒーを持ち上げ、私も同時にすすった。そうして私たちはゆっくりと各々の人生の長い長い物語を話し始めた。