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調合士のいる街 6

 噴水の音がずっと続いている。

「何よ、藪から棒に」

 いつになく真剣な眼差しを向けられて、アズミは戸惑っていた。

「あたし今日会ったの。奴隷商。路地裏でさ。頬に傷のある男だった。知ってるでしょ?」

「知らないよ。私が知ってるわけないじゃない」

「うそ。だってあいつ、魔術を調合した煙幕筒使ってきたんだよ。この街に調合ができる人物は一人だけ。アズミしかいなじゃない」

「確かに言うとおりだけどさ、私だって買いに来る人ひとりひとりの身辺調査をしているわけじゃないのよ。煙幕筒ならふらりと店にやってきた人が買ったのかもしれないし、そもそも私が作ったものじゃないかもしれない」

「どういうことよ」

「エルザ、よく考えてみて。ここは商業都市リオーネよ。誰もが一度は商売をする街なの。どこか違う街で買ってきた煙幕筒を、要らなくなったからって理由で売りに出さないとは限らないでしょう」

「ああ、確かに。……そうか。そうだよね。分からないよね」

 空気の抜けた風船のような張り合いのなさで、エルザが呟いた。消え去った表情に、アズミは不安を覚える。

「その奴隷商に何か言われたの?」

 問い掛けに、エルザの肩がぴくりと反応する。ゆっくりとアズミに向けて顔を動かした。

「滅茶苦茶腹立つこと言われた」

「エルザ。無表情で言わないで。私が悪いことしたみたいに思えるから」

 両手を目の前に持ってきて、拒否するように顔を背ける。

「ごめん」

 呟くと、エルザは再び地面を向いてしまった。余程突き刺さる一言だったのだろう。放心してしまったような有様に、アズミの怒りも煮えたぎり始める。天真爛漫な酒豪であるエルザを、ここまで打ちのめした傷のある男が憎くなった。

「その、なんだ。私がしてあげられることは皆無に等しいけどさ、何も手段がないってわ――」

「うがー!」

 叫んで、急にエルザが立ち上がった。慰めにも似た声をかけていたアズミは呆気に取られて声を失ってしまう。

「絶対許さん。許さんったら許さん。何が喜んでるだ。何が必要悪だ。ふざけんな。自己の正当化ばっかり達者に言いのけやがって。絶対ぶん殴る」

「ちょ、ちょっとエルザ落ち着いて。夜だから。もうみんな寝始めているような時間帯だから」

「アズミは悔しくない? 奴隷売りに、お前の身勝手な正義は社会的に見て迷惑だって言われたんだよ? 犯罪者の癖に。舐めやがって」

「分かったから。分かるよ。私も腹立たしくなる。だからさ、落ち着いて。取り敢えず座ろう」

 高揚したエルザを座り込ませて、アズミは嘆息をひとつこぼす。突沸のように怒りが頂点に達したエルザは、苛立たしげに地面を蹴りながら爪を噛んでいた。

「くっそー。場所さえ分かればなあ。そうすれば再起不能になるまで叩き潰してやるのに」

「あんまり暴力的なのもどうかと思うよ」

「いいの。腐れ外道にかける情けはないんだから」

 横顔を眺めながら、昔よりもずっと男の子らしくなっちゃったねと思い、アズミは思わず小さく噴き出してしまった。

「なに。なんかあたしおかしいこと言ってる?」

「ううん。そんなことないよ。ちょっと思い出し笑い」

「よく分かんない。変なの」

「お互い様よ」

「そうかな」

「そうよ」

「そうか」

 にかっと力強く微笑んだ。

「うーん。それにしてもどうしようかな。こうも手詰まりじゃあ本当に何もできない」

「ねえ、ちょっといいかしら。耳寄りの情報があるんだけど」

 腕を組んで悩みだしたエルザに向かって、アズミがわざとらしく切り出した。

「何さ」

「あんた、リオーネの図書館調べてたんでしょ? なんにも手がかりは見つからなかったわけだけど」

「それが? 今は外道をどうするか悩んでるんだけど」

「まあまあ、焦らないで。弟子のキールがね、実は図書館近くの学生寮に宿を取っているの。勉強するなら図書館の近くが一番だからね。学生じゃないけど私が無理やり話を通したんだ」

