第34話 あてなるもの
サティルスで捕らえられたマフィア達は、王都にある牢獄に収容された。
取り調べも行われたが、なかなか情報は吐き出さない。
そこで、幹部であるルーファスに、読心魔法を使った取り調べが決定した。
強制的に他者の心を覗く術。重大事件の取り調べでしか用いられない、実質呪詛にも等しい魔法である。
それがルーファスに伝えられると、あざ笑うように彼は口角を歪めた。
「ああ、そう。そりゃ楽しみだ」
気味の悪い奴だ──と、看守たちからルーファスが嫌われたのは言うまでもない。
◆◆◆
ある晴れた日。マトリ達は休暇をとることができた。
「晴明さーん!! あーそびーましょー!!」
アリアネルは晴明の部屋のドアを軽快にノックした。
その表情はとても明るい。というのも、マトリには待望の給料が支給されたのだ。
これまでの努力が報われたような気持ちになり、アリアネルは自然に笑みが浮かんでしまう。
そこで、休みの日に王都を出かけてみようと思い立った。そしてどうせならば仲間を連れていこうということで、晴明の所へやってきたというわけである。
ノックからやや遅れ、「入ってくれ」という晴明の声がした。ドアを開けると、そこにはもふもふの毛のかたまりがあった。
「うわーーーー?!」
思わずアリアネルは驚きの声を上げる。それは晴明の式神、北斗であった。嬉しそうにアリアネルの体にすり寄ってくる。
「くぁぁん」
「あはは、びっくりしたぁ。北斗さんじゃないですか! 元気でした?」
「くぅぅん」
晴明の部屋には、紙でできた小さな式神、「揚羽」が空を飛んでいた。部屋の奥には晴明が座っていて、机に並べたたくさんの揚羽達をひとつひとつじっと眺めていた。
「アリアネルか。すまないな、もうすぐ終わる」
「何やってんの?」
「式神の点検さ。異常がないかどうか、時々こうして確認してやっている。いざというとき使えません、というのはまずいからね」
「へぇー」
揚羽達はくらげのように、ふわふわと部屋の中を漂っていた。やがて晴明が「よし」と言うと、全ての式神が符に戻り、晴明の懐へ収まった。
「待たせたな。……それで? 私を遊びに誘いに来たんだったな」
「そうです。お給料も入りましたし、おいしいもの食べに行きたいなーと思いまして。今、大通りの方でイベントみたいなのをやってるみたいなんですよ。色々な屋台が出てるそうですよ」
「ほう、イベント?」
「3日後にアトルムの「平和記念日」ってのがあるんですって。戦争が終わった日を祝うってやつです。それに便乗してみんな屋台を出すから、お祭りみたいな雰囲気になるんだってさ」
──屋台。これもまた、平安京にはほとんどない物だった。見物するのも悪くなかろうと思いながら晴明は顎をさする。
「面白そうだな。行ってみようか」
「おっ、来てくれますか!」
「初給料で食べ歩きするのも良いものだ。行くとしよう」
晴明たちは、腹と好奇心を満たすべく出発したのだった。
◆◆◆
王都ネビュラの大通りは、いつも以上の人通りだった。
おいしそうな匂いが四方八方から漂い、おのずと腹が減ってくる。
「すごいですねえ!! 早速なんか買いましょうよ!」
「そうしよう。せっかくだからまだ食べたことのないものに挑んでみるか」
ひときわ香ばしい匂いを放つ屋台に足を延ばすと、そこは焼きクラーケン屋であった。晴明にとってはクラーケンが何かすら分からない。覗いてみるとイカやタコのような軟体動物であるらしかった。ぶつ切りにされ、串に刺されたクラーケンが鉄板の上に置かれ、じゅうじゅうと音を立てながら焼かれている。
「失礼する。クラーケンというのは?」
屋台を切り盛りする中年男性に尋ねると、威勢のいい声が帰ってくる。
「オウ、あんちゃんクラーケンは初めてかい? こいつはイルティリスの海で獲れた上物よぉ。平和記念日を祝して、特別に安く売ってんだ」
「味は? うまいのか?」
「ガハハ、まずかったらこうして屋台出してねぇよ。疑うんなら食ってみろよ」
「それもそうか。よし、一つくれ」
「あいよォ!」
屋台の主人は無駄のない手つきで焼きクラーケンを包みに入れていく。ほかほかと湯気を立てるそれは、脂が乗っていて見るからにおいしそうだ。
買い物が終わって振り向くと、アリアネルの両手にはすでにおいしそうな食べ物が抱えられていた。
「むふふふふ、美味しそうなの買っちゃいました」
「アリアネル、もうそんなに買い物を?! 速すぎないかね」
「買い物は先手必勝なんですよ。どっかに座って食べましょうよ」
大通りから少し外れた場所には、不格好な石造りのベンチがたくさん置かれており、家族連れやカップルが陣取っている。運よく空いた席に座ることができた晴明たちは、さっそく屋台の食事に舌鼓を打った。
晴明は焼きクラーケンを一口かじる。イカに似た、しかしイカよりも芳醇で、スパイシーな味が口いっぱいに広がる。美味だった。
「……良いな、とてもいい。美味しい」
隣に座るアリアネルは、はぐはぐとポテトフライを口に運んでいる。
「うまっ! おいひいです!」
「細長く切った芋か。なるほど美味そうだ」
「あ、じゃあ晴明さんにもおすそ分けしますよ。その代わりそのクラーケンちょっとください」
「おお、では交換といこう」
分けてもらったポテトフライは、塩味が効いていてこちらも美味である。
「これもいいな、とても素晴らしい。こんなに美味しい食べ物がこの世にあったとは」
