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蝶の遺跡 19

   六


 シルバが放った光弾が遺跡の持つ中枢機能を焼ききったために、ザルクの身体が崩壊するのと同じくして遺跡の外でも同様の変化が生じていた。再生と誕生ばかりを繰り返していた生命体たちが、一気に溶解していったのだ。

 降って湧き出てきたかのような唐突な終焉に、一同はしばらく呆然としてしまった。数人の兵士など、これから更なる強敵が出てくるのではないかと脅えだす始末だった。

 が、やがてひとり、またひとりと怪異が終わりを告げたことを理解していった。ある者は雄叫びを上げ、またある者は仲間と肩を抱き合った。共に戦っていた帝国軍と王国軍の中には固い握手を交わすものもいれば、はにかんだように笑い合う集団もあった。

「勝った。俺たちは勝ったんだ!」

 寸前まで、ミュシナと共に数百もの生命体に囲まれていたドエルフが、大剣を空に掲げながら咆哮する。まるで波紋が広がっていくかのように、歓声は兵士たちの間を駆け巡り、すぐに湖畔を取り囲んで空と大地を震わせ始めてしまった。

 様子を、ぐるりと満足そうに見渡したドエルフは、しかしすぐに近くで膝を突いていたミュシナの存在に気が付いた。敵に囲まれ、叩き切り続けていた内に姿が見えなくなったと思っていたのだが。

「おい。大丈夫か」

 声をかけると、あからさまに血を流しすぎた真っ白な顔に鬼気迫らんばかりの焦燥感を浮かべて、勢いよく訊ねてきた。

「リナ様は。リナ様は無事なのですか?」

「ああ。大丈夫だ。たぶん」

「たぶんって、あなた」

 目を見開いたものの即座に判断を下したらしいミュシナは、いきおい立ち上がろうと両足に力を込め始めた。

「おいおい、無理すんなよ。その傷じゃあ無理だって」

「リナ様。リナ、様!」

 自由にならない身体にこれでもかというくらいに鞭打ちながら、しかし全く力が入らない両膝のことが何よりも腹立たしくて仕方がなかった。歯を食い縛って泣き出さんばかりの渋面を浮かべて、ミュシナはリナのことだけを呼び続ける。

 姿に呆れ果てたのはドエルフだった。どんな執念なのだと問い掛けたいような気がした。しゃがみ込むと、ミュシナの腕を肩に回して、無理やり上体を持ち上げてやる。

「あの、これは……」

「お姫様のところに行くんだろう? 手伝ってやるよ」

 言って踏み出したドエルフの第一歩が、今のミュシナにはとてつもなく大きな一歩に見えて仕方がなかった。

「ミュシナー」

 遠くから、リナの呼び声が聞こえる。ああ、よかった。無事だったのだ。安心したミュシナは、どっと押し留めていた疲労と痛みに、一気に意識を持っていかれそうになってしまった。がくんと、身体を支えてもらっているドエルフに体重を預けるのを余儀なくされてしまう。

 力を振り絞って見上げた視界はもうすでに霞み始めていて、しかしそれでもミュシナには走り寄ってくるリナの、心から心配してくれているくしゃくしゃに歪んだ表情が手に取るように見て取れた。

「ミュシナ。ミュシナ。大丈夫なの? 私を庇って、背中に傷を負って」

「……リナ様の安全が第一ですから」

 答えてやんわりと微笑んだミュシナの胸に、堪らずリナは抱きついてしまった。

「馬鹿。貴女の身に何かあったら、私はどうすればいいと思っているの……」

「……ごめんなさい、リナ様」

「もう無茶はしないで」

「できるだけ心がけたいと思います」

「約束だよ」

「承知いたしております」

「……あー、感動のご対面は構わないんだがな、こいつ、このままだとかなり危ないぞ」

 ずっと側で居心地を悪そうにしていたドエルフが、頬を掻きながら言葉を発した。重傷を負っているのだということをはたと思い出したリナは、すぐさま応急処置ができる人物を呼びに駆け出して行った。背中を見送りながら、ぼそりとミュシナが声を漏らす。