「ほう。なかなかの力をお持ちのようで」

「まあね。これでもちょっとは有名なのよ? かつては神童とも呼ばれたりして――」

「その話ならもう十分すぎるくらいに知ってるよ。つまらない自慢話はいいから。それよりも先に進めてよ。図書館近くに弟子がいることが私のやりたいこととどう繋がるのさ」

「自慢話て。酷いわね。ちょっと傷ついたわ。まあでもいいでしょう。本筋には関係ないし」

「当たり前だよ」

 鋭い突込みを無視してアズミは話を先に進める。

「私はね、キールに毎日のように課題を出しているの。それこそ、図書館で調べ物をしないとできないような難しいのをね。で、そうなると必然的にキールは図書館に入り浸りになる。段々と司書の人にも顔を覚えられてね。今では普段は閉じられているはずの夜でも、話を通せば入れさせてくれるようになってるんだって。さて、ここからが重要になるわけだけど」

 一呼吸入れてアズミの口は再び動き始める。

「キールが司書さんに聞いた話なんだけどね、何でも、図書館には地下に向かう秘密の階段があるんだってさ。それも、司書室の一番奥。普通に利用してるだけじゃあ絶対に見つからない場所なんだって。じゃあ、見せてくださいって、キールは言ったらしいんだけど、規則だからって見せてくれない。がっくりと肩を落としたキールに、しかし司書さんが言ってくれました。『実はね、地下には遠く離れた人がいる場所を映し出す機械があるんですよ』ってね」

 瞬間、沈黙が二人の間を通り過ぎた。シルバがくわぁあと大きな欠伸をする。硬直していたエルザがかくんと首を横に傾げた。

「つまりは、どういうこと?」

 反応にアズミは思わずつんのめりそうになった。ずれた眼鏡をかけなおして、簡潔に説明しなおす。

「だからね、図書館の地下に潜れば、もしかしたら傷のある男の場所が分かるかもしれないって言ってるの」

 聞いて、にわかに瞳孔が広がったエルザが勢いよく立ち上がった。眠そうなシルバの頭をぺしぺし叩くと、急いで出発の準備をし始める。慌てたのはアズミだった。

「ちょっと、あんたもしかして今から図書館に乗り込むつもりなんじゃないでしょうね」

「そのつもりだけど? 善は急げ。思い立ったが吉日ってね。行くよ、シルバ」

「待った待―った。待ちなさい。ことを荒げてどうするつもりよ。もっと落ち着いて。冷静になりなさいって。何のためにキールのことを持ち出したと思ってるの」

 シルバの背中に乗って、今すぐにでも駆け出せそうな体勢に入っていたエルザが、不思議そうな目を向ける。

「なんか考えがあるの?」

「もちろん。少なくとも正面から突破するよりはずっと楽な方法があるのよ」

「なにさ。気になる」

「ふふ。調合士を舐めないでちょうだい」

 不敵に笑ったアズミの表情が、いやに凄味を帯びていた。


 背後の窓に何かがぶつかった音を聞いて、揺らめく蝋燭の火に照らされた机からキールは頭を上げた。

 振り返っても、窓には何も変化もない。首を傾げながらも再び机に顔を戻した。橙色に染まったテキストをめくり、参考資料に目を通してはペンを動かしてメモを取っていく。再び窓で音がした。一回目と比べると随分大きな音だった。不思議に思ったキールは立ち上がり、窓を開くと首を出して辺りの様子に眼を配った。

「おーい。キール。ちゃんと課題してる?」

「し、師匠!」

 路上からアズミが手を振ってきていた。隣にはエルザとシルバの姿もある。急なことに、二階の一室でずっと教書と格闘していたキールはなにがなんだかよく分からなくなった。他の寮生にばれないように声を絞りながらアズミに向かって話しかける。