「焼きクラーケンもおいしいですよ。いい店選びましたね」
気づくと、二人とも手元の料理を食べきってしまった。時間を忘れるほど美味しい屋台だ。
「もうちょい食べましょう、晴明さん! 何か逆にお腹空いてきました!!」
「いいだろう、付き合おう。次の料理に出会いに行くとするか」
二人は立ち上がり、再び屋台へ向けて歩みだした。
──そこからの食べ歩きは、まさに、未知の探求だった。
聞いたこともないような料理をおっかなびっくり購入し、それを食べ、美味に舌を喜ばせる。そのたびに頬がほころび、空腹が満たされていった。
「はあ……食べた食べた、すんげえ食べました」
「満足感がすごいな」
1時間ほどで腹は膨れ、足取りもゆったりとしたものになる。
「いやー、王都って本当すごいですね! こういう屋台、あたしの地元にはありませんでした」
「平安京にもなかったな。さすがはアトルムの都だ」
がやがやとした喧噪は賑やかで、人々はとても楽しそうで、自然とその楽しみが晴明たちの心にも染み渡るように思えた。
「考えてみれば、平和を祈念する催しで食事を楽しむというのは、実は一番平和を象徴する行為かもしれないな。こうして食べ歩きできるのも平和だからだ」
「本当ですね。平和が一番ですよ」
アリアネルは目を細めた。何かとても遠くを眺めているような、切なげな眼差しだった。
もしかしたら、戦争のことを思いだしているのかもしれない。
記念日というのは寂しいばかりの日ではないはずだ。晴明はそう思い、アリアネルの肩をポンと叩いた。
「ついてきたまえ。最後にお茶でも飲んでいこう」
「お茶って……もしかして晴明さん、いいお店知ってたりするんですか?」
「この間、街を歩いている時に良さそうな所を見つけた。試しに行ってみないか」
「へえぇ。おいしい所?」
「実は全く分からない。味の保証はできないな」
「そこは名店を紹介するとこですよ!」
「知らない店に突撃するのも悪くない。気の合う仲間となら思い出に残る。……それに君は、こういう未知への挑戦は好きだろう?」
その提案を聞いて、アリアネルは歯を見せて笑った。
「……わかりました! 行ってみましょう! ようし、お茶屋さんに突撃です!!」
アリアネルの顔には、陽だまりのような暖かさが戻っていたのだった。
◆◆◆
大通りから5分ほどの場所に、晴明の言う店はあった。
喫茶店「ゴルディロックス」。街のにぎやかさとは距離を置いた静かな店で、この日もゆったりとした時間が流れていた。
晴れた日は店の横にあるテラス席でくつろぐことができる、隠れ家のような店である。
「へー、素敵なお店ですね! こういう場所、王都にあったんですね」
「いい所だろう。今日は晴れているから外でお茶を飲むのも悪くない」
「……聞くまでもないかもしれないですけど、もしかして晴明さんってお茶好きですか?」
「バレたか。その通りだ。アトルムに来てからお茶が好きになってね」
お茶は、茶葉によって、淹れる者によって風味が異なる。その繊細さが晴明にとっては面白い。
一人で飲めば自らの世界に没入できるし、誰かと飲めばそこを社交の場にできる。
酒も似たようなことができるが、酒は酔いしれるもので、茶は心を整わせるものだ。ある意味正反対に位置するものである。
テラスの席につき、メニュー表を眺めると多種多様なお茶がずらりと並んでいる。
「こんなにメニューがあると迷っちゃいますね」
「私はもう決めた。ミントティーにする」
「うーん、あたしも同じのにしようかなぁ。……あ、見て、面白そうなのがありますよ」
アリアネルが指さしたのはデザートの欄だ。そこには「シャーベット」と達筆で書かれている。
「ふむ、これは?」
「あたしも噂でしか知らないんですが、シャーベットは氷菓子なんだそうです。果物の汁とか砂糖とかミルクを凍らせて、それを砕いて食べるのだと」
「それは良いな。とても良い。よし、頼もう」
店員に注文をすると、すぐに品物はやってきた。
ミントティー。そしてシャーベット。茶とデザートという、食べ歩きを締めくくるにはふさわしい二品だ。
「うわー、なんかおいしそうですね! なんていうか……こう……あはは、言葉が浮かびませんね! とにかくおいしそう!」
完全に語彙力の低下してしまったアリアネルが笑ってごまかした。
ピンク色のシャーベットにはミルクがかかっている。スプーンですくって食べると、イチゴとミルクの入り混じった甘酸っぱい風味が口を満たした。
「ふわぁ……おいしい」
「素晴らしい。これはうまい」
二人揃って甘味に感想がこぼれる。晴明はシャーベットをすくいながら目を細めた。
「何を隠そう、私は氷菓が好きでね。実は平安京にもこういうのがあった」
「向こうにもこういうのあったんですか?」
「あちらでは削り氷と呼んでいた。冬の間に氷を作っておいて、倉庫にしまっておくんだ。物を冷やせる氷室という貯蔵場所があってな。夏になったら氷を取り出し、削り、植物の蜜をかけて食べる」
「それもすごくおいしそうですね」
「そういうのを食べられるのは一部の貴族だけでな。私も数えるほどしか食したことがない。「貴なるもの」……と呼ぶ人もいたっけな」
その氷菓は晴明にとってはどこか懐かしい味がした。
「こういうのは、夏にぴったりなんだろうな」
「あ、分かります! 夏になったらまた来ましょうよ!」
「よし。そうしよう」
二人は、数か月後の再訪をかたく誓い合ったのだった。




