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調合士のいる街 4

 図書館から外に出た途端に、エルザとシルバは鋭い陽射しに焼かれてしまった。路上に行き交う人々の、腰ほどの高さまで陽炎が立ち昇っているのが見て取れる。体が地面に近いシルバは、すぐにぐったりし始めてしまっていた。

「ごめん。もうちょっと図書館に隠れていればよかったね」

 相棒の様子を見て後悔しながらも、エルザは一路アズミの調合店に向かって歩き始めていた。図書館の秘密について、アズミから現地の人間ならではの情報を聞き出したいと思っていた。

「話して、くれるかなあ」

 少しうんざりした表情でエルザが空を仰いだ。図書館の中で話しかけてみた結果が重く圧し掛かってきていた。

 シルバの元に戻った後も、どうにも地下室の噂が気になって仕方がなかったエルザは、少し休憩してから、今度は調べ物をしていた利用者や、本を管理する司書などに片っ端から聞き込みを開始していた。普段から図書館に親しんでいる人たちからなら、なしかしらの有力な手がかりが入手できると思っていた。

 けれども、返ってくる反応はどれもこれも芳しくない。分からないと知らないの波状攻撃には、膨れ上がっていたはずの熱意も徐々に切り崩されてしまっていた。

 結局、噂は噂に過ぎなかったということなんだろうか。そんな諦めを含んだ徒労感を抱きながら訊ねたとある女性利用者の一言が、エルザの胸に深い傷を刻みつけることになる。

「あなたね、自分のしていることが分かってるの? 遺跡荒らしだなんて。最低の蛮行よ」

 声をかけるや言い放たれ、そのまま踵を返して離れていった女性の後姿をエルザは呆然と見送りことしかできなかった。両膝から力が抜けていくような感覚を覚える。やっぱり一般の人には、とりわけ現在でも遺跡を代用しているリオーネの図書館利用者にとっては、理解されにくい仕事なんだろうなと思って寂しくなった。

 ――ここにいる人たちは、みんな協力者じゃないのかもしれない。

 考え、へこたれそうになる心を何とか叱咤して、その後もどうにか聞き込みを続けた。けれど、向けられた態度には散々なものがあった。無視を決め込まれ、忌々しそうにガンを飛ばされて、ある人には歴史的建造物をなんだと思っているのだというような内容の説教を受けてしまった。

 司書からも、突き刺さるような視線を向けられるようになってしまったエルザは、これ以上得られる情報はないだろうと判断すると、シルバを連れて図書館を後にした。本音を言えば、もうこれ以上図書館の中にいたくなかったのだ。

 その結果が炎天下の帰路である。シルバには対しては本当に申し訳なく思っていた。自分勝手な理由のせいでこんな暑い中を歩かなければならなくなってしまったのだ。どこかで冷たいものでも買ってあげないといけないなと反省しきっていた。

 唯一、アズミからなら何とか話を聞き出せるのではないかと思っていた。確かにリオーネの街の住人であることには違いなかったが、それでも気の知れた仲ではある。トレジャーの仕事に就いていることも知っているから、少しは理解してくれるだろうと気構えていた。

 路地を抜けて、暑熱にも関わらずまったく活気の衰えない市場を進んで行く。一際熱気に蒸しかえっていた人ごみに辟易しながらも、エルザとシルバはようやく薄暗い裏通りに戻ってこられた。日陰が心地いい。途中で買ったドリンクを交互に飲み続けていた。

「もうちょっとで無くなるな……」

 口にしてから傍らのシルバを見る。長く垂れ下がった舌が、心底辛そうに見えた。

「はい。残りは全部あげるよ。だから、もうちょっと頑張ろう?」

 励ましながら、ドリンクの入った容器をシルバの口元で傾けてやった。力なく嚥下し終えた姿を痛ましく眺めながらも、あと一踏ん張りと心の中で自分にも喝を入れる。前を向いた折に、ふと側面に伸びていた小道の向こう側が目に入った。

 暗い通路の先で、怪しげな男たちが妙な店を構えていた。暗幕が垂れ下がった出店は、外観が大きな真四角。馬に繋がれた出で立ちは、見ようによっては移動式の牢獄にも見えた。立って話している男たちの下卑た笑い声が微かに聞こえてくる。言葉は端々に酷く嫌な響きを孕んでいた。

