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サラマンダーとルチの酒 2

 小鳥のさえずりが町の上空を通り過ぎていった。太陽が昇ってまだ間もない早朝。ルチの町の一日は毎日朝早くから始まる。家々からは朝食を準備する煙が立ち昇り、芳しいスープの香りが漏れてくる。やがて、男たちがひとりまたひとりと家をあとにして、鉱山へと働きに出かけ始める。変わらない毎日の風景だった。

 例に漏れず朝早くに鉱山にやってきた酒蔵のおっさんは、朝一番に作業小屋を開けるや、そのままの姿でもう随分と固まってしまっていた。中に、真っ白な獣が丸まっているのである。大きさは見慣れた大樽の半分ぐらい。どう見ても人よりも二まわりほど大きな体をしていた。

 そんな獣が知らない間に作業小屋の中で寝ていたというだけでも驚きだったのだが、懐に小さくなっていたエルザを見つけて更に驚いていた。

「若えの。おめえ、幻獣使いだったのか……」

 思わず呟いていた。声に、ピクリと幻獣の耳が動く。大きな顔が持ち上がった。

 真っ白で巨大な狼に見つめられ、おっさんの足はたじろいでしまう。相応の威圧感を感じていたのだ。緊張の糸がぴんと張り出す。迂闊に動けない空気に、おっさんは戸惑っていた。

「ん。うーん」

 気の抜けた声が小屋の中に響く。懐のエルザに、幻獣がそっと顔を近づけた。

「ん、んー。ああ、おはよう」

 鼻を優しく叩いてエルザは起床した。身体を起こして、大きく伸びをする。目尻に涙が溜まった。拭って辺りを見渡して、はて、ここはどこだったかなとしばし考える。入り口で固まっていたおっさんの姿に気が付いた。

「あ、昨日のおっさんじゃない。おはよう」

「あ、ああ。おはよう」

 それからぼりぼりと頭を掻いて、ようやく現状を思い出した。立ち上がり、軽くストレッチをしてから外へ出る。快晴の空が広がっていた。

 胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込むと、頭の中がスッキリした。幻獣が隣に近づいて、ぶるると身体を震わせる。頭を撫でてやった。

「驚いたよ。この目で幻獣を見たのは初めてだった」

 背後からおっさんが声をかける。振り返って、エルザは誇らしそうに返事をした。

「これでも一級使役師のライセンスを持ってるのよ」

「道理で。白い体の獣を付き従えるなんて、普通じゃねえもんな」

「普通じゃないって、ちょっと気になるな。これでも優しい子なんだよ」

 言いながら、幻獣の顔を撫で回す。ごろごろと咽喉が鳴った。

「ね。可愛いでしょ」

 おっさんは肩を竦めた。芳しくない反応に、エルザはぷっと頬を膨らませた。

「可愛くないっていうの?」

「少なくとも、俺には凶暴そうにしか見えねえな」

「ひっどーい。シルバのこと何にも知らないくせに」

「なんだ、その幻獣シルバって名前なのか」

「そうよ。シルバはね、あたしのかけがえのないパートナーなんだから」

 口にするエルザの柔らかな表情に、おっさんは確かな絆を見たような気になった。

 しばらくじゃれていた手を止めて、エルザはおっさんに向き直る。もう一度サラマンダーに関する話を聞いておこうと思った。

「ところで、昨日言ってたサラマンダーのことだけどさ、どこからやってくるのかとか分かってたりするの」

「ん、ああ。確か鉱山の北を少し進んだところに洞窟があってな、どうやらそこからやってくるみたいなんだ。って、こんなこと聞いてどうするつもりなんだ?」

「どうするつもりって、決まってるじゃない。やっつけるのよ」

 言い放ったエルザに、おっさんが慌てた。

「おいおい。いくらお前が幻獣使いだからといってもそんなこと任せられねえよ。知ってるだろう? 奴らは炎を吐くんだぜ?」

「問題ないわ。何とかなる」

「何とかなるって、そんな甘い考え方で済むことじゃないぞ」

「甘くなんて考えてないよ。危険性なら十分承知している。その上で言ってるのよ。それにおっさんだって分かってるでしょ? 保護法がある限り、この町の人には何もできないじゃない」

「それは、確かにそうだが……」

 勢いがなくなったおっさんを見て、ここぞとばかりにエルザは話の詰めに取り掛かる。

「でもでも、あたしならまだ何とかなるのよ。旅してるからね。同じ場所に留まることはないから、司法官の追手も撒ける。リスクがないのよ」

「だが……」

「こんなことするのは柄じゃないけどさ、お酒が飲めなくなるのはどんなことよりも嫌なの。大丈夫だって。無理はしないから。危なくなったら逃げてくるよ」

「……頼んでもいいのか?」

「もちろん。始めからそう言ってるじゃない。あたしに任せときなさい」

 とんと、胸を叩いた。と同時に、ぐるるとエルザのお腹が鳴る。

 俯いてから、ゆっくりと恥ずかしそうに顔を上げたエルザを見て、おっさんはくしゃりと破顔した。

「飯、俺ん家で食うか? どうせ何も持ってねえんだろ?」

 来な、と振り返ったおっさんの背中が大きく見えたのは、何も盛り上がった筋肉のお陰ばかりではないようだった。


 おっさんの家で朝食をご馳走になったエルザは、早速鉱山の北へとやってきていた。岩石がむき出しの足場は歩きにくいことこの上ない。少しだけ息を切らして、エルザはようやく目的の洞窟までやってきた。

