第46話 青天の霹靂
「もう終わりですよ、ジャイルズ。降伏してください!」
アリアネルがジャイルズの首を掴み、地面に押し付ける。
勝負は決した。ジャイルズは苦悶の声を上げるが、呪詛は発動しない。
「……流石だ、マトリ」
呟いて、ジャイルズは目を閉じ、体の力を抜いた。
快晴だった空にはいつのまにか雲が増え、太陽を遮る。
「よっしゃ、連れて行くぞ。誰が縄持ってきてくれ!」
ブルーセが騎士達に声をかける。これで終わり、自分たちの勝利だ──という弛緩した雰囲気が一瞬だけ流れた。
地面を見つめながら、ジャイルズがさらに口を開く。
「お前たちは……このジャイルズを見事倒してみせた。見事だ」
目を細めて薄く微笑む。だが次の瞬間、その表情には強い決意がみなぎった。
「だが残念だ。お前たちは私の正体にまではたどり着かなかったな」
瞬間、ジャイルズは糸の切れた人形のように地に倒れ、その体から暗雲のような煙が沸き起こった。
「何だ?!」
その場にどよめきが広がる。それはとてつもなく不吉で、おぞましい漆黒だった。晴明の心臓の鼓動が早くなる。
(妖か? いや違う、気配が違う。これは……!)
晴明は素早く雷を放つ。黒い煙とジャイルズの体、両方を貫いた。だが手ごたえがない。
「無駄だ。今の私にそれは通用せんよ」
暗雲が低い声で言った。
「私の真の名はマクベト。マクベト・レイブン。呪詛の産みの親。全てのヒトの上位に立つ者だ。この世界を主宰する権利をもつ「征服者」だ!!」
その名前を聞いて、場にいた者に戦慄が走る。
呪詛戦争の暗躍者。次々に呪詛を生み出し、アトルムに死をばらまいた張本人。すでにこの世にはいないはずの名前だ。
「マクベトって……ウソでしょ、死んでなかったの……?!」
愕然とミシェルは呟く。眉根を寄せて晴明が呟いた。
「あれは「ヒトの魂」だ。肉体を抜け出た魂だ」
「肉体を、抜け出た──つまり幽霊ってこと?」
「そうだ。マクベトは死んでなどいなかったのだ。魂だけになって「ジャイルズ」の体に入り込み、成りすましながら生きていたんだろう」
呪詛戦争が終わっても、マクベトは存在し続け、国を蝕んできた。
正真正銘の悪霊。そんな言葉がぴったりだろう。
目の前にいるマクベトは、まるで黒い積乱雲だ。これほど漆黒に染まった霊は晴明も初めて見る。
「……だが今はその話は後だ。アリアネルがあの中に巻き込まれている。すぐに助けるぞ!」
「そ、そうね!」
暗雲のように広がった、マクベトを名乗る真っ黒の「それ」は、近くにいたアリアネルをもすっぽりと包み込んでいた。
「な、何なんですかこれ?! 体が動かないんですけど!!」
アリアネルの声だけが響く。暗雲には人の動きを止める作用があるようだった。晴明とミシェルは同時に術を発動させる。
「氷結術・槍衾!!」
「雷威雷動、急々如律令!!」
氷と雷が炸裂し、暗雲を切り裂く。
だがマクベトが苦しむ様子はなく、それどころか低いくぐもった声が響きわたる。
「効かぬ。この私にそんなものは効かぬよ。お前たちに私は倒せない。お前たちに私は殺せない!!」
その時、雲に遮られていた太陽が顔を出し、日光が降り注いだ。マクベトが苦しそうな声を上げる。
「忌々しい太陽だ。気分が悪い!」
暗雲がぶわりと広がり、粘り気のある風が吹く。それは巨大な魔物が降臨したようにしか見えなかった。
「ちょうどいい。アリアネルといったな。お前の肉体は入り心地が良さそうだ。使わせてもらおう」
「ちょ、ちょっと、何なの?! やめっ……!!」
アリアネルの悲鳴が途切れた。砂ぼこりが舞い上がり、周囲の者は一瞬顔を腕で覆った。
次の瞬間には──もう暗雲は消えていた。
そこには横たわったジャイルズの遺体があり、そのそばにアリアネルが立ち尽くしている。
アリアネルの眼は、炎のように赤い。かつてのジャイルズと同じ瞳の色だ。
「アリアネル!!」
思わず晴明は叫ぶ。だがアリアネルからの返答はない。
見開かれた眼。死人のような無表情。それがひとつの真実を告げていた。
アリアネル・アムロットの体は、今、マクベトに征服されている。
「私の夢は終わらない。適合できそうな肉体が近くにあって助かったよ。悪いがこの人間は奪わせてもらう!」
ブルーセ、ミシェル、そして晴明が考えるより先に動いた。
細かいことは後で考えればいい。自分たちの仲間であるアリアネルの体が乗っ取られている。それを看過するわけにはいかない。取り返さなければならない──!