「本当に、空気の読めない御仁ですね」

 じろりと睨まれた右の頬が痛みを発しているような錯覚を覚えてしまった。


 湖畔に浮かぶ蝶の遺跡での一件から数日。ガルナックにある食堂、ミールの二階で惰眠を貪っていたエルザを、駆け上がってきたガトーが叩き起こした。

「てめえ、いくら今は店の仕事を休んでいるからって、いつまでもぐうすか寝ていられると思ったら大間違いだぞ!」

 怒鳴り声と共に、恒例になりつつある拳骨が脳天を貫く。痛みのあまり、まどろんでいた視界は一気に覚醒へと引き上げられてしまった。

「痛ったー……。もう、なにすんだよ、この顎ひげハゲ」

「んだと、この居候の小娘風情が」

「なによ。第一ね、女の子の寝室に躊躇いもなく入り込んでくること事態がおかしいのよ。不謹慎。いやらしいったらありゃしない」

「誰がお前みたいなちんちくりんに欲情するか、ボケ」

「なんですって? もう一回言って見ろよ、この筋肉馬鹿」

「ああ? おめえ、ほんとふざけてると窓から突き落とすぞ」

「やれるもんならやってみなさいよ」

 朝っぱらから寝室で繰り広げられる喧嘩に、部屋の隅で丸まっていたシルバは大きな耳をうるさそうに伏せてしまっていた。思わず、嘆息を吐きたくなってしまう。が、シルバの耳は階段を上がってくるもうひとりの人物の登場を耳聡く拾い上げていた。

「こんの糞頑固親父が」

「人のこと言えねえだろうが、この弾丸娘」

「ちょっと二人とも」

 入り口で声がして、取っ組み合いを始めていたエルザとガトーは揃って振り返る。引き攣った微笑を浮かべていたリュトの姿に気が付いて、同時に血の気が引いていった。

「下にね、もうお客様が入ってらっしゃるの。あんまりうるさくしちゃあ、だめじゃない」

 粗相をした我が子を叱る母親のような声色に、思わず背中に怖気が走ったエルザとガトーは、素早く低頭すると素直にごめんなさいと謝った。

「仲良くしてよね、本当にさ」

 言い残して一階へと戻っていった。残されたエルザとガトーは、互いにばつが悪そうに視線を合わせている。

「おめえのせいだからな」

「なんでよ。あんたが入ってくるのが悪いんじゃんか」

「おめえが遅くまで寝てるのが悪いんじゃねえか」

「あたしは今休業中でしょ? リュトにはちゃんと認めてもらってるんだから」

「……それでも俺は認めてない」

「あんたにこの店の決定権はないんだよ」

 馬鹿にするように口にすると、もう一発拳骨が飛んできた。

「なにすんのよ!」

「うるせえ。あと、下にモルサリの野郎が来てるから顔出しとけ」

 言いながら、ガトーは肩を怒らせて寝室を後にした。

 理不尽な一撃に口を尖らせながらも、着替えを済ましてシルバと一緒に一階へ降りていく。カウンター席に腰掛けて片手を上げていたモルサリに近づくと、隣に腰を下ろした。

「やあ。調子はどうだい、エルザ君」

「誰かさんのせいで最悪」

 言いながらエルザは厨房のガトーを睨む。またやっているのかと、モルサリは苦笑を浮かべてしまった。その向こう側で、静かに座っていたイズミが店内を歩くシルバに気が付いて目を輝かせている。

「で、なに。なんか用があったからこんな朝から来たんでしょう?」

 不機嫌に訊ねると、モルサリは懐から新聞を取り出した。

「今日付けの朝刊だ。一面を見て欲しい」

 言われるがままに目を通すと、興味深い一文が飛び込んできた。

【王国、帝国との講和を宣言】

 共に添えられた写真には硬い握手を交わす国王と帝国の元首との姿が映し出されている。

「ま、これで取り敢えずは一段落ってことだね」

「……もしかして、あんたが働きかけたんじゃあ」

 その並々ならぬ影響力を訝しみながらエルザが新聞から目を上げる。

「まさか。僕じゃあないよ。帝国のドエルフって軍人がいただろう。今回のことで彼がいろいろと交渉の場に出たらしくてさ。それにもうひとり。ほら、ここに写ってる」

 言いながら、モルサリは写真の中にとある人物を指差した。目を寄せたエルザは、なるほど、確かにこいつ――リナならば、ことをここまで運べたのかもしれないと思った。

「願いは叶ったんだね」

「夢物語だったんだけどねえ」

「でも、強く願い続けたんだよ。だからこうして笑顔を浮かべていられるんじゃないかな」

 言って、エルザは再び写真に目を戻した。傍らに憮然とした表情のミュシナを従えたリナは、とても晴れやかな笑顔をして握手する二人の姿を見つめていた。

「はい、お待ちどうさまです。モーニングセット二つ、お持ちいたしました」

 言ってリュトがモルサリとイズミに朝食を運んでくる。

「ね、あたしには?」

「あるわけないでしょ」

 冷たくあしらわれ、エルザはがっくりと肩を落とした。隣でおいしそうに食べ始めたモルサリのことを恨めしく思いながらも、言葉を紡ぐ。

「それにしてもさあ、一体なんだったんだろうね、今回の騒動は。結局誰も得してないじゃない。まあ、あの湖畔で死者が出なかったことだけはすごいことだとは思うけどさ、なんか煮え切らないなあ」