 パートナーのシルバを隣に従えて、真っ暗な洞窟を睨みながらエルザは立ち尽くす。朝食の場でおっさんの奥さんから更に聞きだした話によれば、潜伏しているサラマンダーの頭数は一頭や二頭ではきかないということだった。なんでも、被害はそれほどまでに甚大で、急速に範囲を広めつつあるのだそうだ。焼きたてのパンと美味しいスープを啜りながら、エルザは闘志を燃やし始めていた。

 厳つくて、大きくて、一見しただけではそうとはとても思えないのだが、サラマンダーは基本的に夜行性で、気性が穏やかなのが特徴だ。やっつけるとエルザが簡単に口にできたのもそのことが大きな要因を占めていた。一体いくら潜んでいるのかは分からないが、それほど難しい仕事じゃない。それくらいの実力と経験は積んできていたのだ。そして仕事を終えた暁には、お礼をたくさん貰おうと考えていた。

「さて、それじゃあひとつ蜥蜴狩りにでも行きましょうかね」

 口にして、エルザはシルバと共に洞窟へと進んでいく。狩りなどと口にはしたけれど、何とかして追い出すことができないかと考えていた。いくら害をもたらしているとは言え、彼らにしてもても生きるために一生懸命なのだ。無闇に命を奪うのは躊躇われた。

 加えて保護法がある。おっさんには大丈夫だと口にしたが、王宮の魔術はかなりの精度を誇っているのだ。死に際のサラマンダーの視界をジャックして記憶や映像を証拠に残すことなんて朝飯前だった。

 つまりは殺したが最後、エルザは地の果てまで司法官に追われる羽目になるのである。そんな生活は真っ平ごめんだった。エルザは気ままな一人旅が好きなのだ。

 目標はサラマンダーの捕獲及び保護。服従させたのちに彼らを、遠くの山に運んでいくことだった。少し難しいけれど、やれないことはなかった。辺りの気配に注意しながら、エルザは一歩一歩洞窟の奥へと進んでいく。闇がどこまでも広がっていた。

「参ったな。思った以上に深い」

 足下が見えなくなってしまっていた。たいまつでも準備すればよかったと、不手際を後悔した。

 仕方がない。エルザは隣を歩いていたシルバの体に手を触れると、済まなそうにお願いした。

「疲れるかもしれないけど、光を召喚してくれる?」

 声に、シルバは素直に順応した、ぶるると体を震えさせると、四肢を踏ん張って長く遠吠えをする。終わると同時に、小さな淡緑色の光の玉がいくつも洞窟の中に浮遊し始めた。

「ごめんね。なるべく速く済ませるようにするから」

 言って、エルザはにわかに明るくなった洞窟内を再び進み始めた。


 やがて大きな空洞に出た。洞窟の最深部に着いたらしい。地下水が染み出した大きな水溜りと、段々に積み重なった岩場が最初に目に付いた。

「ここで終わりかあ」

 呟き、エルザは一歩進み出る。瞬間、鋭い殺気を岩場に感じた。

 振り返り、腰を深く落としながらじっと注意を向ける。シルバも牙を剥いて唸り声を上げていた。

 岩陰に、蠢く影を捉える。一頭。二頭。岩と岩との影の間をするすると移動しながら、間合いは徐々に詰められつつあった。サラマンダーのご登場である。

 ちらつく影を追いながらエルザは冷静に考えていた。二頭。聞いていたよりもずっと少ない数だった。これならば、それほど難しい仕事でもない。やけに鋭い殺気だけが気になるが、何とかなるだろうと高を括っていた。

 正面から人間の頭ぐらいの火の玉が飛んでくる。左に避けて、エルザは前を向いた。顔を持ち上げ、口の端から炎を覗かせるサラマンダーが二頭、全身で威嚇しながら並んでいた。大きさはシルバを倍にしたくらいか。牛程度なら簡単に食べ切ってしまいそうだった。長い尻尾を激しく地面に打ち付けながら猛々しい威嚇をしてきている。

 さて、どうしようかと思ったところに、再び火の玉が飛んできた。側転の要領で避けて体勢と持ち直す。前を見ると一頭が突進して来ていた。

 これじゃあ何もできない。

「シルバ!」

 叫んで、一頭は任せることにした。迫り来る大きな口を飛び避けて、前に駆け出す。背後で轟音と共にサラマンダーが壁にぶつかった。素早く振り返って、腰から短刀を抜き構える。岩盤に衝突したくらいじゃあ、彼らの分厚い皮膚はびくともしないのだ。粉塵の向こう側に、けたたましく尻尾を打ち鳴らす大きなシルエットが浮んでいた。

