初恋
誤字脱字報告ありがとうございます。
助かっております。
「で?」
「でって?」
「王女様はその騎士と結婚してやってけるの?」
目の前には冒険者の女と強い酒。女はそれをストレートであおり、ニヤリと笑う。
答えをわかっているくせに聞くのは悪い癖だとイアンはため息をつく。
「あれだけ大々的に言ったんだから、王家としても結婚はもう変更はできないですよ。仕方なく第三王子に魔力の強い娘を娶らせて、その子供に期待するみたいですよ。王女様たちは田舎で蟄居です」
「気が長い話だね。婚姻無しで魔力くれって言われなかった?」
「お断りだ、クソッタレ」
丁寧な口調をかなぐり捨てて言い放ち、イアンは強い酒を一気に飲む。喉を焼きながら滑り落ちていく酒精にむせて、女に爆笑された。
「だろうねえ。ただでさえ、親父殿をなんとか口説き落として婚約したのにこの有様じゃあね」
そのとおりだ、とイアンは眉をひそめた。
イアンはこの国最強の魔法士と娼婦の子供だった。
魔力は普通、魔力がないものとの子供には引き継がれない。そのため魔法士の婚姻はたいてい魔力を持つ者同士を国が娶せるのだが、イアンの父は娼婦を愛して国からの縁談を蹴り、そのために国の魔法士をやめさせられていた。その後、二人は下町に流行った悪い熱病にかかってあっけなく息を引き取り、残されたイアンは父の様子を見に来てくれた父の元仕事仲間に引き取られたのだ。
目の前の女はその大恩ある義父の実の娘であった。
父親は国の魔法士なのに、家を飛び出して冒険者になった自由人である。そしてイアンの憧れの人だ。魔力の多さも娼婦の子供であることも何も関係なく、イアン自身を見てくれるのは義父と義兄とこの義姉だけだった。
「国の魔法具の維持に必要だからって王命で有無を言わさずイアンと王女を婚約させたの、親父殿は許してないから、もうお前を絶対王家には渡さないだろうね。良かったじゃん、干物にならなくて」
干物。この義姉は昔から冗談が下手だ。笑えない。
イアンはさらに酒をあおる。
王家には、建国当時より国を守護する魔法具がある。それは年一回、王家の血筋が大量の魔力を注ぐことで起動し続けるものだ。この王家の血筋というのが問題で、今、これが満足するほど魔力を注げるのは現国王一人のみ。それも十年前にはすでに殆どを魔法具に奪われて枯れ始めていた。
だから国王は焦って自分の代わりを探し始めた。
なぜなら国王の子どもたちは揃って魔力をほとんど持っていなかったからだ。
調べに調べてイアンを見つけた国王は、逃さぬよう王女と婚約をさせた。
イアンの父は国王の従弟であり、国王よりも魔力を持っていた。そして、娼婦との間にできた子は、ありえないことにさらに強い力を持っていた。おそらく娼婦であったイアンの母は貴族の血を引いていたのだろう。
実の子どもたちのなけなしの魔力を食わせて廃人にするよりも安心して消費できる他人の子供がいるのだ。当然利用するだろうし、良心も傷まないというものだ。
「あんなもん、王家でなんとかすりゃいいんだよ。だからね、イアン」
紅も塗らない唇が、それでもどんな美姫より美しい笑みを形作る。
その唇が紡ぐ言葉は、酒に侵されたイアンの理性を揺さぶる。
「あたしがお前をこの国から逃してやるよ」
本当にこの人は、とイアンは呆れてその顔を見上げた。
このままでは魔法士として国に繋ぎ止められ、言われるがまま魔力の高い娘を娶り、何かあれば家族を人質に協力を要請される、というのがイアンと義父の予想だった。それは彼女もお見通しで、だからこその申し出だとわかっている。
成功しても二度と故郷に帰れなくなる可能性が高い。そうでなくても義父と義兄にどれほどの迷惑がかかるか。
それに失敗すれば事故を装って彼女は殺され、イアンはどこかに幽閉されるだろう。
それでもこの人は迷わない。
幼馴染であり、家族であり、優しい義姉であり、頼りがいのある冒険者なのだ。
だが。
「今、俺、払える報酬がなくてさ」
イアンの資産はきっと監視されている。逃げ出さないように。なにせ相手は国王であり、国なのだ。
今価値のある自由になるもの。それをイアンは一つしか持っていなかった。
「そんなもん」
必要ない、と言いかけた唇に人差し指を当てる。
自分は今どんな顔をしているだろう、とイアンは思った。
媚びを売る魅了の笑みはこの人相手にはできないし通用もしない。
甘えとか恋慕とか自信の無さから来る恐怖とかそういうものをグシャグシャに混ぜて酒に放り込むときっと今の表情になる。
でもそれが素のイアン・フリーデンバーグだ。
「だから俺で手を打ってくれないか」
イアンは幼馴染であり、家族であり、優しい義姉だった人にそう言った。
「ジュディス。損はさせないから。俺と結婚して」
幼い頃は一笑に付された。
