第18話 散歩先マイライフ(後編)
「マクベト・レイブン……」
「ああ。呪詛戦争の初期から末期にかけて暗躍してた男さ」
「そんな人いたんですね。聞いたことありませんでした」
呪詛戦争は50年間続いた。つまりその男は人生の大半を暗躍に費やしていたことになる。
「マクベトは元々、学者一家の生まれでな。魔術を細々と研究してたそうなんだが……ある時、家の地下で眠ってた古文書を見つけた。そこには古代の黒魔術である「呪詛」が書かれていた。そいつを解読し、改良を施し、武器として売りまくったんだ」
「なんと……」
「その結果、呪詛は大ヒットしちまった。材料もお手軽。特別な才能もいらない。簡単に人をブチ殺せる、つってな」
「ひどい話ですよね、本当に」
だよなぁ、ひでぇよなぁ、とブルーセは苦笑いする。
「マクベトの目的はただシンプルなもんだったらしい。金のためさ。人間なんていくら死んだってかまわない。呪詛が売れればそれでいいということだったらしいぜ」
「まさに死の商人だな……」
「そのマクベトはどうなったんです? 今も生きているんですか?」
「いや、もう死んでるよ。呪詛戦争が終わる寸前に、ジャイルズっていう部下に裏切られてあっけなく死んじまった」
「……なるほど」
晴明は静かに頷く。先ほどの散歩中に、ジャイルズという男の名を聞いたことを思いだした。
「でも、今でも冗談で言ったりするんだぜ。「マクベトはきっと生きてるぞ、どっかから蘇ってくるぞ」なんてな。それくらいインパクトのある奴なのさ」
呪詛戦争を加速させた張本人が死んでいる。そのことに不謹慎ながら晴明はかすかな安心を覚えた。
だが、その結果この国では呪詛が広まり、今もなくなったわけではない。マクベトが残した「遺産」はあまりに重い。
その時、鐘が鳴った。朝から夜まで1時間置きに鳴る、時刻を知らせる鐘だった。ブルーセはそれに気づき、慌てて立ち上がった。
「おっと、いかんこんな時間か!」
「用事かね?」
「ああ。実は俺、「ステキなナイフ委員会」の会長をやっててな。これから品評会をやるんだ。仕事が始まる前にちょっと顔を出してくる」
「何ですか、その面白そうな委員会は!」
「ワハハハ、実際楽しいぜ。料理で使うナイフをみんなでおすすめしあうんだわ。野菜の上手な切り方とかも教えあう。楽しいキッチン講座さ」
「すごいな……」
「まあ、アレだな。こういうのができるのも、戦争が終わって平和になったからさ」
そう言って去ろうとするブルーセだが、何かに気づいて足を止めた。
「そうだアリアネル、こいつをくれてやる」
「何です?」
「傘格闘術の指南書だ。といっても、ちょっと難しいんだが」
「おぉー! こんなのがあるんですね! こういうのがあるなら、早く出してくださいよー!」
一冊の無骨な本だった。受け取ったアリアネルは早速中を開くが、すぐにげんなりした表情になる。
「……なんかすごく分かりづらくないですか、これ? 字も細かいし」
「しょうがねえだろ。貧民街から始まった格闘なんだからよ、誰も体系的にまとめてねえんだ。俺の知り合いが作って自費出版してる同人誌だよ、それは」
「うむぅ……頑張って読みます」
頑張れよー、と気の抜けた一言を残してブルーセは去っていった。
「戦いの道は遠いなァ」
本を読みながら、アリアネルは手に持った傘で見よう見真似の練習をしている。
「えい! やあ! ……うーん、ちょっと違うかな」
「アリアネルは本当に熱心な人間なのだな」
「あはは、ありがとうございます。もっともっと強くなって、呪詛使いをやっつけてやらないといけませんからね」
汗をぬぐい、アリアネルは青空を見上げた。
「私は、戦争の最中に生まれました。うちの領地は田舎だからそこまで大きい被害はなかったですが、人が死ぬなんて当たり前でした。お父さんとお母さんが死んでしまった時も、戦争やってるから仕方ない……と、当然のように思ってました」
「……ああ」
「だから戦争が終わった時は、なんか嬉しかったんですよ。これでもう呪詛を怖がらなくていいんだって思いました。でも、実際には呪詛はなかなか無くならなかった」
「そうだな。とても理不尽な話だ」
アリアネルはぎゅっと拳を握りしめる。
「なんていうか、すっごく腹が立つんです。すっごくムカつくんですよね。私から家族を奪った呪詛を、平気で使う奴がいるなんて許せないんです」
「そうだな。初めて会った時から、君は呪詛と戦っていた」
「あはは、そういやそうでしたね」
どうしようもない理不尽に出会った時、人は色々な方法をとる。
逃げる。隠れる。やりすごす。いずれも正しいだろう。だがアリアネルは「戦う」ことを選んだのだ。
「……多分、あたしを突き動かしているのは、この「怒り」なんです。でも怒りってのは面倒なもんで、人を間違った方に誘導したりもするんですよね」
「ああ。そう思う」
「だから、晴明さん。私が何かの拍子に変な方向に行きそうになったら、その時は私を全力で止めてほしいんです。晴明さんならやれるでしょうから」
「わかった。努力しよう」
「努力、じゃなくて「約束」ー! 約束してくださいよー!」
「はいはい。約束だ。君が変な風になったら私が責任をもって止めるよ」
アトルム王国の平和は、こういう「戦う者」のおかげで成り立っているのかもしれない──晴明は、ふとそう思った。