 もぐもぐとスクランブルエッグを挟んだパンを咀嚼してから、モルサリが口を開く。

「みんなたった一人の人物の狂気に踊らされていたわけだからね。でも、一番いい状態でまとまったと思うよ。僕らは失った仲間がいるけどさ」

 思い出したくない過去が蘇ってきて、エルザは思わず拳を握り締めた。

「……ギルドって、まだあの場所には戻せないの?」

「さてねえ。どうだったっけ、イズミ君」

「あ、はい。えっと、あと一月後ぐらいには復旧も完了するかと思います」

「一月か。長いね」

「なあに、遺跡の二つや三つ潜ってくる間にはもう直ってるよ。そしたらまた、ここで記念会を開こう。エルザ君が大金をせしめたときみたいにさ」

 モルサリが取り立てて明るい声でそう言った。掌がエルザの背中を軽く叩いた。

「……そう、だね。またぱーっとお酒を呑もう!」

 拳を緩めて、エルザが微笑んだ。

 底抜けに快活な、エルザらしい笑顔だった。


 夜。店を閉めたミールの食堂で、エルザはひとりで晩餐を上げていた。足下にはシルバが寄り添っている。厨房ではガトーとリュトが一日の片付けを続けていた。

 コルクを捻って、首都ゾッカ近郊でしか造れないとされている最高級の古酒をグラスに注ぎ入れる。噎せ返るかのような芳醇な香りと、とろりとした液体が、エルザの舌を唸らせた。

「やばい。めちゃくちゃ美味い」

 一杯目を空けるとすぐさま二杯目を注ぎ入れて味わった。さすがは王宮の味。格が違うなと、思わされてしまった。

 昼中に、エルザ宛に届いた酒だった。差出人は、なんとリナからだった。添えられていた手紙には、ただ一言、ありがとうとだけ記されていた。その簡素な一文が、そして何より貰った酒の質のよさが、エルザには何よりも嬉しかった。

 浮かべた氷を指で弾きながら、嗜むようにして酒を味わっていく。皿を仕舞い終えたリュトが、興味深そうに近づいてきた。

「ねえ、それって昼届いたお酒でしょ。やっぱり美味しいの?」

「そりゃもう格別ですよ。もう安い酒なんて呑めないかもしれない」

「そんなに美味しいの? ……ね、ちょっとだけ味見させてくれない?」

 頼み込んできたリュトに、エルザは意地悪く微笑んだ。

「ふふーん。やだ」

「えー。そんなこと言わないでよ。本当にほんのちょっとだけでいいんだからさ」

 慌てたリュトに、エルザがにじり寄る。

「本当にちょっとだけでいいの?」

「えっ。……うん。まあいいよ」

「本当の本当に、ちょっとだけでいいのね?」

「……一口くらいは欲しいかな」

「一口! なんて多い」

「ちょっとからかわないでよ。いいじゃない一口ぐらい。けちけちしちゃってさ」

 拗ねたようにそっぽを向いてしまったリュトを見て、ようやく仕方がないなあと呑んでいたグラスを差し出した。けれど、リュトは振り返らない。不審に思ったエルザは、もしかして本気でへそを曲げさせてしまったのだろうかと心配になった。

「あのー、ちょっとリュトさん?」

「ねえ、エルザ」

「は、はい。なんでしょうか」

 振り向いたリュトの表情には静かな好奇心が秘められていた。

「エルザはさ、その、トレジャーって仕事でダルファ研究のお手伝いをやってるんだよね? 遺跡にある遺物を集めてくる仕事」

「……まあそうだねえ」

「あのさ、私にダルファのこと教えてくれない? その、伝承とかじゃなくて、もっと具体的に学問的なこととかをさ」

「どうしたのさ、急に」

 訊ねると、リュトは少しだけ淋しそうな表情を浮かべて、再びエルザに背を向けてしまった。視線が向けられているのは、ガトーがまだ作業を続けている厨房である。ぽつりと、こぼすかのようにしてリュトは話し始めた。

