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蝶の遺跡 4

 そびえ立つ建物の上方で、大きな歯車がぎしぎしと軋みながら回転している。

 卵の遺跡を後にしたエルザは、渓谷に掛かる巨大な機工都市であるガルナックに舞い戻ってきていた。

 立ち並ぶ煙突群から、もうもうと白煙が立ち昇っている。足下の基盤を吊り上げている太いワイヤーの数は、今日も着実に増え続けている。四角型の建造物が積み木のように重なり合ったガルナックの街並みを太陽がじりじりと照りつける中、谷底から吹き荒ぶ風が、エルザの長い髪の毛とシルバの毛並みを暴れさせながら通り抜けていった。

 迷路のような小道を、右へ左へ、それぞれの目的地へと急ぐ人々の流れに身を任せながら進んでいく。遺跡から戻ってきたふたりも、とある場所を目指して歩き続けていた。

 百段以上ありそうな階段を一息に登り、人一人がようやく通れるような小道を掻き分けていく。いつも近道に使っている、宙に剥き出しになった金属製の螺旋階段を蹴鳴らしながら駆け降り、優に背丈を超えている段差を飛び降りると、ようやく巨大な時計台を模したギルドに辿り着いた。

 街のどの場所からも見上げることができる大きな文字盤の上で、がちりと音を立てて巨大な長針が時を刻んだ。壮観な刹那を見つめていたエルザは、目を閉じて小さく息をつくと入り口にある木彫の重たい扉を開く。

 早朝にも関わらず、ロビーにはすでに顔馴染みの仕事仲間がたむろし始めていた。カウンターには遺跡発掘の依頼者と思しき人々や、調査の報告をして報酬を受け取ろうとしているトレジャーたちが列を成している。

 手を上げながら仲間たちに軽く挨拶をして、エルザは空いていた受付にへと足を向ける。先日足を踏み入れた遺跡について、報告を入れるための報告をするつもりだった。ギルドは何かと手続きが面倒だ。改めてそう思い、エルザは小さくため息をつく。

「登録ナンバー二九三。白狼使いのエルザ。――『卵の遺跡』だったっけ? そこに行ってきた報告です。レポートはまた後日提出するから」

 少々お待ちくださいと受付の女性に言われて、隣にちょこんと座ったシルバと戯れながらしばしの間待っていた。最中にいきなり背後から声をかけられた。

「お、おい」

「はい?」

「も、もしかして、その、お前が俺の依頼を受けてくれたトレジャーなのか?」

「……あんた誰?」

 深くフードを被り、言葉につっかえながらもぎらぎらと光る眼差しを向けてきた男に、エルザは真っ先に不信感を抱いた。

「さ、さっき、『卵の遺跡』って言ってただろう? それ、俺が依頼したんだ」

「そんなこと言われても信じるわけにはいかないよ。第一トレジャーと依頼主はお互いに関知しないのが原則で――」

「しょ、証拠ならある!」

 叫ぶようにして遮り、男はずっと座っていた席に戻ると、大きな鞄を抱えてきた。

「ほら。これが報酬だ。ちゃ、ちゃんと一億ルーク入ってる」

 ぎっちりと詰め込まれた札束を目にして、急にエルザの目の色が変わった。

「な。これで、信じてくれるか」

「……まあ一応は。そんな大金おいそれと用意できるものじゃないもんね」

「そうか。ならよかった。じゃあ、早速持ってきてもらった遺物と交換しよう」

 満面の笑みを浮かべて言われた言葉に、エルザは困ってしまった。

 規則では、報酬のやりとりや遺物の受け渡しは、全てギルド長であるモルサリの確認を通さなければならなかった。まだ認証していない依頼を無理やり自分の仕事にしてしまったことはあったものの、これまでに結果を報告しなかったことは一度もなかった。