十歳で王女と婚約させられ、その言葉は封印するしかなかった。
義姉に対する礼儀と言いながら、嫌がる彼女に丁寧な言葉を使い、一線を引かねば殺せなかった。
いや、結局殺せなくて、重しが無くなった今、馬鹿みたいにだだ漏れである。
向かい合って座っていたのをよいしょっと隣に座り直しずいっと顔を寄せると、女傑とさえ呼ばれた女が珍しくわずかにのけぞった。自分が動揺させたのが楽しくて、体も遠慮なく寄せていく。
久しぶりにあった彼女は冒険者特有の動きやすい服装で、ドレスの貴婦人より体の線がよくわかる。体を寄せれば、鍛えられた筋肉とそれでも柔らかい質感が感じられる。腰に手を回せば、意外と綺麗にくびれている。
(酔ってんなー、俺。でなければ言い出せなかったけど)
「イアン、あたしはお前より五つも年上で」
「知ってる」
「冒険者を辞めるつもりもないし」
「知ってる」
「剣は振るえるけど料理できないし」
「知ってる」
動揺している彼女が可愛くて自分がだらしなく笑っていることをイアンは自覚していた。その笑みが相手を籠絡したいときに意識して浮かべるものよりもさらに眩しく色気に溢れていることは自覚していなかったが。
「イアン?」
「俺、お買い得だと思うよ」
「あのな、イアン」
「結婚するのが嫌なら連れ歩いてくれるだけでいいからさ」
「いや、それもどうなんだ?」
「うん、それもいいかも。俺、物覚えはいいから冒険者家業も家事もうまくやれると思うし。便利だろ?お買い得」
「兄さんと親父殿になんて言われるか」
「俺が拝み倒す」
「ああああ、もう。わかった!わかったから!」
じりじりと寄せていたイアンの体はすでに彼女の体にぴたりと触れている。
五歳の年の差のせいで幼い時にはずっと自分より大きかった体は、今ではこの腕を伸ばせばたやすく抱きすくめてしまえる。
酒のせいにして腕を伸ばし、優しくだが少し強引に抱きしめる。というよりも、すがりつきその肩に額を擦り寄せて甘える。振りほどけないだろうという計算くらいは酔っていてもできている。
ふっとため息と苦笑を混ぜたような息の音が耳をかすめた。
「結局、落とされちゃったな」
「初志貫徹」
「後悔するなよ?」
「しないよ。何年片想いしてると思ってんだ」
「まったく、よりによってこんないきおくれを欲しがらなくてもいいのに」
「・・・む」
イアンはジュディスの右手を手に取ると、手のひらに唇を当て、上目遣いに彼女を見た。
「俺のジュディスをバカにするのはだめだ」
「お前はずっとそれなんだから」
口づけた手のひらが離れ、ふわりとイアンの頬に触れた。そのまま頭を引き寄せ、彼女の唇がイアンのこめかみに触れる。
「じゃ、親父殿に言わないと」
「殴られるかな、俺」
「いや、普段の溺愛ぶりからしたら、あたしの方が殴られる」
「それは阻止するけど」
「嬉々としてついてくるっていうかもしれない」
「・・・それは別行動にしてもらう」
顔を見合わせて、笑う。
イアンはジュディスの手を握った。
最初に会った時は知らない環境に怯えるイアンの手をジュディスがこうして握って引いてくれた。今は、自分が引くとまでは行かないが、一緒に隣を歩くくらいにはなっただろうか。
人生いろいろあるけど、きっと大丈夫。
両親が死んだ頃の自分にそう言って、イアンは扉を開けた。
ー了ー
「俺も一緒に行ってもいいじゃないか」
「その、義父上、危険もあるので義父上は警備を万全に」
「お前を隣国に逃す時点で、俺も国に追われるんだから一緒だろう」
「父上には簡単に手出しできないよ。第一、ケイン兄さんは残るんだし、宰相の爺さんも騎士団長も時間稼いでくれるだろうし。でも、イアンがいるとあの人らもやりづらいはずだ」
「ムキムキの男ばかりに囲まれて旅行なんざ楽しくない!」
「すみません、義父上」
「イアンは謝らなくていいって!ああ、もう、あたしとイアンは新婚旅行を兼ねてるんだから邪魔すんなっつってんの!」
「ジュディス?イアン、本当か?!」
「は、はい、すみま」
「そういうことは早く言え!じゃあ、隣国で落ち合うぞ。式は向こうでいいな?書類に関しては俺に任せておけ!ケイン、ケインは帰っているか?ジュディスとイアンが結婚するぞ!」
「・・・大丈夫かな、義父上。これはこれで心配なんだけど」
「諦めな、イアン。親父殿はずっと本当はあたしとお前を結婚させたがってたんだよ。浮かれてもう何も聞こえてない」
「初耳だけど?!」
「二人とも一ヶ月後には隣国の王都に到着するようにな!俺は根回ししてくる!お父様に任せておけ!では向こうで会おう!」
「あああ、行っちゃった」
育てられた恩とか、国民の義務とかの為に王女の婚約者として頑張ってた男が、王女が親友と浮気した末に婚約破棄までされたから、我慢していたけどもういいやって本命にぶち当たりに行く話でした。