蝶の遺跡 9
「何かの間違いだ。俺たちはこの街を襲ってなんかいない!」
ギルドが襲撃されてから四日。イズミが外部に手配していた応接室で、モルサリと帝国ダルフォールから急遽派遣されてきた軍人ドエルフとが顔を合わせていた。備え付けられたソファーに腰掛けて、モルサリはゆっくりと落ち着きをもって言葉を選んでいく。
「しかし、私どもギルドの人間が、あなた方が手にしていた遺物を奪ってしまったことは事実でしょう」
「確かに。俺はあんたが言うエルザって娘に出し抜かれてしまった。まんまと遺物は奪われ、国への報告は、迂闊だった己を恥じて忸怩たる思いで行った。だが、だからと言って帝国が攻撃によって取り返すなんて手段を選ぶはずがないだろう。我がダルフォール帝国を見くびってもらっては困る」
部下であろう三人の兵士を背後に立たせるドエルフの毅然とした態度に、モルサリは眉を顰めていた。そもそも、当初からダルフォールの報復という可能性に関しては疑問を抱いていたのだ。
動機があからさま過ぎることと、わざわざ自身が犯人であると名乗るかのように捨てられていた腕章が残されていたこと。夜半に強襲をかけた周到さからはかけ離れた落ち度が、目に付いて仕方がなかった。
嘆息を吐いて、モルサリは目を閉じる。瞼を軽く揉んでから重たい口を開いた。
「……しかしながら、現場にはあなたが今も腕に回している腕章が落ちていた。これはどう説明するのです。私たちギルドは元よりあなた方の腕章など持ち合わせてはいなかった。にも関わらず、現場に落ちていたということは、あの夜あなた方がギルドにやってきたということではないのですか」
「本当にそう思っているのか」
まっすぐに射抜いてくるドエルフの視線が一層の凄味を持ち始めた。
「考えてもみてほしい。落ちていたのは腕章だったのだろう? そう易々と落ちるようなものではないじゃないか。また仮に落ちてしまったと考えてもだ、そもそも落ちて足がつくようなものを身につけたまま攻撃するだろうか。おかしいじゃないか」
言う通りだ。考えていたことをそのまま言い当てられたような気分だった。
憤りをあらわに述べられたドエルフの言葉には、率直に頷きを返してしまいそうな響きが込められていた。モルサリは一呼吸入れるように額を撫でると、黙ったままじっと壁際に立ち尽くしているイズミが淹れてくれていたお茶に手を伸ばした。
目の前に座っている青年は、思った以上に冷静に物事を把握しているらしい。渋い風味を口の中に広げながら、モルサリは冷然とその人柄を評価していた。
帝国に対して決然たる発言を行ってから二日と経っていないうちに派遣されてきたのが、十ほど年下のドエルフだった。軍人だと言うから、もっと態度を硬化させた堅物を想像していたのだが、なるほど、なかなかに話ができそうな人物だった。その上、漲る眼光には並々ならぬ意思が秘められている。やりとりの最初に佐官を名乗っただけのことはありそうだった。
言葉には真意が込められており、疑いの余地はなさそうだ。しかしながら、発言を真と受け取るとなると、分からなくなるのが襲撃を行った相手である。ギルドに怨恨を持つ者か、あるいは奪った遺物に関係する集団か。考えながらお茶をテーブルに戻したモルサリに、ドエルフが契機よく口を開いた。
「……あんたならもう相手の目処が立っているんじゃないか?」
「目処、ですか」
「そうだ。我々帝国とアバル王国とが緊張状態になりつつあるのは知っているだろう」
「…………」
「実を言うとだ、遺跡調査の指令は、王国が魔道の軍事利用を進めているらしいという情報が漏れ出してきたのが理由だったんだ」
発言に、モルサリは口許で手を組んで身を乗り出す。
