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蝶の遺跡 15

 ガルナックで方々から集まった面子による会談が行われていた頃、秘密裏に王国を発っていた局長ザルクは、二つの遺物を懐に収めた状態で湖畔に佇む蝶の遺跡へと辿り着いていた。

 それから数日。茂みに覆い隠されていた入り口から遺跡の奥に辿り着いていたザルクは、文献の記述どおりの内装をしげしげと確認し、欠落した箇所がないかを部下たちに命じ探させていた。また、同時に遺跡が確かに起動するか、何百年もの間沈黙を続けていた端末に手を触れながら逐一動作を確かめていった。

 一連の作業が完璧に終わるのに、三日を要してしまった。遺跡の最深部、黄ばんだ液体に満たされ、中央にぶうぅーん微弱な振動音を響かせる脳形の機械が浸っている巨大な水槽が床に埋め込まれている一室で、腕を組んだザルクは無表情なまま手を動かし続ける部下たちの様子を監視していた。

 想定していたよりも、時間が掛かり過ぎてしまった。手中に遺跡を起動させるに必要不可欠な要素を持ちえている以上焦る必要はなかったが、それでも早く機能を復活させることにこしたことはない。

 ――ともすると、そろそろ奴らが現れる可能性があるからな。

 考えたザルクは、ほとんど不眠不休で端末を操作し用意していた魔術式を記述し続けていた研究員に、もっと急ぐようにとの指示を出した。悲愴な表情を浮かべながらも、研究員は従順に作業を進めていく。

 水槽の淵にまで移動してから、懐からガルナックへの奇襲によって手に入れた二つの遺物、『再生の卵』と『大いなる糧食』を取り出して改めて眺めてみる。硝子を思わせる透明な小箱に入った石造りの球体と、澄んだ緑を全体に散らした円盤状の情報記憶媒体とをつぶさに見つめると、純粋に美しいと思ってしまった。自然と口許が綻んでしまう。

 これら二つの遺物と蝶の遺跡、そして持ち寄った新たな魔術式とを併せれば、隣接する国々との情勢を造作もなく引っくり返すことが可能な力が手に入るはずだった。

 もちろん、アバル王国ではなく、ザルクがである。

 所詮はやりたかった研究の副産物に過ぎないものではあったのだが、やがて生まれてくるだろう聞き分けのいい化け物どもを引き連れれば、周辺各国はもちろんのこと、アバル王国までをも掌握することは容易なことだった。そうなれば、もうやりたい研究に口出しをする者たちはいなくなる。自由気ままな研究が、制限されることのない実験の数々が用意された未来を思うと、込み上げてくる嗤いを押さえることができなかった。

 ――まったく、揃いも揃って馬鹿ばかりだ。

 アバル王国もダルフォール帝国もガルナックまでも、ザルクから見れば愚鈍過ぎる能無し共で溢れかえっていた。だから何もできないのだ。個人の欲望が、集団によって制限されてしまっている。そして、さもそれが当然であるかのように受け入れてしまっている。

 ザルクには、どうして込み上げてくる個人の欲望を殺してまで集団に帰属しようとするのかが分からなかった。理解すらしたくなかった。なぜなら、どいつもこいつも手段は手の届く場所にあるにも関わらず何もしない阿呆ばかりだからだ。

 望まぬ者に、何を言ったって無駄なのである。

 だから、愚者と関わることは放棄した。仕えるだけ駒として扱った後に、要らなくなったら捨てる算段を立て続けていたのだ。局長に襲名した頃から貫いてきた姿勢である。ザルクは、前任のシエラが掲げていた甘っちょろい研究理念が吐き捨てるほどに嫌いで仕方がなかった。

 何が好きで能無し共のためにやりたくもない研究を深化させていかなければならないのか。得た知識は望む野望のために利用するのが一番なのである。だからザルクは、シエラが実験中に事故死したことを心から喜んでいた。

