ネコを失った家出少女は墜落する飛行機に乗って異世界に行く
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ご縁に感謝いたします。
どうか、心に残る読書になりますように。
続きは、別の作品になりますが、33話まであります。
今後とも宜しくお願い致します。
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なにか、戦争でも始まるのかな。
私は、松本行きの座席で、ガリっとりんごをかじる。
機内は乾燥していて、毛布のせいかバチッと静電気が指先に走る。
フライトアテンダントの案内が耳をすり抜けていく。
額のキズには、家から持ってきたキズキュアパッドを貼った。
松本には、だれの頼りもない。
行くあてもない。
10歳にしては、我ながら大げさな家出かもしれない。
機内は、重たくて、皆何か危険に備えているみたいな雰囲気だ。私には、何が起こっているのか分からなくて、ただただ恐ろしい。
早朝5時、私は、たった一人で羽田空港にきた。
そして、第2ターミナルの出発ロビーの黒い壁にもたれかかって、一人でただ泣いていた。
足もとでは、空港のロビーの大きなベンガルゴムの木の鉢植えが誰かに倒されていた。
あたりにムワっと土の匂いをまき散らしていた。
昨夜、私は、お母さんに力任せにぶたれた。
それで、早朝にそっと家出した。
大人たちは、私に辛いことが多かった。
ただ、なによりも友達が欲しかった。
でも、私には、今や1人も友達がいなかった。
あるとすれば、私には、なにか大きな謎がいつもまとわりついている。
もっと幼いときは、ふわふわとなんとなく感じていた謎。
それは、まるで黒い箱があるかのように、中身は一切見えない。
今では、はっきりと確かにあると感じる。
誰にも、自分でもまだ、それをうまく説明できないでいるけれど。
たしかに私は、自分でもおかしな子供だと思う。
神様や宇宙人と話したり、奇跡を起こしたり、魔法を使えることはなかったけど。
いつもお母さんは、漢方薬局の仕事が忙しくて、私に何もかまえないことを気にしていた。
私は私で、1人でいるのが好きなところもあった。
気の合わない人に、気を使いながら過ごすよりは。
さすがにお母さんも心配したのか、ある時めずらしく、寝る前に、私の髪にクシを通してくれることがあった。
リビングのイスに座る私の後ろにお母さんが立って話をした。
シンとした無音のリビングに、カチカチという時計の音と、伸ばした長い髪を通す、サッサッサッという音だけがしていた。
私は、その時にお母さんに言われた言葉を、たまに思い出す。
「しょうこ、普通が1番よ。普通が1番」
その声は、できるだけ感情を出さず、淡々としていた。
私は、だまって言葉を聞いていた。
他にもたくさん話があったような気もするし、ほとんどその一言だけだったような気もする。
お母さんがクシを引くたびに、からまっている髪が引っかかって、頭皮がチクチクした。
お母さんもこの難しい娘とどう接していけばいいのか、わからなくなっているのだと感じた。
そんな私のかけがえのない友達は、飼っているメスの家ネコだった。
3ヶ月前、私は、このネコを河原でひろった。
迷子になって、ネコを抱き抱えてベンチで寝ているところを、母親に見つけられたらしい。その時のことは、不思議なくらい、記憶がふわふわしていた。
このネコは、病気もなくて、元気で可愛いかった。
ネコを抱きしめて、ネコによく話かけた。
「お前はいいよね。ただひたすら可愛くて。私はどうしてこう、可愛げがないのだろう」と。
私は、この白地に黒のぶちネコを心から愛していた。
よく空を見上げるネコだった。
お母さんから「ちゃんとした名前をつけなさい。あなた変よ」と何度も言われた。
それでも、わたしは、ネコをネコと呼び続けた。他の名前なんか必要ない。うちのネコは、このネコだけなんだから。
その大切なネコが、3日前、いきなり死んでしまった。
ネコは、家の近くの道路で車にひかれてしまった。
お母さんが家の入り口のドアを不用心に半開きにして、ゴミを出しに行ったときに、ネコが外に出てしまったのだ。
私は、すぐに気づいて、ネコを追いかけた。
ネコはきっと思わず外に出て、キョロキョロしながら、不用意に道路に出てしまったのだろう。
ネコをさけようとしたクルマは、電信柱に激しくぶつかってして、ゴウゴウと燃え上がった。
残念なことに、車はネコをよけることはできなかった。
横たわり大量に出血するネコをみて、私は、悲しくて地べたに座り込んで動けなくなった。
静かな住宅地は、パトカー3台、救急車3台、消防車が3台きて、サイレンが鳴りひびき、すぐに大さわぎになった。
ガソリンの燃える、化学的な異臭が、記憶に強く残っている。
気がつくといつの間にか、ネコは、血の跡だけをのこして、どこかに片付けられてしまった。
はたしてどれほどの罪がお母さんにあるのか、わたしにも分からない。
しかし、お母さんの顔をみると、どうしても責める気持ちが出てきてしまう。
「なんでちゃんとドアを閉めなかったの?!
ネコが死んだのに、そんなに平気な顔をしてるの?
どうして悪かったとか私に一言もないのよ!!」
私は、涙を流しながら怒りにふるえていた。
「言っておくけど、私は、ひとつも悪くないわ。
そもそも私は、ドアをちゃんと閉めたし」
私は、お母さんを人差し指で指差して責めた。
「お母さんがドアをちゃんと閉めたつもりで開いてたから、ネコが外に出たんじゃないの!」
「私は、ゴミ出しをしただけよ。
むしろあなたは、日頃の家事について、私に感謝の言葉はないの?