 お金は、酒をがぶがぶと呑めるから確かに欲しい。けれど、いまひとつ決断に必要な一歩を踏み出せないでいた。

「お、おい、どうしたんだよ。ほら、金はあるんだぞ。だからな、早く遺物を俺に渡してくれよ」

「そうは言ってもさあ。規則があるから」

「いいじゃないか、一回くらい。謝ったらなんとかなるさ。だから、な。早く」

 やっぱり、少し怪しい奴だと思わずにはいられなかった。シルバも不審そうな目をしている。

「……それでも、やっぱり正規の手続きを踏まないと」

 困り顔で答えたエルザの肩を、背後から大きな掌が軽く叩く。

 振り向くと、専従秘書のイズミを従えたモルサリが微笑を湛えて立っていた。

「や。長旅ご苦労だったね、エルザ君。遺跡、ちゃんと行ってこれたんだって? 大変だったでしょ」

「あ。あんたねえ、あんな遺跡なら始めにちゃんと説明してよ。本当に怖かったんだから」

「説明してよって、する前に君が部屋から出て行っちゃったんじゃないか。まだ認証も済んでなかったのにさ。挙句、扉は蹴破られるわ、他のトレジャーたちからはねちねち言われるわで、僕も大変だったんだよ?」

「そんなこと知らないよ。っていうか、イズミさん! あんまりシルバをもみくちゃにしないで」

 指摘すると、迷惑そうな表情を浮かべていたシルバに頓着することなく、思う存分もふもふとした獣毛を堪能していた黒髪の女性が、はっと頬を赤らめてモルサリの後ろに立った。

「本当にもう。動物が好きなのはいいけどさ、ちょっとはシルバのことも考えてあげてよ」

「……ごめんなさい」

「まあまあ、悪気があるんでもないんだからさ、大目に見てやってよ」

 三人の中では一番年上のモルサリが、ずれた眼鏡を直しながら仲裁に入る。

 エルザはじと目で、俯くイズミの様子を見つめていた。

 決して穏やかとはいえない空気を変えるように、モルサリは咳をひとつ吐いてから口を開いた。

「えーっと、受付の娘から何か面倒なことになってるって聞いてやってきたんだけど」

「あ。そうそう。この人がさ――」

 言って、エルザは背後で大金を詰め込んだ鞄を抱き締めていた男に振り向いた。

「――ここですぐにでも遺物の受け渡しをしたいって言出だしてて」

「なるほど」

 頷き、男の風貌をじっくりと観察したモルサリは、前進してエルザと男との間に割って入った。警戒し、ぎゅっと鞄を抱き抱えた男に向かってにっこり微笑むと、柔らかな声で説明を始める。

「申し訳ございません。当ギルドには、依頼の報告と報酬の受け渡しは然るべき手続きを要するよう記されている規則があるのです。また、原則として遺物の受け渡しは行えません。我々ギルドの研究室と共同で遺物の解明を行うことが決まっていまして」

「い、いや、しかし俺は今すぐにでも遺物が必要で……」

「申し訳ございません。規則となっていますので。お詫びとは言っては何ですが、お急ぎのようですし、今この場で手続きを済ませるよう致します。詳報書ならば、すぐにできますから」

 言うと、モルサリは傍らのイズミに視線で合図を送り、必要な書類を持ってくるよう指示を出した。

「今しばらくお待ちください」

 微笑んだモルサリに、男は苛立ちをあらわにしながらも不承不承従うことにした。

 椅子へと戻って行った男を見送りながら、黙っていたエルザがモルサリに話しかける。

「なーんか変じゃない、あいつ」

「まあ、確かに少し挙動が不審だね」

「やばいところと関係してるんじゃないのかな? 今度からは依頼受けるときに、ちゃんと人相判定もした方がいいよ」

「はは。そんなことしたら、依頼が一気に減っちゃうよ」

 声に出して笑ったモルサリだったが、抱いた一縷の不気味さは拭えないままだった。心情は隣のエルザにまで伝播してしまっている。苛立たしげに足を揺すっていた男を見つめながら、モルサリは呟くように言った。