 エルザの足は自然と小道へと向かい始める。様子に気が付いて、疲れきっていたシルバも不思議そうに後を追い始めた。エルザは何も口にしない。男たちの店に向かってひたすら直進していく。その背中が少し怒気を放っていることを悟って、シルバは眼差しに鋭さを取り戻した。

「へへっ。ぼろいもんだよなあ。たった一回の売り上げで十万ルークだ。通りで汗水垂らして声張り上げてる輩が馬鹿みたいに思えてくるぜ」

「ほんと、頭はいい商売を思いつくよなあ。物事には必ず抜け目があるってことをちゃんと分かってるんだよ」

「違えねえや」

 言って、豪快に笑い声を上げていたのは、筋肉質な丸坊主と眼鏡をかけた狐顔の優男だった。歪んだ口角と享楽的な日々を追い求める眼光が、一見しただけで堅気ではないということ示している。

「ちょっといい?」

 エルザは躊躇することなく声をかけた。

「ああ? なんだよ」

 不機嫌に丸坊主が振り返った。

「いやあ、人目に付かない路地裏で店を出すなんて珍しいなって思って。確かにここならちょっとした広場になってるもんね。涼しいし、いい場所だよ」

「どこで店出そうがおめえには関係ないだろうが。こちらと、忙しいんだ。さっさと失せな」

 声に、シルバが小さな唸り声を上げ始める。エルザは男たちと向き合ったまま手を向けただけで宥め落ち着かせた、

「そう邪険にしないでよ。さっきまで楽しそうに話してたじゃない。あたしはちょっと立ち寄っただけなんだからさ。――でも、なんだか売り物が気になってきちゃったな。ね、こんな場所だとあんまり人も来ないでしょう? ちゃんと商売になってるの?」

「べつにあんたには関係ないだろう。俺たちは俺たちでやりたいようにやってるんだ。放っておいてくれ」

 苛立ち始めていた丸坊主に代わって、ずっと黙っていた狐眼鏡がうんざりしながらぼやいた。全身で邪魔だからさっさと消えろという声なき声を伝えてきながら、胸の前で腕を組んでいる。まったく動じないエルザは、並んだ二人をじっくりと観察してから視線を暗幕の覆われた真四角に移した。

「ねえ、さっきから呻き声みたいのが聞こえるんだけど。中身はなんなの?」

「しつけえな。いい加減にしろよ、ガキが」

 凄味を利かせて口にした丸坊主に直ると、エルザは真顔で質問を繰り返す。

「どうして教えられないの。おかしいじゃない。やましいことがないなら商品を見せるくらい簡単なことでしょう? それとも、人には言えばいような商売をしているの?」

 瞬間変わった二人の目の色を、エルザは見逃さない。素早く真四角に近づくと暗幕の端を掴んで取り払い始めた。

「おい、コラてめえ! 勝手なことすんな」

「お前みてえのが見るようなもんじゃねえんだよ」

 怒声と共に慌てて駆け寄ってきた二人をするりとかわす。バランスを崩した二人に声をかけた。

「なによ。そんなにも見られたら困るものなんだ。ねえ、一体何を売ってるのさ。いい加減吐いたらどうなの?」

「いいから離せ。触るな!」

 拳を振り上げた丸坊主に、シルバが飛び掛った。驚き飛び上がった丸坊主は、そのまま尻餅をついてて悲鳴を上げる。

「お、おい。お前幻獣使いなのかよ」

「そうだよ。シルバ、殺すのはだめよ」

「じょ、冗談はよしてくれよ。たかが商売じゃねえか」

「小娘が。いきがってんじゃねえぞ」

 急に敵意を失った丸坊主に変わって、悪態をついた狐眼鏡が懐からナイフを取り出す。丸坊主とシルバの間に入ると、及び腰になりながらも何とか牽制を試み始めた。

 けれど、当然のことながら立塞がるシルバには何の変化も与えられない。むしろ向けられる圧力が増しただけだった。毛を逆立てて牙を剥き出しにし、低く獰猛な唸り声を上げながら、シルバはじりじりと間合いを詰めていく。