 ――これで思うままにやりたい研究をやっていくことができる。

 けれど、それから更に十五年が掛かってしまった。先代の名声と理念が煩わしいほどに付きまとっていたのだ。がむしゃらに、自らの手柄を立てようと奔走し続けていた日々。そうして遂にここまで辿り着いた。嗤うなと言うほうが無理だった。

「局長。魔術式を全て組み込み終わりました」

 死んだような表情を浮かべた研究員が、背後から報告を入れてきた。振り返ったザルクは、歪な笑みを浮かべると、珍しく苦労を労ってやった。

「よくやってくれた。お前たちは少し休んでいるといい」

 ――もう二度とその身体では目覚められないと思うがな。

 微笑の奥に冷酷な野望を隠しこんで、ザルクは休憩に心から安堵してみせた研究員の表情をじっとりと見つめていた。


 湖畔の側にある茂みから、ひょっこりとシルバの白い頭が飛び出した。

「シルバ、だめだって。どこに見張りがいるか分からないんだから」

 言って、慌てたエルザが頭を押さえ込む。再び身を伏せて窮屈な思いをする羽目になったシルバは、あからさまに不満そうなため息を吐いた。

 ふたりは。アバル王国とダルフォール帝国の国境にある名もなき大きな湖の畔にやってきていた。目的は、もちろんザルクの計画を阻止するためである。悪酔いをした翌朝には元気になって王国へと帰っていったリナと保護者のミュシナを見送った後で、急いでここまでやってきたのだ。

「それにしても、どこにも入り口がない」

 ずっと陽光に煌めく水面に囲まれた小島に、ちょこんと頭だけを現わした遺跡を睨みながら呟いた。リナがもう到着しているかもしれないと心配していた魔道局の連中はもちろんのこと、何をするのかはっきりとした予想のつかないダルフォールの輩の気配に注意しながら探していたら、いつの間にか太陽は随分と高くで輝くようになってしまっていた。

「早く中に侵入しないといけないのに」

 親指の爪を噛んだエルザには、確証はなかったものの、すでにザルクが遺跡内部で作業を始めているような予感があった。小鳥が囀りそよやかに風が吹きぬけている美麗で心安らぐ湖面を眺めたにも関わらず、一瞬、突き抜けるかのような怖気が全身を硬直させてしまっていたのだ。

 絶対に何かが始まっている。直感がそう叫び続けていた。

「ほんと、どこにあるんだよ」

 ほふく前進をしながら、エルザはぼやく。苛立ちが募り始めていた。

 不意にエルザの服が小枝に引っかかったかのようにぴんと張る。なんだろうと振り返ったエルザは、服の端を噛んで千切らないようにゆっくりと引っ張っているシルバの姿に気がついた。

「何、シルバ。何かあった?」

 訊ねながら身体の向きを変えると、服を放したシルバがずんずんと先に進んでいってしまう。不思議に思いながら後をつけていたエルザだったが、やがて小刻みに動いていたシルバの鼻に気がついて、期待に胸を跳ね上がらせてしまった。

「もしかして、においで分かっちゃったの?」

 声を大きくさせると、振り向いたシルバが得意気に鼻息を荒く吐き出した。

 そのまま進んでいくと、踏み倒された茂みにぶつかった。辿り、エルザはようやく入り口へと至りつく。蔦や藪に隠れるようにして、ひっそりと白塗りの扉が佇んでいた。

 刻まれた蝶らしき彫刻に手を伸ばすと、音もなく真ん中から左右に割れた。扉の間に、奥へと伸びる薄暗い通路が出現する。

 瞬間、エルザは顔を顰め、シルバは反射的に体勢を低くさせていた。奥から濃密過ぎる生命の気配が溢れ出してきたのだ。まるで、敵の一個隊が一挙に押し寄せてくるかのような威圧感。