「何事も起こらないといいんだけどねえ」

「意味深だね。何が起きるっていうのさ」

「さあ。分からないけれど」

「分からないけれど?」

 答えることなく口を噤んで、顎に手を当てたモルサリはじっと考え込んでしまった。

 そこへ、用紙を準備してきたイズミが駆け寄ってくる。

「……あんまり考えてもしょうがないね。とにかくは、すぐに終わらせよう」

 明るく言って、エルザから口頭で大まかな報告を受け始めたモルサリは、スラスラと紙面を埋めていった。途中、ぴたりと筆が止まる。

「……エルザ君、今なんて言った?」

「へ? だから、ダルフォールの軍人がなぜか遺跡の中にいたからさ、隙を突いて遺物を奪ってきたんだよ。だって、妙なこと口走ってたんだもん。詳しく話すと面倒だからまた後でレポートとして提出するけどさ、あたしたちが保管しておいた方がまだ安心できるかと思ったんだけど――まずかったかな?」

 眉間を摘んでいたモルサリが低く唸る。

「少なくとも、よくはないねえ」

「でも、関係するらしい二つの遺物を同時に回収できたんだよ?」

「……まあそれはお手柄かもしれないけれど」

「でしょう? 結果がよければ全部いいんだって。深く考えすぎだよ」

 こんなことで帝国から恨みを買うようなことはないだろうが、相変わらずなエルザの言動にはたじたじとなってしまった。

「まあいいや。で、回収した遺物の名称は? 目的の遺跡には、確か『再生の卵』があったはずだけど、軍人からは何を奪ったんだい?」

「確か『大いなる糧食』とか何とか言ってたような気がする。って、そんなことも記入するの?」

「君が二つの遺物が関連しているって言ったんじゃないか。ガルナックは共同研究が主体なんだから、こちらが情報を隠していては信頼してもらえなくなる」

「それは、確かにそうかもしれないけどさ……」

 エルザは座している男に目を向ける。

「あれに信用してもらっても嬉しくないよ」

「失礼なことを言うね」

「だって実際そうでしょう。確かに大金は持っているみたいだけどさ、雰囲気が最悪だよ。そして、そこ!」

 言ってエルザはモルサリの背後からいつの間にかシルバの許へと移動して、もふもふと体を撫で回していたイズミを指差した。

「だから、シルバが困ってるって!」

 言葉に、イズミははっと頬を赤らめて素早く立ち上がる。ようやく解放されたシルバは心底辟易したのか、大きく息を吐いた。

「もう。これからしばらくの間、シルバに触っちゃだめ! 近寄るのも厳禁だから」

「そ、そんな……」

 イズミが悲愴に顔を歪めた。

「だめなものはだめ」

「……酷いです」

 やりとりをモルサリが苦笑を浮かべながら見つめていた。

「折角のところを申し訳ないんだけどさ、書けたから用紙を彼のところに持っていってくれないかな」

 言ってイズミに詳報書を手渡す。

 よろよろと、シルバに触れることを禁じられた衝撃に足下を若干ふらつかせながらも、イズミは男に紙面を持っていった。

 居ても立ってもいられないと言うような様子で詳報書を受け取った男は、しばらくはおとなしく文面に目を落としていたものの、二つの遺物を入手したとの記載を読むや、俄かに目を見開いた。がばりと面を上げてエルザを見つめると、勢いよく駆け寄ってきて深く深く頭を下げ始めてしまう。