 尻餅をついたままの丸坊主は、ばたばたと後退しながら恐怖に顔を引き攣らせていた。

「バカな真似はよせよ。お前の言うことなら聞くんだろう。止めてくれ」

「じゃあここで何を売ってるのか言いなさいよ。言わないなら、シルバは止めない。絶対に止めない」

「何なんだよお前。べつに誰がどこで何を売っていようがお前には関係ねえじゃねえかよ」

「言いなさい」

「な、なあ。何をそんなに怒ってんだよ。おかしいぞ、お前。頭おかしいんじゃねえか」

「……シルバ」

「ひ、ひぃ!」

「その辺にしといてくれねえかな、嬢ちゃん」

 背後から声をかけられた。冷酷な眼差しをしていたエルザが振り返る。真四角に繋がれた馬の近くに、頬に大きな傷がある男が立っていた。

「頭ァ!」

「おいおい。こりゃあなんの冗談だ? こんなガキと獣一匹に脅えちまってよ」

「あんたが、ここの店主?」

 訊ねたエルザに、男は肩を竦めながら返事をする。

「だとしたら? 何かお買い上げの商品でもございましょうか」

「答えて。何を売ってるの。答えなかったら、シルバの牙がこいつらを貫く」

「野蛮だねえ。怖い怖い。答えて、なんて言ってるけどよ、嬢ちゃんだって大体察しがついてるんだろう? それで当たりだよ」

 飄々とした言葉に、氷のようだったエルザの表情が怒りに染まりだす。呻くように声が漏れた。

「じゃあ、やっぱりその暗幕の中には……」

「ああ、奴隷が三人。あれ、二人だったっけか? 鎖に繋がれて、絶賛買い取り手を募集中」

「あんた、自分が何やってるか分かってんの?」

 叫んだエルザを、しかし男は非常に冷めた表情で見つめ返す。煙草を咥えて火をつけると、たっぷりと吸い込んで一服してから、にやりといやらしく微笑んだ。

「分かってるぜ? 重々承知さ。けどよ、だから何だっていうんだよ」

 言葉に、エルザが切れた。一瞬で間合いを詰めると、男の顔面めがけて右拳を振り上げる。込み上げてきた激情に任せた一撃は、あまりにも直線的で大ぶりだったために、いとも簡単にかわされてしまった。

「おお、怖い怖い。危ないねえ、正義感の強い人ってのはさ」

 逃げながら間合いを広げた男が口にする。睨みつけると、エルザが吠えた。

「人の命をなんだと思ってるのよ! 尊厳を、その人格を!」

「大切なもんじゃないのかねえ。少なくとも俺は踏みにじられたくはない」

「だったら――」

「でも、だからと言って守ってやろうとも思わない」

 エルザには男の言う言葉の意味が分からなかった。煙草を咥えたまま胸いっぱいに紫煙を呑み込んだ男は、ふぅっと勢いよく吐き出すと哀れむような目で見つめ返してきた。

「嬢ちゃん、世の中にはよ、たとえそれが法律によって禁じられていた行為であったとしても、また人道的に見て間違っている行為であったとしても、どうしても避けて通れねえ現実ってもんがあんだよ。必要とされる仕事がある。求められている行為がある。まあ、必要悪を騙ろうなんて気はねえけどな。やってることは間違いなく悪事なんだ。そりゃあ否定しねえよ」

 男はエルザを中心とした円を回るように周囲を歩きながら言葉を続ける。

「でもなあ、目先の現実だけを見て正義を振りかざすのはどうかと思うんだよ。知ってるか? 最近、暑さのせいで作物がうまく育たねえんだ。水も枯れてきてる。小さな農村には飢餓に苦しむ農民が溢れ始めているんだ。このままじゃあみんな死んじまう。そんな時、哀れな農民どもが思いついた最も手っ取り早い方法がなんだったか、嬢ちゃんには分かるか?」

