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調合士のいる街 2

 調合とは、異なる二つの物質ないし事象を結びつける技術だ。依頼によって、薬品と薬品を掛け合わせたり、金属同士を融解させたり、物体に魔術的効果を埋め込んだりと様々なことをする。そのため、一介の調合士になるために必要とされる知識量には生半可ではないものがあった。

 薬草から金属、魔術に至るまで、ありとあらゆる物事に精通しつつ、その歴史、効果や効能、得られる場所を調べて、適切な保存方法や使用方法まで学ばなければならない一方で、同時に調合技術を磨くために、金属加工や装飾技術、鍛冶成型なども体系的に身につけなければならないのだ。大成するまで、少なく見積もっても十年は掛かるというのが通説だった。故に夢半ばで挫折する者があとを絶たない過酷な職業でもあった。

 そんな調合士になるための試験に、アズミはわずか二十歳で合格した。師の教えが素晴らしかったのもあるが、何よりも神童とも謳われたアズミの頭脳と腕前とがもたらした結果だった。教えられた知識は水を吸い込むように理解できたし、与えられた道具の使い方はすでに身体が知っていた。

 店を構えて三年。着実な歩みと的確な経営、紛うことなき実力に裏打ちされた商品に支えられて、アズミの名声はアバル王国中に知れ渡るようになってきている。

 エルザが所持している短刀にしても、初めてアズミが創り上げた一級品だった。まだ二人が同じ保護者の元で過ごしていた頃に、そろそろ実践をということで与えられた課題を達成するためにこしらえたものだった。

「なのにさ、あんたったら出来上がった三日後に急にいなくなるんだもの。私が造ったのに短刀まで持ち出してさ。ゆくゆくは店のインテリアに使おうと思ってたのに。朝起きて内装を見るたびになくて虚しくなってたのよ?」

 ガラスのグラスをテーブルに運んできながらアズミが言った。

「いやあ、あたしもいろいろあってさ。急いであのボロ屋敷から出ていかなきゃならなかったんだよ。悪いことしたと思ってる」

 答えながら、エルザは向かい側に座ったアズミが用意したグラスに葡萄酒を注ぐ。ルチの町でマスターから貰った最高級品だった。芳醇な香りが部屋の中いっぱいに漂い始める。エルザが自らのグラスに注ぎ終わるのを待ってから、アズミは意地悪く笑ってグラスを目の前に差し出した。

「うそつき。あんたが悪いことしたなんて思ってるわけないじゃない」

 見抜かれて罰が悪くなったエルザは、困ったように苦笑いを浮かべてグラスを差し出し返した。

 揺れる蝋燭の前でぶつかり合ったグラスが凛と澄んだ音を立てる。二人して勢いよく飲み干した。

 エルザとキールをこき使って馬車の荷台から倉庫に荷物を仕舞い終えたアズミは、いつまでたっても帰りそうになかったキールを無理やり帰宅させると、残った面子で酒盛りをし始めていた。

 店の二階。普段は作業室として使っている部屋の机に蝋燭を灯して、昔のように対座する。薄暗い室内の隅っこにはシルバが丸まっていた

 同時に空になった二つのグラスが、即席のパーティーテーブルに戻ってくる。

「美味しい。なにこれ、本当に美味しいわね」

「あたしもここまでとは思わなかった。やっぱり原産地まで行った甲斐があったなあ。ルチの町でもいっぱい飲んだけど、これはそれ以上に美味しい」

 言い合いながら注いだ一杯を、再び勢いよく流し込む。互いに三杯目を口にすると、ようやく落ち着いて話ができるようになった。

「止まらないわね。すぐ無くなっちゃいそう」

「これと同じぐらい美味しいのはないかもしれないけど、ルチの酒ならまだいくらかあるから大丈夫だよ」

「そう。ならよかった」

 微笑んで、アズミはグラスを傾ける。すでに仄かに頬が紅潮し始めていた。

「……結局、あんたはあのボロ屋敷にいたくなかったんだよねえ。私とも体の言い宿屋気分で付き合ってたんだよ」

「ちょっと、いきなり何言うのさ。確かにあたしは急に出て行ったし、その、短刀を持ち出したことを反省してるわけじゃないけどさ、けどアズミのことをそんなふうに思ったことは一度もないよ」

 焦りながら口にしたエルザを、探るような目で見つめ返す。

「信じてよ」

「ふふ。分かってるって。ちょっとからかっただけよ」

 すがりつくようにして眉を下げたエルザを見て、アズミは愉快そうに笑った。

 表情に、一瞬にして張り詰めた緊張が解けていく。酒盛りなのに、不要な徒労感を覚えてしまったと、エルザは大きくため息を吐いた。

「もう、勘弁してよ。ただでさえ荷物運びで疲れてるんだからさあ」

「あれは順当な対価でしょう。馬車で運んであげたのを忘れないで欲しいわ」

「ならアズミも変なこと言い出さないで。ほんと、誰に似たんだろうね、その捻くれた性格はさ」

「あんただって自分勝手で自堕落なところ直した方がいいわよ。ちっとも変わってない。でもさ、ローザ婆さんのところで一緒に過ごしてたっていうのに、どうしてこうも違うんだろうね。ちょっと不思議」