「ミシェル、合わせろ! あれの動きを止める!」
「分かってる!!」
雷と氷が「マクベト」に襲い掛かるが、それらは全て回避される。猫のように素早い動きは元の身体能力を明らかに上回っていた。
「くそ! おい幽霊野郎!! 俺たちの仲間の体から出ていきやがれ!!」
ブルーセが傘を手にマクベトに挑みかかるが、それすらも易々と回避される。マクベトの無表情の顔からため息が漏れる。
「出来ない相談だな。なに、気に病むな。この体は私が有効活用してやる」
「ほざきやがれ! 人の体を勝手に乗っ取りやがって、出てけっつってんだ!!」
ブルーセの動きに全て先回りし、マクベトは攻撃の全てをサーベルで受けとめ、いなしていく。
まさしくそれは「別人」の動きだった。
異変に気付いた騎士たちが集まり始める。マクベトはそれを察し、踵を返した。
「さらばだ。見事だったよ。お前たちは見事ジャイルズを倒した。負けを認めよう。だが──この私は滅びない」
そう言い残し、マクベトは中庭を突っ切って茂みの中に飛び込んだ。
「逃がさんよ!!」
晴明は北斗を呼び出し、ひらりとまたがってその後を追った。
(なんという奴だ。私でもあれの存在を感知できなかった。なんとしても止めなければ!)
風を切って北斗が駆ける。宮殿の端にある林の近くにマクベトはいた。
「待て! マクベト!!」
晴明が雷を放つが、マクベトはそれを回避し、振り向きざまに北斗の体と晴明の腕を切りつける。
「残念だったな、安倍晴明! 私は生き残ってみせる。潜伏し、逃げのび、理想国家をいつか造り上げてやる!」
晴明の腕に鋭い痛みが走った。手の甲と腕が的確に切り裂かれる。北斗も体に傷を負い、叫びを上げた。晴明は痛みに顔をしかめ、思わず符を落とす。
「待て……! アリアネル!! 待て!!」
晴明が腕を抑えながら叫ぶ。
するとほんの一瞬、マクベトに支配されているはずのアリアネルの表情がふっと和らいだ。
今にも泣きだしそうなアリアネルの顔がそこにあった。
だが次の瞬間には、その瞳は赤く染まり、晴明に背を向けて鬱蒼とした林に逃げ込んでいった。
「…………逃がしたか」
晴明は傷口を抑えながら林を睨みつけた。
「アリアネルはまだあの中にいる。マクベトに食われたわけではない。押さえつけられているだけだ。きっと助け出せる」
まるで誓うように、晴明は言葉を続ける。
「絶対に助け出すぞ、アリアネル。待っていろ」
その心には熱が宿っていた。仲間を確実に救い出してやるという、静かな炎のような熱が。




