第48話 心の中のファイティングポーズ
マクベト・レイブンという男は、生まれつき暴力の才能があった。
良心というものが完全に欠如しているのだ。
他人を蹴り、殴り、殺してしまったとしても、マクベトは一切気に留めない。「ああそうか」と思うだけだ。
それどころか、「自分は暴力を振るう権利をもっている」と信じ切っていた。そのメンタリティこそがマクベトの才能だった。
そんなマクベトはある下級貴族の息子として生まれついた。レイブン家──魔術を研究する学者一家だ。
レイブン家には一つの家訓があった。「魔術は平和のために」。自分たちの研究は、世の安寧のためにあるのだという誇り高い言葉だ。
その言葉をマクベトは理解できなかった。平和の何が良いのか。強い奴は互いに暴力を振るいあえばいい、と信じて疑わなかった。
家族は皆、良心を持ち合わせないマクベトを危険視し、腫れ物のように扱った。
そんな時に戦争が起こった。
レイブン家が仕えている貴族が、別の貴族と争いを起こした。近所の貴族同士で戦いが起こるのはよくあることだった。
するとマクベトはひそかに研究していた古代の黒魔術である「呪詛」を手軽に使えるよう改良し、戦争で使える「武器」として売却をし始めた。
──こうすれば、効率よく戦争ができる。
──レイブン家は金を稼げる。他の奴らは呪詛を使える。皆が幸せになれるではないか。
たったそれだけの理由だった。
高値で取引された呪詛は、簡単な材料で誰でも使えることから大ヒットし、急速に広まっていった。それが「呪詛戦争」の始まりだった。
マクベトの心は一切痛まなかった。
戦争が激化し、マクベトの家族全員が戦争で死んだ。それでも「ああそうか」と思うだけだった。
「戦いというものはいずれ鎮静化する。頃合いを見計らって戦争が終わるように根回しをすればいい。5~6年でおさまる戦争だろう」
それがマクベトの考えだったが、呪詛戦争はむしろ泥沼化し、終わるどころか拡大を続けた。マクベトがいくら根回しをしてもかえって火に油を注ぐ結果になってしまった。
結局、戦争は50年続いた。
戦争終結直前、マクベトは軍勢を引き連れた部下からの裏切りに遭い、あっけなく殺害されてしまった。
「ああ、そうか、私も死ぬのか」
そう思って生涯を終えようとしたマクベトだったが、驚くべきことにマクベトは死ななかった。魂だけが生き残り続けたのである。
自分には特殊な才能がある。殺されて初めてマクベトはそれを知った。
そこでマクベトは、すぐに人間の体に憑りついてみることにした。才能があるのだから試してみるべきという、彼にしてみれば当然の発想である。しかし思った通りにはうまくいかず、マクベトの魂は他者の肉体から弾かれてしまう。
「簡単に他人を乗っ取れるというわけでもないのか」
マクベトは試行錯誤の末、自分を殺害した張本人であるジャイルズ・パラポネラの体を乗っ取ることに成功した。自分と相性のいい体を見つけたのである。
そうやってマクベトは「ジャイルズ」になった。
それからほどなくして呪詛戦争は終結した。第二の生を得たマクベトはある結論に達した。
「なるほど、戦争というものは自由自在に操れるものではないのだ」
「戦争を利用すれば金を稼げるというのは間違いだ。国という花壇が荒らされるなど、あってはならない」
「平和な国を作らなければいけない」
「暴力というものは、選ばれた存在だけが管理すべき手段だ」
レイブン家の家訓だった「魔術は平和のために」のスローガンは自分が達成しよう。マクベトはそう誓った。
「よし。やろう。アトルムを平和な国にしよう。そのためにはさらに強力な呪詛を発明しなければならない。誰も武器や拳を振り上げることがない世を作るためには……この国を呪詛独裁国家にするしかあるまい」
マクベトは殺されたことをきっかけに平和に目覚めた。
だが、その極端なまでの暴力性はそのままだった。
平和な世界を作るためにマクベトが求めたものは、結局のところ「究極の暴力」だったのである。
◆◆◆
「だああああああっ!! こんちくしょおおおおおおおっ!!!」
アリアネルは叫んでいた。
見渡す限りの真っ白な世界。アリアネルはそこに一人立っている。
そこは彼女の心の中だった。
自分の体が乗っ取られたことは感覚で理解できた。だがそこからはどうにもできない。覚めない夢をずっと見ているかのようで、時間の感覚がだんだん狂っていく。
叫んでも、わめいても、一切の状況が動かない。