「元々の品性の違いだよ」

「それ、あんまりいいフォローになってないから」

 言い合いながら、テーブルの上に並べた肴を摘んでいく。燻製したチーズとハムが酒を飲む勢いを加速させ続けていた。空になった酒瓶がひとつ、ふたつと床に増えていく。

「そう言えばローザ婆さんってまだ元気なのかなあ」

「あれ、知らないの? まだぴんぴんしてるわよ。この前だって私の店にやってたもの。結局何も買ってくれなかったけど」

「まだまだ師匠のお眼鏡に適うものは調合できてないのかもね」

「その自覚はある。私の調合なんて、ローザ婆さんと比べることすらおこがましいわよ」

「向上心がお強いことで」

「一流を自称するためには、絶えず自らの腕を疑い続けなくっちゃ」

 言い切った表情が、エルザにはとても眩しく見えた。

「まあでも、ローザ婆さんのことは感謝してても好きになることはできないけどね」

「あ、あたしも分かる。婆さんはスパルタ教育だったもんね。どれだけ殴られたことか」

「あんたはまだ途中から入ってきて途中で出て行ったからいいわよ。私なんてもっと長かったのよ? 勉強できないと拳骨。朝寝坊も拳骨。皮と骨だけの手だったからね、馬鹿みたいに痛かった」

「その上理不尽な罰を与えられたりしてね」

「ああ、やだ。もう思い出したくない」

 耳を塞いでアズミは頭を振った。

「ほらほら、飲みな飲みな。嫌なことなんか忘れちゃおうって」

 空になっていたグラスに、もう何杯目かも分からない葡萄酒を注ぎながらエルザが声をかける。顔を上げたアズミは、しばらく潤みを含んだ眼で赤紫色の液体を眺めていたかと思うと、おもむろに勢いよく咽喉に流し込んだ。グラスをテーブルに叩きつけると、おかわりを要求する。

「絶対、絶対にいつか追い抜いてやるんだから」

「いいね、その意気だよ」

 一気飲みを数回繰り返した。

「ほら。まだいけるかな? まだいけるかな?」

 囃し立てるエルザの目の前で、虚ろな目をした泥酔状態のアズミは、そろそろ意識を手放そうとし始めていた。ぷつりと視界が暗転して、顔面からテーブルに突っ伏してしまう。

「痛ったー!」

 すぐさま顔を持ち上げると、かけていた眼鏡を外して目頭の辺りを擦り始めた。見ていたエルザは爆笑していた。

「馬鹿だ馬鹿だ。生粋の馬鹿女だ」

「血ぃ、血ぃ出てない? ねえ血出てない?」

「出てないよ。大袈裟だなあ」

「だって、だってぇ」

 両目に涙が溜まり始めていた。

「すっごい痛いんだもん」

「当たり前でしょうが。誰でも痛いわ」

 ぼろぼろと溢れてくる涙を拭いながらアズミが泣き声を上げる一方で、酒が回って上機嫌なエルザはずっと笑い続けていた。

 夜も更けてくると、二人とも完璧に酩酊し始めていた。床には十本以上の酒瓶が転がっている。もはや吐く息にはアルコールしか含まれていなかった。たぶん汗も酒。涙も酒。血液さえも酒に変わってしまっていた。視界はぼやけていて、平衡感覚もぐらぐら。力なくテーブルに肘を突くことしかできなくなっていた。にも関わらず、なおも二人は酒を飲み続ける。

「で、そっちはどうなのよ。元気で――はやってるみたいだけどさ。ほんと、時には私の店にも顔出しなさいよね」

「へへ。いいじゃないの。今日、こうしてやってきたんだからさ」

「あんたはさ、確かに腕っ節は強くなったみたいだし、いつも側にはシルバがいるよ。そこんじょそこらの賊にやられるようなことはないと思う。けどさ、それでも心配なもんは心配なのよ。この間もどっかの山賊ぶっ潰したって話じゃないの」

「まあね。お金に困まってたから。ちょちょいってね」

「今頃相当恨まれてるわよ」

「ふふん。望むところよ」

 意気揚々と、しかし力なく拳を上げたエルザを、アズミは白けた眼差しで見つめ返した。

「何を言っても無駄みたいね」

「あれ。そんなこととっくに分かってると思ってたけど」

「分かってたわよ。一応釘刺すために言っただけ」

「硬すぎて刺せなかったけど?」

「自分で言うな」

 言うと、どちらともなく笑えてきてしまった。くつくつと心行くまで笑って、ぽつぽつと話して、再び酒を飲んで、窓の外で月が天頂に届いた頃に、ふとエルザがキールのことを話題にした。