 しばらくの間濁流のような気配の奔流を見守って、何も近づいてきていないこと確認すると、互いに顔を見合わせて、エルザとシルバは蝶の遺跡へと足を踏み入れた。


 ザルクは、作業をしていた研究員を全て遺跡最深部にある部屋の外で休ませるのを口実に締め出した後で、ひとりゆっくりと端末に備え付けられていた装置に遺物を嵌め込んでいった。

 まず、『再生の卵』をコードが延びる台座に捧げるようにして嵌め込む。機能が正常であると確認できていた遺跡の機械は、それが『再生の卵』であることを認識すると、方々から光線を照射して石造りの球体を解析、内在する基本情報を本体へとインプットし始めた。

 続けて、円盤状の『大いなる糧食』を、対応する挿入口に滑り込ませる。電子音が鳴り響いて、書き込まれた大量の動作情報を読み込んでいった。

 正面に浮かび上がるモニターには、流れるようにしてダルファ文字が書き出されていっている。様子を歓喜に満ちた表情で眺めていたザルクの背後で、水槽に浸る脳形の機械の周りに無数の青い蝶が羽ばたき始めていた。

 やがて、双方の遺物からの読み込みが完了したことを告げる表示が画面いっぱいに表示される。間髪を入れずに動き始めた遺跡の機能が、けたたましい稼動音を響かせて再起動を果たす。黄ばんでいたはずの液体は見る見るうちに鮮やかな青へと変色し、通路に並んだ容器の中を勢いよく循環するようになった。

 様子に気がついた研究員の一人が、部屋の中に入ってきて研究が成果を実らせたことを祝福する。

「実験は成功ですね!」

「そうだな。本当に喜ばしい。これで、絶大なる力が手に入るからな」

「帝国など、恐れるに足りなくなりますね」

 興奮した様子で口走った研究員の言葉に、ザルクの笑みはますます深くなるばかりだった。踵を返し、寝ている奴らを起こしてきますよと駆け出そうとした研究員の背中に声をかける。

「ちょっといいか? 少し、君に手伝ってもらいたいことがあるんだ」

 言うと、なんでしょうかと何の疑いもなく近づいてきた研究員の腹部に、高圧の電流を放出する機械を押し当てる。びくりと全身を飛び上がらせて、一瞬にして気を失ってしまった部下を眼下に見下ろしながら、いよいよザルクの表情は壮絶なるものにまで変わり始めてしまっていた。


 薄暗いとは言え、どうやらやっぱり先客がいたらしい遺跡の内部は、どういう構造なのかは分からないが、光源など見当たらないのに歩くのには不自由ないほどには照らし出されていた。

 エルザとシルバはどこからでも敵が出てきても万全の対応が取れるよう、細心の注意を払いながら遺跡を奥へと進んで行く。道中、両脇に並ぶ黄ばんだ液体に満たされた容器から放たれるおぞましいほどの気配に、いい加減気分が悪くなりそうになっていた。

 どうやらこの液体こそが、数多の生物と人々とを溶かした遺跡が生み出した成果であるらしい。とんでもないことをやるもんだと、口を覆ったエルザは恐怖と共に感心してしまっていた。隣を進むシルバの毛は、もうずっと逆立ったままになっている。充満しすぎた気配に包まれるという経験したことのない状況の中で、ふたりとも精神的に張り詰めることを余儀なくされていた。

 と、急に低い振動音が鳴り響き始めたと思ったら、両脇に並んでいた容器の中の液体が、その色を青へと変え始めてしまった。直感的に、エルザはとうとう遺跡が起動したのだと理解する。

 ――もう悠長している暇がなくなってしまった。

 シルバに目配せをして、一緒に奥へと駆け出し始める。止めなくてはならないと思っていた。それがエルザにできる唯一の、そして全ての事柄だった。

「待ってなさい。今すぐぶん殴りにいってやる」

 口にすると、更に両足に力を込めて加速し続けていった。

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