「みんな、大丈夫かな……王都はどうなったんだろう」
疲れたアリアネルは座り込み、顔を覆う。
すると少しずつ、他人の記憶がアリアネルの中に流れ込んできた。
呪詛戦争の記憶。殺された記憶。ジャイルズの肉体を乗っ取った記憶。
「これって……もしかして、私の体を乗っ取った奴の記憶……?」
そうしていると低い男の声が響いた。
「何だ。まだ元の魂が消えてなかったのか。しぶとい奴だ」
アリアネルが顔を上げると、そこには男が立っていた。切れ長の眼をした老人だ。皺が刻まれた顔には威圧感がある。
「貴方なんですか? 私の体を乗っ取ったのは」
「そうだ」
「……マクベト・レイブン……それが貴方の名前なんでしょ」
「そうだ」
深く息を吐きだすと、アリアネルは弾かれたように走り出し、マクベトの顔に殴りかかった。
「出てけ!! 人の体を勝手に乗っ取るな!!」
「随分威勢がいいな」
アリアネルの拳は男の体にヒットしたはずだが手ごたえがない。煙を殴っているかのようだった。すると突然男がアリアネルの首を鷲掴みにしてきた。呼吸ができず、アリアネルは片膝を突く。
「こ、こっちの攻撃が当たらないのに……そっちだけこういうことできるなんて……ひ、卑怯だぞ」
「他者を乗っ取るというのはこういうことだ」
マクベトはアリアネルの頬を殴りつけ、おまけとばかりに腹に蹴りを加える。たまらずアリアネルはうずくまった。痛みをこらえながらアリアネルは叫ぶ。
「私の体を乗っ取ったって、意味ないよ。お前の計画なんて上手くいくもんかッ」
「そうだな。確かに失敗した。だが私には無限のチャンスがある。いくらでも人生をやり直し、いくらでもリベンジできる。人間を超える超越者として、呪詛による管理世界を作ってやる」
「……狂ってるよ、あんた……!!」
マクベトは表情を変えず、手のひらを空にかざる。すると大量の剣や槍が出現し、アリアネルの体を貫く。
「ぐ……ぅ……っ!?」
死んだ──と確信するほどの激痛が走るが、次の瞬間には痛みは消え失せていた。マクベトが一歩歩み寄る。
「ここは心の中だ。いわば夢のようなもの。お前を殺すことはできないが、疑似的な激痛を与えることならできる。例え夢の中とはいえ、耐えがたい苦痛のはずだ」
「なめないでよ、このくらい全然へっちゃらなんだから」
するとマクベトはさらに剣を呼び出し、順番にアリアネルに飛ばしていく。胸、胸、頭、頭、とリズミカルに刃が刺さる。意識が飛びそうな激痛が連続でアリアネルに襲い掛かる。
「今ので4回ほど死んだはずだ。これが何回も何回も続けば、お前の心も折れるだろう。私と違い、人の心は「死」に耐え切れん」
アリアネルは言い返せなかった。すぐに痛みは治まるとはいえ、刃が体を貫く激痛は耐えがたく、魂の奥底が恐怖で染まっていく。
「言葉もないか。そうだろうな。では大人しく体を明け渡せ。利用できる肉体は多いほうがいいからな」
マクベトの合図と共に、数えきれない数の刃がアリアネルを貫いた。
「ぐっ……うっ……っ……!!!」
これが続いたら本当に自分は挫けてしまうかもしれない。
アリアネルの心にそんな予感がよぎる。だがそれでも歯を食いしばり、必死に刃を避けようと身をよじる。それを見つめながらマクベトが言った。
「色々あって私は少し疲れた。回復するまで休む。それまでに完全に消滅しろ」
ふざけるな、とアリアネルは言い返した。
「あ、諦めるものか! お前みたいな奴のために! 諦めたりするものかっ!!」
叫んだ。力の限り叫んだ。
「晴明さんは今頃、きっとお前を倒す作戦を練ってる! ブルーセさんもミシェルさんもイサドさんも……王様だって……お前みたいな奴を許したりするもんか!! 人を殺して何でもかんでも解決しようとする奴を、許したりするもんか!!」
絶対にそうするはずだ、とアリアネルは確信していた。
マクベトの表情は変わらない。冷徹な眼差しでアリアネルを見つめ続ける。その瞳に向かって、アリアネルは無理やり不敵な笑みを作って見せた。
「やれるもんならやってみろ、亡霊!! ここでいくら殺されても、現実に私が死ぬわけじゃない! 悪夢と同じだ! 悪夢くらい、余裕で耐え切ってみせる!!」
拳を握り、アリアネルは身構えた。
例え勝ち目が分からなくとも、心が折れてしまいそうでも、自分のために、そして仲間のために、ファイティングポーズを意地でも取り続ける。
それがアリアネル・アムレットの結論だった。