「アズミはさ、変わってないなって思ってたけど、少しは変わったんだね。キールだったっけか、弟子の男の子」

「ああ、あれね。うん。まあね」

「アズミのことだから、ずっと弟子なんか取らずにやっていくとばかりに思ってたんだけどな。一体全体何がどうなって弟子なんか取ろうと思い立ったのか」

 どろんと濁った瞳でエルザが訊ねた。視線に、アズミは思わず顔を背けてしまう。ちびちびと気まずそうに何回か酒に口をつけるとポツリと漏らした。

「……あいつさ、見込みがあるんだよね」

「見込み?」

「そう。たぶん私ぐらいかそれ以上にすごい調合士になれる」

「へえ。ローザ婆さんを嫌っている割に、同じような理由で弟子を取っちゃったわけだ」

「そんなことない……ってわけにもいかないかな」

「師弟は似るって言うしね。そう思えば昼間も、結構厳しいこと言ってたみたいだし」

「だってキール、本当に鈍臭いから。あれくらい言わないと仕事になんないのよ」

「どうだか」

 不敵に笑ってエルザはグラスを傾けた。

「他の理由があるって言うの?」

 アズミが頬を膨らませる。

「さあ。自分自身のことじゃない。あたしには分かりませんよって。」

 グラスをテーブルに置いてからそう言うと、アズミはいじけてしまった。ただでさえ横を向いていた身体さらに無理やり捻って、エルザに背中を向ける。ぶつぶつ愚痴をこぼしながらも、両腕がちびちびと動いていた。様子をエルザは澱んだ目でにやけながら眺めていた。

「どこで見つけたのよ」

 質問に、なぜかアズミの動きが止まった。答えはなかなか返ってこない。

「なになにぃ? いいじゃない、べつに。減るもんじゃないんだしさ。あたしの好みじゃないけど、可愛いって言えば可愛い男の子なんだもん。そりゃあ、アズミにそういった趣味があるのは知らなかったけどさ、いいと思うよ。可愛い男の子ってさ。ね、べつに非難したいわけじゃないのよ。だからさ、ほら、話してみなさいよ」

 しつこく追求を続けるエルザに、小さな声で返事があった。

「キールは、私の店の前で倒れていたの。服も粗末なものだった。……手枷をされていたわ」

 瞬間、亀裂が走るような音が響いて空気が重くなったような気がした。持っていたグラスを置いて、濁っていた双眸に光を取り戻しながらエルザは注意深く言葉を選ぶ。

「もしかしてそれって……」

「たぶん、逃げてきたんでしょうね。一年位前だったかな。朝早くに目が覚めて、偶然見つけたの」

「奴隷、だよね……」

「たぶんね。曲がりなりにも貴族が住む街だし、どんなものでも売ってるリオーネなんだもの。人売りの一人や二人、いてもおかしくないでしょう」

「おかしいよ! アズミは許せるの?」

 声を荒げて立ち上がったエルザを、振り返ったアズミの淋しそうな眼差しが射抜いた。

「許せるわけないじゃない。売られる気持ちは、誰よりもよく分かってるつもりだよ」

「だったら」

「私一人が怒ったところでどうにもならないじゃない。確かに人身売買は法律によって禁じられてる。でも、抜け目のないルールなんて存在しないよ。奴らはいつでも金を第一に考えてる。誰かの人格なんて知ったことじゃないのよ」

「でも……」

「ありがとうエルザ。あんたが怒ってくれるだけでキールは救われるよ。それだけで十分。もう過ぎたことだしね、きっと思い出したくないと思うんだ」

 言って気丈に微笑んだアズミの表情を、エルザはまっすぐ見ることができなかった。

 アズミは、十五歳で師匠のローザに買われるまで、奴隷商の牢獄に囚われたまま各地を転々とし続けていた。衣服は布切れ一枚。水も食料も満足に支給されない環境の中、鎖に繋がれたまま移動する牢獄の隙間から外の世界を眺め続けていた。

 その絶望を、その羨望を、エルザは自らの体験のように理解することができる。負った傷の痛みは、同じ境遇を味わった者でしか分かち合うことができないものなのだ。路上に倒れていたキールを、アズミがなんの抵抗もなく匿った映像が鮮明に浮かんできたような気がした。

「最初はね、すぐ追い出しちゃうつもりだったの。食べ物と服とお金をあげてね。面倒を抱えるのはごめんだった。なのにさ、あいつすっごく感謝してくれて、その上すぐ出て行きますからって。なんだか堪んなくてね。つい引き取ることにしちゃったんだ。……そんな成り行きだったのにさ、調合士の才能の塊みたいな奴でね。出会いって何が起こるか分からないものよね」

 笑い声は痛々しく響いてしまった。しばらくの沈黙。アズミは思いつめたように立ち尽くして何も言わないエルザを見据えると、強い口調で切り出した。

「キールには私のこと、話さないでね。キールの過去のことも聞いたことは言わないで。絶対に消えない記憶なんだから。忘れたくても消せないから。あんたなら、分かってくれるでしょ」

「……」

 答えないままに、エルザは席に着いた。重たい空気の中で飲む酒は、それまで飲んでいたはずの酒の中身をがらりと替えてしまったかのように不味くて、いたたまれない味がした。

 瞳の中に怒りの炎を燃やしながら、エルザは酒を飲み続けていた。


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