それに、人を指差すなっていつも言ってるでしょう?
人を指差す時、3本の指は自分に、1本の指は天を指すのよ。
なんでこんなに傲慢で、失礼な子に育ってしまったのかしら」
「どうしてそんな言い方なの?ひどすぎる!」
「なぜネコが外に出れたのか、不思議に思うだけよ。あなたがちゃんとネコを見ていればよかったのにね」
「なんの自責の気持ちもないの?」
「私が自責?あなたじゃなくて?人のせいにしないでよ。
それより車の運転手は大丈夫かしら。
他にケガをした人がいなかったかなとか、少しは考えなさいよ!誰かが取り返しのつかないことになっていたら、どうするの?
あなたのネコのせいで」
私は、怒りにふるえて、言葉を失った。
お母さんが謝りもせず、一欠片の罪悪感ももっていないことが、私には到底信じられない。
たしかに見方を変えれば、そうなのかもしれない。
それでも、私は、やりきれない思いばかりあふれてしまう。
こんなにも感情的になったのは、いつぶりだろうか。
私は、昨夜遅い時間になっても眠れなかった。
気がつくと、天井の高い自分の部屋で、和室の柱に額を打ちつけていた。
額から血が少し流れていた。
ドスン、ドスンと地鳴りのような大きな音をきいて、びっくりしてお母さんが起きたことに、気付かなかった。
気づいた時は、いきなりお母さんに強くぶたれていた。
私は、額から血をダラダラ流して、へたりこんだ。
怒りに任せて、お母さんを強くキッとにらみつけた。
「やめなさい!あなた、おかしいわよ。
うるさいわ、こんな時間に!
近所の人も起きてしまう。
なによ、お母さんをそんな目で見ないで!
いい加減にしなさい。
全部あなたが悪いんでしょう。
柱に血がベッタリついているじゃない。
すごく汚い。自分でふきなさいよ!」
部屋の電気を消され、ドアは乱暴にバタンと閉められた。
私は、糸が切れた操り人形のように、まばたきもしないで、真四角の真っ暗な部屋の宙を見ていた。眠ることも一切なく。
そして、私は、今日の明け方に家出した。
しばらくお母さんの顔は、見たくない。
黒い大きめのパーカーに、ダメージジーンズ、どこへでもいけそうなアウトドアブーツをはいて。
ポケットには、テーブルに置かれていたリンゴをひとつだけ入れて、カバンも持たなかった。
空港まできても、航空券を買うお金は、持っていなかった。
ただ、少しでも遠くにいきたいだけ。
ただ、突発的な思いだけで、気がつくと来たこともない羽田空港にいた。
こんなに無計画に行動したことが、今まであっただろうか。
不思議なことに、途中の記憶はあまりない。
もう家に帰るお金さえも、私の交通系ICカードには残っていなかった。
みるみるうちに、空港は人であふれかえっていく。
なぜか分からないが、世界の終わりが近づいているかのように、お店は荒らされガラスが割られていく。
乱暴になった人々で、何かが狂ってしまったかのようだ。
怒鳴り声や悲鳴がいくつも聞こえる。
何か緊急事態が起こっているのだろうか。
私は、顔が青ざめて、なぜここにきてしまったのか分からず、後悔し、静かにパニックになった。
とにかく怖い。
暴力はいやだ。早くここから出ていきたい。
でももう、私は、進むことも戻ることもできない。
行き止まりに追い詰められた、迷子のネコのように。
両手の手のひらをみると、ふるえが止まらなかった。
その時、その手のひらの上に、ひらひらと何かのチケットが落ちてきた。
奇跡のように、心なしかチケットは光っているようにさえ見えた。
それは、松本空港行きの航空券だった。
ガヤガヤと大きな声でさわいでいる大勢のなかで、踏まれたり蹴られたりして、この航空券は、舞い落ちてきたのだろうか。
もともとは、誰かがチェックインまでした後で、うっかり落としたのだろう。
落とした航空券について、誰も問い合わせをしなかったのだろうか。人があふれる混乱の最中、あきらめるしかなかったのだろうか。
あぁ、そうだ。私の謎はいつもこうやってやってくる。
謎は、まるで未知の予定調和に向かって、私の背中を押してくるみたいに感じる。
いや、背中を押すどころか、そうするしかないように、不思議な強制力をもって、私にやってくる。
幸運だったのか、飛行機の座席につくまで、誰にも止められることはなかった。
なんと、おどろいたことにスルリと飛行機に乗ってしまった。
やはり、隣の席は、空席だ。
誰かに止めて欲しかっただろうか、それは私にも分からなかった。
私は、席にすわって、りんごを食べ終る。
りんごの芯をポケットにいれながら、なんでもポケットにしまうことをお母さんにいつも怒られることを思い出す。
それから、お母さんからもらったお守りを首から下げたままなことに気がついた。
このお守りの中の小さなチャック付きビニール袋には、マムシの粉と牛黄1粒が入っている。
「お母さんは、私を愛しているのかな」
私は、思わずつぶやいた。
もう世界にはどこにも居場所がない。
お母さんのことも許すことができるだろうか。
額のキズが、まだズキズキ痛む。
とにかく、今はまず遠くに行こう。
そして、ネコとの思い出に浸ろう。
私は、そう決めて、離陸する飛行機のシートに深く座って目を閉じる。