「ありがとう。本当にありがとう」

 唐突な反応に、エルザはもちろんのこと、モルサリもイズミも、シルバですらも訳が分からなくなって目を丸くさせてしまった。

「えっ。あ。その、どうしたの?」

 訊ねたエルザに答えることなく、男は無理やり握手を求め、そして驚くべきことを口にしたのだった。

「ありがとう。お前のお陰で俺の本懐は叶った。報酬は二倍にしてやる。本当にありがとう」

 物事はよく分からないまま進んでいくものである。

 エルザは、予期せず多すぎる報酬を手に入れることになった。


「たっだいまー」

「あ、おかえり、エルザ」

 ガルナックの一角に、まるで隠れ家のように、エルザが寄宿させてもらっている食堂ミールは店を構えている。

 大金が詰め込まれた鞄を抱えて、シルバと共に帰宅したエルザを出迎えてくれたのは、五つほど年上のリュトだった。肩まで伸びた髪の下には不思議そうな表情が浮かんでいる。

「なに、その鞄? 重そうだけれど」

「ふふん。実は、今回の報酬です」

「嘘! そんなにたくさん?」

「すごいでしょ」

 言いながら、エルザはテーブルのひとつに腰をかける。営業中にも関わらず向かいの席に腰掛けたリュトは、興味津々に訊ねてきた。

「どんな依頼だったの?」

「んー。まあいつも通りの依頼だったはずなんだけどね」

「なのに、こんなに貰えちゃったんだ?」

「そう。始めから報酬は高かったんだよ。だから飛びついたんだけどさ、どういうわけかに倍に膨らんだんだ」

 言ってエルザが力強く微笑むのと同時に、リュトは客に呼ばれてしまった。

 水を注ぎに向かった背中を見送りながらエルザはテーブルに頬杖を突く。足下ではシルバがおとなしく体を丸めていた。柔らかな毛が脚に心地よかった。視線は、テーブルの上に鎮座する鞄に注がれている。改めて獲得した報酬を思うと、自然と頬が緩んでしまった。

 その脳天に、背後から無骨な拳骨が振り下ろされる。不意打ち同然の攻撃に目を剥いたエルザは、すぐさま振り返ると、熊のような身体に獰猛な目を宿したミールの店長を睨みつけた。

「こんの、顎ひげハゲ! いきなりなにすんのよ」

「うるせえ。こちらと人手が足りてねえんだ。帰ってきたんならさっさと手伝いやがれ」

 口にしてガトーは厨房へと戻っていく。遠ざかる背中に、エルザは思いっきり舌を伸ばしてやった。立ち代りに、リュトがテーブルに近づいてくる。

「なに、またやられた?」

「まあね。あたしはなんにもしてなかったのに」

「エルザの頭は殴りやすいのかもしれないね」

「勘弁してよ。こう何度も殴られてて、ただでさえ溜まんないんだからさ」

 心から思ってそう口にした。真に迫る表情に、思わずリュトは噴き出してしまう。

「笑い事じゃないんだって!」

「ごめんごめん。あんまりにも真剣な顔してたから」

 言いながらも、全く笑い終わる気配を見せないリュトの様子に、エルザは憤ってしまった。

「ひどいよ、リュト」

「エルザほどじゃあないって。噂には聞いてるんだから」

「うっ。そ、そうかな?」

「そうだよ。加えて私は身をもって経験してますから」

 妙に自身たっぷりに言われた言葉に、エルザは頭を掻いた。

「おい、エルザ。ちんたら喋ってねえで、さっさと来い」

 厨房から、ガトーの苛立った声が聞こえてくる。さっと、エルザは無表情になった。

「あのハゲ親父……。ちょっとくらい休んだっていいじゃないか」

「そうは言わないで。あれでも私の父さんなんだから」

「全然似てないよね」

「そうでもないよ」

 微笑んで、リュトが先に席を立つ。

「でも、あんまり喧嘩したらだめだよ? お客さんいるんだから」

「できる限りは努力する。まあ無駄だと思うけど」

 言って、だるそうに立ち上がったエルザを、苦笑を浮かべたリュトが見つめていた。

「仲がいいんだから」

「どこが」

「二人ともすごく似てるよ?」

「止めてよ。気味が悪い」

「エールーザー」

 リュトの発言に肩を抱いてしまっていたエルザの許に、低く響いた声が届いてくる。

「……ああ、これは早々に殴られるや」

「ご愁傷様。さ、頑張っていってらっしゃい」

 明るくリュトが背中を押す。嫌々ながらも、エルザは天敵が待っている厨房へと重い足を運び始めた。

 報酬が置かれたテーブルの下では、シルバがのんびりと欠伸を噛み殺していた。


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