「奴らは、何でも『蝶』に関する遺跡を追っているらしい。帝国が掴んだ情報だけではどのような機能を有している遺跡なのかは分からなかったが、少なくとも今の勢力分布図をひっくり返すほどの力を秘めていることは確かなようだった」
「……それで、その思惑を阻止せんがためにあなたが派遣されたと」
「おそらくは。なぜだかは知らないが、軍の上層部は魔道の力を真摯に恐れている。取り返しがつかなくなる前に行動する必要があったんだ。ただ、それを寸前のところであんたたちギルドに奪われてしまった。王国の領土内に、対象の遺物を残すことになってしまったんだ」
「なるほど。つまりあなたは今回の襲撃を引き起こした真犯人が王国であると、そう言いたいわけなのですね?」
訊ねた声に、ドエルフは力強く頷き返した。モルサリは再び考えを巡らせ始める。
確かに分からなくない考え方だった。それどころか、妙に腑に落ちたくらいだった。やり方はあざといが、闇夜に紛れながらも帝国の腕章が残されていた理由は、王国が仕組んだ罠だったからなのだ。
近年、何かとつけて外部に向ける研究報告の中に機密事項を盛り込むようになっていた王国の魔道局ならば、一人用の飛行装置を実用化していたとしても、それが周囲に知れている可能性は低い。先代に代わって就任した二代目の局長は随分と切れ者だという噂も聞いてはいたので、あながち有り得ないことでもないように思えた。
しかしながら、気に食わないのがドエルフの言動である。確かに自らの潔白を指し示すために王国の動向を述べたのだろうが、気になる点がいくつかあったのだ。
ひとつには王国から情報が漏れ出してきたということ。一人用飛行装置の研究を欠片さえも外部に漏らさなかったはずの王国にしては、管理がおざなりとしか言い得ない失態であった。
そして『蝶』に関する遺跡のことについて。確信はないものの、ドエルフはまだ何かを隠しているような気がしてならなかった。
最後に挙げられるのが、変に扇情的な意図を滲ませていた声の質である。そこにどんな企みが忍ばせてあるのか、モルサリにはいまひとつ掴みきることができなかった。
「仰ることはよく分かりました。確かにあなたの言ったことには一理あるように思えます」
「分かってくれましたか」
安堵の表情を浮かべたドエルフを、鋭く見つめ返した。
「しかしながら、全てを受け入れるわけにもいきません。私が口にしたことも、あなたが仰ったことも、いずれも所詮は推論に過ぎないからです。どちらも決定的な証拠に欠ける」
「……理解はしたが信じはしない、そういうわけか」
「信じたいのは山々ですけれどね。ここまで話してはくれたものの、あなた方帝国が二つの遺物を隠し持っていないとも限らないでしょう」
黙ったままドエルフはモルサリの眼差しを睨み返し続けていた。緊迫した雰囲気に、空気がどんどん張り詰めていく。
先に均衡を破ったのはモルサリの方だった。
「ただ、王国の動きも注視していきたいとは思います。あなた方が危険視するように、最近の魔道局は少し歪だ。私たちは私たちで、独自にこの問題の調査を続けることに致しますよ」
「……ガルナックのギルドの意向は理解いたしました。上には違うことなく報告したいと存じます」
「いえいえ、本日はご足労頂いて感謝していますよ。少しは前進できた気分だ」
言って立ち上がり互いに、握手をして二人の面談は幕を下ろした。
三人の兵を引き連れてドエルフが部屋を後にした背中を見送ってから、モルサリは大きく息を吐いてソファーに腰を下ろす。口を噤みじっと壁際に立ち続けていたイズミが素早く働いて、新しいお茶をモルサリの前に差し出した。
「どうぞ」
「ああ。ありがとう」
穏やかに微笑んで、湯気の立ち昇るお茶をゆっくりと咽喉に通していく。
「結構な奴だったね。少し気圧されそうになった」
恥ずかしそうに口にしたモルサリの表情に、イズミは苦笑をして応えた。