「どうしたんですか急に。基本的に学生寮は夜間の出入りが禁止されてるんですよ?」

「知ってるわよ、そんなこと。でも今は手伝ってほしいことがあるの」

「なんですか」

「降りてきて。このままじゃあ話しづらくてかなわないわ」

 頷き、巡回する寮母に見つからないようにキールは屋内を移動していく。玄関の近くにある、やけに規則に厳しい寮長の部屋を避けるようにして食堂へと向かうと、鍵のかかっていない窓からこっそり忍び出た。

 寮の正面で待っていたアズミたちの下に駆け寄る。

「あの、ぼく、まだ課題が終わってないんですけど。もう遅いですし、明日の仕事を考えたら無駄なことをやっている暇はないって言うか……。いえ、エルザさんのお話が聞けるなら万々歳ですけど、そのやっぱり時間が時間だけに――」

「今から言うことを手伝ってくれたら、今日の分の課題はなしにしてあげてもいいわ」

「……え?」

 聞こえてきた言葉の意味が分からなくて、キールは思わず聞き返してしまった。

「だから、手伝ってくれたら、もう寝ていいって言ってるの」

「え、それは本当に本当ですか? その、ドッキリとかじゃなくて、本当に課題はなしってことで」

「いいわよ」

 にわかに色めきたったキールに向かって、アズミは大きく頷いた。

「やりますやります。何でもやります。いえ、やらせてください」

「どこまで課題がやりたくないのよ、あんた」

 アズミの白けた目を受けつつも、俄然やる気になったキールに対して、エルザが一歩踏み出す。

「図書館に入れるよう、司書の人に話を通してもらいたいの。できれば、ここにいる全員一緒に入れるような形で」

「それって、今からですよね?」

 訊き帰して来たキールに、エルザは頷く。

「うーん。もうちょっと早い時間だったらよかったんですけど……。ここまで遅くに利用したことはぼくもないですし、加えてみんなで入れるようにするとなると……」

「やっぱり難しいかな?」

「そうですね。司書の人もたぶん寝てるでしょうし」

「無理なの?」

 苛立ちながら口にしたアズミに、自信を持って振り返った。

「いえ、やります。やってみせますよ、師匠。任せておいてください」

 胸を叩くと、意気揚々と図書館裏に向かって歩き始めた。

 後姿を見送ってからエルザはアズミの横顔を眺める。

「一体全体どれだけ苦しい課題を課してるわけ?」

「私が仕込まれた量の七割くらい」

「……ローザ婆さん直伝のスパルタ教育の七割か。そりゃあ地獄だわ、どう考えても」

 呟いて、エルザは角を折れ姿の見えなくなったキールの毎日に同情した。


「何とか大丈夫なことになりました。勉強熱心で感心しますねって言われたのが少し胸に痛いですけど……」

「あながち間違いじゃないんだから素直に喜んだらいいのに」

「そうそう割り切れるもんじゃないですよ」

 戻ってきたキールから報告を受けたアズミとエルザ、そしてシルバは、先を歩くキールに連れられて図書館裏の管理者専用入り口の前までやってきていた。

「もうちょっとで来てくれると思います。しかし、いくら笑って貰ったとはいえ、やっぱり寝ていた人を起こすのは心苦しいものですね」

「そうねえ。今度店の割引券でも渡してあげようかしら」

「そんな便利なものがあったんですか?」

「ないわよ。もちろんキールの手作りに決まってるじゃない」

「ひどい」

 やり取りを苦笑しながら聞いていたエルザの隣で、じっと控えていたシルバの耳が素早く反応する。

「いやあ、遅れてすみません。なにぶん、今さっきまで寝ていたもので」

 後頭部を掻きながら、蝋燭を片手に、人のよさそうなおじさんが駆け寄ってきていた。

「夜更けにも関わらず無理聞き入れてもらって痛み入ります」

 アズミが深々と頭を下げた。遅れて、エルザもキールも頭を下げる。

「止してくださいよ。かの有名な調合士とそのお弟子さんが使いたいって言ってるんですもん。断る理由なんてありませんよ。と、こちらの方は……あまり見受けられない人のようですが。リオーネにお住まいの方ではありませんよね?」

