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晩夏

作者: 金之助

 夏の青い空には古綿のような白い雲が悠然と浮んでいる。太陽は無慈悲にも赫奕(かくえき)たる日を窓に射す。四畳半の安下宿には生ぬるい風が吹き込んで来る。ただ私の心は寒々としていた。漠然たる未来への不安や自分の運命に対する諦め、十年一日の如く変化のない実生活に覚える焦燥の念などが終始私の心を圧していた。以前は私を慰めた文学や音楽も、今の私の沈鬱な心に対して何の効果もなかった。四畳半には居た堪らず、私は街を逍遥し始めた。

 その頃私は散歩に出掛けることを好んでいた。陰気な部屋を飛び出して、外の風にあたっていると、重苦しい気分が少し軽くなったような心持がする。

 私は家を出て天然の風光を望める場所を捜した。西に下りてゆく太陽が、雲を黄金色に縁どり、空を暮色に染めている。空というものはいつ見ても美しい。如何に心持の好くない時でも、自然の美しさは私を慰めてくれる。

 金華山の麓の公園ががやがやしている。登山をする人が多いのだろうか。しかし、風光明媚の景も人間をその中に映してしまっては、途端に俗っぽく見えてしまう。

 生活が蝕まれていなかった以前から私の好きであった所の一つに、長良川がある。あの潺湲(せんかん)たる清流の響きを聞き、日を受けて照りかがやく川の面を虚心平気に眺めると、健康な空気を胸一杯に吸い込むことが出来る。

 その日はあたりが物騒がしい。猫背を伸ばして川沿いの遊歩道を見渡すと、人通りは存外に(はげ)しい。私はその往来に浴衣を着た人の多いのに驚いた。今日は祭りでもあるのかも知れない。……

 その内段々暗くなり、街燈に火が点いた。日が落ちてから好い心持に涼しくなった。

 私が足に任せてぶらぶら歩く方角の空に、花火が揚がった。それが美濃加茂の方から打ち上っているので、花火と金華山とその頂に厳然と聳える岐阜城と、金華山の麓を流れる長良川と、それら凡てを一眸の中に収めることが出来た。

 花火が一つ揚がる度に、おお、とか、わあ、とかいう歓声が見物人たちの間に起こる。土手の上には人がたくさん並んでいる。友人か恋人か家族か、そこにいる人はその殆んどが連れを伴っていた。一見連れのない人も、その顔は誰かを待ち受けていた。

 私は浴衣を着た人の群をつくづくと眺めた。見ると、浴衣にも様々な生地や色々の染模様があった。白地や藍地や薄紫地などに花菖蒲、睡蓮、紫陽花、朝顔、桔梗、芙蓉、――染め出した花々が淡く咲いていた。

 浴衣とは中々いいものだと思った。人間は自然の美観を破壊するものだとばかり思っていたが、浴衣に着換えた人がいくら寄り集っても、不思議と不快を感ずる事はなかった。それどころか、浴衣を着た人は他愛ない風景に風致を添えしむると思えた。

 花火の音が山に反響して、遠雷の如く響く。花火の光を照り返した千紫万紅の花々が、薄ぼんやりとした明りを四辺(あたり)に漂わせていた。それがいかにも床しく私の目に映じた。

 どこか近くで鳴く蟋蟀の声が聞こえる。私は百花爛漫たる夏の晩涼を後に、静かに帰路についた。

 私はこの清宵に、慢性の倦怠と眠気と、そうしてまた無価値な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来た。

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