「急にってわけでもないんだけど……。私ってさ、父さんから母さんのこと何も教えてもらってないんだよね。私がまだ小さかった頃に昔不幸な事故があって、それでどういうわけか王国を憎んでいて、私に同じような道を歩ませないようにって、全部隠そうとしているんだ。でもさ、分かっちゃうんだよ。父さんがいくら隠そうとしてたって、私に周りには情報が集まってきちゃうから。シエラさんが、ううん、母さんが魔道局の初代局長だったこととかさ、実験中に暴走した力を制御できなくて死んでしまったこととか。あのミュシナさんって人もね、母さんとは関わりがあって、昔は母親同然で育ててもらったんだって。私が生まれる前のことだよ。聞いたときはよかったんだけどさ、段々と嫉妬してきちゃって。だって、私は母さんのことほとんど知らないんだもの。研究室にこもりっきりだったって言うから思い出も少ないし。聞いたり、耳に入ってきた知識は全部知らない第三者から教えてもらったものばかりなんだ。王国にいた母さんが何を思っていたのかとか、どうして魔道研究をしようと思ったのかとか、知りたいんだけど、一番近かった人が教えてくれないから分からないし。だから――」

 俯き小さくなった背中を見つめながら、エルザは大きくため息を吐いた。

「ったく、あの顎ひげはさ、なーんにも分かっていないんだから」

「……父さんにも思うところがあるんだよ」

「そんなの当たり前だよ。でも、だからと言ってリュトをこんなに苦しめてるのはおかしい」

「苦しめてるとか、そんな大きなことでも――」

「ある!」

 大声で遮って、エルザはグラスをもうひとつ持ってきた。とくとくと、惜しみなく古酒を注ぐと、リュトに差し出して乾杯を促した。

「な、何エルザ。突然どうしたのよ」

「記念日だから」

「記念日?」

「そう。リュトが、初めて自分からシエラさんのことを知りたいと動き始めた記念日だから。だから、乾杯」

 言うと、勢いよくグラスを傾けた。口を離す。リュトに向き直る。

「任せておいて。私が何とかするから」

「え。で、でもさ」

「いいのいいの。全部あのハゲが悪いんだからさ。それに、返せてない借りもあるし」

「借り?」

「ううん。こっちの話。ささ、呑もう呑もう。記念日は景気よくなくちゃ」

 酒瓶を傾けるエルザの脳裏には、日頃何かと拳骨を見舞ってくるガトーに対しての恨みが、轟々と燃え上がり始めていた。

「そうだ。一層のこと、今からあの頑固者に訊いてみたらどう?」

「ええ! 無理だって。今までだってずっと訊けなかったんだから」

「だから今聴くんじゃないの。おーい、ハゲ。ちょっと話があるからこっち来てよ」

 呼び声に、厨房のガトーが鬱陶しそうに振り返った。

「なんだよ、小娘。こちらとまだ仕事が残ってんだぞ」

「いいからいいから。ちょっとで済むからさ。だからおいで」

「ちょっとエルザ。待ってよう」

 隣で泣き出しそうになっていたリュトの肩を掴んで、エルザがまっすぐに瞳を見つめ返した。

「だめだよ。逃げてるままじゃあ、何も始まらないんだから。誰かに始めさせられるなんて嫌でしょう? だったら自分から動かなきゃ」

「でもさあ……」

「大丈夫。そんな時のために、このお酒はあるのですから」

 胸を張って言うと、リュトのためにとグラスに用意した古酒を、無理やり咽喉の奥に流し込ませた。噎せ返る背中を押し出して、耳元で小さくエールを送った。

 厨房から、何も知らないガトーが手を拭きながら近づいてくる。

 リュトは拳を握り締めていて、力強くガトーの顔に向き直った。

 様子を肴にしながら、エルザはにやにやと古酒の入ったグラスを傾けている。

 足下で丸まっていたシルバが、エルザの意地の悪さに大きく息を吐いてしまっていた。

「父さん。あ、あのね、母さんのことで聞きたいことがあるんだけど……」

 ――さてさて、どんな夜になることやら。

 思い、傾けた酒の味は絶妙で、エルザに格別の幸せを運んできてくれる、魔法の液体だった。

以上で蝶の遺跡は終了です。サブタイトルを間違えてたのに二週間気が付きませんでしたが、とにかくおしまいです。これまでお付きあいいただき、感謝です。

続きについては未定なんですが、もし再開するようなことがあれば、また読んでいただけたらなと思います。


それでは別の作品で。

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