「親友です。彼女も調べ物があって。心配されている人物ではありませんよ。ガルナックの一派とは無関係です。似ても似つかないおしとやかな娘ですよ」

「ああ、そうなんですか。よかった。いやあ、有名じゃないですか、トレジャーの白い獣を連れた破壊王って。この図書館も一応はダルファの遺産ですからね。壊されたら堪ったもんじゃないんですよ。当直だった部下からも昼頃に変な娘がいたって報告もありましてね。あ、いやはや。お気を悪くなさらないでください。きっとあなたとは別人の誰かだったんでしょうから。ああ、いつまでも立ち話しているわけにも行きませんね。ちょっと待っててください。……ささ、どうぞ。お入りくださいな」

 言って、扉の鍵を開けたおじさんは図書館の中へと招いてくれた。アズミを先頭に、エルザ、シルバ、キールの順で図書館の内部に侵入する。

「あのオヤジ……」

「怒らない怒らない。我慢しなさい」

 小声で会話しながら奥へと進んでいった。


 正面玄関近くにある司書室に入って、おじさんが壁に刻まれた魔術印に手をかざす。暗かった図書館内部で、『決して物を燃やさない炎』が一斉に明りを灯した。

「これでいいですかね。わたしはここで待っていますから。お目当ての本が見つかったら、またお越しください」

 にこやかに口にしたおじさんに再度礼をして、エルザたちは司書室をあとにする。

 読みたい本などないのに、立ち並ぶ本棚に向かって歩き始めていた。炎が揺らめく館内は、外よりも濃密で深い深淵が流れているような静寂に満たされている。靴音を鳴らしながら、おじさんの目が届かない場所まで進むと円を作って作戦会議を始めることにした。

「どうするのさ。入ったはいいけど、目的は図書館の地下なんだよ。あたしは昼間この辺りを調べつくした。なんにもなかったよ」

「だから、来る前にも説明したでしょ。地下への入り口は司書室の一番奥にあるのよ」

「ちょ、ちょっと待ってください。一体何の話をしているんですか?」

 口を挟んだキールをアズミが鋭く睨みつけた。

「あんたは黙ってて」

「……すみません」

 脅え俯いた頭を、シルバがそっと鼻で突いていた。

「いい? 私たちが目指すのは司書室の奥。行くためにはあのおじさんの目をかいくぐらないといけない。夜間特別に図書館に入らせてもらえるキールにしても、規則で教えてあげなかったくらいなんだからね。私たちは絶対に見つかったらだめ。もし見つかってしまったら、強硬手段に出ないといけなくなる。そうなれば街での私たちの地位が危うくなる」

「面倒だね」

「まったくよ。誰のせいだと思ってるの」

「ごめん」

 謝ったエルザは、しかし後悔など捨ててきたような強い決意に支えられた表情でアズミを見返していた。

「まあ、いいんだけどさ。そんなことよりも、問題はどうやってあの司書のおじさんを移動させるかなのよ。一応幻惑剤は持ってきたけど、誰かひとりは残っておじさんの対処をしなくちゃならない。エルザとシルバは地下に向かうとして、順当に考えれば、適役は親しい間柄のキールになるわよね」

「ええ。ぼくですか?」

 突然抜擢されて、キールが慌てふためく。

「無理です。ただでさえ罪悪感でいっぱいなのに、これ以上おじさんを騙すなんて」

「キール。一度騙してしまえばね、二度騙すのも三度騙すのも同じことなのよ」

「今アズミがとても恐ろしいことを言ったような気がする」

「とにかく、あんたが頑張りなさい。この薬の効能はもう熟知しているでしょう? 効果はそんなに長くは続かない。けど、うまく使えばいなくなった私とエルザ、シルバの幻影を見せることぐらいはできるはずよ」

「で、でも――」

「キール」

 遮って、アズミがキールの肩を掴んだ。

「信じているから。私の弟子なんでしょ? 自信持ちなさい」

 まっすぐ見つめられて、反論できずに頷いた。

「よし。じゃあ、早速やりましょう。キール、頑張って」

 泣き出しそうな顔になりながらも、ぐっと口を硬く閉ざしたまま立ち上がり、ひとり司書室へと向かったキールを尻目に、残ったエルザたちは素早く進入できるように本棚の間を移動し始めていた。


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