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第31話 泣きながら、そして笑いながら

 グッドウィンは床から離れ、空中へ浮かび上がった。


 笑みをたたえながら浮遊するその姿は、もはや人間ではなく、別種の何者かだった。


 アリアネルが傘に手をかけながら叫ぶ。

 

「ど、どうしよう! 晴明さん、平安京じゃこういう時どうしてたんです!?」

「……残念ながら、手の施しようはない。こうなってしまってはもう、祓うより他にあるまいよ」


 晴明は符を取り出した。


(陰陽師が悪霊退治をするなど、本来は邪道だが──仕方あるまい)


 半透明の霊体に向けて精神を集中させる。が、グッドウィンは大笑し、空中を勢いよく飛び回り始めた。


「ははははハ。はーハはははははァァ!! 幽霊はいいぞ。幽霊はいいぞォ!! お前たチも仲間になれ!! はははははは!!」

「くそ! テンション上がりすぎだろ! 頼むから落ち着いてくれ!」


 ブルーセとアリアネルが傘を振り回すが、全く効果がない。


「あいにくだけど、幽霊の仲間入りは御免なのよ!! 氷結術・霜柱!!」


 ミシェルが壁から氷の槍を出現させるが、それすらもグッドウィンはすり抜けてしまう。


「ははは──仲間になる気がないノなら、せめてその体を奪ってヤル!! 特にそこの娘!! お前は、入りやすそうな体をシているかラな!!」


 天井から落下よりも速いスピードで、グッドウィンはアリアネル目掛けて急降下し、そのままその体の中に侵入してしまった。


「うっ、あっ……?!」


 アリアネルは胸を押さえてうずくまる。ぶわりと顔に冷や汗が浮かび、必死に歯を食いしばる。


「おい! 大丈夫かアリアネル?!」

「アリアネル! ……ああもう嘘でしょ、頑張って吐き出して!」

「うぐぅぅ……頭ん中でガンガン声が響いて……気持ち悪い……」


 アリアネルの頭の中で、グッドウィンの笑い声がわんわんと反響する。ブルーセとミシェルがアリアネルの体を揺さぶるが、効果はない。


 危機的状況だが、むしろ晴明にとってはやりやすい状況ともいえる。


「離れていてくれ。大丈夫だ。むしろこれで相手の動きが止まった」


 晴明は穏やかな表情で言った。アリアネルを見つめながら、息を吐き、肩の力を抜いて、そして一息に術を唱えた。


「青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女。妖物退散、急々如律令」


 九字。妖を排除する術式。


 瞬間、「ぐぎゃあああッ」とグッドウィンの叫びがとどろき、アリアネルの体から人形の糸が切れるように力が抜けた。グッドウィンがアリアネルの肉体を離れる。滝のような冷や汗もぴたりと止まった。


「はっ!? あ、あたし一体……?!」

「君はもう大丈夫だ。心配するな」


 霊が体から抜けたことで、すぐにアリアネルは回復した。その肩を叩きながら、晴明はグッドウィンを見つめていた。


「正気に戻りましたか、グッドウィン殿」

「……ええ。迷惑をかけたわね。申し訳ない」


 グッドウィンの顔から、狂気は去っている。


 もともと半透明なグッドウィンの体は、薄く、かすかなものになっている。今にも消えてしまいそうだ。それを見てミシェルが叫びを上げる。


「ちょ、ちょっと、何なのよこの人の体、薄くなってるわよ?!」

「恐らくはもうすぐ消滅するのだろう。最後の力を使い切ったと見える」

「……はは。ざまあないわね。結局、人間は死んじゃうってことね」


 グッドウィンは自嘲的に笑った。アリアネルはそれを怪訝な顔で見つめていたが、意を決したように尋ねた。


「あ、あの、グッドウィンさん。最後に何か言い残すことはありませんか」

「言い残すこと……?」

「もう、消えてしまうんでしょう? だったら、最後に何か言っておいたほうがいいかなと思って」


 体に侵入された時、アリアネルは流石に恐怖を感じた。だがこうして消えかかっているグッドウィンを見ていると、恐怖よりむしろ哀れみを強く感じてしまった。


 グッドウィンは目を閉じて思案していたが、やがて苦笑いした。


「何もないわ。考えてみればわたしの家族はみんな死んでしまったし、親戚も、友達もいない。本当に独りの人間だった。誰かの役に立つことなく一生を終えてしまった」


 笑いながら、グッドウィンは涙を流していた。


「いえ、そうね、わたしは最後にあなたたちに謝りたい。迷惑をかけてしまったわね。特にそこのお嬢ちゃんには特に。怖い思いをさせてごめんなさい」

「あはは。まあまあ、お気になさらず」

 