 サラマンダーはいつにもなく攻撃的な態度だった。その生態も実物も見たことはあったけれど、ここまで強暴だったなんて知らなかった。どうしてなんだろう。不思議に思いながら、エルザは姿勢を深く落として素早く駆け出す。硬い外皮を持つサラマンダーの弱点は地面に向いている腹部なのだ。人の手でひっくり返すのは大変だけれど、やらないことにはどうしようもない。

 粉塵に覆われてなかなか視界が戻らないサラマンダーの正面にまで進むと、下顎に思いっきり蹴りをぶち込んでやった。悲鳴を上げて、大きな体が少しひるむ。持ち上がった上体の下に潜り込むと、咽喉下に肩を滑り込ませて身体全部を使ってひっくり返した。

「っしょ!」

 掛け声と共に、両足を支える地面がひび割れる。気功術の一種だった。不意に生まれた爆発的なエネルギーを受けて、サラマンダーはあっけなく仰向けになる。

 ここまで来たら後は簡単だった。サラマンダーは互いの力の上下を確かめるために、勝ったものが咽喉下に噛み付くのが習性なのだ。手にした短刀を牙に見立てて、エルザはサラマンダーに自分が勝者であることを示した。

「いい子だから大人しくしててよね」

 声をかけてから相棒の方を振り返った。火の玉が移動し続ける白い影を追っていた。シルバは上手いこと相手を傷つけることなく注意を引き続けることに成功しているようだった。

 さすが自慢の相棒。幻獣は秘めたる力が強大であるが故に、サラマンダーを殺してしまうんじゃないかと少し心配していたのだ。けれど、シルバは首尾よくやっていてくれる。早々にこの一頭を抑えておく役割を交代して、もう一頭も服従させようと思った。

 しかしながら、予期せぬことがエルザの足下で起こり始める。普通なら負けを認めて大人しくするはずのサラマンダーが急に暴れ始めたのだ。

「え。ちょっ待って」

 慌てるエルザなど知ったことではない。じたばたと暴れるサラマンダーは、仰向けになった状態で火の玉を吐いた。

 火球が近くの岩盤にぶつかって破裂する。衝撃波に、エルザの身体は呆気なく吹き飛ばされてしまった。

 空中で体勢を整えながら何とか着地を成功させて、もうもうと煙が立ち昇る前方に視線を向ける。考えもしていなかったことが起こり始めていた。温厚なはずのサラマンダーがいやに攻撃的になっていること。服従するはずの手順を踏んだのに暴れだしたこと。どちらも今までに経験したことも聞いたこともない反応だった。

 どうしたというのだろう。混乱するエルザの目の前で、仰向けになっていたはずのサラマンダーが起き上がる。頭を振ると、天井に向かって大声で吠え始めた。

 やばい。直感でエルザは理解する。これまでにない攻撃が来る前兆だった。慌てて逃げ出し近くの岩陰に身を隠す。同時に、顔を正面に戻したサラマンダーから渦のような炎が吐き出された。

 背後で荒れ狂う猛烈な熱量を、身体を小さく屈めてやり過ごす。収まったあとに恐る恐る振り返ったエルザが目にしたのは、焼けて赤く燃え上がる岩の数々であり、溶岩のように溶け出した岩石の慣れ果てだった。

「ま、マジですか」

 呆然と呟いたエルザの下に、サラマンダーの足音が近づく。轟と、空気を焼く音が急速に近づいてきていた。危険を感じて素早く岩陰から飛び出す。火球が岩を木っ端微塵に吹き飛ばした。

 走りながら、現状を整理しようと努める。もっと簡単だったはずなのに。どこで間違えたんだろう。考えが甘かったのか。悔しさに歯を食いしばった。立ち止まると、いまだに走り回りながらもう一頭の注意を引き続けてくれていたシルバに叫びかける。

「一旦退くよ!」

 前を向いたとき、犯した失態に気がついた。

 ガラガラと天井に向かってサラマンダーが吠えていた。左右を見る。ちょうど水溜りを背後にして立ち止まってしまったために、隠れられそうな場所は近くにはなかった。そもそも、あの炎の渦は隠れたところでどうなるものでもないのだけれど。

 舌打ちをして、エルザは駆け出し始める。何とか辿ってきた道に逃げ込もうと思った。

 けれど、動き出したその姿をサラマンダーは見逃さなかった。しゅるりと音を立てて長い尻尾が動かしたかと思うと、エルザの進行方向を塞ぐように勢いよく振り貫いた。

「やば」

 思わず口に出た直後に、エルザの身体は宙を舞う。背中から岩壁に叩きつけられた。


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