「しかし、どうしようかね。王国への調査か。誰かに一役買ってもらいたいんだけどな」
「現在、ほとんどのトレジャーが復興作業に追われています。残っている数人も依頼を引き受けて各地に飛んでいますし」
「空いているのはひとりしかいないんだよねえ」
気だるげな声に、イズミが申し訳なさそうに頷いた。
「彼女、できるでしょうか?」
「うーん、できるできないの問題じゃないんだよね。トレジャーの一員なんだ。やらなくてはならないことはやってもらわなくちゃあ困る」
「……厳しいんですね」
「違う違う。まったく別物だよ、イズミ君」
話に上がっている人物を思ってか、顔を顰めていたイズミに向かって、モルサリは確かな決意を滲ませた微笑を浮かべた。
「これはね、愛なんだよ、愛。部下を思いやる気持ちからやってあげる施しなんだ。だから何が何でも行ってもらわないといけない」
口にするや、モルサリは勢いよく立ち上がった。伸びをしながらするすると扉まで移動すると背中に、イズミの不安そうな声がかかった。
「ど、どちらへ向かわれるお積もりなんですか?」
「ん。ちょっとね。説得しにいこうかと思って。ギルドの管理、ちょっとの間よろしくお願いするよ」
片手を上げて、モルサリは開いた扉の向こう側へと消えていった。
傾き始めた陽射しが、閉じたカーテンの隙間を縫って床に一閃を生じさせていた。
部屋の隅で蹲ったままのエルザは、無感動にその光を見つめ続けている。
この数日間、折を見ては溢れてきていた涙は、いつの間にか乾ききってしまっていた。幻聴よろしく響いていた人々の囁きも、回り続ける自己嫌悪の螺旋も、とっくにどこかへ放り出してしまっている。ただただ残っていたのは、猛烈な重さを伴って圧し掛かってくる虚脱感だけだった。己の存在など、無きに等しいと思わされる虚無感に苛まれていた。
部屋の前では、変わらずシルバが鳴き声をあげている。回数は減ったものの、扉を引っ掻く音も依然として続いてはいた。リュトは度々訪れては声をかけてきてくれたし、怒りが限度に達したガトーによって壊された扉を開けて、食事も運んできてくれていた。
けれども、どれもこれもエルザにとっては煩わしいものに過ぎなかった。もしくは感情のこもりすぎた重荷に変わりなかった。
放っておいてくれたらいいのに、と、四肢を投げ出したエルザは、もう何度となく繰り返した思考を相も変わらず抱き続けている。あたしみたいな要らない奴なんかには関わらず、存在そのものを忘れてくれたらいいのに。思えば思うほどに、全身から力が抜けていくのだ。
目の前の床には、手をつけなかった昼食が置かれている。ガトーが丹精こめて作ってくれたにも関わらず、どうしても食べる気にならなかったものだった。申し訳なく思うと同時に、あたしなんだから仕方がないと諦めにも似た感情を抱いてしまう。
「ずっと……調子で、出て……れない……」
壁を挟んだ廊下でリュトが誰かと話している声が聞こえる。どうせまた関係を持とうとする算段を立てているに違いなかった。やだなあ、とついつい思ってしまう。
「そう上手くいけばいいんですけど……。かなりの強情ですよ?」
「大丈夫。任しておいてよ」
言いながら部屋に入ってきたのはモルサリだった。
「や。エルザ君。元気にしてるかい? ああ、ほらほら、リュト君もシルバも入りなさいな」
場違いに明るい声を振りまきながら、モルサリは一気に場の主導権を握っていく。促されるがままに、おずおずとリュトとシルバも部屋の中に入ってきた。
「さてと。エルザ君、君に話しがある。仕事の話だ。できれば今すぐにでも向かってもらいたい用件なんだけど、どうだろう?」
声に、エルザはおぼろげな視線を向けるだけだ。半開きになった唇は、まったく動こうとしない。
一向に返事がないことに頷くと、モルサリは大股で窓まで進み、ずっと閉じられていたカーテンを力一杯引き開いた。