 いよいよグッドウィンの体は薄くなっていく。その声もまたくぐもり、小さくなっていく。


「なってみて分かったわ。幽霊なんてろくなもんじゃない。幽霊は……孤独なのよ。それに耐えきれなくて、幽霊は狂い、怨霊になってしまう。あなたたち、わたしのようにはならないようにね」

「……グッドウィンさん」

「でも感謝してるわ。わたしを正気に戻してくれてありがとう」


 その顔から、狂気やおぞましさは去っている。ただ彼女は、暖かな笑みだけを浮かべていた。

 

「悪くないわね。誰かに見送られながら消えるのって、悪くない。……さようなら、マトリさんたち」


 そう言い残して、グッドウィンは消えた。朝霧が日差しを受けて消えていくかのようにして。そのあとには何も残らなかった。


「消えた……」

「これにて幽霊騒ぎは解決、って感じか」


 幽霊は、最後に泣きながら、そして笑いながら消えたのだった。



 ◆◆◆



 倉庫に残った符をかき集め、仕事は完全に終了となった。


 孤児院へ戻ると、壁の陰から子供たちからこっそりと見つめてくる。


「……幽霊、どうだった?」

「おばけ、やっつけた?」


 か細い声で口々に尋ねてくる。ブルーセはにやりと笑って軽快に答えた。


「心配するな! 幽霊とはちゃんと話し合って、いなくなってもらったからな」

「ほんとーーーーー?!」

「やったーーーーー!!」


 わっと子供たちが駆け寄ってきて、わーいわーいと大声で喜ぶ。孤児院の院長も駆け寄り、ほっと安心の吐息を漏らした。


「皆さま、本当にありがとうございました。ブルーセ、世話をかけてしまいましたね」

「なーに、いいんですって」


 子供たちの喜びようを見ていると、いかに幽霊が恐怖の源になっていたかよくわかる。


 その様子を見ながら、アリアネルが目を細めた。


「良かったですね、うまくいって。でも……なんか寂しいですよね。グッドウィンさんは怖かったけど、とても寂しい人だった」

「そうね。死んでしまった人がもし幽霊になってしまったら、みんなあんな寂しい思いをしてしまうのかしら」

「……彼女は最後に、怨霊ではなく、一人の人間としての意識を取り戻して消えていった。私たちに感謝の言葉をかけてくれた。それがせめてもの幸いだ。そう思うしかなかろう」


 目をつぶり、晴明は静かに独りごとのように言った。


「しかし晴明よ、幽霊を相手にしても一切動じなかったな。正直助かった。平安京ってのはそんなに幽霊が多いのかい?」


 ブルーセが眼鏡の埃を拭きながら尋ねて来た。晴明は頷く。


「もちろん。非業の死を遂げた者が怨霊になるといって、それを奉り、必死になって鎮魂していたくらいだ」

「へえ、そんなに」

「それじゃ晴明さん、平安京の幽霊の話をしてくださいよ。どんなのがいたんです?」


 アリアネルの問いに、晴明は思わず苦笑してしまう。そのようなリクエストは生まれて初めてだった。


「……そうだな。それでは事務所に戻り、茶でも飲みながら話すとしようか」


 どんな話がいいだろうかと、晴明は考える。


(たまには幽霊の話をするのもいい)


 人間はなぜか、幽霊の話が大好きだ。死してなお、この世に残るモノ──そんな、極めて人間的な化け物に、恐怖と共感を覚えるからだろうか。


 幽霊という、死の定めに逆らい残存するモノには、何とも言えぬ凄みがある。見て見ぬふりを許さない何かがある。


 窓の外は既に夜だ。新月のため、空は真っ暗だ。


「幽霊日和というのがもしあるなら、きっとこういう日なのだろうな」


 黒く染まる空を見つめ、晴明は呟くのだった。

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