「……なんだって言うのよ」

「口減らしさ。老人を追いやったり、子どもを売り飛ばしたんだな。賢いよなあ。金にもなるし、まさに一石二鳥って訳だ。なあ、分かるか? 嬢ちゃん、おめえは目先の現実しか見ないで自分勝手な正義を振りかざしてんだよ。誰が助けてほしいって言ったんだ? 誰が救ってくれって望んだんだ? 我が子を返してくださいとでも泣きつかれたか? どこで? 独りよがりな慈善活動に身を呈すのもいいけどよ、もうちっと視野を広く持ったらどうなんだい。回っている歯車を壊すような善意は、大きな真実から目を背けた暴力だとは思わねえのか?」

 投げかけられる言葉が敵意をあらわに噛み付いてくる。殴られるときよりも強烈な衝撃が視界を揺らしている。エルザは自分の足場がぐらつき始めているのに気が付いていた。

 行っている独りよがりな正義。怒りが暴力に変わって、悪党を退治するつもりでいた。でも、俯瞰してみたらどうだ。エルザのほうが疎まれる存在なのではないのか。エルザこそが邪魔者。エルザこそが妨害者。回る社会的構造からはみ出しているのは、エルザ自身なのではないか。

「……るさい。うるさい! あたしは、あたしは奴隷になってしまった人たちのことを、辛くて苦しい人生を知ってるから、だからどうにかしてあげようと思って――」

「だから、そこからして間違ってるって言ってるんだろうが」

 腰を抜かしてしまっていた手下に近づいて、男は声をかける。眼前のシルバにはなんの恐れも抱いていないようだった。二人を立ち上がらせると、機を見て素早く移動するように指示を出す。終えると再びエルザに向かって話しかけ始めた。

「まあ確かに奴隷たちは悲惨さ。苦しい生活を強いられるし、変態貴族に買い取られて大変な目に合ってるなんてこともざらだしな。でもな、考えてみろよ。奴隷という存在は、売り手にとっても買い手にとっても、どちらからも望まれている商品なんだぜ? それを流通させることの何が悪いって言うんだ。確かに奴隷の立場からしたら堪ったもんじゃねえけどよ、社会が望んでるんだぜ?」

「でも、でもそれでも奴隷たちは――」

「もしかしたら家族のためになれて喜んでるかも知れねえじゃねえか。農村の貧しい暮らしから、曲がりなりにも貴族と共に生活ができて喜んでいるかも知れねえじゃねえか。そうじゃないと、誰に言えるんだ。それともあれか、嬢ちゃんは全てが分かる全能の神様かなにかなのかねえ?」

 違う。そうじゃない。そんな言葉ではぐらかそうったって、そうはいかない。強く、激しく思いながらも、エルザの口は重く閉ざされたままだった。思いが言葉になってくれない。俯いたまま、握り締めた拳を震わせ続けていた。

 そんなエルザを心配して、シルバが振り返ったのが大きな隙になった。手下二人は素早く駆け出すと、真四角を率いる馬のところまで一直線に向かっていった。気が付き、慌てるシルバを尻目に傷のある男も続いて駆け出した。

「はは。じゃあな、嬢ちゃん。少しは頭ぁ冷やして考えてみなよ。自分がいかに身勝手な正義を他人に押し付けているのかをさ」

 口にして、取り出した筒を掲げて煙幕を立ち昇らせた。もうもうと立ち昇る白煙にエルザとシルバは視界を奪われた上に激しく咳き込んでしまう。

 煙の向こう側で、鞭がしなる音がする。ごとごとと車輪が動き始めていた。

「ま、待ちなさ――ごほっ!」

 煙が晴れてみれば、辺りはすでにもぬけの殻だった。悔しさに、恥ずかしさに、エルザはぐっと奥歯を噛み締める。俯いた表情を、擦り寄ってきたシルバが心配そうに見上げてきていた。

 言い返せなかった。言葉だけで完璧に殴り倒されてしまった。

 顔を上げて、エルザは歩き出す。立ち止まると、漆喰の壁を思いっきり殴りつけた。

 ひび割れて、破片がこぼれ落ちる。壁の中心にエルザの拳はいつまで経っても突き刺さったままだった。

 震える後姿を、シルバだけが見つめていた。耳は塞がり、尻尾も力なく垂れ下がったまま、心配そうな眼差しでずっと見つめ続けていた。


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