瞬間に、朱色に染まった陽光が部屋一杯に流れ込んでくる。リュトとシルバはもちろんのこと、エルザまでもが眩しさに目を細めてしまっていた。
「……ここからだと、ちょうどギルドの時計が見えていたんだね」
無反応だったエルザの肩がピクリと反応した。モルサリは振り向かず、押し開けた窓の外に広がる光景に目を向けながら言葉を紡いでいく。
「四人だ。四人死んだ。あの晩の襲撃のせいでね。僕らの仲間は四人犠牲になった」
「モルサリさん!」
思わずリュトは声を荒げてしまった。わざわざ傷口を抉るような真似をするとは思っても見なかったのだ。
傍らのシルバと共に蒼白になったエルザの表情に目を向ける。歯を食い縛ると、未だに外を向いたままのモルサリに近づいて、憤りを押し殺したまま口を開いた。
「お願いです。今はその話をしないであげてください……」
握った拳が白くなってしまっていた。
けれど、背を向けたままのモルサリは尚も同じ話題を進めようとする。
「……連中は君が持ってきた遺物だけを狙っていた。君があの遺物を持って来なければ、こんな事態にはならなかったかもしれない」
「だから、やめてく――」
「でも、それは僕だって同じだ。あの襲撃の原因を生じさせたのは君だったかもしれないけれど、それに対処するだけの頭がなかった僕の責任なんだ。集団をまとめる者として、危機管理意識が足りていなかった。まったく、嫌になってくるよ」
エルザに向き直ったモルサリは、淋しそうな笑顔を浮かべてそう口にした。
「君もそうなんだろう、エルザ君。己の責任を感じて、行いを後悔して。でもさ、だからと言って何が始まるわけでもないじゃないか。亡くなった四人の命が戻ってくるのかい? 失われたギルドの外観が、研究資料が戻ってくるのかい? そんなわけないだろう。立ち止まっていては、何も変化は起きないんだから」
言って、モルサリはエルザの許へと一歩近づいていく。様子をシルバは心配そうに、リュトは固唾を呑んで見守っていた。
「君だけの責任じゃない。でも、だからと言って君の傷が癒えるとも思わない。今回のことは、きっとずっと抱えていけなければならない傷痕として残っていくんだと思う。だからこそ、僕は君にもう一度立ち上がってもらいたいんだよ。犯してしまったと悔やんでいる過ちを、新たな成果で補ってほしいと願っている。だって、君はトレジャーなんじゃないか。遺跡を探り、遺物の確保に専念する。何も間違ったことはしていなかったんだよ」
「……あたしは」
目の前で膝を折ったモルサリの穏やかな双眸に耐え切れずに俯いてしまったエルザは、虚ろな視線を床板の上で移動させ続けていた。
「あたしは……あたしは……」
「エルザ君!」
張りのある声と共に、肩に大きな掌が置かれた。全身を飛び上がらせながらも持ち上げた視線の先に、不器用な笑みを浮かべたモルサリの顔と心配そうに眉を顰めているリュトの表情、そしてこの数日間ずっとエルザのことを思いつつも、距離を取り続けてくれていたシルバの姿を確認して、乾ききっていたはずの眼から再び涙が溢れ出してしまった。
泣きじゃくるエルザの頭に、モルサリの温かくて大きな掌が置かれる。そっと歩み寄ってきたシルバは、優しく頬を舐め上げてくれていた。
「大丈夫。君ならまた歩き出せるはずだよ」
言葉に、何度も頷いたエルザの姿を、リュトはほっと胸を撫で下ろしながら見つめていた。と、微かな物音を扉の辺りに耳にして首を捻ってみる。一瞬だけガトーの後姿が見えたような気がした。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
言いながら流した涙は、どういうわけか少しだけ温かくて、その夜エルザは久々にシルバと一緒にぐっすり眠れることができたのだった。