第10話 王都ネビュラ
あくる日、ブルーセは一人でアムレット邸へやって来た。
「それで、返答はどうだい?」
晴明とアリアネルの答えはもちろん決まっていた。
「なります!! よろしくお願いします!!」
「呪詛祓いは慣れている。ぜひ仲間に入れてほしい」
「おぉ!! そうかそうか!!」
ブルーセは二人に順番に固い握手を交わす。
「そう言ってくれると思った~~! 俺には分かってたぜ、きっとそう言ってくれるってな。よーしすぐ出発しよう!」
屋敷のドアを開けながらブルーセは小躍りする。
「……ただな。すぐと言っても、別れを惜しむ時間くらいはあるべきだよな。というわけで、俺は外で待ってる。準備ができたら声をかけてくれ」
そう言ってブルーセは屋敷の外へ出て行った。
いつの間にか、玄関ホールにはアリアネル達を見送ろうと、使用人が全員集まっていた。
「アリアネル、向こうに行っても元気でな!」
「寂しくなるねえ、貴方が行っちまうと」
「拾ったもの食ったりするなよ、腹壊すからな」
アリアネルが皆から愛されているのがよくわかる。
ウルスラが一歩歩み出て、アリアネルの肩をポンポンと叩いた。
「……元気でやるのよ、アリアネル。体に気を付けて」
「うん。姉さんこそ気を付けてください。病気にならないように!」
二人の瞳はわずかに涙で潤んでいる。だが、お互いに笑顔だ。
「晴明さん。私たちを助けてくれたこと、本当に感謝します。どうかお気をつけて」
「いや、こちらこそ食事や寝床を提供してもらった。お礼申し上げる」
改めて晴明は思う。
(この世界にやってきて、彼女らに出会えたことは途轍もない幸運だった。幸いな出会いだったのだ)
別の世界であっても、縁というものは確かにある。それを感じずにはいられなかった。
アリアネルは生家に体を向け、目を細めて言う。
「お父様、お母様、アリアネルは行ってまいります」
ほんのわずかに切なそうな顔をしたアリアネルは、次の瞬間には満面の笑みに変わっていた。
「それじゃ! 湿っぽくなるのも嫌ですし、ここでお別れです! みんなお元気で!!」
赤ずきんのアリアネルと安倍晴明はこうして旅立った。
王都に向けて──‟マトリ”になるために。
◆◆◆
「おう、来たな。それじゃ行くか、王都に!!」
ブルーセの傍らには、晴明が見たことのない獣が座っていた。
超巨大なトカゲ──という表現が、一番しっくり来るだろう。全身は鱗に覆われ、馬や牛よりも大きい。馬のように手綱や鞍がある。しかしその顔は凛としており、知性すら感じさせた。
「こ、これは……?」
「ああ、そっか晴明さんは初めて見るんでしたっけ。これがドラゴンです」
「これがそうか! 本に書いてあったな」
ドラゴンの巨体は畏怖すら感じさせた。晴明はこわごわ近づいてみる。ドラゴンは鳴きも吠えもせず、じっと見つめ返してきた。ブルーセが自慢げに解説する。
「ははは、そーかなるほど。ドラゴンを始めて見るのか。一応言っとくとな、ドラゴンにも色々あるんだ。野生のドラゴンもいるし、人間に飼われて家畜化してるのもいる。こいつは荷物や人を乗せるのに便利なドラゴンでな。ジャバウォックドラゴンって呼ばれてんだ」
「そうか。この世界では、馬や牛の代わりにドラゴンを扱うわけか」
「背中に乗りなよ。何人も載せられるくらい頑丈な生き物なんだぜ」
その背中の鞍は、どっしりと座れるようになっている。
「ほぉ、案外乗り心地がいい」
「へへ、実はアタシもドラゴンは初めて乗るんです。こういうの飼うのにもお金が要りますしね。あ、すごい、案外大人しいんだ」
「ジャバウォックは穏やかな連中なんだ。騎乗も楽だぜ」
空は良く晴れていて、木々の風がさわさわと揺れている。ブルーセがドラゴンの手綱を引く。
「それじゃ、ちょいとスピード上げるぞ! 目ェ回すなよ!」
ジャバウォックドラゴンが地を蹴り、風を切って走り出した。
速い。とてつもない速さだった。馬よりも、式神・北斗よりも速い。
晴明たちの服が風でバタバタと揺れた。なおかつ上下のブレもあまりなく、安定している。3人も乗っていることを感じさせない、力強い走りだった。
4時間ほどかかって、晴明たちは「王都」へ到着した。
緑に塗られた大きな橋。その向こうに、乳白色の壁が築かれている。
王都ネビュラ。アトルム王国の中心部である。
壁を超えると、数えきれないくらいの建物が建っていた。
目の前の大通りにはたくさんの市が築かれ、多くの人が行きかっている。
「ふおおおお……! こんなに人がたくさん! もしかして今日はお祭りですか?!」
「わははは、これが普通だぜ。まあそのうち慣れる」
「いや、アリアネルの言う通りだ。すごいものだ。もしかすると、平安京より栄えている街かもしれん──」
「そうかい? お世辞でも嬉しいぜ」
晴明は市をじっと観察する。多種多様なものが売られていた。布。食料。武器。防具。アクセサリ。香辛料。そしてそれらの取引には貨幣が使われている。
「……買い物には、貨幣を使うのだな」
「ん? そりゃそうさ。アトルム銀貨ってやつを使う。そっちじゃ金を使わなかったのかい?」
「ああ。貨幣というのはあまり使われなかったな。銭を発行した時代もあったらしいが……私の時代には米や絹による物々交換が主だったんだよ。だが、この世界では「お金」を使うわけか。これは便利だ」
「晴明さんって、すごい人なのに、時々当たり前のことを知らなかったりしますよね」
晴明は感心したように一人で頷いている。
この世界の「当然」は、晴明にとってみれば、「新たな文化」との出会いなのだ。
「それじゃ早速、俺たちの仕事場に案内するぜ」
「おお! 楽しみです!」
「……ただな、すぐさまマトリの仲間入りってわけじゃない。悪いが、ちょっとばかしあんたらを試させてもらう」
「ほう?」
「えっ?」
アリアネルの表情が固まる。それを見てブルーセがニヤリと笑った。
「これから、二人には簡単な試験を受けてもらうことになってる。そいつに合格すれば、晴れて俺らの仲間入りだ」
「えええええ!! ちょ、ちょっと聞いてないですよぉ!!」
「わははは。言ってなかったからな」
声を荒げるアリアネル。晴明は涼しい顔だ。
「なんとなくそんな気はしていた。こうなったら覚悟を決めよう、アリアネル」
「何で晴明さんはそんな落ち着いてられるんです?!」
「人生経験の差さ」
3人を乗せたジャバウォックドラゴンは、悠々と街を歩いていく。励ますようにブルーセが言う。
「ま、そう慌てるなよ。あんたらなら余裕で合格できるはずさ」
「も、もし合格できなかったらどうなるんです?」
「……なぁーに、大丈夫だって! 気楽にいけよ! やればできる!!」
「うわーー!! お手柔らかにお願いしますよぉ~~~~~~!!!」
──難しい試験でなければいいんだが。
不安がるアリアネルを見て、晴明はそう願わずにはいられなかった。